「ああ~、寝不足だあああ。」北条俊光は教室の机に突っ伏してうめいた。 「またカイちゃんのビデオでも見てたのかよ。」内村祐樹があきれたように言う。 「こいつ毎晩リピートしてあのビデオを見てるもんだからこっちまで寝不足だよ。」俊光と寮で同室の委員長間島透矢が醒めた口調で口をはさむ。 「なんだよ、おまえだって一緒になって見てるくせに。」俊光が透矢を睨む。 カイちゃんのビデオというのはボーイズラブの映画で撮ったはいいがお蔵入りになったものだ。主人公の美少年桐生櫂の魅力に出演者及びスタッフが全員魅せられてしまい、結局映画を人目に触れさせることが忍びなくなってしまったのだ。 俊光は毎晩櫂の美しい姿を見てうっとりするのが日課となっている。 実のところ関係者全員同じようなことになっていてあれから1ヶ月たつというのにまだカイちゃん熱にうなされていると言っていい。 祐樹はふと窓側の1番前の席を見た。今はまだ空席のそこが桐生櫂の席だ。 美しく可憐なカイちゃんとは打って変わって桐生櫂は鬼畜と呼ばれるほどのプレイボーイだった。元恋人の養護教諭の篠宮真知子がこの鷹塔学園を去って以来前より頻繁に他校の女生徒と出かけるようになった。 ふてぶてしい態度と男らしい仕草が全く映画の中のカイちゃんのイメージと違うので皆戸惑っている。特に3年の日夏冬真は苦悩していた。アラン・ドロンの青年期を彷彿とさせる美貌を悩ましげにくもらせながら日々桐生櫂に接近を図るが、櫂の従兄であるジュリアン・ド・クリュニーに邪魔されて欲求不満なのだ。 内村祐樹もまた苦しんでいた。映画での失態が思った以上に櫂に受け、すっかり気安い友人として認められた祐樹はざっくばらんに話しかけてくる桐生櫂と映画の中での美しいカイちゃんのギャップにどうもなじめない。黙っていると心が乱されるほど一種崇高なまでの美しさを漂わせる櫂だが口を開くとかなり男っぽくイメージダウンだ。 祐樹もカイちゃんにすっかり心を奪われている者のひとりなので毎日心の中でため息をつきながら桐生と会話している。 と、思ううちに櫂が教室に入ってきた。 「おう、内村、おはよ。」どさりと鞄を投げ出して眠そうにあくびしながら言う。 「おはよう、桐生。寝不足かい?」この頃やっと普通に口がきけるようになった祐樹が聞くと櫂はにやりと笑った。 「まあね、ちょっと大人の女性と知り合ったものでつい門限を過ぎた時間に寮にもぐりこむことになるんだけど・・・・。」と言って顔をしかめると苦りきった顔で言う。 「・・・ジュールの奴がうるさくて寝かせてくれないんだ。」 祐樹は真っ赤になった。(な・・・何を言っているんだ。それはつまりクリュニー君が嫉妬に狂って襲ってくるということなのか・・・・!!?) 「従兄だからってなにかとうるさいんだよ。まあ心配してくれるのはわかるんだけど、俺だって子供じゃないんだからいつまでも保護者にうるさく言われるのもなあ・・・。」そう言ってあくびをもうひとつしながら櫂は前を向いてしまった。 祐樹は思わず想像していた。夜遅く女の残り香をつけたままの櫂が寮の部屋にもぐりこむと寝ないで待っていたジュリアンが嫉妬に燃えた目で荒々しく櫂の唇を奪う。 激しい口づけにぐったりとした櫂が頬を赤らめて熱い息を吐きながら言う「・・・嫌・・・やめて・・・。」 (あ・・・ヤバイ・・・。)祐樹が慌てて前を押さえた。 そっと席を立つと櫂が見上げる。「・・どうした?内村。」 祐樹は顔が真っ赤になる。「あ・・・いや・・・あの・・・・腹をこわして・・・。」 櫂が眉を寄せる。「またか?あんまり食堂で食いすぎるなよ。」 苦笑いを浮かべて前かがみになって祐樹は教室を出た。
その日の昼休みも櫂はいつもの隠れ家こと校庭の温室の裏にある芝生に寝転がっていた。 玉子サンドを半分残してうとうととまどろんでいるとかさりと足音がして誰かが自分の上に影を落とすのを感じた。 いつも昼休みにここで落ち合う従兄だな・・・と思い櫂はそのまま近づいてくる唇を避けなかった。 ・・・が、何かが違う。何か一種独特の雰囲気のようなものが違っているのだ。 櫂は唇が触れ合う瞬間に目を開けて体を反転させて逃げた。 そこには驚きに青い瞳を見開いた日夏冬真が身体をかがめたまま硬直している。 「・・・・おまえ、何やってんの?」櫂があきれたように聞く。 「キスくらいさせろよ。」冬真がむくれたように言ってセクシーに髪をかきあげた。 「なんで?」 「好きだから。わかってるんだろう?」冬真が手を櫂の頬に伸ばすが邪険に払われてしまう。 「いいかげんにしろ、トーマ。」いらついた声がして冬真が振り返るとジュリアン・ド・クリュニーが苦虫を噛み潰したような顔で立っていた。 つかつかと冬真を通り越して櫂に近づくと顎に手を当てて顔を上向かせ唇を重ねた。 2,3度軽く吸ってから音をたてて唇を離すとジュリアンは櫂をぎゅっと抱きしめた。 『ジュール・・・、苦しい・・・。』櫂が喘ぐとジュリアンは再び頬にキスを落とす。 「トーマ、カイに妙な気持ちは抱かないでもらいたい。カイは僕のものだ。ね、カイ?」ジュリアンが言うと櫂は肩をすくめたが特に反論しなかった。 冬真はかっと顔を赤くして憤った様子でジュリアンに食ってかかる。 「おまえたちは従兄弟同士だろう?どうしてそんな恋人同士のようなキスをするんだよ。」 ジュリアンが頬を愛しそうに櫂にすりつけて軽く唇にキスするとセクシーな目で冬真をちらりと見て「僕はカイを愛していると言っただろう?」と言い放つ。 櫂はとくに何も考えていないかの様子で大人しくジュリアンに抱かれたままになっている。 「おまえもそうなのか?櫂?」冬真がちょっと気弱な様子で聞くと櫂は眠そうに小さくあくびをしてジュリアンの胸に頭をもたれさせて言った。「俺だってジュールが好きだよ。従兄だもん。」 ジュリアンが愛しげに櫂の髪を撫でる。 「なんだよ、おまえたちそれじゃあ映画の役そのままじゃないか。それじゃつまらないから櫂は俺と付き合えよ。」日夏がよくわからない理屈をこねる。 「俺眠いからもうおまえ帰れよ。」櫂が再びあくびをしてそのままジュリアンにもたれて眠りそうになっている。この従兄の腕の中はいつでも安心していられる究極の隠れ家なのだ。 「おい、櫂。俺もおまえをそうして抱いてキスしたいんだよ。たまには俺の腕の中で甘えてくれよ。」 「トーマ、いいかげんあきらめたらどうだ。カイはあの映画に出たのも相手が僕だからだ。カイは他の男とキスなんかしないんだよ。」ジュリアンが挑戦的に言う。 「俺男と付き合う趣味ないから。じゃーね、バイバイ日夏。」櫂はそう言うとジュリアンに抱かれたまま手を振った。
放課後の生徒会室。生徒会長の海棠響が副会長の速水凛と共にコーヒーを飲みながら打ち合わせをしているとドアがノックもせずに開かれた。 ハンサムな顔を憔悴したようにやつれさせて日夏冬真が現れた。 「なんだね、日夏君、ノックもしないなんて失礼じゃないか。」速水がむっとしたように言う。 冬真はどさりと窓側のソファに座り込むと目を閉じた。 「・・・完敗だよ。クリュニーの奴・・・自信たっぷりに見せつけやがった。」 海棠が眉をあげて日夏を見る。「・・・それは櫂くんのことかね?」 「そうだよ。まるで映画の続きだぜ。櫂も櫂でクリュニーにされるがままであんな魅力的な・・・。」日夏が悔しそうな夢見るような複雑な表情で言う。 「ちぇっ、クリュニーの奴役得だな。そういえばビデオ渡したときも『僕は毎日本物と一緒にいるからいいんだけど』なんて余裕しゃくしゃくだったし。」速水が悔しそうに言う。 「くっそー・・・桐生櫂とキスしたいぜ!」冬真がやけになったように言う。 「日夏、落ち着け。おまえだけがそう思っているわけではないのだから軽々しく口に出すな。」海棠が言う。 「それにしても問題はクリュニーといるときの櫂くんだな。普段は一人で過ごすことが多く学校が終わってからも他校の女生徒と出かけてばかりでまったく映画の美少年の片鱗も感じさせないが、クリュニーといるときだけはまるで映画の怜が蘇ったかのようにまぶしいくらい魅力的になる。」 海棠が遠い目をして言うと速水が顔をそむけてくすりと笑った。同室の海棠が毎晩映画のビデオを見てうっとりしてるのを知っているのだ。 速水がこほんと咳をして言った。「・・・ではカイちゃん奪還作戦といきますか。」 海棠と日夏が速水を見る。 「僕は最近催眠術を習い始めてね。桐生君に暗示をかけてみようと思うんだ。」 「暗示?」 「そう、彼に自分は映画の中で演じたような可憐で華奢な美少年だと思い込ませる。そうするととりあえずカイちゃんにアプローチする資格は皆に平等に行き渡る。」 日夏が目を輝かせた。「そ・・それはすごい。」 「本当にそんなことができるのかね?」海棠がいぶかしげに聞く。 「やってみる価値はあるでしょう。」速水がにやりと笑った。
それから5日後、金曜の夜櫂がこっそり寮に忍び込んでくるところを狙って催眠作戦が実行されることとなった。 寮の裏庭に向いたヴェランダのドアが門限を過ぎてから戻ってくる学生のために開かれていることは暗黙の了解である。櫂もデートの後いつもここから部屋に戻っていた。 そろそろ深夜12時になろうかという頃海棠、速水、日夏の3人は裏庭に植えてある生垣の影でじっとドアに目をこらしていた。 と、かさりと草を踏みしだく音がして黒い影が現れた。全体に黒っぽい服を着ているが明るい金髪が月の光に白く浮き上がって見える。・・・桐生櫂だ。 海棠と日夏が緊張に手を握り締めていると、速水がすっと生垣から出て櫂に近づいた。 突然現れた人影に櫂はどきりとしたように歩みを止めた。 「・・・桐生君。門限はとうに過ぎている時間だよ。」 「は・・・速水。なんでここにいるんだよ。」櫂がうろたえる。 「僕は今週の風紀当番でね。門限破りの取り締まりをしているんだ。」 「そんなこと・・・。なあ、おい俺あの映画で協力したじゃん、大目に見てくれよ。」櫂が頼み込む。 「そうだなあ・・・。でもまあ一応検査だけさせてもらおうか。」速水がポケットから銀のペンダントを出す。 「け・・検査ってなんだよ?」年上の女性と甘いときを過ごしてきたばかりの櫂はどきりとする。まだ彼女の香水が少し香っているが、それが何か処罰の対象になるのか・・・。 「アルコールでふらついていると精神の集中力がなくなるだろう?さあ、このペンダントをしっかり見てくれ。」目の前に銀色に光るペンダントをぶらさげて速水がゆっくり左右に振る。 (なんだ・・・酒のチェックか・・・。)櫂はほっとしてペンダントを見つめる。今夜は彼女とホテルでセックスはしたが酒は飲んでいない。 月明かりの中じっとペンダントの光を見詰めているうちになんだか頭が朦朧としてきた。速水の声が遠くに聞こえる。 「・・・きみは映画の中で可憐な美少年だった。・・・覚えているね?」 なんだか気だるい感覚で頷く。 「素直ですこしはにかみやのカイちゃん。それが君の本当の姿だ。今付き合っている人はいない。カッコいい上級生とつきあうことにちょっと興味がある。・・・そうだね?」 櫂は半分目を閉じてふらつきながら頷いた。 「きみはこれから上級生の中のひとりを選んで付き合う。いいね。」 そして速水は櫂の耳に口を近づけると何ごとか囁いた。 櫂は朦朧としながらも頷く。 ぱんと手を打つとはっとしたように我に返った。 「さ、櫂くん。これでいいよ。これからは門限を過ぎることなどないようにね。」速水が言うと櫂は戸惑ったように頬を赤らめた。 「は・・はい。すみません、速水さん。僕どうして今夜はこんなに遅くなっちゃったのか覚えていないんですけどこれからは気をつけます。」櫂がそう言うとヴェランダのドアを開けて部屋に戻っていった。 海棠と日夏が驚いたように目を見開いて草むらから顔を出した。 「お・・・おい、今のは・・・・。」 速水が満足げに微笑む。顔が少し赤い。「我らがカイちゃんだよ。」 「これっていつまで有効なんだ?」海棠が聞く。 「暗示が解けるサインが出るまでだけど・・・多分結構時間はかかると思うよ。」速水がにやりと笑う。
櫂が部屋に戻ると待っていたジュリアンに抱きすくめられてキスをされた。 いつもなら邪険に振り払うのだが、今夜の櫂はそのまま大人しくされるがままになっている。 深く情熱的なキスを終えて唇を離すと櫂は瞳を潤ませてぐったりとしている。 『ああ・・カイ・・・。今夜の君はなんてセクシーなんだ・・・。僕は我慢がきかなくなってしまうよ・・・。』ジュリアンが苦しげに抱きしめて言う。 我に返った櫂が力なくジュリアンの胸を押す。『嫌・・・。ジュール・・・こんなキスはしないで。』 ジュリアンは驚いてまじまじと櫂の顔を見る。『・・・・カイ?』 頬を染めて戸惑ったような櫂はひどく美しくジュリアンの欲望を煽る。・・・しかしいったいどうしてしまったのだ? 櫂は赤い顔を恥ずかしそうにそむけてジュリアンから逃れようとする。『僕・・・怖い。ジュールは僕を守ってくれるんでしょう?それならあまり僕に求めないで・・・。』櫂の華奢な身体が細かく震えている。 ジュリアンはあふれ出る愛情を抑えて櫂を優しく抱きしめた。 『ごめん・・・カイ。僕がいけなかったよ。さあ、君が眠るまで抱いていてあげるからベッドに行こう。』 櫂が緊張した面持ちに少し微笑を浮かべる。 ジュリアンは欲望に負けそうになる心をぐっと抑えて眠れない夜を過ごすのだった。
『おはよう、カイ・・・。』胸の中の櫂がみじろぎするとそう言って優しいキスを落とす。 櫂は美しい碧色の瞳を開くと照れたように頬を染めた。『おはよう、ジュール・・・。』 ジュリアンは身体が反応してしまい戸惑いながらも優しく櫂を抱きしめて愛撫してやる。 昨夜といい今朝といいこの櫂の従順さはなんだ・・・。 こんな櫂とずっと一緒にいて理性を保つ自信がない・・・。 『僕シャワーを浴びてくる。』櫂がベッドから出ようとするとジュリアンの腕が伸びて再び胸の中に抱き寄せた。戸惑う櫂の唇を今度はもっと深く味わう。 櫂はもがくが、いつもと違ってジュリアンには容易に押さえつけることができる。 『ん・・・ジュ・・・・。やめ・・・て・・・。』切れ切れに喘ぐ櫂の声がジュリアンの欲望に火をつける。 やっと唇を離したとき、潤んだ瞳に顔を真っ赤にした櫂がジュリアンの頬を平手で打った。 ぽろりと綺麗な涙が櫂のすべらかな頬を伝う。 ジュリアンは愛情に窒息しそうになりながら櫂を優しく抱きしめた。『・・・ごめんよ。カイ・・・。』 櫂の涙がジュリアンのシャツを濡らす。『・・・ジュール。怖いよ・・・。こんなキスはやめて。お願い・・・。』 やっとのことで櫂を放すと彼はそのまま浴室に入っていった。 ひとりベッドに残ったジュリアンは苦しげに櫂を思って自らを慰めた。どうにも今朝の櫂が魅力的過ぎて自分を抑えられない。このまま彼と一緒にいると力ずくで抱いてしまいそうだ・・・。いったい櫂はどうしてしまったのだろう。
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