とんでもねえ男ふたり、此処には居る。
聞いてくれねえかい。
まあ、まずはおらの話だ。
おらはな、天下の新選組の隊士よ。
此処に居る大抵のやつらは志なんてえ、めでてえもの掲げて入ってきたさんぴんどもよ。
だがそれだけじゃねえ。野心もって入ってくるモンもいらあ。おらがそれだ。
なんたってな、金がいい。
近藤勇や土方歳三らの名は、おらの郷里にも響いていたよ。
京の艶里で金を湯水のように使って豪奢な生活してるってふうによ。
そんな奴らの大将、元の生まれは百姓だっていうじゃねえか。
なに、どれだけやっとうができるんだか知らねえがさ、成り上がりの、たまたま運が良かった奴らの集まりってえわけだと思っていた。
いっそ、そいつらの傘下に入って、あわよくば成り代わって、おらも京で豪勢な生活してやろうとさ。おらの子分ども、弟にくれてやって、おらは単身京へ出てきたわけよ。
もうひとつ。
沖田総司、この男。郷里に響いてた沖田の名は鬼の形容さ。あの池田屋で近藤よりも真っ先に刀振るったてえのが、この若造よ。
まだ二十二のくせに、剣たててる新選組の顔だ。
郷里で聞いてた沖田の話も、近藤らと同じよ。その若さで金も地位も名声も、てめえのもんだ。豪勢暮らしも好き放題さ。
そういうことだ。つまりな、どれだけやっとうが上手かろうが金と女に溺れてりゃ、世の常だ。腐ってくるのも時間の問題さ。そう思っておらあ、なかば本気で、こいつらに取って代わってやる気で新選組入ったわけよ。
おらの考えなんざ甘かったと気づいたんは、入って二日も経ってねえ頃さ。
そのことについておらはじっくり話してえんだよ。後でな。
そうそう、おらの試合みたのは山崎って男だ。おらと同じで棒術が得意だってんでな。あたりめえよ、郷里で仕切ってたおらが弱えはずがねえ。合格さ。聞いてたとおりだ。剣ができなくてもひとつ秀でるモン持ってりゃ入れるわけよ。
おらは入隊の日は沖田の剣を見れなかった。興味があったんだがな。なにせ新選組部隊んなかの筆頭だ。この男を倒せば、おらが成り代われるってもんよ。その剣、見ておくべきだと思ってたがついぞ見れなかったね。
見たのは次の朝よ。
西本願寺の一箇所ぶんどったでかい敷地内で、新入りのおらに初日二日で迷うなってほうが無理だわ。井戸場探してぐるぐる敷地内回ってたらいつのまにかどっかの庭口に来てた。
ブンッて凄え音がしたから、そこで立ち止まったのが切欠さ。
立ち止まったらまだブンブン音がする。空気が殴られる音ったあこういう音だ。こりゃあ何だって庭口覗いたら、この寒い朝に男が上半身裸で、凄え太い木刀振ってんさ。
朝霧の中よくよく目凝らしてみたら、あの沖田だ。
沖田って男はおらより十五も下の若造よ。それが、郷里じゃ一二争う体格のおらを優に凌ぐ体つきしてやがる。剣で新選組一張ってる男ってのは、こういう体してんのかとやっかみ越して正直に感心して見てたら、その向こうから障子をからりと開けて出てきたのが土方だった。
「おはよう」
沖田が木刀下ろして、言った時よ。土方が、おらの居る茂みのほうを凄え眼で睨んだんだ。
おらぁ、これでも郷里じゃやくざモンの親分やってた身よ。そのおらが一寸ぎくりとしたんだぜ。驚いたけれどよ、べつに悪意ひとつ在って覗いてたわけじゃねえ、迷い込んできただけさ。睨まれるいわれは無えとすぐに心構えて、堂々前に出て行って、ぺこりと礼してやったよ。
「そこで何をしていた」
土方がそのよく通る声で、おらを睨んだまま聞く。
「迷い込んだんだろ。新入りさん」
沖田が喉で哂ってはじめて俺を振り向いた。なんだよ、おらが見てるのを気づいてて知らぬふりで木刀振り続けてたのかと、その憎さにおらのほうは腹で舌打ちしながら返した。
「沖田センセのいうとおりですさ」
「隊士部屋へどう戻るか分からないというのか」
土方が幾分睨みを解いてそう聞いてきた。
土方ってのは、なんだ、よく見ると随分綺麗な顔している。
この朝の光に、色白の肌が透き通っていた。隣にいる沖田のよく日焼けた肌とは正反対よ。おまけにその土方の漆のような黒髪が風に揺れてきらきら輝いてる。なんつうべっぴんだと息を呑んだよ。
「へい。こっからどちらに回れば戻れますかね」
土方の容貌に目丸くしながら返したおらに、
「右にまっすぐ行け」
そう言って土方は、あとはもうおらの存在なんぞ無いかのように沖田のほうを向き直った。
「・・総司」
その場を去るおらの背後で、土方が沖田にそう呼びかけたのを聞いたさ。
・・・今の声は何なんだ?奴らは京に来るまえからの知り合いだってのは聞いてる。やっとうの世界はよく知らねえが、近藤土方沖田が同じ剣の流派で絆があるってのも聞いた。だが、土方がいま沖田を呼んだ声には、それだけじゃねえ、何かべつの・・・
振り返って二人を見てみてえ衝動に駆られたが、入ってすぐに上に目つけらちゃ面倒よ。おらは我慢したまんま、道を戻ったさ。
去っていく男の背が、猫背ながら妙に威のある体運びだった。
「あいつ、カタギじゃねえな」
おもわず呟いた俺に、総司が噴き出した。
噴き出したきり、声無く笑いながら総司は木刀を庭の石に立てかけ手拭いを取った。
「総司、」
・・・まぁ。俺たちも似たようなもんか。
「もう稽古はいいのか?」
「十分やった」
「そうか」
体拭く総司を見ながら、俺は一足先に部屋に戻った。
俺も総司も、昔は随分いろいろとやったもんよ。
総司。こいつは俺と、その道の歴なら張る。
ま、総司のような江戸生まれの江戸育ちが、そっちのほうで早くねえはずがないが。
もっとも大抵の手ほどきしたのは俺よ。
白状すれば、喧嘩と賭博をまだ十二だったこいつに叩き込んだのは、こいつの尋常じゃない勘の鋭さを利用しちまうつもりだったんだがな。
剣に天才ってことはな。なにも剣筋だけのはなしじゃねえ。
そこをいち早く見込んだ俺も、だてに策士と陰口叩かれてるわけじゃねえってわけよ。
「総司・・」
俺の部屋に戻ってきたこいつを、俺はもう一度、艶含んだ声で呼んだ。
昨夜、散々抱き合って二度も気失うほど感じちまって、朝になればまたこれだ。俺の体はどうかしちまってる。
こいつと初めて契ったのは、なかば成り行きみてえなもんだった。まだ江戸に居て総司と毎日みてえに、賭博に喧嘩に女にと明け暮れていた頃よ。
それからかれこれ七年程か。
長いつきあいだな。試衛館仲間は皆、知ってる。俺らも隠さねえ。こうして堂々と毎夜、総司は俺の部屋で寝て、朝には俺の部屋出た庭で朝稽古してる。そして総司がひとしきり汗を流した頃には俺も起き出していて、そしてまた抱き合う。
「歳さん、あんたがホントの”絶倫”だよ」
これが、こいつの口癖のからかい言葉よ。
違いねえ。だがこいつに恋情いだくようになる前は、他の男とも寝てみたりしてたから言えることがある。俺の体は、こいつだから”こんな”なんだってな。
「おめえじゃなきゃ、こうもなれねえよ」
これが俺の返しの口癖ってわけさ。
総司は決まって哂う。
「こっちはあんたの体、知り尽くしてんだよ。当然だ」
なんだか思い出しちまったな。
江戸で総司と散々やってた頃が懐かしい。今の俺は転んでも新選組副長よ。もう馬鹿やる身分じゃねえ。総司も同じだ。今じゃ互いに道外したことはしねえ、それだけは確かだ。
だが、いいじゃねえか。
喧嘩のひとつくれえなら、久々にやりてえもんだな。
「ぶっそうな人だな」
ひとしきり抱き合った後、一つ布団でまどろみながら黙ってそんなこと考えてたら、隣で不意に総司が笑った。
「昔の歳さんの顔してるよ。なに考えてた」
「・・・」
こいつは俺の顔で分かっちまうのかよ。
「当たりだ。昔思い出して感慨浸ってた」
答えた俺に、総司はふっと微笑い貼り付けたまま、俺の肌蹴た着物の下に手をいれてきた。俺の乳首摘みながら、それ以上はコト運ばせる様子もなく。
「血が疼く・・わけ」
からかうように、こいつは囁いて。
「あんたは根っから喧嘩師だからなぁ」
「こういう衝動駆られるときねえのか、おまえは」
「そんなヒマじゃあない」
表情の欠いた声で総司は答えてきた。
「・・・ああ、」
そうだったな。こいつは毎日人斬ってる日々だ。俺がその点じゃ”ヒマ”だと、けなされても文句言えねえ。
同じ闘いだろうが、それは喧嘩とは根底から違う世界だ。
互いの志、信念抱いて生きるか死ぬかの闘いに明け暮れてきたこいつが、喧嘩なんぞに駆られるはずもなかったな・・・
「新選組の副長サン。喧嘩程度、やれる場所ならいくらでも思いつく。あとは俺があんたの肩書き外してやる」
「・・ほんとか」
つい乗り気に総司を見返した俺から、総司の手が離れ。
「今夜、どっか飲みにいきましょうぜ」
「飲み屋か・・?」
「そう。街外れでゴロツキの常店ひとつ、見つけりゃいい」
「ああ・・、」
なるほど。
「そいつは楽しみだ」
俺の身体が、久々の夜を想って今から疼きだした。同時に、
総司に悪戯されていた乳首がじんと痺れていて。そこから燻る感覚が俺の芯を灯し。
「総司・・もいちど・・」
こいつ、俺がこうなること知っててわざと俺の肌を弄っていたのかもしれねえと、胸中舌打ちしながら総司の首に腕をまわした。総司が心得たように俺に覆いかぶさる。
「ほんと可愛いよ、あんた」
そう喉で嗤うと、俺の首すじに唇を這わせ始めた。
「しかしよ、花の京に来て喧嘩たぁ」
しかも買うんじゃねえ、売りにいくときた。
こんなこと、新選組の土方歳三と沖田総司のすることじゃねえ。そんな身分の拘束に今まで俺は随分、萎まされていたんだと。
今夜ここにきて、俺は今更そのことに気づいた。
「多摩のバラガキ土方歳三が聞いて呆れる。”久方ぶり”どころの域を越してる」
「違いねえ」
総司がくっと哂い返した。
「何十年ぶりかの気分だよ」
「ああ」
相槌ながら俺は隣行く総司を見上げた。俺も総司も、着流しに刀一本差しのさんぴん姿だ。この闇ん中、この格好見れば、だれも俺らを新選組の土方沖田と疑う奴は居まい。
そう思いながら、俺は隣の情人を上から下まで惚れ惚れと嘗めるように見た。
総司の頬のこけた面が着流しの着方に似合う。昔の宗次を見ている錯覚がする。
「歳さん」
俺の視線を愉しむように見返し、総司は不意に俺の頤を引き寄せた。
「あんたのその格好・・」
なんだ、俺と同じことを思ってたのかと哂った俺の、
「無性に、そそる」
唇を攫い、突然、裾うちに手を入れてきた。
「っん」
総司の硬い指先が俺の下帯の線をなぞり。
喧嘩を待ち望んですでに緩く形を成していた俺のものを、甚振るように握った。
「ば・・か、総司」
こんな道端でなにしやがる、と唇を離した俺に、こいつは沸々哂いながら俺の腰を抱き寄せ。
「昔はよく一暴れやる前に交わったね」
「・・・」
俺の腰を捕らえたまま見下ろす顔が、つい見惚れるほどの雄の顔をしていた。
「ばかやろう。こっちのほうは終るまでお預けだっ」
慌てて抗った俺は、どこかでまだ、
「・・いま欲しい」
己の身分の自覚を失ってないのかもしれねえ。
「だめだっ、誰か通ったらどうすんだよ」
昔は道端でやるのに躊躇なんざなかった。盛りゃ、どこでだって始めた。
「万が一、知り合いでも通ったら・・・っふ!!」
俺の抗声は最後まで届かず、総司の舌の動きに蹴散らされた。
「っ・・ふッ・・う」
なお俺が抗ってもがくのへ、総司の体が押してきて俺を道の壁ぎわに追いつめ。
背にひやりと冷たい壁の感触をおぼえた時。総司の太い腕が俺を抑え付け、一気にこの裾を捲くり上げた。
「う、ん・・ふっ」
総司が俺の舌を放さねえ。俺が振り上げた両腕を一瞬に捕らえ俺の頭上にくくり、その片手で壁に押しつけ。
そしてこいつのもう片方の手が。有無を言わせず俺の後ろを解しだした。
くそ・・これじゃ道通る奴が見れば、まんま犯られてる姿じゃねえか。両腕抑えられ、口塞がれて、それでも俺は総司の慣れた指の動きに、またたくまに常の快感のせりあがるさまを感じ始めていた。
「ふ・・んン・・ッ」
抑えきれねえ声が喉から抜けてく。いけねえ、このままじゃ受け入れちまう、そう思った刹那、ずるりとこいつの指が俺の中から抜け出た。
「っ・・」
頭ン中、くらくらする。身体がすでにこいつを求め出しているのへ俺の理性が必死に抗う間も、総司はてめえの裾を柔くからげ、猛ったそれを俺の身に押し付け。
「副長。その肩書き、・・今ここで外してみな」
不意に唇離した総司の眼が、そう嗤ったのが最後。
「・・・ッぁあああ!!」
俺の身体は下から突き上げられ貫かれた。
「ぁあッ、あっあ、あ、ンッ」
凄え力強さで上下に揺さぶられて俺は、咄嗟に総司の肩に腕をまわし。地に俺のつま先がつくかつかないかの浮遊感が、身の奥に強烈な快感を波のように押し寄こし。
「そうじっ・・!!」
半ば持ち上げられた躰は完全にこいつへ委ねるしかなかった。
俺は総司の肩にまわしたてめえの腕に顔を埋め、此処がどこかも忘れて叫び出しそうになるのを必死に抑えた。
「んっ、あッああ、あ」
「歳さん」
からかうような慈しむような相反の情が混じり込む、総司のその低い囁き声が俺の耳元をくすぐる。
幾筋もの大小の快楽の波が駆け抜け、俺のなか、張っていた全ての箍が崩れ落ちてゆく。
「ぁあ、あっ・・そう・・じぃ・・ッ」
どうでもいい、
「んっ、ん、ああぁ、あんっ・・」
もう、どうでもいいと。
此処がどこであっても、いっそこれが俺の元々の姿だと。俺の肩書きの、厳格で堅物な仮面に怯える滑稽な奴ら全てに見せつけてやりたいほどに。
「そうじっ・・も、う・・ッ・・!!」
箍が、崩れ去り。
「いいよ、・・飲んでやる」
引き抜くなり、俺の腰を抑えつけ、総司の口が限界を迎えた俺のものを深々と含んだ。
「あああぁ・・っ!!」
弾けるような快楽に溺れて、俺はどくどくと総司の口の中へと吐き出し。
闇に光るような総司の雄の眼が、俺を見、ごくりと嚥下して。淫らに口の端から舌を這いずりだし俺の味を確かめるように。
「っ総・・司、来いよ」
息が整わねえまま、俺は総司に手を差し伸べ。伝って立ち上がった総司と代わり跪くと、
猛るこいつのものを俺は口内に咥えこみ、この喉奥へと迎えいれた。
がらがらと戸開けて、入ってきた二人組におらは心の臓飛び出るほどに驚愕した。
と同時に、おらは咄嗟に顔伏せて隅のほうへ身を寄せ。
どういうこった?
驚いたことに着流しで一本差しだ。変装でもしたと思うほうが正しいような格好さ。
まさかこんな薄汚れた飲み屋に、新選組のお偉方が飲みにくるたぁとても思えねえが。かといっておらが一度見た人間を見間違うはずもないさ。ありゃ、間違えなく土方と沖田だ。
こりゃ、仕事の一環か?
じつは組には門限がある。おらは何でここにいるかって、馬鹿馬鹿しい門限なんざ守って夜に飲みにも出られねえことがあってたまるかってんで抜け出してきたからでさ、本来は当然おらがここに居ちゃぁおかしいわけよ。
まさかこんな店にあの二人が来るとは夢にも思わねえ、堂々とこの店、常店にしようなどと考えて飲んでたらこのざまよ。こいつはまいった。
どんな仕事の一環かと息凝らして盗み見たその時、やつら、さすが新選組で上張ってるだけあらぁ、てえした肝っ玉よ。空いてた一番の上席にどかりと座り込みよった。
ああいう席は、たいていこの界隈のごろつき連の親玉の為にとってある席さ。そんくれえ、二人だって分かってんだろうによ。早くも、まわりで飲んでた目つき悪い輩どもが、二人を見て、がやがや揺れだした。
とはいえ迂闊にゃ、絡めねえんだろ。お腰の刀付きに、下手に近づくわけにはいかねえさ。
しかし何の仕事だ、これは。おらの見るところじゃ、ありゃどうしたって単に飲みにきたようにしか思えねえんだが。
「っちい、あンのださんぴんども」
「親分きちまったらどうすんのや、はよ行け」
「おまえが行けゃ」
おらのまわりで囁きあってる輩の情けねえこった、俺の子分どもはもっと肝っ玉あるわ。
「親爺、酒」
「それと沢庵」
「へい・・」
あの二人のこさえた不穏な空気に、気悪くしてる親爺が呼ばれて嫌々そうに運ぶ。
沖田が土方の猪口に酒を注ぎ。
その時さ。がらがらと再び戸が開いた。おらのまわりで動揺してた輩どもとはてんで格の違え男が三人、続けざまに入ってきて、すぐに上席占拠してる二人に気づいてよ。
「ぉい、おめえさんら」
徳利置いた沖田も、猪口を持ち上げた土方も、なのに声かけた男にふりむきもしねえのさ。
「おい」
今一度、男が声かけた。
残る二人が懐に手忍ばせていつでも得物取り出せるように見せかけるときた。
一触即発さ。おらは息のんで見つめた。
「あン?」
沖田が今気づいたかのように顔を上げ。男を見返した。
「そこの席ぃ、どいてもらえへんか」
どす効かせた声が男から漏れる。
「これから来はるうちの親分の席なんですわ」
沖田が鼻で嘲った。
「断る」
「――――何ッッ?!」
ガタガタと。
おらを除き店に居た全ての輩が、席蹴って立ち上がった。
沖田と土方は座ったまま、低く哂っているだけだ。
いったいあの二人は何考えてんだと、わいは目立たぬようさらに隅に寄りながら思わず訝ったよ。
「おめえさんら、この人数相手にどうするつもりや。おとなしく席譲っておいたほうがええで」
眉をひくつかせ脅迫する男に、見向きもせず。
「・・・どうもしねえよ」
土方が呟き。
「全くね、」
応えて沖田が煩わしげに手を振った。
「あんたら程度の輩が百人居ようが、居ねえのと大差無いだろうに」
さらりと続けた沖田に、
「ンなッ!?!」
店じゅうの輩が目をひん剥き。
「こンの、ださんぴんどもッ、生きて帰れると思ってへんやろなッ!!」
「五月蝿い」
「!?!」
黙ってろ、と言わんばかりの。わざと煽っているとしか思えないような、沖田の口から繰り出されるその台詞の数々に、おらはわけがわからず息殺したまま成り行きを見守ったよ。
分かってきたことは。あの二人、どうしたって仕事に来たようではないってこった。・・あの挑発の様子みてたら喧嘩でも売りにきたんじゃあねえかと思っちまうが、まさかな・・。
しかしよ、あの二人の肝の据わり方、尋常じゃねえ。
よほど腕に自信があるのか、天下の新選組率いてる自尊があれだけの肝っ玉を成すのか。
いや。両方だ。だが、それだけじゃあねえ。
慣れていやがる。
あいつら、豪奢な生活に溺れるだけのボンどもかと思ってたら、どうやらとんでもねえ勘違いだ。やくざモンのかしら張ってきたおらの眼に狂いは無え。おらと同類の沙汰、山ほどやってきたってえのが今この場で隠しようもねえほどぷんぷん匂うわ。
くそ。
なんてえ野朗どもよ。
新選組の土方歳三と沖田総司たあ、こういう奴らか。
「その肝っ玉、見上げたもんよ」
ただの奴らじゃねえと男も感じているんだろう。懐からてめえの得物取り出して哂うと、
「おまえさんらには特別、どぶに墓作ったるわ。名はなんていう」
そう聞くなり男は鞘を払った。
男のその言葉に、おらのほうははっとしたさ。そうよ、ここで新選組の名を出せば、確かにこいつら血相変えるに違いねえ。名乗りを上げるであろう沖田たちの台詞を今か今かと待つおらの期待は、だが、裏切られた。
「名前ねえ・・」
沖田が酒を啜りながら。
「どうします」
土方のほうへ振った。
「どうせなら、凝った名がいいぜ」
土方がにやりと笑み返し。その笑みは妖艶でさえあり。
「考えておけばよかった」
沖田のほうは手酌で新たな酒を注ぎ足しながら困ったように呟いた。
「・・・・」
男が抜き身さげて、隣に立っているってえのに。沖田と土方はまるでその抜き身、見ていねえかのような態度だ。
たまげたね。おらは、悠々と酒を注いでる沖田と、沢庵をかじっている土方を呆然と見つめた。
おらの周りで勇んで立ち上がったはずの輩どもも皆、気呑まれた様子さ。
最初に我にかえった様子で怒りに身を震わせたのは、鞘まで払って突っ立つ男だった。
あっ、と思った時には、男の握る匕首が、土方の秀麗な顔前めがけて繰り出され、
――――たはずだった。
何が起こったのか。
おらにも、当の男にさえも分からなかったに違いねえ。男が繰り出したはずの得物は、勢い激しく天井に突き刺さり、びんびんと震えた。
天井にぶる下がる匕首から視線を下ろせば、胡坐かいて座ったままの沖田が刀を納めたのを見た。
今の・・沖田は抜いたのか?
唖然とするおらも皆も、男も声無く。再び猪口を摘み上げた沖田を皆一様に、魂の抜けたように見つめた。
「・・・てめえ、勝手なマネすんなよ」
土方が呟いたその沖田への言葉で、漸くおらも皆も、やはりいま沖田が動いたのだと知った。
「どうせ面倒がって避けねえでいたくせに、よく言うよ」
「この沢庵食いきってから、のつもりでいたんだよ」
「あんた、ソレいくつ残ってると思って・・」
「たっ、立て!!成敗したるわ!!」
男の存在を無視し果ては沢庵云々の話をし始めた二人に、天井から匕首を抜き取り男が激しく叫んだ。
「無事帰れると思うなッッ」
「先に沢庵、食わせろ」
あろうことか、そう返し小気味よい音を立て噛み切った土方に、男はさらに目を剥き。いきなり手で激しく沢庵の入った皿を叩き払った。
「この野朗・・ッ」
沢庵がふっ飛んで、むかっ腹を立てた土方が刀を手に立ち上がったのを見て同時に、店に居た輩どもが一斉にてめえらの得物を構え。
「・・・やれやれ」
最後に沖田が。
肩に乗っかった沢庵を払い落とし。のっそりと立ち上がった。
じりじりと其々の得物を構えた男どもが、土方たちの周りを取り囲む。
土方が鞘を払い。
「総司」
構えながら横目で沖田を咎めるように睨んだ。
「何してる。抜け」
「元々あんたのために用意した喧嘩だよ。俺は見てるから気の済むまでやれば」
「てめえ・・・手伝えよ」
周囲を警戒しながら土方はげっそりと沖田を見返した。
この場でひとりだけ闘気が抜けているかの沖田の、その吐いた台詞に勇んだのはむしろ二人を囲む輩どものほうだ。
刀を抜かない沖田の気が変わらぬうちに土方だけでも殺ろうと思ったんだろう。こいつら皆、馬鹿さ。てめえらと土方との間で、腕の違いも見抜けねえようじゃあな。
そして我先とばかりに土方に斬りかかってゆく輩が、土方の払った峰打ちに、蹴りに、拳打に、あっという間に次々と崩れてゆくのを。沖田が懐手で愉しげに眺めはじめた。
「うちらがあんたの相手や」
そんな沖田に、先程の匕首を構えなおした男と、その背後に構えた二人が得物を向け。
「いいや、」
だが沖田は懐手のまま喉奥で嗤った。
「俺相手じゃ面白くもねえ喧嘩になるよ」
「・・あん?」
あいかわらず謎な台詞を吐く沖田に、抜き身を構えたまま三人が面食らった顔をしたが。
「あの人みたく、わざと時間かけてやる気は無いんでね」
沖田はやや離れた所で派手に暴れている楽しげな土方を、ちらりと見て哂い。
「それとも、」
ゆっくりと。懐から手を抜いた。
「一瞬で斃されるほうが好みなら、お望みどおり俺が相手してやるよ」
「ッこンの・・!!!」
――――ほぼ一斉に。
激怒に駆られた三人が沖田に飛び掛かっていった、
刹那。
剣光が閃き、鋭い悲鳴が店じゅうにつんざき。おらが目を瞠る前、本当に一瞬よ。三人の男どもは次々と、沖田の鞘でそれぞれ急所を強かに打たれ、崩れ落ちていった。
驚いたのは、沖田も土方も血を流させねえで喧嘩相手の始末したってことだ。
血流さねえで済ますんは上等な喧嘩さ。おらは店の陰に身隠しながら、こいつらに成り代わるなんてえ野心は正直叶うはずがねえと、どうしたって諦めるしかなかった。
そうと分かった以上、新選組に居る意味も無え。今これ限りで抜けちまおうかと思ったが、一方で、この二人の下にならもう少しくれえ居てみてもいいと思ったのさ。
あれから二人どうしたって?
店ん中ぶっ壊した弁償にたっぷり金置いて、のした輩どもは放っておいて帰っていったさ。
・・・結局、あの二人は何しに来たんだか?
それが未だに残る疑問だが、
”元々あんたのために用意した喧嘩だ”と。沖田が土方にそう告げたのを思い出す限り、どうも喧嘩しにきたとしか考えようがねえ。・・・当たりだとすれば、あの二人の道楽のために、のされた輩どもが不憫だな。
おらは、実は次の朝、沖田に呼び止められた。
「次から門限は守るように」
血の気が失せたよ。・・なに、何らそれ以上の罰も言われてねえ。その一言の忠告もらっただけよ。なのに何だ、おら、向けられた薄い笑み見て背筋がつうと冷たくなったさ。
やくざもんのおらの矜持なんぞ、もはやこの男の前じゃ話にならねえと知った。
「へい。すみませんでした」
この十五は年下の上司に、おら真剣に頭下げて、そそくさとその場を去ったよ・・。
沖田総司、土方歳三。
とんでもねえ男二人が、此処には居るってこった。
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