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 (再会 攻め×攻め 同級生 ライバル/--)
ライバル


「嘘だろ~、おい~」

どんな時でも沈着冷静、社内ではクールが売りのこの俺が、思わず、声を荒げてそう叫ばずには居られない、とんでもない出来事が、ここ一月の間、立て続けに数件起こっている。人生、上り坂の時は、とことん上り坂であるが、その坂を転げ落ちる時のスピードは、長い下準備を積んで、その坂を上りきった時の比じゃない・・・まさに、大きな雪球を転がす速さで・・・人間、こんなにもあっけなく崩れ去れるものなのかと、我が事ながら、その転落ぶりに舌を巻かずにはいられない。

 大学時代、ロスに2年間ほど語学留学をしていたこの俺が、その得意の英語力を生かして、国内有数の大手食品貿易会社である茅島(かやしま)商事に就職して3年、鬼のように恐ろしく怖い先輩社員達にビシバシ扱かれつつ覚えた仕事が、最近になって、ようやく一人でも任されるようになって・・・自分の足で、実際、その街を歩き、地道にも少しずつテレトリーを広げていく営業というこの仕事の面白さが、やっと分かりかけてきたばかりだというのに・・・

「・・・狙われているのは、全てあんたが単独で担当している店ばかりだね――乾物卸売りの鈴木商店に車坂寿司店、割烹信乃屋、南青山にあるフランス料理屋ヴィクトール・・・それに、代官山のイタリアンレストランもそう――」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 薄いピンクのマニキュアが塗られた細い指先で、机上に鎮座するデスクトップパソコンのキーを軽やかに叩きながら、俺に小言を垂れているその人は、女性でありながらも、会社の顔として常に営業の最前線で働く我が営業第一課を束ねる長である。婚期どころか、出産適齢期もとうに逃して、ただひたすら、この仕事だけに自分の情熱を傾けてきたその女課長が、元々渋い顔を更に顰めながら俺に云った。

「――児島(こじま)くん、あんた、どこぞの営業先で大ヘマでもやらかしてくれた?」

「まさかっ」

じゃあ、なんで、今になって、あんたの担当先だけが全部取引中止を申し出てくるのよ?」

「それは・・・」

 それは、この俺が一番知りたい・・・自慢じゃないが、俺は、これでも取引先の会社のお偉いさん方の受けは良い方だし・・・数多居る我が社の営業社員達の中でも評判の良い部類に入っていると思う。

「・・・まあ、私もね、あんたに限って、それは絶対にないと思ってはいるけど・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 どこぞの一軒でヘマをやらかす事があったとしても、自分が今現在お世話になっている取引先数軒全てにおいて、大チョンボをやらかすなんて事はまずない。あるいは、自分では全く気付かずやってしまったそのヘマに誇大な尾ヒレが付いて、自分の全く認知しないところで密かに他の取引先に知れ渡ってしまっているとか・・・

(まさかね・・・)

 実際、自分のライバルとなる他社を蹴落とす為なら、どんなえぐい事でも平気でやる掟破りの輩も、この世界には掃いて捨てるほど居る。正義だとか、理想だとか、ここではそんな綺麗事など、一切云ってはいられない。少しでも甘い顔を見せれば、たちまち自分が食い物にされてしまう。そんな熾烈な競争社会の中で生き抜く為の知恵を、俺だって、それなりの修羅場を掻い潜って、学んできたつもりでいたのに・・・

「・・・となると、原因は全てあんたの取引先側にあるのか・・・」

 俺の方に思い当たる原因がない以上、そう考えるのが妥当だとは思うが、けれども・・・実際、そんな事って本当にあるのだろうか・・・?自分が世話になっている店が揃いも揃って、同じタイミングで当社に契約のキャンセルを申し出てくるなんて・・・悪いタイミングがそんなに重なってしまう事って本当にあるのだろうか・・・?

「私もねぇ、この課を任されるようになって、もう数年になるけど、こんな最悪のケースは初めてよ――ウチの会社全体を標的として妨害を掛けてくるのはよくある事なんだけれども、でも、これ、どう見てもあんた個人を狙ってやっている事としか捉えようがないよね?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 強引な客引きで、同じ商品を扱う別会社の営業社員の不興を買ってしまったとか・・・その腹いせに、俺個人に関する悪評を業界に流されてしまったとか・・・強引な客引きという点で云えば、俺も自分の身に全く身に覚えがない事だと、胸を張ってそう突っぱねる事は出来ないから、今のところ、その辺りが今回の騒動の原因として一番濃厚な線か・・・

「とにかく、一刻も早くその原因を突き止める必要があるわね・・・」

 課長の額に刻み込まれた皺がますます深くなる。彼女の云うとおり――被害がこれ以上広がらない為にも、迅速にその原因追求に乗り出すべきである。

「それじゃ、俺、早速、今から、それらの店に出向いてきます」

「一人で大丈夫?」

「全て俺が自分で開拓した取引先ですから――話は俺一人でつけてきます。俺だって、自分の尻ぐらい一人で拭けますから」

 一体、この俺のどこが悪くてこうなってしまったのか・・・それが分からぬ限り、このまま泣き寝入りも出来やしない。どこの誰だかは知らないが、人がせっかく苦労して見つけた河岸を勝手に荒らしやがって・・・相手側から話を聞きだして、正体を暴いたら、ただじゃおかない・・・こう見えたって、俺も、一応、立派な男の端くれだ・・・このままずっとやられっぱなしという訳にもいくまい・・・味あわされた屈辱はきっちり倍にして返させてもらう――

「それじゃ、よろしく頼むわよ。あんた一人で出来るところまでがんばってみなさい」

 デスクワークばかりで、眼精疲労が相当溜まっているのか・・・閉じた瞼の上を指先で仕切りと揉み解しながら、課長は気だるげに俺を送り出した。




               ■■■




 今回のこの騒動の犯人――俺の営業をことごとく妨害していた男と、事情徴収の為、早速訪れた一軒目の店で、俺は直接出会ってしまう事になる。

 そこは雑誌の特集ページなどで何度も紹介されている五つ星の高級フランス料理店で、その厨房にウチの社が扱っている食材を仕入れてもらう為に、俺はこの場所に何度足繁く通ったか知れない。そんな自分の努力が実って、ようやく勝ち取った市場でもあったのに・・・

「児島さん!?」

 店の入り口で給仕らしき店員が止めるのも聞かず、強引にその中に入って行く。一度ランチタイムを切り上げた後、次の営業は午後五時以降となっている店は、只今その準備作業の真っ最中で、数名のスタッフ達が広いホール内を所狭しと駆け回っていた。

「店長は?」

 と、俺がそのスタッフ達に問いただすまでもない。お目当てのその人は、店の一番奥に設置されているバーカウンターのスツールに腰かけて、スーツ姿の男と何やら楽しく談笑している。俺がそこに辿り着くよりも早く、俺の来訪を告げに小走りに店主の元に走ったスタッフによって、その相手にそれが先に知らされてしまう。スタッフに耳打ちされたその事実を確かめるべく振り向いた店長の視線と、そこに近付きつつあった俺の視線とがばっちり合ってしまって・・・

「こ、児島さんっ」

 俺の顔を見た瞬間、バツが悪そうにそう叫んだ店長の顔を見て、俺は確信した。やっぱり、これは俺自身の落ち度なんかではない。誰かが、この俺を陥れようとして、故意にこんな企みを企てたに違いない。

「店長っ、一体、これはどう云う事なんですかっ」

「いや・・・だからね・・・これは・・・」

 その理由を俺に告げるようとして口籠る店長に、その脇に座る意外な人物が助け舟を出してきた。

「その理由は、俺から説明させてもらいましょう」

「!?」

 店長の横に座って居た男が、そう云って、いきなり俺達の会話に割り込んでくる。その瞬間、反射的にその男の顔をまじまじと見つめてしまったのは、その男の声に聞き覚えがあったからで・・・

(・・・まさか――)

 あれからもう7年以上の年月は経過している。同じ高校を卒業してから以降、俺は一度もこの男に会ってはいない。高校時代、それも入学した年に一度だけ同じクラスメートとなったその男の事を、あれから8年近く経った今でも俺が覚えていたのにはちゃんとした理由があって・・・

「・・・あ、雨宮(あまみや)か・・・?」

 恐る恐るそう問いかける俺の言葉に、男はゆっくりと頷く。

「何だ、俺の事、ちゃんと覚えていてくれたんだ――久しぶりだな、児島――高校を卒業して以来だから、7年ぶり・・・?それとも、もう8年ぶりぐらいにはなるのかな?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 同じ高校を卒業しているのだから、同窓会で会う機会ぐらいは今まであったかもしれない。だが、俺もこいつも、高校を卒業した後はすぐに海外の大学に留学制度がある大学に進学して日本を離れていた。帰国してから後、催された同窓会に、俺は数回足を運んだ事があったが、結局こいつは一度も来ずじまいで・・・お互いの消息を確かめ合うほど親しい間柄でもなかったから、奴の事は人の口の端に上る噂でしか知らなかったけれども・・・確か、奴は大学が決めた留学期間が過ぎても、そのまま日本に帰ってこなかったんじゃなかったっけ・・・?留学先のアメリカの水が余程自分の肌に合っていたのか・・・奴が通っていた日本の大学と提携関係にあった現地の大学を卒業後、そのまま向こうの企業に就職したと聞かされている・・・今頃は、金髪の色白姉ちゃんと向こうで結婚でもして、ニューヨークの郊外に大きな庭付き一戸建てを建てて、そこで犬でも飼って優雅な新婚生活でも送っているのではないかと、人知れず勝手にそんな想像をしていたのであるが・・・

 そっと盗み見た奴の薬指にその痕跡はまだない・・・という事は、俺同様、奴も結婚はまだと云う事か・・・て、云うか、俺、この修羅場の最中に何くだらない事を確かめてしまっているんだか・・・

「こ、児島さん、この人はね、今度ウチがお世話になる事になった佐伯(さえき)物産の雨宮さん」

「!?」

「佐伯物産の雨宮です――『佐伯物産の』と云えば、語弊があるかもしれませんが、海外からの出向組で、2年の任期でこちらを任されています」

 そう云いながら奴は2枚の名刺を俺の目の前に差し出す。一枚目は佐伯物産営業、雨宮と書かれた名刺、そして、もう一枚は企業名も本人の名前も横文字で書かれた向こうの企業の名刺――おそらく、こちらの方が奴の本職で・・・

「雨宮さんはね、かの有名なアメリカのK2コンサルティングで経営コンサルタントをなさっている方で、今回仕事の依頼を受けた佐伯物産の内部査察の為、日本を訪れていらっしゃっていて・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そんな男がどうして依頼先の企業で営業なんかやっているのか・・・会社の抜本的改革を目指す為、会社側のスパイとして、そのような目的を持つ人間を一社員として一般社員の中に紛らわせておく企業があると、俺も聞いた事はあるが、大概そのような社員は籍だけその社内において、内実、全く別の仕事をするのが当たり前であって・・・なのに、こいつは・・・

 険悪な目で雨宮の顔をじっと睨みつけたまま、そのまま一言も言葉を発せずにいた俺に対して、先程から、店長は、申し訳ないほど何度も頭を下げてくる。

「ごめんね、児島さん――児島さんとことの契約を一方的に勝手に切らせてもらったのは本当に悪かったと思っている・・・でもね、ウチも商売だから・・・少しでも食材の原価を安く抑えて、それだけ利益率を上げたいとも思う・・・児島さんが提示してくれた条件もね、悪くはなかったんだけど、こちらはそれ以上の誠意をウチに見せてくださって・・・」

「こんなご時勢ですからね、無駄な出費は少しでも省いて儲けたいと思うのは、商売人として当然の心理ですよ。また、そのニーズに応えて、一円でも安く良いものを提供するというのが、このような場所に出入りさせてもらっている営業職の仕事だと俺はそう思っていますから」

 それは、その営業職を自分の本職にしている俺に対する嫌味のつもりか・・・?片手間にその仕事をしている奴にいちいちそんな事を云われなくたって、そんな基本的な事はこの俺自身が一番よく分かっている。

「そう云う訳でね――店長をあんまり責めないであげて」

「!?」

 さり気なく肩に置かれた奴の手を乱暴に振りほどく。佐伯物産というのは、ウチと同様、国内の多数の飲食店に膨大な量の食材を卸売りしているウチのライバル企業で・・・おそらく・・・これと同じ手口で、奴は俺の得意先を次々と篭絡していったのだろう・・・良質の食材を少しでも安い値段で卸してくれれば、それに店の経営主はすぐに飛びつく・・・一介の営業でしかないこの俺がいくら頑張ってみたところで、値段の安さに適うものはなく・・・一度取り逃がした顧客を再び自分の元に取り戻したいと思えば、それを下回る値段で食材を調達する手立てを自分も考えなければならない訳で・・・そんなの、今すぐ俺自身が現地に飛んで、そこのバイヤーと直接交渉するところから始めなければならない。

「・・・分かりました・・・」

 とりあえず、今日のところはこのまま素直に引き下がるしかあるまい。ここで俺がグチャグチャごててみたところで、今のこの現状を打破する具体的解決策が見いだせない以上、自分の心象を悪くする事にしかならない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 半ば放心状態となりながらも、ふらふらと覚束ない足取りで店を出て行こうとする俺の背中に店長の声がかかる。

「また、別の機会がありましたならば、その時は是非頼みますよ――児島さんには、この店のオープン当時からいろいろとよくして頂いたし――」




               ■■■




「待てよ、おいっ」

 店を出た後、あまりの情けなさに泣きそうになる自分を堪えて、街中の雑踏に飛び込んだ俺に雨宮はすかさず追い縋ってくる。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「待てったら、おいっ――無視するなよっ」

 背後から無理矢理掴んだ俺の腕に、奴は過剰な力をかけてきた。

「・・・相変わらず・・・強引だな・・・」

 俺を追い詰める時のやり方も――あの頃と少しも変わってはいない。

「フェアじゃない?」

「!?」

 腕を掴まれたまま体の向きを変えられて、奴の正面に立たされてしまう。そのまま真上から自分の顔をじっと覗き込まれて

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 あの頃は、俺とほぼ同じ高さにあった奴の視線が、今は俺よりもわずかに上にある。その事が俺を余計に苛立たせてもいた。

「・・・一体、お前の目的は何だ・・・?」

 8年ぶりに俺の目の前に出てきたと思ったら、いきなりこんな強烈なジャブを食らわせてきやがる。こいつはいつもこうだ・・・あの時も、いきなり俺の心の中に飛び込んできて・・・

「抜け目のないお前の事だ・・・カウンターでもかけなきゃ、絶対におちないとそう思って」

「8年ぶりに会って、久しぶりに云う台詞がそれか?」

「勝負はあの頃からまだ続いている――俺は一度自分をコケにした相手は徹底的に叩き潰さないと気が済まない性分でな」

「!?」

 そんな・・・自分の身に全く覚えのない恨みを抱かれて、勝手に逆恨みされても困る――

「俺は一度だってお前をコケにした覚えはない」

「したさっ」

「一体、いつ――」

「・・・高校の時・・・お前は、結局、最後まで一度も俺の本当の気持ちに気付いてくれる事はなかった」

「え・・・」

「何かと張り合っていたのも、いつも憎まれ口を叩いていたのも、そんな俺の気持ちにお前に気付いて欲しかったからで・・・」

「は・・・」

 いきなりとんでもない事を云われてしまって、自分の体からがっくりと力が抜け落ちていく。高校時代、こいつは、何かにつけて俺にいちいち絡んでくる嫌味な男であった。俺が黒だと云えば、こいつは白だと云い、常に反対意見を持って対立する二人は、決してお互いを相容れる事はなかった。それでも、共に同じ高校に居た3年間、俺達は、いつも付かず離れずの微妙な間柄にあって、常にお互いの事を意識していたように思う。だからこそ、俺は、あれから8年近くたった今でも、こいつの事を未だに忘れられないでいて・・・

「なあ、知っていた?俺はあの頃からお前の事がずっと好きだったんだぜ?」

「!?」

 そっと近付いてきた奴の口に耳元でそう囁かれて、自分の心の中を何とも云えない感情が走り抜けていく。自分にはこれまで全くソノ気はなかったはずなのに、奴のその言葉にうっかり心を揺り動かされそうになってしまっている自分には全く説明がつかない。

「お前だって本当は俺に惚れていたんだろう?」

 その当人を自分の前にして、余裕たっぷりにそう云いきれる自信は一体どこから来ているのか・・・奴の尊大な態度に、俺は大きな溜息を付く。俺がお前に惚れている・・・?その当人にも分からぬ事が、どうして赤の他人であるお前に分かる・・・?屈折した愛情の裏返しで、俺もわざとこの男にきつく当たっていたとでも云うのか・・・いや・・・それよりも――

「・・・惚れた男にするには、随分な仕打ちだな」

「お前に・・・反撃の隙を絶対に与えたくなかったんでな――とことんまで追い詰めて、逃げ場をなくさなければ、お前は絶対に俺になびいちゃくれないと思って」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 相変わらず鮮やか過ぎるその手口に、我が敵ながら、俺は舌を巻かずには居られない。

「好きなら好きで、その当時に告白してくれれば良かったものを――あれから8年も経った今になって、どうしてこんな事をする?」

「・・・あの頃は、そんな自分の気持ちに俺自身気付いてなかった・・・自分と同性である男に惚れた自分を俺自身絶対に認めたくはなかった・・・それも、よりによって、その相手がなんでお前なんだろうって――それに、あの当時、俺がお前に自分の本当の気持ちを告白していたとしても、お前は俺を受け容れてはくれなかっただろうに」

「当たり前だっ」

 あの当時――俺には親密に付き合っていた彼女が居た。それは奴も承知の上の事で・・・なのに、あろう事か、こいつは、その俺の彼女を密かに寝取りやがったのだ。その事を、彼女の口から直接聞かされた時に感じた己の怒りを俺は未だに忘れていない・・・俺のモノと知りながら、どうしてそんな事が出来るのかと・・・俺を裏切った彼女に対してより、そんな大胆な事をしておきながら、俺の前で堂々と振舞うこいつに無性に腹が立った。

「・・・あの時、お前が俺に対してした事を・・・まさか、忘れた訳じゃないだろうな・・・?」

「あの女の事か?――どうせ、本気で惚れて付き合っていた訳でもなかろうに」

「!?」

 図星を突かれて頭に血がかっと上ってしまう。だが、今、俺がここで、そんな自分の感情にかられて、この男を殴りつけてしまえば、それで俺の負けだ。握りこんだ拳にぐっと力を込めて、俺は自分の激情に堪える。

「俺だってあの女に本気で惚れていた訳じゃない――ただ、あの女は、お前の女だったから、純粋にその興味が湧いただけで」

「興味・・・だって・・・?」

 そんなくだらない理由で、人の気持ちを弄ぶような真似をするこの男を心底軽蔑する。今だって、そうだ・・・この男は、己の一方的な気持ちを、ただ俺に伝えがたいが為に、俺の人生を無茶苦茶に引っ掻き回しやがって・・・

「・・・自分のこれまでの人生、俺は女という生き物の事を一度も本気で好きになった事はない・・・好きになろうとして努力した事もあったが、やっぱり駄目だった・・・人生、横道に逸れるのが嫌で、これでも俺だって、自分なりに相当頑張ってきたんだぜ」

 俺だってそうだ・・・あれから後、いろんな女と付き合ってきたけれども、やはり本気にはなれなかった・・・女とセックスしていても、気持ちはいつも別のところをさまよっていて・・・

「なあ、お前だって、俺と同じだろ?」

「!?」

「どんな相手と付き合っていても、俺ほど、お前の心を揺さぶる奴は居なかった・・・俺ほど、お前の心に踏み込める奴もなかった・・・お前だって俺同様、自分の心にいつも俺の影を引き摺って生きてきたんじゃないのか?」

 8年前と少しも変わっていない・・・この男の清んだ瞳の輝きに自分を吸い込まれそうになる。そうだ・・・この男の云うとおり、忘れた事なんてなかった・・・俺だって、この男の事を片時たりとも忘れた事なんてなかった・・・この男にだけは絶対に負けたくなくて、無意識のうちにそれを目標にして、いつも自分を高めてきた・・・居なくなってしまってから後も、俺はいつも自分の心の中にこいつの姿を思い描いて、それを相手に一人、見えない拳を叩き込んできた・・・たとえ、自分の側に居なくとも、こいつは俺の永遠のライバルで・・・

「・・・あれからもう8年近く経った・・・この8年の間、悩んで悩みぬいて出した俺の結論がこれだ・・・もし、お前にその相手が既に居るようなら、俺もあきらめようとそう思っていたが、さっき、8年ぶりに俺に会えた時のお前の顔を見て、俺は確信したぜ――お前も、きっと今の俺と同じような気持ちで居るんだろうなって」

「!?」

 何よりも、奴を見つめる俺のこの瞳が、そんな自分の気持ちを奴に雄弁に語ってしまっていたから・・・

「もうお互いいい歳だ――これ以上、無駄な足掻きをするのはよそうぜ?」

 そう囁かれた奴の唇が、そっと俺の上を掠めていく。鳥の羽が触れたようなその柔らかい感触を、俺は不思議と嫌だとは思わなかった。それは、俺がこれまでつきあってきたどの女と交わしたキスよりも、強く俺の心を震わせていて・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・本当はもっと早くこうしたかった・・・もっと早く、お前の元に戻ってきたかった・・・でも、今度ばかりはお前と引き分けでは困る・・・どんな手段を使っても、お前を確実に自分の手に入れたくって・・・」

 だからって・・・だからって、こんな・・・

「・・・お前の幻影に悩まされるのはもうごめんだ・・・」

 そう呟いた俺の言葉に、奴は自分の目を輝かせる。

「じゃあ・・・」

「いや――」

「?」

「まだだ・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「まだ、第2ラウンドは始まったばかりだ」

そう――俺だって、このままやられっぱなしという訳にもいかない・・・この男に対して、自分の無様な姿を見せたままで終わる訳にはいかない・・・殴られたら殴り返す・・・それが、この男と俺との喧嘩の流儀であって・・・

「・・・ここまで趣向を凝らしてみたのに、結局は堂々巡りか・・・」

 そう云って、がっくりと肩を落とす友の顔に俺はにっこりと笑いかけてやる。

「そうでもないぜ」

「?」

「今度はベッドの上での主導権を掛けて争うっていうのはどうだ?」

 俺が自らそう申し出てやると、奴の瞳に再び輝きが戻ってきた。

「そりゃあ、いい」

 自信満々の態度でそう応じる奴に、自分の背筋がうすら寒くなる。この勝負・・・何が何でも、今度だけは絶対に負ける訳にはいかない。

 二人肩を並べて、街を歩きながら、雨宮はさり気なく俺に尋ねてくる。

「ところで、児島、お前、今まで男と寝た事はあるのか?」

「ある訳ないだろうっ、そんなの――」

「そうか・・・だったら、今のところ、俺の方が一歩リードしているな」

「はあ?」

初心者のお前に経験者の俺がいろいろ教えてやるから――」

「そういう台詞はなあ、自分が勝ってから、初めて口にしろっ」

 そんな他愛ない会話を非常に楽しく思う。側に居て、ここまで心湧き立つ相手は、俺にとって、やはりこいつだけしかなく、その事を自分で自覚した瞬間、これまで8年間、俺の心の中で、ライバルとしてずっと君臨し続けてきたその男は、別の存在へと大きく変わっていった。
「キリリクに応じて、久しぶりに読みきりの短編を書いて見ました。結果は如何に・・・?」
...2006/2/14(火) [No.279]
むこう あおひ
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