フェイクな恋人
「いやよ、そんなの。」 姉呉羽は爪を磨きながらしらっと言い切った。 「頼むよ、そこをなんとか。呉羽にしか頼めないんだよ。」俺は情けないとは思いつつも姉にひたすらすがる。
「どうしてあたしが弟の彼女の振りなんかしなきゃいけないのよ。冗談きついわ。」呉羽は美しい指先を満足そうに眺めてふうっと息を吹きかけた。
俺は新崎拓真。ごく普通の高校2年生。ここにいるのは姉の呉羽。大学1年生で弟の俺からしてもなかなかいけてる。
その姉に似た俺も結構イケメンらしくそれなりに女の子にモテる。しかし今は部活のテニスが結構地区大会でいいところまでいっていて実際のところ女の子と付き合っている暇などない。 それでいちいち告ってくる女の子に断るのも面倒くさいのでいっそ彼女がいることにしてしまおうと考えたのだ。
「なあ、呉羽あ・・・。可愛い弟を助けると思って頼むよ。なあなあ。」 「でも明日はほんとに駄目なのよ。あたしも忙しいの。」 「だって学園祭って他校の子たちも来るから好都合だろ?明日じゃないと彼女のお披露目にならないじゃん。」
俺の計画では学園祭に彼女を案内して恋人がいることを印象付け、それとなく俺に告ってきそうな女子を牽制するつもりだった。今日すでに学校でさりげなく恋人を連れてくると触れ回ってある。 まあ呉羽とぐるっと学園を回って模擬店でお茶でも飲んだら十分だろうと思っていたのだが、この冷酷な姉貴ときたらそんな短時間も可愛い弟のために避けないっていうのか。 俺はふつふつと怒りが沸いてくるのを感じた。
「・・・じゃあ友達に頼んであげるわ。それでいいでしょ?」呉羽はそう言うとマニキュアを塗り始めた。 エナメル特有のつんとした臭いが苦手な俺はそそくさと姉貴の部屋から退散することにした。 「う・・うん、いいよ、それで。でも俺の面子もあるから美人にしてよね。」 そのとき呉羽の目がきらりと光ったようだが、俺は気づく由もなかったんだ。 「ええ、ものすごい美人に頼んであげるわ。楽しみにしててね。」
学園祭はイベント日和のいい天気だった。 カップルは仲良く展示や模擬店を見てまわり、裏庭では告ったり告られたり通常とは違うラブラブパワーが炸裂している。 俺はうざったい告白ごっこを避けるため朝10時に姉貴の友達と待ち合わせをしていた。 テニス部はテニスコートにテントを張って中で喫茶店を開いていたのでその友達は店に客として現れることになっている。
「ええ・・・本当に新崎君に恋人がいるの?」 「今日テニス部の喫茶店で待ち合わせしてるって本当ですか?」 「拓真くらいハンサムならもう付き合ってる子がいて当たり前だよ。どう、俺たちと付き合わない?」 外野はいろいろ噂しているが、俺は素知らぬ顔で時計を気にしていた。 ものすごい美人って言ってたけど呉羽のことだから何やら企んでいそうでちょっと気になる。 あんまりひどいのだと俺の男としての沽券にかかわるんだからなあ・・・姉貴よお。
「・・・拓真?」 突然声をかけられてはっとして振り返る。 生徒会長でこの学園の王子様と呼ばれている東条悠基が嫌味なくらい男前な顔を見せ付けるようににこやかに微笑んで立っていた。 「あー・・・東条さん・・。模擬店来てくれたんですか?」
東条は姉呉羽の前の男だ。姉貴が去年近くの女子高を卒業するときに結局別れることになったのだが、面食いの姉が付き合った男たちの中では極上だった。 身長は180センチを少し超え、ほっそりしているがしなやかな筋肉のついた身体は子供の頃から続けている剣道で鍛えられている。 成績も優秀で高校3年生にしてはかなり大人っぽい落ち着きがある。その甘いマスクで学園の女子に絶大なる人気を誇るが、呉羽と別れてからはストイックに誰とも付き合っていない。 まるで白馬に乗った王子のような東条にはとても自分から告白できないと女生徒たちが二の足をふんでいるせいもあるだろう。 確かにこれだけいい男なら呉羽くらい迫力のある美女じゃないと釣り合わないよなあ。
「さあ、行こうか。」東条は女子たちが悶絶しそうなくらい魅力的な王子スマイル全開で俺に手を差し出した。 「は・・・?」 東条はきょとんとしている俺の手を取ると喫茶店を出ようとする。 「あ・・・おい、新崎!」テニス部の友人松戸がなんだか裏返ったような妙な声で呼び止める。 東条は再び周囲を圧倒する王子スマイルで爽やかに言い放つ。 「拓真を借りるよ。せっかくの学園祭だからふたりきりで楽しみたくてね。」
その言葉にテニス部員全員、俺も含めて一気に固まってしまった。 な・・・何を言ってるんだ、この男は?まるでそれじゃあ・・・。 ぱくぱく声にならない皆を軽く無視して東条は固まっている俺の肩に腕を回すと「今まで隠していたけど今日から堂々としようって約束だろう?嬉しいよ、拓真。」そう甘く耳元で囁いて(でも十分周囲に聞こえる程度の声で)喫茶店を出た。
模擬店のテントから数歩離れたところでわあっと一気に話し出す声が聞こえてきた。 「いやあああああ!生徒会長が新崎君と付き合ってるなんて!!」 女子の絶叫は周囲にいた生徒たちにもしっかり聞こえただろう。 俺たちの周りにいる奴らは男も女も皆唖然としてこちらを見ている。 東条はにこにこして俺の肩を抱いてまるで恋人同士のように楽しそうに歩いている。 そして俺は事態が未だに飲み込めなくて金魚のように口をぱくぱくするばかりだった。
東条は俺を連れてずんずん校舎に入っていく。お・・おい・・・こんな格好でどこに行くんだよ・・・。 「拓真、3年の教室でお化け屋敷をやっているところがあるんだ。二人で入ってみないか?」 東条が女子ならメロメロに溶けてしまいそうな甘い魅力的な瞳で誘う。 しかし俺はたとえどんなにハンサムでも男にそんな顔で言われて嬉しいはずがない。 「あ・・・あの・・・。」声がかすれて何と言っていいかわからない。
「どうしたの?喉が渇いた?・・・何か飲み物を買ってきてあげよう。拓真は何がいいの?」 確かに喉はあまりの驚きと動揺でカラカラだった。「・・・コーラ・・・。」 東条は茶色の瞳を柔らかく細めて言う。「あまり身体に良い飲み物じゃないね。それに喉が渇いているときは水がいいんだよ。ライムのペリエならすっきりしていていいんじゃないかな?」 そう言うと俺の肩を抱いたまま飲み物の売店を出しているバドミントン部のブースに近づいてペリエを1缶買って俺に差し出した。 俺は思わずぐっと半分くらい一息に飲み干した。それくらい喉が渇いていたのだ。 東条はくすりと笑うと俺の手から缶を取って自分もそこから一口ペリエを飲む。 バドミントン部の女子が真っ赤になってこちらを見て騒ぎ出した。 「きゃあっ!間接キスだわ!!」 俺は思わずむせて咳き込んだ。な・・・なんだそれ・・・。 東条の手が優しく俺の背中を擦ってくれるのを感じる。 「大丈夫?拓真。あまり急いで飲んだりするから・・・。」 俺はげほげほしながら何も言えないでいると東条は涙目になった俺の目元を真っ白なハンカチで拭ってくれた。しかもそのやり方がまったく赤面もので俺の腰を左手でぐいっと抱き寄せて顔を上向けて覗き込むようにもう片方の手で涙を拭ったのだ。 俺は再び固まり、周囲の女子生徒の騒ぎは大音量となる・・・。
「あ・・・・え・・・東条さ・・・。」 東条はそのまま俺を抱き締めて背中をさすっている。 「ん・・・?何、拓真。」 周囲の女生徒の騒ぎが増す中俺はいたたまれなくなって必死で東条の胸を押す。 「あの・・・もう・・・大丈夫だから・・。早く行きましょう・・・。」 東条はぎゅっと一度抱き締めて髪にふわっとキスすると「うん、じゃあお化け屋敷に行こうか。」と言って腰を抱いたままその場を後にした。 背後で学生たちがぎゃあぎゃあ騒いでいるのが聞こえる。 これは何かの罰ゲームなのか・・・??
3年F組は理系のクラスでほとんど男子しかいない。 そんなところでお化け屋敷をやるからにはこれは絶対に女の子狙いだ。カップルは男たちの嫉妬でさんざんな目に遭っているようで、出てくる男女ではたいがい男のほうが涙目になっている。
「よお!王子、随分綺麗なの連れてるじゃないか。男同士で入るのか?」受付の学生が東条に軽口を叩く。 東条はにっこり微笑むと「拓真は僕の恋人なんだ。」そう言って俺の腰を抱き寄せた。 受付の学生はあんぐりと口を開けたがじろじろと俺たちを見て「・・・う~ん・・・。そうか、まあ俺はどんな形の愛にも偏見はないよ。おまえたちくらい美人同士ならいいんじゃないかな。うん。」 などとよくわからないことを口にして俺たちを通してくれた。 俺は泣きたくなった。なんでこんなことになってるんだ? 誰か『これはどっきりです』なんてプラカードを持って後から出てくるのか? 俺もう限界です、早く解放してください。
狭い入り口を通ると中は真っ暗に近い。かろうじて足元の順路が見える。 東条が俺をぐっと抱き寄せる。こんなに密着してたらかえって歩きづらいって。 「ひえっ!!」突然なにかぬらりとした冷たいものが俺の首筋をかすめた。 「拓真?」東条が俺を抱え込むように抱き締めた。く・・・苦しい・・・。 「怖くないよ・・・。僕がいるだろう?」優しく響く東条の声が耳に心地良い・・・が、そんなことで誤魔化されてはいかん!どうしてこんなところで抱き合ってるんだ!! 「い・・・いや・・・俺大丈夫だから・・・。」冷や汗が流れるのを感じて身を離す。 そっと今度は頬に柔らかいものが触れた。そして耳元でまたあの囁き。 「さ・・・行こう。」
また歩き出すと突然俺の足首を誰かがつかんだ。 「わ・・・わああっ!!」 思わず膝からかくんと力が抜けて情けないことに俺は東条に身体を預けて抱きすくめられる形になってしまった。 「拓真、どうした?」 「あ・・・足・・・つかまれた・・・。」俺は思わず涙目。 東条は俺を横抱きにするとな・・・なんと唇にキスをしやがった・・・!!! 俺はもう完全硬直。な・・・なに・・・これ・・・???王様ゲームの罰ゲームですか?
しばらく唇を重ね、軽く俺の下唇を吸うと東条は唇を離した。 少し息が上がった口調でまた囁く。「・・・もう怖くないだろう?」 俺は硬直涙目で頭は大パニック。・・・いつ・・・いつこのゲームは終わるんだ?? じたばたする俺に東条は優しく聞く。「・・・自分で歩きたいの?・・・仕方ないね。じゃあ下ろしてあげよう。」そして俺を床に立たせた。 膝が笑うとはこのことだろう。あまりにショックなことが多すぎて俺は脚ががくがくしてまともに歩けなかった。仕方なく東条にもたれたまま歩みを続ける。
「う・・・うわあああああっ!!!!」突然目の前に血だらけの顔が現れて俺は腰を抜かして東条にかじりついた。 東条はしっかりと俺を抱き締め、「拓真・・・、大丈夫だよ。」と言って背中を撫でてくれる。 も・・・もう駄目だ・・・歩けない・・・。 遺憾ながらまた東条に横抱きされてそのまま残りの道のりを進むことになってしまった。 しっかり目をつぶって東条の胸に顔を押し付けているのでもう怖くはなかったが、とくんとくんと東条の動悸が速いのを感じていた。・・・やっぱり東条さんも怖いのかなあ・・・。
「うわっ!と・・・東条!!」 突然声がしてはっと顔を上げると俺たちはすでにお化け屋敷を出ていて男子生徒たちが目を見開いてこちらを見ていた。 俺はまだ東条に抱かれてその胸に顔を埋めたままだったので慌てて降りようとしたが、東条が離してくれない。 「拓真・・・しばらくこうして抱いていてあげるよ。怖かっただろう?ごめんね。」 俺はまた金魚になって口をぱくぱく。お願い・・・もう許してください・・・。俺もう耐えられないよ・・・。
男子生徒たちは最初遠巻きに俺たちを見ていたが、だんだんなんだか妙な目つきになってきた。 俺と東条をうっとりと見ているような・・・。
お化け担当らしい学生がお化け屋敷からもそもそと出てきた。 「わっ!」その血だらけメイクにぎょっとして不覚にも東条の首に抱きついてしまった俺。 「あ、ごめん。怖かった?・・・いやあ君と東条にすっかりあてられちゃったよ。もう・・・参ったなあ。」 お化けの学生は前かがみになってそそくさと出ていった。 その後こんにゃくを持った学生がやはり前傾姿勢で出てくる。 「・・・っとに男のカップルで欲情するとは思わなかったぜ。生徒会長もエロいよなあ。あんなキスするか?」 東条は少し照れながらも相変わらず爽やかに微笑んでいる。 俺はもう羞恥のあまりゆでダコ状態だ。そ・・・そうだよな、お化け役の生徒たちはずっとあそこにいたんだから暗闇でも目が慣れて見えていたわけで・・・。
それから俺と東条は他のクラスの展示を見たり模擬店でお好み焼きを食べたりとまるでごく普通のカップルのように過ごした。 俺はずっとどっきりの看板か罰ゲーム宣言を待っていたのだが、結局それもないまま学園祭も終盤を迎えてしまった。 キャンプファイアーの明かりの中で学生たちがカップルでいいムードになっている。 俺と東条もごく当然といわんばかりにその中にいた。 その時になって俺はやっとこれが呉羽の最大の嫌がらせだと気づいた。 あいつは自分の代わりに美人の友達を俺の偽の恋人として送り込んでくれると言った。
確かに東条は美人だし、完璧に恋人の振りをしてくれたけど・・・なにも男を選ぶことないじゃないか・・・。 俺は複雑な気持ちだった。明日から告ってくる女子は一人もいなくなるだろう。・・・だって俺はカミングアウトしてしまったのだから・・・。これでいいのか、俺?確かにテニスに集中したいから今は女の子と付き合っている暇はないんだけど・・・ホモのレッテルは嫌だぞ。
俺の隣の東条が俺の腰を抱き寄せて顔を近づけてきた。 薄暗いなかキャンプファイアーの炎に照らされて東条の端整な顔が見える。 ああ・・・本当にこいつは顔がいい。王子様とはよく言ったものだ。俺が女だったら今頃大喜びで失神していたかもしれない。 しかしいくら昔の女に頼まれたからって自分までカミングアウトの濡れ衣を好んで受けなくてもいいじゃないか。そんなにも呉羽が好きなのかな・・・。
近づいてくる東条の唇を指で押さえて俺は聞いた。 「・・・もういいよ。東条さん・・・呉羽に頼まれたんだろう?」 東条はそのハンサムな顔に少し驚いたような色を浮かべる。 「拓真・・・。」 「わかってるよ。姉貴が変なことお願いしたって。・・・今日はありがとう。でもちょっとやりすぎだったかも・・・。俺びっくりしちゃったよ。」 東条は真剣に俺を見つめている。俺はなんだか恥ずかしくなって目をそらした。
「拓真・・・。」息の混じったセクシーな声で東条は俺の名を呼ぶ。・・・演技だとわかっていてもそんな声で名前を呼ばれたら俺ちょっとおかしな気分になっちゃうよ・・・。 東条が俺をぎゅっと抱き締めた。・・・っておい、もういいってば・・・。
押し殺したような東条の切なげな声が聞こえた。 「拓真・・・。僕は呉羽に君のことを聞いたとき・・・本当に嬉しかった・・・。 ずっと僕ひとりで想い続けていくんだと思っていたけど・・・まさか君も同じ気持ちだったなんて・・。僕は嬉しくて昨夜は眠れなかったんだ。 呉羽に付き合ってほしいと告白されたとき・・・僕は特に彼女に魅かれていたわけじゃなかったけど・・・彼女の華やかな美貌に魅せられて付き合うことにしたんだ。・・・そして彼女の弟である君に会った。一目ぼれ・・・って言ったら君は信じてくれるかな。どう説明していいかわからないけど・・・僕は君から目が離せなくなって・・・ずっと君を想い続けていた。
いずれ呉羽にも僕の気持ちを隠しきれなくなって彼女と別れた。気位の高い彼女は別れるとき僕に決して弟には近づかないようにと釘をさして高校を卒業していった。 あれからずっと・・・君のことを僕ひとりの胸に秘めてそれでも思い切れなくて・・・ずっと苦しかった・・・。 でも・・昨夜呉羽から電話をもらったとき僕は神に感謝したよ。 まさか君も僕と同じ気持ちだなんて知らなかった。君が・・僕を好きになってくれて一緒に学園祭を見て回りたいだなんて・・・なんて幸福なんだろう・・。 僕はずっと胸がどきどきしていたよ。こんなにも人を愛することができるなんて・・・。僕は幸せだよ拓真。君を愛している・・・。」
俺は東条の告白を聞いてまたしてもしっかり固まってしまった。 な・・・なんだって・・・!東条が俺を好きだっただと・・・?だ・・・誰が東条と同じ気持ちだって・・・?? 東条の綺麗な顔が近づいてきて俺の唇にキスをしてきた。 今度はただ唇を重ねるだけじゃなくて舌まで入ってきた。俺は硬直したままそれを振り払うこともできずにそのまま濃厚なキスを受ける。
東条は文句なくハンサムで勉強もできてスポーツも万能な完璧な男だ。もし俺がホモだったらこんな彼氏がいたら最高だと思う。 でもやはりこのまま流されてホモになっちゃうには俺には屈託がありすぎる。 俺どうしたらいいんだよ・・・。くそ姉貴め・・・なんてことしやがる。自分が振られた悔しさを弟いじめで晴らす気か・・・?
俺どうしよう・・・。混乱しきった中、東条のキスは深く、激しくなっていき、なんだか手はあらぬところに伸びている。やっぱりここで拒絶したほうがいいんだろうな・・・。誤解を解かないとなんだか取り返しのつかないことになりそう・・・。 でもだんだん気持ちが良くなってきちゃったよ。こいつキス上手いなあ・・・。 どうしよう・・・。とりあえずキスしてから考えようかな。
(終わり)
|