街路樹を過ぎると、雑貨や甘いお菓子、玩具みたいなアクセサリーが立ち並ぶストリートがある。人々の笑顔と、笑い声。雑誌でも紹介されるほど、人気のある場所だ。 しかし、光が有る場所に影があるように、そのファンタジックな通りの裏側には、闇がある。
その店は、人通りの少ない裏道に、ひっそりとある。濃いあめ色の木でできた、ペンションのような可愛らしい造り。看板は無かった。ただ、同じあめ色のドアに黒いペンキで書きなぐられている文字は、《イン・ザ・ダーク》
ドアを開けば、警告のようにベルが鳴る。オレンジの間接照明しか光無き店内は、薄暗い。否、僅かな光が、かえって闇を強調していた。イン・ザ・ダーク。全く、文字通りの場所である。 迷う事無くカウンターに腰掛け、さほど広くない店内を見渡すが、他に客は居ないようだった。
無愛想なただ一人のバーテンダーは、30代半ば程度。名を、ウェンと言う。滲み出るその力強いエナジィは、彼のけして安らかとは言えない人生を物語っているようである。 ウェンのこの場に似つかわしく無いスキン・ヘッドには黒い龍が住んでおり、その赤い瞳は威嚇するようにこちらを睨みつける。
「“ what are the probabilities ? ”」
そう言うと、ウェンは『少々お待ちください』と硬い声で言い、店の奥の、より深い闇へ消えて行く。 それから、少々所か、きっかり一時間後。もういい加減帰ろうかと思い始めていた頃。
「こちらへ」
そうしてやっと、闇へ招かれた。
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「それで、見つかったの?」
僕がそう言うと、ヴァルカンは肩眉を上げた。繊細で、高そうな作りのティー・カップをゆっくりとテーブルへ置き、片手で顎を支えながら僕を見据える、その瞳はスカイ・ブルー。
あぁ、欲しい。
片目だけでも譲ってくれ、といくら金を積んでも、甘い言葉で囁いても、ヴァルカンはまともに話を聞いてくれず、一向に首を縦にふらないのだ。 ビジネスでの付き合いなら歓迎してくれるらしく、僕は頻繁にここへ通っては、彼に仕事を依頼している。全く、自分でもあきれるほど健気じゃないか。
「該当する宝石は、一つある。名は、“パッション・ブルー”」
「へぇ、素敵な名前だね」
受難の青。 ヴァルカンの調査によると、神が十字架に貼り付けられた時、人々を哀れんで流した一粒の涙が、その宝石だと言う。御伽噺のようだ。僕は、そういう御伽噺が大好きだけど。
「全く…もうこんな曖昧な依頼は勘弁してくれ」
ヴァルカンの薄い唇から、ため息がもれる。 僕は手を伸ばして、その皇かな頬に触れる。ヴァルカンは、抵抗しなかった。
「曖昧かな?“美しい青い宝石を捜してくれ”っていうのは」
顔を近づけて、たくさんのシルバー・ピアスが揺れる薄い耳元で囁く。
「解っているのかな?君に出会ってから、僕はその瞳に似た宝石ばかり集めているんだよ?」
罪な人だね。僕をこんなに狂わせるなんて。 頬を撫でていた手で、そのプラチナの睫毛にふれる。ヴァルカンはくすぐったいのか、瞳を閉じてしまった。唇が触れそうなほど、顔を寄せる。閉じられた薄い瞼。この向こうにある、至上の青。 「閉じないで、もっと良く見せて」と言うと、ヴァルカンはゆっくりと瞳を開いた。真っ直ぐに僕を射抜く眼光。
「そんなに、俺の、この瞳が欲しいのか」
「もちろん」
「瞳だけで良いのか?」
「え?」
「俺自身は、いらないのか?」
ヴァルカンが、その赤い舌で己の唇を湿らせた。 頭に血が上る。心臓が脈打つ。視界が、陽炎のように揺れる。
気がつけば、僕はその唇に、貪るようなキスしていた。
「―――んッ…ぅ…」
漏れる吐息さえ、奪う。角度を変えて、何度も、何度も。舌先を絡ませて、唾液をすすり上げた。ヴァルカンは僕にされるがままになっている。その瞳は閉じられていたけど、そんな事はもう、どうでも良かった。
僕は、いつの間にか、その瞳ではなく、彼自身を欲していたのだ。
僕を見て欲しい。 ずっと見ていたい。 僕だけの物にしたい。 君の物になりたい。
ねぇ、僕の願いは叶うんだよね? このキスが、儀式。 永遠の愛を今、君に。
「―――はッ」
僕らが交じり合った銀糸が、互いの唇をつないでいる。どうしようも無く欲情して、そのままヴァルカンをソファに押し倒をそうとした時。 ヴァルカンが、両手で僕の頬を優しく包む。
「俺に、君は、必要無い」
耳に心地よく響く声で、僕を残酷に突き落とした。
■
「何一人で笑っとるんや、気色悪ぃ」
食卓に朝食を並べながら、ウェンはため息をついた。リビングで一人今朝の新聞を読むヴァルカンの肩は、小刻みに揺れており、今にも大声で笑い出しそうである。
背後からその新聞を覗き込むと、そこには、≪宝石ブローカー、自殺≫の記事。 コレクションの宝石に埋もれ首を吊っていた、と書かれている。自殺するような動機も見つからず、周囲の物も首を傾げているらしい。
「なんやお前、また壊したんか」
ウェンは呆れた、と言うように首をふると、それきりその記事には興味を失い、キッチンへと戻っていった。
壊す。壊れて行く。それ以上の快感が、他にあるだろうか。
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