薄暗い玄関先で、翔のお母さんと出会った。 おばさんは俺の顔を見て「ごめんなさいね」と苦笑して、二階へ続く階段を指差した。 「私、ちょっと出かけないといけないから。ゆっくりしていってちょうだい。……本当に、妃くんしか頼める子がいなくって…」 何度も俺に頭を下げながら、昔っから優しい容貌のおばさんは、困りきったまま出て行った。 俺は彼女が去った後の扉を見て深い溜息をつくと。 靴を脱いで二階へと向かった。
翔とは物心つく前からの付き合いだ。 家が向かい同士で、親同士が仲良くって。 俺の横には翔がいる。それが俺たちの日常だった。 最近は。 翔と高校が別々になっちゃったから、顔を合わす機会も前に比べて減ったけど。 それでも交流が途絶えたわけではなかった。 親伝手で話を聞いたり。休みの日は一緒に出かけることもあったし。メールもざらにしていたし。 だから。 翔が引きこもってるって聞いたときは本当に驚いた。 まぁ、そんな大げさなもんでもないみたいで(親は心配しているみたいだけれど。翔の家の親は心配性なんだ)学校を休んでるって言っても、まだ3日かそこら。 最近ニートとか、いろいろ言われてるから、親も気が気じゃないんだろうけれど。 俺からしてみれば、ただのズル休み。 どうせ部屋でゲームでもしてるんだろう。 一発喝でも入れてやる。 そんな気構えで、翔の部屋の前に立ったってわけだ。
「おい、翔、入るぞ」 翔の部屋に鍵はかかっていない。それで引きこもりだなんて笑わせるが、昔の翔は家にいるよりも外で泥だらけになってる方が長いようなガキだったから、「引きこもり」でもおかしくないのかもしれない。 というか。 ドアを開けて薄暗い部屋に入る。 ベッドの上で布団が丸まっているのを見て、風邪なんじゃないかと、そっちの方が心配になってくる。 「翔、生きてる?」 冗談まがいの言葉をかけると、布団の中から、慌てたような声で。 「え、き、妃……!? なんでっ」 もごもごと布団が動くのが見えて。 声枯れしているわけでもない、16歳の男にしちゃ可愛いとも言える口調のいつもの声が返ってきて。 やっぱりただのズルか、と肩を落としたんだった。 「なんでって、オバサンに頼まれたんだよ。見てくれってさ」 盛り上がった布団の横。ベッドの端に腰を下ろしながら俺は言った。 背後の布団の中で、翔が微かにびくっとしたようだけれど。 「お前、ほとんどご飯も食べてないんだって? オバサン心配してたぞ。部屋から一歩も出てこないって、さ。なんだよ。なんかあった?」 盛り上がった布団に……と言うか。多分体を丸めている翔に圧し掛かるように、俺は背を預けて体重をかける。布団越しに翔の体温が伝わって。 懐かしさに苦笑がもれた。 そういや昔はよく一緒の布団で寝てたっけ、なんて関係のない事を思い出す。 布団の中からは、俺の言葉に「あー……」とか、言い訳を探すような口篭りばかり聞こえてきて。 また溜息が漏れる。 「何だよ。なんかあったんなら、ちゃんと言わなきゃわかんないだろ」 「……………うん…」 「こないだ電話したときは普通だったじゃん。学校でなんかあったとか?」 「いや………えっと……」 どうも煮え切らない、はっきりしない。 翔はこういう奴ではなかったように思う。 いつもハキハキしていて、決めることはちゃんと決める。 というか、本能が先走って何でも簡単に決めすぎるって小言を言われるようなタイプだったのに。 もっとちゃんと考えて動け、みたいなこと。 でもこの翔を見てると、凄く悩んでいると言うか。 俺にも言えないような相談なのだろうかと、心なしか不安になってくる。 昔は、何でも言い合えたのに……。 「なぁ。俺にも言えないようなことかよ?」 僅かな苛立ちも含めてそう尋ねると、また布団の下で翔が身じろぐ。 そして。 「………ッ、違う、けど。も……とにかくベッドから、降りてよ」 そんな言葉を聞いて、俺の中で何かが弾けた。 「あのなぁ……」 おもむろに翔の布団を掴む。 布団の中で翔が慌てたような声を上げたが気にしない。気になんかできない。 「人と話をするときぐらい、布団から出ろよっ!!」 思いっきり力任せに布団を剥ぎ取る。 「わ、やだっ、やめっ!!」 布団を引き戻そうとするが、時すでに遅し。 掛け布団は床に落ち、ベッドの上の翔が露わになる。 あらわに……。
「………」 必要以上に、長い間、呆然と見てしまったように思う。 部屋の中は、外から差し込む午後の日差しがカーテン越しにあるだけの薄暗さだけれど、それでも十分に分かる。 白い、肌。 水色のパジャマの上を着ているのは分かったけれど。 下は、ズボンが膝くらいまで降りていて。トランクスも勿論下げていて。 全身真っ赤になった翔は、平均身長を少し下回る小柄な体を丸めて、強張っていた。 説明しなくても男ならすぐ分かる。 今この場に一番不必要な人間は誰であろう。この俺だ。 翔のプライベートを思いっきり暴いてしまったような後ろめたさと。 同時に、熱を帯びた股間や、汗ばんだ肌や。 よく見知った、まだ幼さの残る翔が、ぎゅっと目をつぶって真っ赤になっている。 小刻みに震えてすらいる。 その姿に、ごくっと唾を飲み込む。 「ご、ごめ……ッ」 とっさに謝って、身を引こうとした。 その俺の目に、もう一つ。 一枚の写真が飛び込んだ。 多分考えるまでもなく、浅ましいにも程があるんだけど、視線は勝手に動いて翔の「ネタ」を探してしまったんだと思う。 クラスの女の子か、芸能人か、雑誌の切り抜きか。 そう思って探した先。シーツの上には。 中学の卒業式で翔と並んで撮った、俺の、写真だった。 「これ…」 驚きと、たとえようのない……ある種の興奮が、ジワリと心を逆撫でる。 写真に手を伸ばした俺に、翔が驚いて体を起こす。 「あ、ヤダッ……見るなッ…」 見るなも何もそれはもう俺の手元にあって。 写真から視線を外して翔を見ると、居たたまれなさにか涙を浮かべて、肩を落として、しゅんと居直る翔がそこにいた。 「………これ?」 ネタはこれかと、問い詰める口調で告げると、翔は小さく頷いた。 「………ご、ごめ……ん」 聞き取れないくらい小さな声で翔が呟く。 「親や俺が心配してたのに、お前はこれ使ってずっとしてたの?」 ちょっとドスを聞かせた声で言い切ると、翔の肩がびくっと震えた。 成長途中の翔の肩は女のように細くて。 それを見ていると翔の心中が分かりすぎるほどよく分かった。 多分彼は。 今一番、俺に嫌われる事を恐れている。 幼馴染をネタにして。見舞いに来た間もいじってたわけだ。 それは、決別に値するだろうが。 「……………、っ」 俺の口から漏れたのは、罵声でも非難でもなく。 笑いだった。 ここで一番問題なのは、翔ではなくて。 この現状を喜んでる、俺自身だった。 自分でも不思議で仕方ない。 でも、翔のこんな姿を見てしまって。ある種弱味のようなこの姿に、欲情した事実に、驚く。 不思議だ。 でも、心のどこかで、こうであれと思っていたことも事実だ。 「引きこもりの理由は、これ?」 尋ねると、翔は俯いたまま、また小さく頷き。 「するつもり……なかったんだけど……。一回、しちゃったら、やめられなくて」 泣き声を含んだように鼻をすすり、翔は告げた。 「妃に、合わせる顔、なくって………」 そのままボロボロと大粒の涙をこぼす翔に、俺は肩を落とした。 なんだ、そうだったのか。 もう、本当に翔って……。 その思いが頭を占めた途端、俺はまた、おかしくなった。 おかしくて、笑ってしまって。 怪訝な顔をする翔の自身に、おもむろに手を伸ばした。 「なッ……!!?」 慌てて体を捩る翔の腕を取って引きとめ、逃がさず体を近づけて。 「翔って本当に、可愛いなぁ」 囁いて、そのまま翔に体を預けていく。 体勢を崩した俺たちは、翔を下にしてベッドに倒れこみ。 俺は片手で翔のそれを握り締めたまま、もう片手で翔の髪を鷲掴みにして。 「こういうのは、俺みたいにばれないようにやらなきゃ」 言って髪を掴んで頭を固定して、そのまま翔の口を塞いだ。 初めてする、翔とのキス。 それは、毎晩俺の妄想の中でするのとは全然違って生々しく。 「んんっーーーーッ!!」 びっくりして体を捩る翔を、自身を強く握ることで押さえつけ、俺は翔の口腔を蹂躙していく。 舌を絡めて、喉の奥まで抉るような、深いキス。 一時期いた彼女とも、こんなキスしたことない。 翔としかできない、こんなキス。 「んっ……ぁ、あ、妃っ……何でっ…」 息継ぎの合間に、絶え絶えに翔が尋ねる。 彼自身も、願望が叶った喜びか。 それとも。 「ひっ、あ、そこ、やっ」 俺が時々愛おしさに翻弄されてそこを執拗に弄るせいか。 涙で熟んだ目で見上げながら、熱の篭った息を吐く。 「何でって、わかんないのかよ、翔」 俺は翔の耳朶や、首筋に舌を這わせながら、告げる。 「俺だって、ずっとお前でしてたんだよ」 見上げてきた翔の瞳が驚きで揺れ、それが少し照れくさくって、俺は意地悪するように翔の先端を指先で引っ掻いた。 「んっ、ぅあっ!」 「ま、俺は翔みたいに、誰かにばれるようなやり方しなかったけど」 「ア……っ、だって。妃が来たの、気づかなくて……やめられなくって…」 「そんなに好きなんだ、翔って」 もう、本当に、翔の言葉にいちいち翻弄される。 深い部分から、熱や、嬉しさが溢れてきて、爆発してしまいそうだった。 「翔、覚悟しとけよ、本当に」 俺は翔の背に手を回して抱きしめながら、耳元に囁く。 自分が弾けてしまわないように、塞き止めるような力強さで翔を抱く。 「翔は最近だろうけど、俺はもう何年も、一人で堪えてたんだから」 自分で言ってておかしくなるような台詞を翔に告げながら、俺は、翔に絡みつく。 ああ、良かった、と。 翔の温もりがこれまで以上に身近になった嬉しさを噛み締めるように。 俺は囁いた。
---しっかり受け止めるまで、離さないからな。
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