「居候の身でこんなこと言うのもアレなんですけど・・・」 トモは滴り落ちる汗をタオルで拭いながら橋本を見上げた。右手に持つうちわがぱたぱたと忙しない音を立てている。 「暑いですね、この部屋・・・」 「暑いな・・・」 橋本は生ぬるい風の出所を止めさせようと手を伸ばしトモの腕を握った。 「もういいよ、トモ。交代してやるよ」 トモはふるふると小さな頭を振り、なおもうちわを扇ぎ続けようとする。 「トモ、今暑いって言っただろ?」 「だって橋本さんも暑いでしょ?」 「暑い、自分でやるからうちわ貸せよ」 そう言われてしまってはトモに言い返す言葉はなかった。頷くトモを横目で見ると、奪うようにしてうちわを取り上げる。持ち手がトモの熱で少しあつい。 7月下旬、梅雨が明けた途端に日差しを取り戻した太陽は、それまでの分を取り返そうとでもしているかのように、毎日毎日ギラギラと下界を照らしていた。この暑さには文明の利器でしか対処のしようもないはずなのに、橋本家のクーラーは一昨日から壊れていた。扇風機はない。ワンルームにそんな物を収納するスペースはないのだ。仕方なく駅前で配っていたうちわを扇ぎ、何とかその場を凌いでいた。 「明後日まで我慢しろよ」 「・・・オレは大丈夫だよ」 「・・・暑いって言っただろうが。急に暑くなるんだもんなー」 時折トモの顔目がけてうちわを振ってやると、猫のように目を細めて気持ちよさそうな顔で笑う。本当は早いとこ、新しいクーラーに変えたいのだが橋本の仕事の休みが合わず、熱帯夜を我慢する日が続いた。 「橋本さん」 遠慮がちに隣にやって来て、うちわを使う手の上からトモが手のひらを重ねてきた。じっとりと湿ったその手はやっぱり、熱かった。 「あのね、オレ・・・橋本さん?」 「引っ付くな、暑い」 くっついてきたトモから離れるように、部屋の隅に移動する。ぺたりと背中を壁に付けると、一瞬だがひやりとした感触がして気持ちよかった。 「いいの作ったんだ」 「は?」 トモは立ち上がると、ドア一枚隔てた隣にあるミニキッチンの冷蔵庫を開けた。中から何やら取り出すと、パタパタと橋本に近付いて来た。 「これ」 広げたタオルを橋本の顔の上に覆い被せる。 「トモ?」 「冷たいでしょ?」 「・・・・・・」 顔に当たるタオルの冷たさがじんわりと広がる。 「これ、いいな」 「うん、久米君に教わった。橋本さん通しが続いてるでしょ?ちょっとでも疲れ取れるといいなーって思って・・・」 「ありがと、トモ」 夏休みは学生バイトがいるから休みも多くなる筈だったのだが、今年に限ってはそれが当てはまらなかった。9時21時の通し勤務が今日で3日続いている。だからトモの気遣いは有難く、そして嬉しくもあった。 見えないので、手探りでトモの頭の辺りに手を伸ばす。触れたのはトモの頬で、ほんとは頭を撫でてやりたかったのだが、まあどこでもいいか。橋本はそのままトモの柔らかい頬を優しく撫でた。 「・・・明日はあんま暑くないってよ?」 「天気予報で言ってたな」 「うん・・・」 トモの頬が熱い。タオルを捲り、トモを見るとへらへらっと笑う。二十歳は越している筈だが、笑うとその童顔が一層幼く見える。 「トモ・・・そうだ、これのお礼してやるよ」 「え?」 橋本はタオルをトモに放るとキッチン横のユニットバスへと消えた。 暫くすると、橋本の呼ぶ声が聞こえた。 「トモ、おいで」 「なに?」 トモはユニットバスのガラス戸を開け、中を覗いた。 シャワーカーテンの奥で橋本がパンツ一丁で立っている。こちらへ来いと手招くと、トモは顔を顰めた。 「・・・狭いし暑いよ・・・」 「は?水張ったから暑くないよ」 「・・・ん・・・でも」 「何?早く脱いで来いよ」 パンツも脱ぐと浴槽にしゃがみ込み、トモを見上げる。 「冷たいぞー、気持ちいいなー」 わざとらしい声でトモを誘う。トモは苦笑いを浮かべながら、着ていたシャツを脱ぎ始めた。 「お風呂だと声、篭っちゃうし・・・外に聞こえちゃうよ?」 「・・・は?」 「・・・え、だって・・・するんでしょ?」 「・・・残念ながらそんな体力残ってません」 「なんだ・・・」 「えろがき」 ぴちゃりと水をトモ目掛けて一掬い投げつける。ひゃあ、なんて可笑しな声を出し、無邪気に笑うとジーパンのままで浴槽に飛び込んで来た。 「お返し」 そう言うと、子供の水遊びのようにばしゃばしゃと飛沫をあげ、両手で水を掬い投げる。負けじと橋本も応戦したものだから、バス中水だらけになってしまった。 「シャワーカーテン使おうよ」 「・・・後から入ったお前が閉めればよかったんだろ」 「橋本さんが最初に水かけたのが悪い」 「オレのせいかよ!」 足も伸ばせない位狭い浴槽でお互いに膝を立て、向き合って笑う。 温くなり始めた水を、一掬いしてトモは橋本の膝に掛けた。笑った顔がくしゃりと歪んだ。 「・・・ごめんね」 「ん?」 「だって、水貯めないじゃんか、いつも」 「あぁ・・・いいよ、たまには」 「・・・橋本さん」 橋本の両膝に手を掛け、割るようにしてその体に抱きつく。 「トモ?」 「・・・向こうでくっつくと暑いって言うから・・・」 「・・・トモ」 「明日は夜涼しいといいね」 「暑くてもいいか」 「え?」 首を傾げたトモに笑いかけ、キスをする。トモもくすぐったそうに笑う。 「お前が我慢してくれれば、できるだろ?」 「・・・それって、今日でもって事?」 「・・・トモ、やりたいの?」 トモは赤くなった顔を隠すように、橋本の肩に項垂れた。トモの額の熱が肩に当たる、心地よい温度だ。 「・・・橋本さんのばか」 日に焼けていないトモの白い背中に手を掛け、優しく撫でる。 「橋本さんは?」 「オレ?」 そろそろとトモが首を上げる。頬はまだ薄っすらと赤いまま。 「トモの前に、飯かな・・・」 「・・・あ、ごめん!そうだよね・・・え、オレの前?」 「だから、トモはデザートかな」 「デザートじゃないよ!」 「デザートだよ」 尖らせた唇を指でちょんと、突付いてやる。トモはむくれて横を向いてしまっ た。 「だって、すいかとか冷やして食うだろ?」 「・・・すいかと一緒にすんなよー」 「じゃあ、何がいい?」 トモは考えるように、視線を天井に向ける。何か閃いたのか、その顔には笑顔が広がりつつある。 「・・・ケーキ」 「はいはい、じゃあ、明日はケーキな、お土産。だから、今日のデザートはトモ」 「何か、騙されてる気分なんだけど」 「騙してないよ」 「そうかな?」 橋本は手を伸ばしトモの柔らかい髪を撫でると、目を細め笑う。 ゴロゴロと喉を鳴らしてくるんじゃないかと思う位、その仕草は猫に似ている。 そして、その表情が橋本はとてもすきだった。 暑い夏も、壊れたクーラーもそんなに悪いもんじゃないかな。 トモと一緒ならそれも全部プラスに変わる。 「トモ」 「ん?」 「すきだよ」 トモの頬がまた赤く染まる。 完
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