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 (学園・爽やか/--)
憧れと恋の境界線


あこがれと恋。その気持ちに違いなんてあるのだろうか?
もしあるのなら何処から何処までがあこがれで、何処からが恋と言えるのだろう。
はっきりしない境界線はいったい何処から始まるのだろう―――――――




「ねぇ、向こうのコート、次の試合に北沢先輩が出るんだって!!」
黄色い声を上げる女子に僕はちらりと視線を向けた。多分今叫んでいたのは、クラスの女子の中で一番可愛いと目下の噂の近野だろう。ぱっちりとした二重が可愛らしいと、クラス内で彼女に好意を抱いている連中はかなり多い。
けれど、僕の視線が最終的に捉えたのは彼女ではなかった。
洗いざらしの半袖の白いティーシャツに、紺色のジャージ。皆に一様なその服装さえ格好よく着こなして、爽やかな笑みを浮かべている人。その人物こそ僕の視線の行きつく先だったりする。

「え?!北沢先輩ってどんな人よ?」
「ほら、あそこに立っている人よ。あ、今笑った」
「本当に格好良いわよねえ」
別に会話を盗み聞きしているつもりは無かったが、彼女たちの声が大きかったことと、噂に上っている相手が僕の良く知っている相手だったので、なんとなく話の内容が僕の耳に入ってきた。
「それだけじゃないわよ。二年の学年総合トップって彼よ。聞くところによると、スポーツとかも得意なんだって。バレーボールが一番好きらしいけど。とにかくなんでも出来ちゃう人なんだから」
「へぇ―、凄いじゃない!!」
そう、彼は凄いのだ。
そんな彼は僕のバレー部の先輩だったりする。

一日がかりの球技大会もようやく終わり、僕はほっとして部室に向かった。だいぶ体力を消耗してしまったので、疲れていないというと嘘になるが、僕にとって本番はこれから。部活動があるのだ。
部室のドアを開けると、そこにはもう数名しか残ってはいなかった。多分殆どの部員は着替え終わって、体育館に行っているのだろう。軽い鞄を床に置くと、僕は自分のロッカーまで歩いていった。
「先輩、見ましたよ今日の試合!凄かったすね」
その横では僕と同期の中里が、さっきからずっと先輩に纏わりついている。僕はというと、ユニフォームに着替えながらぼんやりと彼らの様子を目で追っていた。心の中では僕だって、“凄い”だとか“格好良かった”とか思うこともしばしばだが、それを素直に口にする勇気が無い。だから、なんでも気軽にほいほい口にできる中里が羨ましかった。
「俺見てたんすよ。先輩がアタックするところ。あの、準決勝のときの。本当、最高だったよ。スパイク全部決まってたし!!もう・・・滅茶苦茶格好良かった!!!」
――なあ、直志もそう思うだろ?
先輩にばかり語りかけていると思っていた相手が、いきなり話題をこっちに振ってきたものだから、半ば驚きながら、僕は条件反射のように小さくうんと頷いた。
そんな僕の様子を見て、先輩は“馬鹿”と中里に悪態をつく。さっきから中里に格好良いだの凄いだの言われて、照れているのか頬が少し赤い。
「あんまり古川を脅すんじゃねえよ。お前の場合、いつだって無理やりにものを言わせるからな」
呆れたように中里の後頭部をぽかりと殴ると、それに――と彼は続けた。
「古川が俺の試合を見ていたとはかぎらねえんだぞ。試合が重なって見れない場合が多いんだから。なあ、古川?」
問い掛けられて、僕は曖昧に笑って頷いた。
でも――本当はしっかり見ていた。自分の試合が終わると、彼の試合が行われている場所まで移動して、けれど見ているということを知られたくなくて、先輩の姿がようやく見えるような遠くから僕はじっと展開を見守っていた。
 僕にはどんなに遠くから見ても先輩を判別できる自信があった。
試合開始、その瞬間から僕の目が捕らえる人物の顔つきが変ったのが一目で分かった。照れたような三日月形の目が大きく開いてボールを見つめる時、彼を取り巻いていた空気の色が変わることを僕は知っている。そんな彼に僕は憧れているのだから・・・。
「おい、古川?大丈夫か?」
眼の前に心配そうな先輩のどアップがあることに気がつき、僕は驚いて反射的に後ずさりし、落ちていたシューズに足を引っ掛けて床にしりもちをついてしまった。
「―――! だ、大丈夫か?!古川」
イタタタと腰を押えている僕に先輩は、驚きながらも手を差し出してくれた。
「・・・大丈夫です・・・」
迷惑を掛けられない。そう思った俺は、先輩の手を取らずに立ち上がり、一応はそう答えた。
けれど、本当は痛かった。体育倉庫のように下にマットが引かれていたら痛くは無かっただろうけど、部室にそんなものがあるはずが無い。つるつるの床が続いているのだ。
実のところ、右にあるロッカーを持ってようやく立てるくらいだった。
「もうそろそろクラブが始まりますから、北沢先輩は先に行っていて下さい」
いつの間にか、中里は部室からいなくなっていた。僕たちが最後くらいだったから、皆体育館で準備運動くらいは始めているかもしれない。早く行かないと、練習する時間が減ってしまう。ところが、先輩は僕の言葉に耳を貸そうとはしなかった。
「そんな面で大丈夫なはず無いだろ?どこ打ったんだ?見せてみろよ」
むしろ平気だと言った途端、更に心配の色を濃くしたようだった。
心配そうな顔で顔を覗き込む彼に、僕は慌てて首を振り、
「だ、大丈夫です!!本当になんとも無いですから!!」
ひきつりそうになりながらも、必死で笑顔をみせた。
彼の雰囲気は冗談じゃ無さそうだったし、そのまま放っておけば触ってもおかしくないくらいの勢いだったから。おそらく親切で言ってくれてるんだろうけど・・・そんな、男同士とはいえ先輩におしりを見せられるはずなんて無い。
けれど、ロッカーにもたれ掛かりながら後ずさりをする僕に溜息をつきながら、彼は、二歩で僕との間合いを一気に縮めてしまった。
「あのね・・・古川、俺はそのお前の態度こそが一番心配になんの。本当はロッカー持って体を支えてないと歩けないほど痛いんじゃないの?だいたい我慢しすぎなんだよ、お前は。ほら保健室に行くぞ」
そう言うなり、彼は僕の膝の裏に手を差し入れ、背中に手をあてがった。自分の意思とは無関係にふわりと浮き上がった体に、一瞬何をされているか分からずに間近に迫った先輩の顔を見上げると、少しだけ笑って彼は走り出した。
――――――もしかして僕は先輩に抱き上げられているのか?
僕がその事実に気がついたのは、部室を出て暫くしてからだった。
「―――せ、先輩下ろしてください!!」
 人を抱きかかえて走るということはただでさえ人目を引くというのに、それをあらゆる意味で目立つ先輩がやっているものだから、人目が集まらないはずがない。明日になったら、絶対に何か言われる。
 僕は先輩のシャツを引っ張り、再度下ろしてくれと頼んだ。けれど僕がその後耳にしたのは、
「いいから、お前は黙ってろ!!!」
と言う激しい拒否の言葉だった。いつもの先輩とは違う剣呑な顔つき。僕は口を閉ざした。
 ――――なんだか逆らえない。
 くっついている体から直に先輩の体温が伝わってくる。僕の体を支えている彼の力は意外に強くて筋肉質で、でも俺には心地よかった。全て彼に任せきっても大丈夫なような気分になってくる。
―――本当に格好良いんだ・・・少し眉を寄せて急いでいる彼をちらりと見上げて、僕はそんなことを思った。間近に迫った顔は、いつも僕が目にしている遠くからのものより数段格好良かった。
もし僕が女だったならこの人は僕のことを好きになってくれただろうか?
ぼんやりとそんなことを考えて、慌てて僕はその考えを取りやめた。同性同士なのになんて馬鹿なことを考えてしまったのだろう。
急に接している部分が熱くなったような気がして、胸がどきどきした。目を彼からそらし、僕は下を向いた。そんな気持ちを彼に悟られたくなかった。

「すいません!怪我しちゃったんですけど!!」
ガラガラと医務室のドアを開けて、彼はきょろきょろと中を覗き込んだ。
僕も覗いてみたけれど、中に人のいる気配は無い。元から設置してあるベッドがぽつんと二台あるだけだ。今日は球技大会だったから、一日中働いたということで責任者はもう帰ってしまったのかもしれない。
「しょうがない、あんましよく分かんないけど湿布でも貼っておけばいいよな」
僕をベッドの上にそっと座らせておいて、彼は色々な薬品の入ったガラスの棚をがさがさと探し始めた。結構乱暴に扱っているものだから、薬の入ったビンが壊れやしないかと不安になってくる。
 僕はベッドの上から彼の後ろ姿をぼんやりと見ていた。
華奢に見えるけれど意外に広い背中。白いティーシャツから伸びる小麦色の腕。程よく筋肉のついた長い足も、僕は大好きだと感じる。時折彼が見せる真剣な表情も、いつもの照れたような笑い顔も含めて、僕は彼が好きなんだ。
けれどこの思いが何に繋がるのか僕は知らない。
「おい、古川?」
我に返ると、目の前に困った顔をした先輩がいた。
 目を丸くして後ずさりしようとする僕を、呆れたような表情で見守った後、彼は嘆息した。
 視線を僕からずらし湿布を手にしたまま、彼は僕の隣に腰掛けた。見上げる僕に向かって、重たげに口を開く。
「あのさあ、前から聞こうと思ってたんだけど、お前そんなに俺のこと嫌いか?」
「――――――えっ?」
思ってもみなかった問いに、僕はまじまじと彼の顔を覗き込んだ。彼は少し怒ったような顔をして、だって―――と続ける。
「お前俺のこと避けてるし・・・」
少しは覚えがあるだけに、びくりと体が強張る。
 けれど、避けているわけではないのだ。
「―――そうなのか?」
 僕は規則正しく並べられた床のタイルを見た。下を向いていても先輩の視線が僕に向けられていることが分かる。
 違うのだ、と言わないと、彼が誤解したまま去っていくということが僕には分かっていた。
けれど沈黙を破るのが辛いのと、どう言い出せばいいのか分からないのとで、俺は数十秒黙っていたような気がする。
でも漸く決心がついて、僕は呼吸を整え口を開いた。
「せんぱ―――――」
「やっぱ俺、戻るわ。湿布は古川、お前が自分で貼ってくれ。きっとその方がいいだろうし。後で、中里にでも様子見に来させるから・・・」
けれど、僕が言い出そうとする前に、先輩は立ち上がった。そのままベッドから離れようとする。
――――――行ってしまう!
「ま――待って!!!」
僕は先輩を引きとめようと彼の腕に手を伸ばした。
いつも見てきた先輩の後ろ姿。今届かないなら―――これから先届くようなことは決して無いだろう。
けれど、その手は目的地には到達せず、虚しく空を切った。
支えを失った僕は勿論、重力に引っ張られた。
――――ぶつかる!!
体勢を立て直すことの出来なかった僕は、せめて視界からのショックだけでも無くそうと目を閉じた。目を閉じると感覚が敏感になるのか、少しずつ傾いていくのがはっきりと分かる。
けれどぶつかると思ったその時、俺が受けた衝撃はかなり少なかった。
床のように固いというより、柔らかい。これは―――――
「馬鹿!!!!」
いきなり響いた大声に僕は驚いて目を開けた。
俺の20センチくらい向こうに先輩の顔が見える。酷く怒っているようで、安心したような、驚いたような、何ともいえない複雑な表情。
「お前はいったい何考えてんだよ!!もうちょっとで床にぶつかるところだったんだぞ!!俺が支えてなかったら床で頭を打ってたかもしれないんだぞ!!!それくらいお前にだって分かるだろ!!!」
項垂れて彼の顔を上目遣いに見た僕は、彼の額に汗が浮かんでいるのを知った。それだけじゃない。倒れたときに偶然心臓の位置に触ってしまった僕の手に彼の早い鼓動が伝わってきたのだ。
「お前はいつだって、俺を心配させるよな。けど、どじを踏むのもいい加減にしてくれよ。はらはらして、こっちの命が持たないぜ」
咎めるように、けれど安心したように繰り返す彼に僕は言った。
「―――先輩、僕は先輩のこと嫌いじゃありません。好きです」
何の脈絡も無く、一瞬の隙をついて。
 目を丸くして絶句している先輩を前にして、僕は少しだけ笑った。
「だって先輩は僕の憧れの人なんですから―――」
自分が思うよりも先に口が動いている感じだった。いつもの自分ならこんなこと口が裂けても言えないはずなのに、今日はどうしちゃったのだろう。
見上げると先輩が耳まで真っ赤になっていた。頭を抱え込んで僅かに唸っている。
「お前なあ・・・・・・」
下を向いたまま視線だけを僕に流すと彼は怒ったように軽く睨んできた。
「いきなりそんなことを言い出す馬鹿がどこにいるんだよ?」
照れたときに早口になる彼の癖を僕は知っている。だから、彼が僕に対して言い放った文句も全然気にならなかった。寧ろ顔が怒っているわけではなく、ただ照れているのだということを物語っていたから。
「ごめんなさい・・・でも誤解だけは解いておきたかったから」
 けれど、素直に僕が謝ると、彼は謝るなよ、と今度は溜息をついた。
「だいたい普通はな、本人を目の前にして、そんな事言わないもんなんだよ。・・・・」
最後のほうをごにゃごにゃと誤魔化すように口にすると、――俺もう行くから。とだけ言って彼は慌てて保健室から出て行ってしまった。相変わらず、真っ赤な顔のままで。
 僕はまた床に座り込んだまま、さっき先輩が漏らした言葉を繰り返してみた。
小さくて殆ど聞こえないような微かな声。けれど、彼が漏らしたということも事実だったから。
―――まあ、俺も古川の事好きだけど。
彼は確かにそう呟いたんだ。
 それがどういう意味の好きかは結局分からず終いだったけれど、僕にはここからが始まりのような気がしていた。
 先はまだまだ長い。
「なんとも中途半端な終わり方。ボーイズラブとも言えないかもしれないですね。」
...2006/8/3(木) [No.320]
高坂碧
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