「バッカヤロー!誰がそこまでしろって言ったかよ」 口元を拭って、俺は彼を睨みつけた。 だのに、彼の方は全然気にも止めていない様子で涼しい顔だ。そんなすました顔でさえ、人をキャーキャー言わせるだけの風格が漂っているのだから憎らしい。そう憎らしいんだ。 「別に、いつかはするもんなんだからいいんじゃないの」 だけど一番憎らしいのは、彼のこういう性格を知っていながら好きになってしまった俺自身だ。
「信じらんないよ、ホント。俺が一生懸命告白した後の、奴の返事。なんだったか分かるか?「あ、そう」だぜ。俺なんて昨日、そわそわして二時間しか眠れなかったのに。むかつく奴」 五時間目の始まる少し前。先生が教室に辿りつくまでにはまだ大分時間がある。 「でも結局は要求通り、付き合えるんだろう。それならいいんじゃないの」 読んでいる本から顔も上げずに彼は答えた。ちゃんと話を聞いていたのかどうかも疑わしい。仕方なく、彼が読み耽っていた本を取り上げ下から睨みつけてやった。 「よくない!」 大声で否定して、俺は両手で机を叩く。 「あいつ、俺の了承も取らずにいきなりキスしてきたんだぞ!!「別に付き合ってやってもいい」の次がなんでキ――!!」 「わかったわかった」 俺の口を塞いだまま彼は頷いた。フレーム無しの眼鏡越しに向けられた視線は嫌になるほど冷たい。 「だけど、お前うるさい。ここは教室なんだから他の奴らが聞き耳立てたくなるような話は止めろ」 気が付けば俺たちには興味津々の56の目が向けられていた。それは別として、なんでこんな時までお前はそんなに冷静で偉そうなんだよ。不満で頬を膨らませた俺を呆れたように見て、彼は呟いた。 「でも信じられないのは、お前の趣味の方。どこをどうすればあいつに惚れるんだ」 それは俺が聞きたいところだ。好きだと自覚したのはつい最近で、階段を踏み外して転がり落ちるようにあっという間のことだったのだから。どうして好きなのか理由なんてない。 「悪いかよ」 「別にいいけど。他人事だし」 何てことないことのようにさらりと言ってくれたので、一瞬言葉の意味を流してしまいそうになった。だけどよくよく考えてみれば、それが級友に対する発言か? なんで皆俺の周りの奴らはこうも意地悪いんだろう。勿論一番は、一宮なんだけど。いつだって整った顔に、馬鹿にしたような表情を浮かべている。思えば俺に対して彼が優しい態度で接してくれたことなど、一度たりとてない。 俺に会う度にチビだの馬鹿だの、言いたい放題言ってくれる。言い返したら言い返したで、「精神年齢が低いから我慢が効かないんだ」。そんなの自分だって俺に言ってるくせに。だけど、前にそのことを言ったら「本当のことを言うのがなぜ悪い」と開き直りやがった。嫌な奴だ。 今までの事は仕方ないから、すごくすごく大目に見てやってもいい。だけど一番心配なのはこれからだ。 「あのさ、他人事ついでにもう一つ聞いてくれよ」 生意気にも、「さっさと簡潔に言えよ」と注文をつけてくる彼にのろのろと打ち明けた。だけど意外にも返って来た返事は、「その点は心配ないだろう」だ。 「どうしてだよ」 目を丸くした俺に向かって、彼は明らかに馬鹿にした視線を向けてくる。 「どうしてもこうしても、気付かないお前の方がおかしいな。あれだけ露骨に態度で示されて分からないのか」 露骨に示されてって言われても、俺が彼から受けているのは馬鹿にしたような視線。それ以外には耳が痛い発言がいくつか。 「え……でも俺いつもあいつから文句言われてばっかりで、好きだなんて言われたことないぞ」 彼に告げると「だからお前は馬鹿だって言われるんだよ」と、諦め顔で言い渡された。 「普段の一宮がどういう奴かお前は知らないだろう。だからだよ。あいつは大抵、人が話し掛けても無愛想な返事が返ってくるだけで、自分からはほとんど話し掛けない。無表情で無感情。俺に対しても冷たいったら」 名草が一宮と従兄弟同士だったのを思い出して、俺は首を傾げた。俺にとっては、名草もあまり変わらない存在だ。彼だって年中殆どポーカーフェイスと友だちだし、俺が話し掛けても無愛想な返事が返ってくるだけ。時には、返事が返ってこないときだってある。 「例え馬鹿にされているように思えても、それは結局あいつがそれだけ藤井に興味を抱いているということなんだよ」 「ふーん、全然分からねえ。大体俺を好きならどうしてはっきり言わないんだよ?」 「それだよ、それ」 何度か頷いた後に、彼は俺の鼻先に指をつきつけた。 「藤井と一宮じゃ愛情の表現が違うんだ。お前は直球型で、あいつは変化球。要するに彼は素直じゃないってこと。案外可愛い所あったんだな」 目を細めて鼻先で笑った彼、先ほど俺が取り上げた本を開き読書に没頭してしまった。 愛情表現、ね。そんなものが一宮にあるのだろうか。意地悪で冷血漢で、そんな彼が好きだとか愛情だとか、そういう思いを抱くこと自体が信じられない。 「あいつが…か」 彼の言うことが真実だとしたら一宮の感情は、サドに限りなく近い。けれどもその行動を、可愛いの一言で片付けてしまう名草はもっとすごい。 のどかな陽射しが暖かい昼休み。俺は屋上で寝転がっていた。横では一宮が金網に凭れかかっている。 「一宮…お前俺のこと好きなの?」 斜め下からの視点でも、彼はやっぱり見惚れてしまうくらいにはカッコ良かった。気だるげな表情も、意外と長い睫も、軽く引き結んだ唇も。その全てが、「彼だからこそ似合うんじゃないか」と思わせる。 「なんだそれ?」 興味なさそうに俺を見下ろした彼は、そばに置いていたタバコに手を伸ばす。 「ごまかすなよ。俺はお前に好きだって何回も言ったよ。だけどお前は俺に何も言ってくれないじゃんか」 見慣れたパッケージを取り上げて、俺は彼を睨みつけた。 いくら玉砕覚悟で望んだ告白が受け入れられたとはいえ、この状態は酷過ぎる。俺が欲しいのは、ありふれた付き合いや感情じゃなくて、もっと深い意味合いを持つものなのに。 「どうだっていいだろ、そんなこと」 それを言おうとすると必ずこんなふうにはぐらかされて、いつもそのままなんだ。 でも今日は負けない。 「どうでもよくない!!…俺分かんねえよ。一宮は、いつも俺に馬鹿とかチビとかしか言わないし。そんなんじゃ、俺…何を信じれば言いのか分からねえよ」 言っているうちに自分でも興奮してきて、鼻の奥がジンと熱くなった。身に覚えのある感覚だ。 「俺はずっとこのままなのかよ!!」 睨みつけた彼の顔が少し滲んだ。 対処できなかったのは、それがいきなりだったからだ。急に伸びてきた手は、俺の右手を掴むなりぎゅっと引き寄せた。 「っ!」 引きずり込まれるように俺の体もあとに続く。結果として、俺は彼の上に乗っかる形になってしまった。 間近に迫った顔は相変わらずカッコ良いけど、俺の目から視線を外さない彼の瞳が恐い。そして咄嗟に倒れまいと、彼の顔の両脇のフェンスを掴んだ両手をついたこの状態は、すごく気まずい。 「言いたいのはそれだけか」 「あ……」 言葉が出てこなくて、俺は何度も瞬きを繰り返した。怖いくらいに真剣な眼差しが痛い。逃げ腰になったところで、捕まれた右手の存在を思い出した。 「確かに俺は、お前に「好きだ」と言ったことがなかったよな」 冷たい視線が俺を射るように捕えた。 「だからずっと悩み続けてたのか?」 「だって…一宮はいつも俺に文句ばっかり言ってたし」 力なく言うと、呆れた視線が向けられた。 「言葉通りに受け取る馬鹿がどこにいる」 悪かったな。ここにいるんだよ。 「じゃあ一宮は、俺のこと馬鹿だともチビだとも思ってないんだ」 「……まあ、それは別問題だな」 思ってるんじゃないか。なによりもその間が証拠だよ。 「なんだよ、それ?」 納得がいかなくて、俺は口を尖らせた。それじゃ馬鹿みたいだ、俺。一宮は俺が一方的に好きなだけで、彼の方は俺のこと嫌いなのか? 「お前が聞きたいのは、好きか嫌いかの問題だろ。なら、嫌いじゃねえよ」 え……? 「じゃあお前は、どうして俺がお前にキスしたと思う」 ………一宮が俺のことを好きだから? 「誰が好き好んで、嫌いな奴に。しかも男にキスするかよ」 ……一宮は俺のことが好き 思わず俺は、彼の唇に自分の唇を重ね合わせていた。数秒間軽く触れるだけで離して、そっと瞼を開く。僅かだけど驚きの表情を浮かべている彼が目に入った。 「俺もお前が好きだよ」 「そう、うまくいったんだ」 本から顔も上げずに、彼はそう言った。さっきの俺の話を聞いているかどうかも疑わしい。でも、そんなことはどうでもよかった。彼の気持ちもばっちり分かったし、今俺は幸せの真っ只中だ。 「俺、頑張るんだ。この一ヶ月以内に一宮に、俺のことが好きだって言わせてみせる」 唇を噛んで決意を新たに立ち上がる。 「単純な奴…」 背後から聞こえるそんな外野の声は無視して、俺は一宮のいる隣の教室へと向かった。 目標は手ごわい。俺が考えているよりずっと難しそうだ。だけど、いつかはそれが適うんじゃないかと、ふと俺は感じた。
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