「ロイズの生チョコが食べたいなあ。」 しらじらしく宗二が言う。俺は無視する。 「あ、伊勢丹のバレンタインフェアに出てたなあ。」 そして無視を決め込む俺に、とどめの一撃。 「バレンタインに千夏ちゃんが眞とデートこぎつけたって自慢してるの、聞いちゃった。」 まあ俺も言えた義理じゃないけどね、とテレビの音量を上げた俺の耳元で馬鹿にしたように笑う。ガキくさくてちゃんちゃらおかしい、と言ってるように聞こえるのは被害妄想か。だいたいなんで俺があせるんだ、宗二が余裕たっぷりなんだ。先に浮気の真似事をはじめたのはそっちだというのに、理解が及ばない。喉まで出掛かっている弁解や、逆ギレはきっと俺を更にみじめにする。 「ま、いいんだけど。」 見つめていた視線をふいと逸らされる、この瞬間が一番悲しい。まるで死刑宣告。 「んじゃ、俺帰るねー。」 オリンピック見るし、と言って立ち上がりながら灰皿に煙草を押し付ける。フィルターの中心の茶色いにじみが俺のものより濃い。同じものを吸っているのに。 空しさ、苛立ち。一緒にいたって、楽しい時間なんかほんのちょっと。 宗二が玄関まで行って、引き返してきて俺にキスをした。かがんで、左手を俺の右頬に当てて。 「じゃあ、よいバレンタインを。」
十四日、俺はロイズの生チョコとやらをバイト帰りに買って、おざなりに女とのデートに付き合ってからから宗二のアパートに向かった。もともとただのあてつけだ。一分一秒でも早く切り上げたかったが、色んな場所に連れまわされて気付けばこんなに遅くなっていた。 百メートルほど先のアパート。一階に住む宗二の部屋の窓にはカーテンから漏れる光。まだ起きている、という安心よりも、誰かといるのだろうか、という不安の方が大きい。 玄関に着いて、ノックする。呼び鈴はあるが、あえてノック。俺だとすぐわかるように。ノックしてからしばらくして、宗二がドアをあけた。灰色のスウェットで、肩にタオルをかけて。髪は濡れていた。どうやら風呂上りのようだ。 「何か用、」 表情は読み取れない。 「抱きたいんだけど」 半ば反射的に口から言葉が出た。 「いやそれはちょっと。」 俺はぶっきらぼうに言う宗二を見つめながら後ろ手にドアを閉めた。 「なんで」 「私今日はアノ日なの」 …そうきたか。ってそうじゃないだろう。 「俺のこと、嫌い?」 「いやそういうわけじゃ…」 話にならない。俺は靴を脱ぎ捨てて彼に歩み寄り、キスをする。唇を離すときに、視界の隅に入った鎖骨のくぼみに情事の痕を見つけ、ふとどうしようもない切なさにおそわれる。 「だれかと、したの」 バレンタインなのに。と言いかけて止める。バレンタインなんかどうだってよくて。でも口実が欲しい弱い自分。 「うん」 あっさり認めた彼の顔を見ていたくなくて、俺は彼をきつく抱きしめる。 「なんで」 「なんでって、さみしいじゃないですか。」 乾いた笑い声が聞こえる。 「誰と」 「眞の知らない人だよ」 しらないひと。詮索する権限すら与えられないのか。情けなくて、左胸が痛む。 「どうしてそんなに余裕なの、浮気見つかって、認めて、嫌われるんじゃないかとか、不安じゃないの」 「眞は、不安なの?」 宗二がぼそりと、そう呟いた。さも意外そうに。実際意外なんだろうけど。俺の口は驚きのあまり勝手に言葉を紡ぐ。 「不安だよ。嫌われたら、愛想尽かされたら、離れていったらどうしようって。」 よかった、と言う声が聞こえた、続いて、でも、と。 「でも、やっぱり負けだなあ。」 悲しそうに、 「俺は、自分がそれほど執着されてないって知ってるから不安じゃないんだよ。」 と。浮気したぐらいで眞の心は動かせないんだよ、と。ほんとうにさみしそうに、自嘲的に言った。 「言うな」 きつく、きつく抱きしめる。そうしないと、離れて行ってしまうような気がして。きっと声は震えているだろう。みっともないな、とか。思うけれども構ってられない。宗二にこんなこと言わせてる自分が腹立たしくて。何もかもが稚拙でうまくいかない俺たちがもどかしくて。でもこれ以上、宗二の口からそんな悲しい言葉を吐かせたくなかった。 「ごめん、ごめんな。そんなこと絶対ないから。お願いだからそんな悲しいこと言わないで。」 必死で言う俺の肩の上で、なぜか宗二があきらめたように笑う。 泣かれるより痛い。いつからだろう、こいつが泣かなくなったのは。 こんな時、言葉は何の意味も持たないことを俺は知っている。何を言ってもその場しのぎの嘘にしか聞こえないんだろう。
なあ宗二、何て言ったらお前の心に届くのかな。
当面は、こいつを寂しくさせないように。それだけ、ただ、それだけ。
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