更衣室の窓の外は既に真っ暗だった。 壁を這うパイプ管のひとつに頭上で組んだ両手を縛り付けられた少年が一人、床に座り込んでいる。 苦しげに眉を寄せる表情もどこか艶かしく、前を開かれた学ランとカッターシャツの合間で、付いた筋肉も少年らしい上下する薄い胸。容貌の精悍なパーツが幼さと相まって不安定な魅力を醸し出している、若様系少年の唇が切なそうに名を紡ぐ。 「多輝、たき……も、もう……。」 俯かせた顔の中、伏せた目の存外長い睫毛が震えている。 そんな少年の声に応えるかのように、シャワー室へと続く扉が開いた。 愉しくて堪らないという表情を湛えた少年、いや肉体だけでいったら既に青年と呼ぶのが相応しいかもしれない、が座り込んだ少年の前へと進んで可笑しそうに見下ろす。よく鍛えられた肢体を腰にタオル一枚の格好で晒して、多輝は濡れた長めの髪を後へと手で梳く。その甘味の強い、彫りの深い容貌と引き締まった長身痩躯の持主は、周辺の高校のみならず近所の奥様にまで熱狂的な信奉者がいると専らの評判であった。 「罰だよ、たけを。約束を破ったのだから、当然だろう?」 縛られた少年、たけをの顎を大きな手で掴んで上向かせる。 ―――――――――――――。
「だぁって、約束破ったたけをが悪いんだぜ。部員一同、応援団々長殿直々の応援心待ちにしてたのにさぁ。」 「るせぇよ、あれのどこを応援しろって言うんだよ。」 顎を捕えられたまま、半眼で多輝の言い分を一蹴するたけを。約束を破ったことは悪いと思った、しかしどう考えてもカードゲームの試合に団を率いて行く理由がない、と判断した結果だった。個人でと思ったものの、ルールも知らないゲームをどう応援すれば良いのか徹夜で悩み切った末、朝方力尽きたたけをは約束の時間を大幅に寝過ごしてしまったのである。 「あの場に居るだけでいいのよ、居るだけで。たけをが来なかった所為で、ボロ負けだったんだぞ。」 負けを人の所為にするな、と横を向いて多輝の手から顔を離したたけをだったが、少々勢いが削げた様子で尋ねる。 「多輝も負けたのか?」 校内で萬請負人と名高い目の前の幼馴染の、滅多にない負け姿を見損ねたと、たけをは本気で残念に思ったりしたのだ。 そんなたけをの気持ちを知ってか、その場にしゃがみ込みながら多輝は苦笑いした。 「いや、勝った。危なかったけどな。」 「なんだ…………。なぁ、多輝。」 「何?」 「いい加減外せよ、これ!」 縛ったままであることを忘れている多輝に、焦れたようにたけをは足をばたつかせた。 「あ~悪い、悪い……。折角だ、コレ、記念写真撮っておくか?」 謝りながらも多輝は、意地悪く笑って指先でたけをの腹をなぞる。 「ひあっ?!…ば、ば、馬鹿ヤロウッ、触んなボケ!!」 腹部の悪戯描きをなぞられると、たけをはもう我慢ならんとばかりに上げたままの手首を揺さぶった。 「もったいないなぁ……。」 思案顔で多輝が覗き込む臍を中心に寄書きの如く描かれたそれも、流石に臍より下の際どい部分にはない。つぅ―っと爪先で臍の縁を通り、ベルト際で止まった多輝の指に思わずたけをの動きが止まる。 「…………………。」 「……、多輝?」 そのまま黙ってしまった多輝に、どうした?と首を傾げるたけをだった。 「俺さ、まだ描いてないなって。」 いつものようにからかうようでもなく淡々とした多輝が、たけをのベルトを外す金属音がやけに室内に響いた。 視線を合わせないで手を動かす多輝と息を呑むたけをの間が、妙な空気を孕む。 「たたたたた、たっ多輝!」 「……何だよ。」 たけをがやっとのことで上擦った声をあげた頃には、既にジッパーは下がっており下着が覗いていた。 「何処に描くつもりだよっ、お前は~?!」 「………たけをの、恥かしいとこ。」 膝を着いて、たけをの腿の横に片手を置いた多輝は覆い被さるように耳元で囁いた。 耳にかかる吐息に含まれる常には無い熱と、トランクスの縁にかかった不埒な指がたけの不安を限界いっぱいまで押し上げた。 「だぁ~っ?!恥かしいとこなら他にあんだろぉがっ。描きてぇなら、額に肉印でも米印でも描きやがれ!それに馬鹿か多輝、風邪引くだろうが、とっとと服着ろ。ってか、その前にこれを解いてくれ~!!」 怒鳴ってるのか半泣きで哀願しているのか判らないたけをは、手首が傷付く痛みを忘れて、縛り付けられたパイプが軋むほどの勢いで暴れた。 「…………。」 たけをの必死の訴えも、熱に浮かされたような多輝には通じなかったらしい。ばたつくたけをの脚を膝で押え、指をそろそろと引き下ろしながら首筋に顔を埋めようとする。 呆けた幼馴染に、ぶちっとたけをの内で切れた音がする。その所為か自分の内に、煮え滾るような心情とは別に冴々とした思考を認め、そして深く息を吸込んで、吼えた。 「正気に返れ、大馬鹿者っ!!」 校内一の音量を誇るたけをの声は窓硝子をびりびりと震わせ、多輝の鼓膜に突き刺さった。 合掌。
正気に返ったものの、暫らく耳鳴りで動けなかった多輝を追立てるようにたけをは手首の縄を外させた。 その後ふらふらとしながらも身支度を整えた多輝は、背を向けたまま着衣の乱れを直すたけをに早々に頭を下げる。 「ごめん。」 無視される、 多輝。 「ごめんなさい。」 たけをは黙って鞄を掴み、振り向くと多輝の横を擦り抜ける様に出口へ向かう。 「たけを、ごめんなさい。もう二度としません。れ、たけを待った。」 スポーツバックを慌てて肩に掛けた多輝は、守る自信も、つもりもない約束しながら拝まんばかりで頭を下げ、たけをの後を追った。その時視界に入った、たけをの血の滲んだ手首。反射的に手を掴んで振り向かせ、手首に唇を寄せて舐める。 「ごめんな、本当……たけを?」 わなわなと震えるたけをと手を絡めたまま、俯くその顔を見ようと屈みこむ。 「え?聴こえない。」 聴き取れないほど小さく、途切れ途切れのたけをの言葉にもう一度多輝は耳を傾ける。 「約束できねぇこと、ほざくんじゃねぇ!!」 真っ赤な顔で本日二度目の咆哮をあげたたけをは、今度こそその場に崩れ落ちた多輝を置いて更衣室を後にした。 遠くなる意識の中で多輝が見た気がする、真っ赤な顔で手首に唇寄せるたけをの姿は、妄想かもしれないし真実かもしれない。 真偽の判定は、また別の話。
|