思ったことはとにかく〝しまった〟という言葉だった。 心地よい眠り、緩慢になっている脳内。反対に感じる普段とは違った空気の様な漠然とした中、手のひらが触れたいつもとは違うものに、大島公一はハッと目覚めた。 驚きを表している様に、勢いをつけ上半身だけが飛び上がるような起き上がり方だった。 ここは何処? 木目の多く、畳に布団を敷いた、普段生活している空間ではなく、モノトーンで統一された部屋。 シンプルなデザインのベッドの上。 何も身にまとっていない姿に、何をしていたかはっきりと判る躰のほてりと、微かに痛む後蕾と疲労で張っている両足。 手に触れたものは、同じ掛け布団を共有しながら、狭いシングルベッドの上で裸のまま休んでいる男。 相手は同じ会社のデザインルームにいる根津裕樹だった。 家具の製造、販売をメインの仕事としている会社で、公一は営業をしている。部署は、普通に客のから受けた商品の発注納品を中心にしていたが、時々客の相談に応じてオフィスデザインから商品オーダー、最終納品まですべてを任される場合もあった。 今回も客からオフィスビルすべてを任され、根津と組んで発注を受けてから半年竣工まで立ち会っていた。 昨日はオフィスビル竣工の打ち上げだった。 様々な施工業者が集まり、一つの出来上がったオフィスビルを祝うなどとテーマの、ただの名刺交換会だった。 仕事では何度か見かけた人間もいるが、思うほど見知った人間がいない打ち上げ。 打ち上げといっても、クライアントは派手な事を好む会社らしく、人気のイタリアンレストランを借り切っていた。土方側にはいささか不似合いな、立食系のプチパーティだった。 妻の祥子も今日は早く帰ってくるといっていたのもあって、公一は時計をちらり眺めた後、早々に退散するつもりだった。 そんな時だった、一緒に仕事をしていても、それほど親しくなかった根津に声を掛けられたのは…。 『もう帰りますか?』 『ああ、まあ、一通り挨拶もしたからな…』 『そうですね…』 根津は少しだけ、右手の人差し指をかみながら何かを考えた後、思いついたように視線をまっすぐこちらに向けた。 『あ、そうだ…。急ぎます?』 『え? ああ、別に…』 『じゃあ、よかったら二人だけで二次会をしませんか?』 『え…、ああまあいいけど…』 別に何か考えがあったわけでもなく、まあ、祥子には何時に帰るとも言っていなかったし程度の気持ちで公一は返事をした。 『あ、奥さんに怒られる?』 はっきりと応えない公一を、根津は意図どおりに見てはくれないようだった。 一瞬何の事をいっているのか理解できず、目を思わず公一は見開いた。 『あ、女房も仕事しているし、うちは別に勝手に飯くってるから、怒らないよ』 『そうなんですか?』 『今時どこでもそうだろう? 共稼ぎとかは普通だし。一人一人プライベートはもっていて、プライバシーって侵害しないのがマナーだろう?』 『そうなんですか? すみません、俺結婚してないんで、へー、そうなんだ』 一見、根津も結婚していると言ってもおかしくない年齢に見える。もっとも今時は結婚しているとか、していないとかなんて言葉は本人の自由だろうと公一は思っていた。 『いや…、別に…。あ、それより二次会どうする?』 『あ…、食いたいですか? 飲みたいですか?』 『うーん、どっちでもいいけど…』 『…。じゃあ両方ある店行きましょうか? この近くなら少し歩けば一杯店、ありそうだし…』 『ああ、任せるよ…』 根津のリードで、近くにある普通の居酒屋を数件回った。金曜日の夜ということもあって、どこも満席だった。何軒か回り、個人でやっている小さな居酒屋にやっとの思いで入ることができた。 そこそこのメニュー。 それなりの酒。 会話は、ありきたりの日常から時事。 すべてが突出したものではなかったけれど、心地よい時間。 その晩余りに気持ちが良くなりジョッキを重ね、気が付くと自分でも制御しきれないほど飲んでいた。 次に気が付いた時には、見知らぬ部屋。 躰が燃えるように熱くなり、口からは何も〝気持ちいい、もっと〟そんな言葉が溢れ出していた。 気持ちいいのは当然だった。 公一ははしたなく両足を広げ、頭に付くくらいに持ち上げると男を受け入れている最中だった。 初めて使うそこ。 飲み会の話題などで、下世話な話をするやつが、その部分を使うと気持ちいいなどと言う言葉を聞いたことがあった。しかし本当に気持ちいいとは知らなかった。 『う…、あっ…』 自分で信じられないくらいに甘えた声を出し、今まで経験したことがないほどの快感に咽び泣いている。 酔っている所為か、興奮しもっともっとと男の屹立を求めて腰を動かしている自分と、第三者的に冷静に見つめているもう一人がいる。 真っ暗な部屋。 覆い被さる男のシルエットから、それが根津なのだと感じさせる。 互いに精をすでに一度は吐き出したらしく、重なり合う腹は気持ち悪いほどぬめっている。 男を受け入れてはちきれんばかりに開いているその部分は、濡れいやらしい音を立て直腸を動くたびにこすられる入り口が甘くしびれている。 気持ちがいい。 上がる息が快楽の頂点を教えている。 根津の顔が、公一の胸に近づき飾りに微かに歯を立てる。 『あぁ…、ん…。あ…ん』 引きちぎられそうな思いとは反対に、入れられている部分よりも熱く強い快感が全身に走る。 いきたい、しかしこれだけでは足りない。 どんどん欲求の増していく思いに、公一は涙を流して、首を何度も横に降った。 今まで知らなかった快感を手に入れていく。まるでりんごを手にしてしまったイブのように…。 荒くなる公一の息と同じように、根津の快感も絶頂に近づいてくる。 乱暴になってくる腰。 『あっ、あっ、あっ…』 根津の腰の動きに合わせて、公一の口からは甘い悲鳴が漏れていく。 熱を持つつながっている部分。根津が乱暴に動けば動くほど、公一の快感も高まっていく。 最後に根津の固い屹立が砕けた瞬間、公一は声に出せてないほどの強い悲鳴を上げ絶頂を迎えそのまま意識を失った。
* * *
夢の中で見たような曖昧なものではなくはっきりと残っている記憶は、昨夜根津に抱かれたと言う事実だった。 後悔の念が全身をさいなんでくる。 思考が停止して何をしていいのか判らない時、根津が目を覚ましたのかむっくりと躯を起き上がらせた。 「後悔しているんですか?」 「ね…、根津…」 自分がしでかしたことの恐ろしさに、公一は思わず厳しい顔で根津を睨んでしまう。しかし根津が悪いわけではない。そのことは、自分が一番良く判っている。 根津は上半身を起こし、公一の頭を自分の方に引き寄せるように抱きしめる。 動けないままの流されている公一。根津は公一の唇に自分のそれを押さえつけた。 重なる唇。恋愛ドラマの主人公たちのような、何度も何度もついばみ、唇や歯列を舐めていく。 ベッドで躰を支えていた根津の手があごに触れ、深い口付けを求めてきた。瞬間、公一は慌てて根津の躰を押した。 「止めてくれ…」 「もっと気楽に考えればいいだろう? 風俗でぬいてもらった、程度にさ…」 「そんな…、風俗なんていかない…」 髪を振り乱してはっきりと否定する公一に、根津は意外そうに目を見開いた。けれど、すぐに表情をどこか嫌らしさを感じる笑みに変える。 「じゃあ、夫婦生活が上手くいっているのかな? どう?」 自分がした事を棚の上に上げたような、下卑た笑いをする根津。 公一の目線が自然と厳しいものになる。 不機嫌な公一の表情を楽しむように、根津はクククと肩を揺らしている。 何もかもが腹立たしい態度。 仕事で組んでいる時には、こんなにふてぶてしい男だと思わなかった。 「お前に関係ないだろう!」 苛立ちをすべてぶつけるように叫ぶと、勢いを付けて公一はベッドを降りた。悔しさが溢れてくる公一とは逆に、膝に肘を乗せてこちらを見ている根津の余裕有る視線。 「怒る無なよ。昨日のお前の感じ方を見たら、上手くいっていないのかって心配するよ」 「そ!」 「俺に縋り付いて、ヒーヒー言いながら感じまくっていたお前を見るとさ」 わざと公一を怒らせようとしているそんな根津を無視して動き出そうとした途端、貧血でも起こしたように、フラッと揺れる感覚。 「おい大丈夫か?」 ベッドから公一を眺めているだけで、根津は手を貸そうとしなかった。 怒鳴りそうになる思いを必死に押さえ、最後の理性を振り絞る。 「昨夜は迷惑をかけた。泊めてくれて有り難う…」 一言だけ告げると、公一は無言で皺のついた服を着込む。 「じゃ、じゃましたな」 ドアを閉じた瞬間、もうここに来ることは二度とないだろうと思った。 エレベータを使ってエントランスまでおりる。入り口は二重になっていて、、それなりにセキュリティがしっかりしている様だった。 マンションを出て、自分が何処にいるのか判らないほど、見知らぬ待ち。 遠くから聞こえてくる車の音などを頼りに歩いて行く。 今は根津の事も、これからのことも考えたくない。 公一の頭はそれほど、疲労していた。
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よろよろになって家に帰る途中携帯を見ると、妻の祥子から安否を確認するメールが何通か入っていた。 移動途中、公一は飲み過ぎて同僚の世話になったと少しだけ間違っていない部分だけを伝えた。 だいたい、何故昨夜の相手が公一だったのだろ…。 根津の口振りから、彼は行為と思いとはっきり分けた生活が送れるのだろう。 考えれば、どんどん落ち込んできそうで、公一は思考を止めた。 へろへろになった状態で家にたどり着くと、祥子は何処かに出掛けている様だった。 新婚の頃から今まで、もう四年間住んでいる2LDKの部屋。 今まで公一の友人が来たこともあった。当然祥子の友人も来たこともあった。今日ほど居場所のない気分になったのは初めてだった。 公一はシャワーを浴び、ぼーっとしたまま、敷きっぱなしの蒲団に転がった。 窓の先では、青空がキラキラ輝いていた。 夜になって返ってきた祥子を近所のファミレスに誘うと、何もなかったいつもの土曜日に変化していく。 祥子とは社内恋愛だった。公一の方で声を掛けて始まった付き合いだったけれど、祥子の方も転職する機会を探っていたらしく、結婚を機に会社を辞めた。 専業主婦や家にいるタイプの女性ではないのは知っていたけれど、半年間失業保険を貰いながら就職先を探し、自分が希望したそれなりの企業の企画課に勤めた。 普段の生活は、いたって落ち着いたものだった。土日時間が有れば一緒に食事に行き、彼女が出掛けた先で遅くなれば車で向かいに行く。出勤時間が合えば、腕を組みながら近くの駅まで一緒に行ったり。 夜の方は、お互いにそれほど求めていないのもあって、頻繁なことではなかった。どちらかというと一緒に手を繋ぎ、安心しながら寝れる時間が幸せだった。 祥子の方も求めてくることもなかったので、気持ちは一緒だと感じられた。
「昨夜はすまなかった…、奢るよ」 まるで後ろめたいものを誤魔化すように、祥子にメニューを進める。 何をしていたか判らない祥子は、にっこりと笑うと〝高いもの頼んで良い?〟と少しだけすねたふりをしながら、屈託のない笑みを浮かべている。 適当にオーダーを済ませた後、祥子は上目づかいに見つめてくる。 「昨夜どうしたの? 連絡ないと心配するでしょう?」 「え? あ、ごめん。いや…さ、飲み過ぎちゃって気が付いたら同僚の家で寝ていた…」 「ふーん…」 祥子はそう呟いた後、それほどこだわっていないことらしく話題をすぐに変えていく。 いつでも細かい所にこだわらないところが、公一にとっては魅力的な部分だった。 幸せな時間。 言わなければ、いつか忘れられる。 そう信じることにした。 しかし落とし穴は、すぐにやってくる。 自分でも信じられないほどの快感を味わってしまった公一の躯が、変化をしてきた。 最初はほてり程度だった。祥子としても自分で慰めても突き上げてくる思いが潤う事がなくなっていた。 時には本気で、誰でもいいから入れていかせてとすら思うように躯が変わってきていた。 欲求不満。 自分ではセーブしきれないほどの性的な衝動と行き場のない思い。尽きることの無い欲望。 今まで感じたことのない思いに公一は戸惑いうろたえ、最終的に一つの結論を出した。 それは、もう一度プライベートで根津に逢うことだった。 社内からメールで根津を呼び出す。 場所と時間とそれからとにかく来い、という一方的な内容だった。そっけないメールの所為か、根津からは一言、少し遅れるかもしれません、とだけ返事が来る。 落ち着いて仕事も出来ないほどうろたえていた公一は、定時ピッタリに会社を出ると店に向かう。 公一が選んだお店は、居酒屋でチェーン展開をしてりいて、席が細かく分かれている。何よりもいいのは、仕事が終わった後会社近くのなるべく人目につかない所だった。 待ち合わせよりも一時間以上早い時間。 何処から沸いてくるのか判らない緊張を感じながら、公一は酔わない程度にゆっくりとビールで口を潤していく。 週の中日ということもあって、店はそれほど混んでおらず、自分を落ち着かせるには丁度いい。 何でこんなことになったのかをもう一度冷静に考えてみようと、公一は根津との出会いを思い出してみた。 同じ会社、営業からデザイン室に行くこともそれほど少ないことではない。顔を知ってはいたけれど、それ以上とか以下なんてものでもなかったはずだった。 一緒に仕事をしているときも、別段親しいわけでもなく同行してミーティングに行ったときも、その場かそれでなければ会社まで来て分かれた。 何もかもが判らない…。 唯一不安なのは、不覚にも打ち上げの日に酔っていて根津の家に行くまでのことを覚えていないことだった。 迷路から抜けるどころか、ドツボにはまってしまいそうになり、公一はこれ以上考えることを止めた。 根津が来る間、携帯を取り出しネットサーフィンをしながら時間をつぶした。 待ちに待っていた根津が来たのは、ぴったり公一が店に着いて二時間が経過したところだった。 「待たせたね…」 根津はふてぶてしい笑みを浮かべながら、手を軽く上げ挨拶をした。 「ああ、こちらこそ呼び出してすまなかった…」 〝ああ〟と表すように手を降った後、根津は席に着く。 途端店員がやってくる。根津は自分のレモンのチューハイを頼むと、公一の方を見た。 「あ、まだ食べるもの頼んでないんだ…」 視線の意図を感じた公一が、すごすごと応えると、根津はメニューを開き腹にたまりそうなものとつまみになりそうなものを適当に頼んだ。公一も飲み物を追加でオーダーする。 「あ…、本当にすまなかった呼び出して…」 上手く言葉が出ない公一をいちべつした後、右頬だけ上げて笑みをこぼす。 「まあ、なんとなく予想範囲内だったんで…」 「なっ!」 言葉が出ないほどの怒りだった。苛立ちに真っ赤な顔をしている公一をあざけ笑っているのか根津は、ただにやにやとしている。 ここで怒ってはだめだ…。 公一は自身で落ち着くために、息を大きく吐くと飲み物や食べ物が届くまで、口を閉じることにした。 まもなくして、根津が頼んだものがすべてくる。 根津は笑みを浮かべたままジョッキを公一の方に向ける。 「乾杯…」 「あ…、乾杯…」 慌ててジョッキを持つ公一に、くすくすと優しい笑顔と浮かべた後、またいやな雰囲気のいやらしい笑みを浮かべる。 途端躰がほてり出す。思い出されるのは、自分の足の間で興奮していた根津の姿だった。 「あんなに怒っていたのに、どうしたんですか?」 「…」 「また、抱かれたいと思った?」 「そ! そんな…」 ありえないという気持ちを裏切るように、足の間の象徴が熱くなっていく。 根津はクククと下卑た笑いをしながら、靴を脱いだ足で股間をつつく。 「ここ、硬くなってますよ?」 「んっ…」 根津の言っている通りだという思い、悔しさ。 何でまた逢いたいと思ったのか、訊ねられれば何も本当は応えられないのだと自覚させられていく。 「あなたは、被害者のような顔をしているけれど、セックスなんて一人じゃできないんですよ」 「そ、それは…」 「あの晩、あなたは覚えていないかもしれないですが、誘ってきたのはあなたなんですよ?」 「そんなこと…」 「まあ、性的な意味じゃなかったかもしれないですけどね。でもあなただった楽しんだ。そしてまた俺を求めている…、違いますか?」 「…」 「否定する必要ないと思いますよ」 「そんな…」 「簡単な話です、奥さんとは日常生活を、俺とはセックスをすればいいんじゃないですか?」 「…」 「オンリーワンなんて考え方は、もう古いと思いますよ。楽しくて法律上問題がなければそれでいいじゃないですか?」 悪魔の囁き。躰はすでにもう応えを出している。 公一はゆっくりとうなづく。 この晩初めてしっかりと意識のあるなかで、根津に抱かれた。
Fine
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