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 (互いに大好きだが。切ない純愛。/--)
青を封じる(後)


あの男はいつも何も言わずにいなくなる。
共に朝をむかえたことなどない。



だけれども目を覚ましたときさみしいなどと、死んでも言ってやるものか。



情事の最中、かいた汗が冷えてゆく。
上掛けはしっかりかけていってくれたが。
しかし火照った身体にはちょうどよかった。
まだ甘くうずく身体をのろのろと起こして寝台脇の水差しから直接水を喉に流し込む。

そのときラノーは、気づいた。
剣だ。
あの男が自分と始めて会った日に、腰に刷いていた長剣だ。
柄や柄に飾り太刀のような優雅な装飾のあるもので、自分が未練がましく身につけているこの指輪と同じように代々この国の君主が戴くものだ。

おそらく忘れていったのだろうと思った。
どうせ明日もまた抱き合うのだからあの男はまたここを訪れる。
だからそのとき渡せばいい。

そう思って一旦は寝台に身を横たえた。
身体は満ちたり、そして心地よく疲労していた。
早く深く眠りたかった。


だがなぜか、ひどく、不安を感じたのだ。


それは宵闇に薄れ行く陽の光のように曖昧模糊として茫漠としたものだったが、しだい次第に膨らんでゆき心の中にしっかりと根付いた。
根拠など何もなかった。
だが不安の感情は強烈に、確乎としてラノーの中に根付いていた。
ラノーは素早く立ち上がり素肌に絹の軽いガウンを羽織った。

そしてそのずしりと重い剣を両腕に抱く。
ぬばたまの艶めいた闇の中、国王の寝所へと向かう。

暗い長い中庭に面した廊下を静かに歩きながら、静かにラノーは思った。



多分、この不安は、喪うかもしれない不安だ。



自分だけをまっすぐに見てくれる、あの男を喪うかもしれないという恐怖に似た感情だ。

自分は喪うのは嫌なのだ。
国を喪わされたというのに。
男としての矜持まで踏みにじられたというのに。
そんなことがどうでもよく思えてしまえるほどに、なにもかもが薄らいでしまうほどに、あの男の存在のほうがこんなにも心の中で比重を占めているのだ。


自分もたいがい往生際が悪い。

いい加減認めなくては。


・・・・・・・自分もあの男を、ちゃんとあいしていると。


あの男にあいしていると、言ったことはただの一度もない。

気持ちが急く。

いつ言おうか。
明日、言おうか。

いや、この剣を渡したら、そのときに言おう。
あの男と、同じ言葉を、言おう。

自分は、もう何年も前から、間違いなくあの男を愛している。
だから、もういいだろう。
この身がどこの出自であろうと、どうしてここに至ったかなど、どうでもいいのだ。
そんなことは瑣末なことだ。

あいしてる。
あいしてる。
あいしてる。

たった一つの初めて覚えた言葉のように、面影に向かって、ラノーはその言葉を囁く。

何度も、何度も。

あの男、どんな顔で、自分を見るだろう。

いつものように穏やかな笑みを唇に刷くのだろうか。
それを想像して、ラノーは笑う。


・・・・・幸福で。






そして、あいしてる、と言った後、あえてよかったと言おう。








夜陰にまぎれて、闇に沈んだ中庭からその刺客は向かってきた。
はっとして腰に手をやり、知る。
自分は丸腰だった。
ランーの寝室に剣を忘れてきた。
迂闊だった。
男は闇色の外套を跳ね上げた。
握られているものは、銀の短刀。
男はおそらく現在膠着状態にあるロンドイアの者だ。
それを証明するように、翻った男の腕に蓮の花の刺青が見えた。
ロンドイアの刺客は、その短刀に特殊な毒を塗布するのだ。
口伝の特殊な調合で練られたそれはたとえ負ったのがかすり傷であっても、その毒は確実に心臓を焼き尽くす。
疾風のような一撃はかろうじてかわした。
しかし重心を崩して、無様に倒れこむ。
第二撃を石の床を転がって、間一髪でかわす。
胸に向かって垂直に突き立てられようとした男の手をぎり、と握る。
互いの力は相克しあって、切っ先は胸を貫かない。
無言の競り合いが、無限の時間・・・しかしそれは実際の時にしてしまえば瞬時だろう・・・続いた。
男は腕を震わせながら・・・そして腕を離した。
間髪をいれずに間を取りかけた男の足を素早く払うと男はじりりといざり下がる。
逃亡する気はないらしい。
自分は、立ち上がる。
得物は、いまだ男の手の中だ。
どうやって応戦すべきか。
自分には得物がない。
瞬時に考え、男の懐に入り込みその身体を組み敷き、その得物から手を離させようと思った。
そして男が持つ毒の刃で、男の喉を切り裂こう。
対峙するこの男が隙を見せたとき。
・・・・・・そのときこそが、動く機会。


「ディルモーナ!」


夜陰でも分かる、その自分の名を呼ぶ、凛と美しい声。
おそらくは剣を忘れたことに気づいて、持ってきてくれたのだろう。
普段、滅多にこの自分の名など呼んでくれやしないくせになんだってこんなときにと、些か恨みがましく唇を持ち上げる。
声は近い。
足音も近い。


「くるな!」

自分は叫んだ。
危険に晒されるのは、自分だけでいい。
自分の叫び声にラノーの細い影は立ちすくんだ。
男の短剣の届く範囲内だ。
自分は唇を思わず噛み締めた。
その瞬間だった。

・・・隙が、生じてしまったのは。

男が、動いた。
風の、速さで。

黒い疾風は自分めがけて、まっすぐに。

自分は、瞬時に、覚悟を決めた。

最愛のものに見取られて逝く。
本望だ。
気持ちを明確に確かめることができなかったことだけが、唯一未練が残るが、大丈夫。

・・・・・・・・・たぶん、ラノーも、この自分と同じ。

自分は、静かに、目を閉じた。
そして終わりの瞬間を、待った。





・・・・・・・・・カラ、とつめたい音をたてて、剣が落ちた。





男の短剣がふかぶかと貫いたのは、自分をかばうように光の速さで自分の前に躍り出たラノーの細い身体だったのだ。
崩れ落ちるラノーの細い身体を片腕で抱き自分は右手で床に落ちた剣を拾い上げ全身全霊を込めて、一閃した。

断末魔の声もなく、男は倒れた。

血溜りが、黒く掃き清められた白い大理石の床をぬらぬらとぬらした。

ラノー、と、呼ぶとラノーは薄く目を開いた。

夜目に・・・伺い見える・・・ひかりを喪いつつある、青い目。

ラノーは、小さく笑った。
形のいい唇から血がひとすじ流れた。

「・・・・・おれが・・・・・」

震える指が、頬をたどる。
細い指は、すでに氷のようだ。
必死にその細い指を、必死の力で握り締める。
暖めるかのように。
うしなわれ行く体温を、呼び戻そうとするように。
祈るように、すがるように、この世で唯一の青い目を見た。

青い目は、穏やかに笑んでいた。

ラノーはかすれる声で、やさしく言った。

「・・・・・殺してやるはずだったのに、けど・・・・・」

ラノーは静かに、静かに、微笑んだ。





あいしてる。



・・・・・・・・・・あいしてる。





二度、そう言うと、ラノーはことりと事切れた。





青が。




痺れたように思考を停止した頭で、自分は思った。




呆然と。


自分という存在があしもとから崩れてゆくようだった。
決定的な喪失の重さを、感覚を失ってゆく全身で感じた。


言葉は溢れてくるが、声にはならない。


胸の裡で、恬淡と声なき声でただつぶやく。



・・・青が。

うしなわれた。




・・・・・・・・・・・青が。



青が。



おれは、”きめたことを”、せねばならない。





手は、男を切った長剣にかかっている。
その手は、惑うことなく自らの両眼をえぐりとった。
痛みは、尋常ではなかった。
両眼から血がだらりだらりと流れ続けた。










しかし、心の痛みのほうが何万倍も、何億倍も、深く。








・・・いつか、と、決めていたのだ。





ラノーが自分を見限ったとき、ラノーが自分より先に逝ったとき。

確かなものが、なくなったとき。

・・・・・・・・自分は光を喪おうと。

灰色の世界より、暗闇のほうが、ずっといい。

暗闇を通じて、何処かにいる、ラノーに逢える。


・・・だから。





光など、もういらない。






両眼からなまあたたかい血を流しながら、夜が明けるまでラノーの冷たくなった身体を抱きしめ続けた。

果てのない深い闇の世界は、いっそ心地よかった。

完全な闇の中で・・・ラノーのたましいが、そっとよりそってきてくれるような錯覚を覚えて自分は静かに微笑んだ。



錯覚・・・?



そうであってくれてもいい。
そうでなくても、いい。



すべてのものを封じて、自分の最後に見たものはラノーの貌だけだ。
思い出すのも、反芻するのも、生涯共にあるのも、これでラノーだけ。




ラノーだけ。






ラノーだけ。






底のない完全な闇の中、自分とラノーは、融けて蕩けて交じり合って、永久に離れることなく一緒にいるのだ。





自分に終わりが来る、その最後の瞬間まで。




ラノー。




あいしてる。






・・・・・・俺の、ただひとりの、永遠の恋人。






もはや面影となった白い貌は、くすぐったそうに、ただくすくすと笑うだけだ。










国は盲目の王を戴いて、しかしこの300年の中で最大の隆盛を見せた。

しかし穏やかな笑みをいつも絶やすことのない賢い王は、生涯誰とも添おうとはせず、独身を通し続けた。

誰にも寄らず、また近寄らせず、孤独な王だった。

しかし愛された。

かれが満ち足りていることを、誰もがおのずから察した。


王は、心の中の浄域を独り保ち続けているのだ、と。


誰かがそこに、なにものにも冒されることのない確乎たる存在感を持って静かにふかく棲んでいる。


だからこそあんなもに静かで、あんなにも穏やかで、そして淋しいのだと。

鼓動の拍動が止まるその最後の瞬間まで、王はたったひとりしずかに浄域を護り続けた。



王は生涯とても幸福で、とても孤独な、強く気高い番人だった。



葬られるとき、栄華を極めた国の巨大な国王であったにもかかわらずかれが身につけたたったひとつの装飾品は、とうに滅びたある小国の王家に代々伝わっていた、トパーズの指輪だったのみだったという。













「暗い(笑)!!次は、是非明るい話を・・・(意気込み)」
...2006/7/23(日) [No.314]
タカ
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