思うんだ、今、こいつは何を思ってんだろう、とか。
俺のくだらない話なんかで、満足してるんだろうか、とか。
そんなわけないよな、…満足してるわけなんて……ない。
なんて、まるで女のようにくだらないことまで気にしてしまう俺はおかしいんだろうか。
「でさ、でさ、そこでヒョットコが言うんだよ!『俺様にそんな物、似合うはずがなかろう』って!」
しかも、俺ってばマイナーなアニメの話で、雰囲気を和らげようとしてんだから…。
こんなくだらない話をしてまで、俺は今目の前に居る友達を失いたくないのかと思うと、遣る瀬無い。
金本は、さっきから俺が熱狂的になって話しているアニメの話になんて、とんと興味がなさそうだ。
じっと黙り込んで、俺の話に耳を傾けてくれているけれど、内心は退屈しているに違いない。
本当は、俺だって金本を退屈させないような話をしたい。
してみたいけど、俺にはこんな話題しかない。
「その時の閻魔だいおーのポカンとした顔ったら…!あんなボケ顔なんてはじめて見たって感じでさぁ!」
金本は、どんな話題が好きなんだろう?
こんな、マニアックなアニメなんかよりも、きっともっとずっと金本に似合いの話題くらいあるはずなんだ。
ほら、思い出せよ。教室で、金本は笑ってたじゃないか。
あいつらと一緒になって、笑ってたじゃないか。
そんな笑ってくれるような話題を、思い出せよ。
でも、そんなことを考え始めた俺のテンポはみるみるうちに、落ちてしまった。
ふいに途切れてしまった俺の話題に、むなしいほど昼休みの騒がしさが後をおってくる。
わざわざ、金本を席からひっぱりだして、すごい話題があるんだよ、なんてベタな台詞で呼び止めておいたのに…。
俺は、さっきから何をしていたんだろう?
金本に、とっておきの話題があったことは確かなんだ。
でも、何でそれがこんなアニメの話になってしまったんだろう…。
こんなはずじゃない、俺はこんなことを喋って、金本を退屈させたいわけじゃない…。
本当は、本当は…。
言葉だけでこの場に繋ぎとめておくのは無理だった。
だから俺は、金本のシャツの裾を握った。
握ったというより、引っ張ったというほうが正しい。
駄々をこねる子供の仕草のようだと思うけれど、
こうでもしなければきっと金本は「それで終り?」と、しれっと言ってここから居なくなってしまうかもしれない。
……認めたくはないけれど、…せっかくできた友達を失くしたくないんだろう…。
「金本……、ごめん俺…」
こんなつまらない話をしてばっかですまない…、けれどその言葉は俺の口の中で思いとどまった。
気付いた女子が悲鳴をあげ、金本の友人たちが「嘘だろぉ?」とぶやきながらも慌てて彼に駆け寄ってきた。
俺は金本の顔を見上げたまま、どうすることもできなかった。
顔に飛び散ってきたぬるりとした液体に、俺はただ身体を震わせていた。
そうこうするうちに、意識を失った金本の身体が俺に向かって倒れてきた。
――――――――――――――――
ベットの上に運んだ金本の顔は、さっきとは違って、あんまり血の気がない。
本当にこのまま寝かせておいて大丈夫なのかと、保健医に訊ねたけれども彼は「いつものことだよ」、
さらりと答えて、それっきりだ。
一様、応急手当として金本の鼻の穴にはティッシュが詰め込まれているけど、
さっき取り替えたばかりのティッシュがまた血で染まり始めているのを見てぞうっとした。
鼻血って、こんなに大量に血が出るものなんだろうか…
俺はびくびくしながら、金本の鼻からティッシュを外した。
新しいティッシュを詰め込むとき、あらためて彼の整った顔を見て溜息をついた。
勉強もできて、スポーツもできて、女の子にモテるのはもちろん、人望だって厚い金本。
俺は、ただちょっとアニメの話に詳しいってだけで、彼の友達になっている。
こんな俺が、金本の友達なんかでいいんだろうか?俺といれば、退屈なことこの上ないだろう?
「俺なんかといるから……」
だから、こんなぽかぽかした気温の漂う、窓辺なんかにずっと立ち尽くすことになって、こんな…こんな大量の鼻血を出してしまって…。
じわりと涙が滲み始めたころ、金本がもぞりと身動きした。
俺ははっとして彼の表情を窺った。
気だるそうな表情で天井を見つめ、思い出したようにこちらに首を捻った金本に、俺は居たたまれない気持ちで一杯だった。
「…た…高や……、おおおお?!」
俯きかけた俺に反して、金本は素っ頓狂な大声を上げて勢いよく上体を起こした。
俺は肩をびくつかせて、恐る恐る金本の様子を窺った…けれど、金本は攻撃的な眼差しをこっちに向けていた。
俺は、眼をそらすこともできずに、動悸を速めた。
怒られる…のかも、しれない…、俺が……あんなくだらない話をしていて、こんなことになったのだから。
「…高山……その格好…」
「え…」
言われて、俺は体操服に着替えていたことを思い出した。
金本の鼻血は、俺の学ランだけでなく、カッターシャツにまで染み込んでしまったのだ。
…でもこれも、自業自得さ…。
「…た、たまらん…」
しかし、急に額をおさえ、微かに首を横に振り始めた金本を、俺はマヌケにもぽかんと眺めていた。
一体、金本は何を言わんとしているんだろう?…俺と一緒に居るのが、嫌なのかなぁ…。
嫌、なのかなぁ…。
それは、ぎくりと俺をすくませる思いだった。
でも俺の暗い思考は、ボタボタという仰天するような音にふっと途切れた。
俯いて顔を覆っている金本から、また血が垂れている…出ているのだ…。
俺は座っていた椅子から飛び上がってベットに乗りあがった。
「か、金本…!ま、また…ど、どうしよ…」
もう保健室には、先生の姿は見えなかった。何か用があるらしいと言っていたから、しばらくは帰ってこないのだろう。
俺は金本の手に自分の手を重ねながら、何か血を止めるものはないかと頭を廻らせた。
慌てている俺をよそに、金本はやけに落ち着いていた。
「こ、これは、い…いつもののの…こ、ことだ…」
そう絶え絶えに言いながら、俺の手をそっと引き剥がして、血だらけの顔でにっこりと微笑む。
それは普段の彼のクールな顔立ちを、より一層恐ろしいものに変えていた。
「で、ででででも…血、血が…止めなきゃ…!」
それなのに金本は引き剥がした俺の手をしっかりと握り、空いている手で俺の背中に手を回した。
…それは、腰だったかもしれない…。
とにかくそれはあまりにも唐突で、
あまりにもクールな彼に不釣り合いの行動だった。
俺は目を見開いたまま言葉を失った。
「だ、駄目だ…た、たたったたまらななな…!」
呂律の回らなくなった彼の言葉を解読しようとする俺の気持ちなんて無視して、金本は急に俺をベットの上へと押し倒した。
真剣なのか、切羽詰った表情なのか、
顔にこびりついた血や、今だ俺の顔に降りかかる血のせいでその表情は曖昧だった。
それでも、金本の熱い息遣いだけが、現実だった。
そして、金本もこの現実を確認するかのように、俺の頬や髪の毛に指を伸ばしてその感触を味わっていた。
俺が不安そうな眼を見せると、金本はゆっくりと顔を近づけてきてそっと耳元で……叫んだ。
「だ、だだっだ大丈び…さ…ぁぁ!ややっや優しゅうす、すすっすすすすっす…!」
か、金本…何言ってんのかわかんないよ?!わかんないよ金本ぉ!
俺の心の叫びはいきなり吸い付いてきた金本の唇によって止められた。
何がどうなってんだかわかんないままに、俺の顔や身体はみるみるうちに鼻血色に染まっていった…。
後日**
「高山くん……」
金本はうっとりとため息をついた。
見上げるはうっすらと夕焼け色に染まっている自室の天井……。
彼は、その切れ長の瞳をとじて物思いに耽った。
この、ベットに横たわり、物憂げなため息を零す彼を見れば、何か重大な人生の岐路に思い悩んでいるように見えるだろう……。
だが、彼の悩みはそんなものではない。
―彼の瞼の裏の映像には、怯えた瞳でこちらを見上げる高山くんの姿があった……
彼はその小さくて愛らしい身体に、夏の体操服を身につけており……惜しげもなく白く細い脚を零している。
それは、数時間前の……保健室での出来事……
金本が、高山くんに切なげな瞳で見上げられて、思わず鼻血を噴出してしまったおかげで、(……いやいやそのせいで)
彼は夏の体操服上下セットで自分を見舞ってくれたのだ。(それは金本の血を浴びたことが原因している)
今にも涙を零しそうな高山くんの大きな瞳に、金本はまた心臓が脈打つのを感じた。
「ごめんね……金本、俺のせいで……」
しゅんとうなだれる高山くんがかわいくて、愛しくて……
「ああ、高山くん!!」
金本は急に布団を抱きしめて、ベットの上をごろごろ転がり始めた。
顔も身体も真っ赤で、彼はいつになく興奮している。
こんな彼をクラスメートが見たら、今までの理想像を打ち砕かれてげんなりするだろう。
彼は仏頂面で、あまり物を言わないが、それでも実はクラスメイトに人気がある。
その理由を男女別に挙げるとすれば……
女子にしてみれば、王子様……いやいや皇帝のような(どんなだよ)美貌に人気がある。
すらりと脚も長く、身体も引き締まっており、肩幅も広く……加えて形の良い鼻とすっきりした顔立ち。
そのクールな容姿に、女子の方々はメロメロなのだそうだ。
男子にしてみれば、王様のような態度というか……自信に溢れた態度に人気がある。
悪いことは悪い、善いことは善い、物事をはっきり述べられるきびきびとした言動。
かと言って、弱い者を足蹴にするわけでもなく、黙って手を差し伸べてくれる。
そんな立派な態度に、男子の方々は尊敬しているそうだ。
まあ、実際……学校での金本はそうなのだが。
しかし、今情けなくぎゅうぎゅう布団を抱きしめて、
切なげに同じ男の名前を連呼する姿は……異様だろう。
……体操服姿の高山くんを見て、思わず金本は鼻血をまたもや噴出したのだが、
……彼が慌ててベットに上がってきたのが、いけなかった。
鼻を抑える金本の手に、そっと手を添えて、懸命に血を止めようと頑張ってくれる高山くんに、とうとう、金本の理性が切れた。
迷うことなく高山くんをその場に押し倒し、よく状況を飲みこめていない高山くんの唇を奪ってしまった。
ああ、しかし……それはなんて柔らかかっただろう……。
いつもは見つめるだけの、あの桜色のふんわりした唇が、自分のあさましい唇の下で震えることになったのだ。
しかし、楽しい夢はそれまでだった。
「ハルカ!大丈夫かぁ!!」
その時、保健室の扉が勢いよく開き、どたどたと騒がしく人が入ってきたのだ。
「き、貴様ぁ、ハルカに何をぉぉ!!」
それは度々、金本も見かけたことのある高山くんのお兄さんだったのだ。
彼は登下校を高山くんと共にするくらい、なかなか弟思いの兄貴だったわけで……。
金本が鼻血を垂らしながら、夢中で高山くんの唇を吸っているところを目撃して、
「失敬した」と姿を消してくれるわけがない!気弱な高山くんとは正反対の強暴なお兄さんは、
金本を無残にも高山くんから引き剥がし、二、三度蹴りを入れてから高山くんを大事そうに抱えて保健室を飛び出して行ってしまったのだ。
そうして、そのまま高山くんの幻影に手を伸ばしたまま、金本はコトリと力を失って……今に至る。
金本を運んでくれたのは姉貴らしいが、そんなことはどうでもいい。
今一度、あの愛らしい唇に……まだ触れたことのない高山くんの象牙のような美しい肌に……触れたい……
「高山くん……」
彼は高山くんに夢中で、今日自分が一体何をしでかしたのか、深く考えることはなかった。
――――――――――――
一方、あの金本に襲われかけた高山くんはぼんやりと、ベットの端に腰掛けていた。
「一体誰なんだ……、俺のハルカに手を出すなんて……!」
まったく、けしからん!と、頭を掻き毟っている実の兄など、高山くんの眼中には無い。
今自分が何処にいて、何をしているのか、そんなことなど関係無いのだ。
ただ、今日の金本の様子を思い浮かべては、眉をひそめるばかりだった。
……金本は、何であんなことをしたのだろう??
「しかし……まあ、あいつが未遂に終わったのも、俺様のおかげだな、うん」
どすんと高山くんの隣に腰を下ろし、ははんと高を括ってみせるバカの頭に、兄はゴツンと拳をいれた。
高山くんは気付いていないらしいが、この部屋には実のお兄さんと、もう一人居候の男が入っていたのだった。
まあ、考え事をしている高山くんには兄だろうが居候だろうが、関係は無い。
誰だって、同じだ。
「いってぇなぁ……大体ハルキが俺に面倒をみろって頼んできたんじゃないかぁ」
「ああ、頼んださ。だが、こういうことになるのを事前に食い止めるのがお前の仕事だろう?」
兄はギロリと、長い脚を投げ出している居候を睨み付けた。
「そんなことを言われたって、……俺は別に四六時中ハルカを監視できるわけじゃないんだし……」
「俺はそれを頼んだはずだ」
居候は、自分より小柄な高山くんの兄を忌々しげに睨み返した。
兄は、こっそり弟のほうに目を向けて、胸を痛めた。
大まかな言葉でしか説明されていないため、彼の想像は現実よりグロテスクになっているようだ。
かわいい弟の貞操が奪われたのだ、彼だってほろりと涙くらい零す。
そんな高山くんの兄の突然の涙に、居候はどぎまぎして視線を逸らした。
その中で、高山くんは……明日どんな顔をして金本に会おうかとぼんやり考えていた。
――――――――――――――――
翌日、金本に訪れたのはクラスメイトの心配の言葉だった。
その言葉は学校に着いた途端から始まって、午前中の授業が終わろうとしても付き纏ってきた。
金本としては、朝早くから高山くんを一目見たかったのだが、次々と押し寄せる心配の嵐に、
高山くんを見失ってしまった。
――高山くん……
彼はきゅんっ、と胸を高鳴らせた。
昼食を食べようかな、と腰を上げた金本の側にこっそり高山くんが寄ってきていた。
手にはお弁当を抱えて、潤んだ瞳で金本を見上げる。
毎日のように繰り返してきた、一緒に弁当を食べるという習慣を失いたくないというのは、
どうやら金本だけではなかったようだ。
「金本……昨日……」
金本が隣の奴からありがたく席を頂戴していると、高山くんが消え入りそうな声で問い掛けてきた。
「どうして……あんなこと、したの?」
「あんなこと?」
金本は目を瞬かせて、しばらくぼんやりと高山くんを見つめていた。
高山くんは、ストレートなその質問に自分自身恥ずかしくなってきたのか、顔を真っ赤にして首を振った。
「い、いいよ……もう……あの、一緒に……」
「うん、食べよう……」
金本はまだ何をしでかしたのか理解していないようだったが、にこやかな笑みを見せて高山くんに席を与えた。
そうして一つの机を囲んで静かに昼食を口にする二人を、クラスメイトは遠巻きに見て、嘆息を零した。
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