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 (弁護士×作家/ほのぼの/海外/--)
パパとダディ


「俺、子供が欲しいんだ!」
思いつめたような顔をして、エリックは告白した。
ダイニングに広がるのはコーヒーの香ばしい匂い。
テーブルの上にはトーストと目玉焼きという、定番通りの朝食が乗っていた。
一人分しかなかったが。
普段、エリックがこんなに早く起きることはないのだ。
向かい側に座って表情なく新聞を読んでいたクリスは、コーヒーカップに伸ばしかけていた手を止めた。
「……」
今、なんと言ったんだろう。
そう考えながら、眼鏡を外して、新聞を丁寧に畳む。
エリックは半分睨みつけるような眼差しで、その行動を見ていた。
「時間がないのは知っているだろう」
返ってきた声はどこか冷たいものだった。
エリックは気まずそうに下を向く。
オモチャを買ってもらえなくて拗ねる子供のような表情だった。
そんな顔を年中見ているクリスにとっては、大した効果はなかったはずなのだが。
ダイニングから出ようとするエリックを阻止するように、クリスは後ろから肩を掴んだ。
なるほど、なんとなく意味は分かった。
単刀直入にものを言うエリックにしては珍しい、とクリスは感心する。
「ここでよければ」
くるりと振り向かせると、エリックの頬に手をやると
「…え?」
とびっくりした顔をされた。
それがいつもより幼く見えて、クリスは少しだけ微笑む。
「朝食抜きで付き合おう」
ついばむようなキスをされて、エリックは思わず目を閉じてしまう。
背中に手を回して、スーツの感触を楽しんだ。
でも、なんで朝っぱらから…皺になっても知らないぞ。
―――ひょっとして何か勘違いしてる?
エリックがそう気付くのにたっぷり2分はかかった。
「ちょ…ちょっと待て!やめろ!ストップ!」
これ以上流されたら真面目に話が出来なくなる。
いくらなんでも朝っぱらから…いや、別に俺は朝だろうと昼だろうといつだっていいんだけどさ…でも、やっぱりダイニングってのはまずいんじゃあ…
って、そうじゃなくて!
エリックは思考が別のところに飛んでいきそうになって、慌ててクリスを押しのけた。
冷えたコーヒーを一気に飲むと、いくらかは頭がスッキリする。
どうやら、言い方が悪かったみたいだ。
今度はクリスの目を見据えて、はっきりと言った。
「本当に子供が欲しいんだよ!」
エリックは、子供、という単語に力を入れた。
クリスはまじまじとエリックの顔を観察したあと、熱はないかと彼の額に手を当てたのだった…



「なんだよ、あの態度!」
エリックは忌々しそうにそう言った。
受話器の向こうにいる相手は、はーっとため息をつく。
「…今、何時だか分かるか?10時だぞ、PMじゃなくてAMのほうの」
「時計くらいあるよ」
「夕方にならないと起きてこないって有名なエリック・レスター様が、朝の10時に電話してるなんて、想像できるか?」
気に障るような笑い声が聞こえて、エリックは受話器を床に叩きつけてやりたい衝動に駆られた。
「お前、俺の話聞いてたのか?!」
「ああ。だけどなあ、誰でも勘違いするぜ?“ダーリン、僕、子供欲しいのぉ”って可愛い顔で誘われたら」
甘ったるい声に鳥肌が立つ。エリックは真っ赤になって、受話器相手に怒鳴った。
「そんな気色悪いこと言ってない!」
散々悩んだ挙句、意を決して打ち明けたというのに。
クリスはただ「そうか」と言うと、何もなかったように仕事に行ってしまったのだ。
いつものように、突如ひらめいたアイディアだとでも思ったのだろう。
真剣に取ってもらえないのが悔しかった。
「そりゃ俺はいい加減だよ。締め切りは守らないし、好きな時間に起きるし、家事だってろくにやらないし、好き嫌い多いし…」
どんどん声が小さくなって、最後のほうは聞き取れなくなっていた。
「ワガママってのを忘れてるぞ」
受話器の向こうの相手は、からかうようにそう言い足す。
「……」
エリックはしばらく黙ったが、キッと顔をあげると
「だけどこればっかりは本気なんだよ!」
こう叫ぶが早いか、乱暴に受話器を電話にぶつけた。
勢い余って、それは跳ね返り、ゴトンッと悲惨な音を立てて床に落ちる。
「…うわ~、今のって愛の告白?」
受話器の向こうで相手が茶化す声は、幸いカッカしているエリックには聞こえなかった。
聞こえていたら向こうの家まで押しかけていきかねない勢いだ。
エリックはむんずとコートを掴むと、一目散に家を飛び出す。
車のエンジンをスタートさせながら、あらかじめ用意していた地図を取り出すと
「クリスの、馬鹿!」
そう悪態つきながら、思い切りアクセルを踏んだ。




「どうかされましたか?」
秘書のパティが不思議そうに訊ねた。
「いや…」
窓のほうを見ていたクリスは、ハッと資料に目を戻した。
午後の裁判まであと2時間もない。
それまでに頭に叩き込んでおかないといけない情報が多すぎる。
クリスは瞼をぎゅっと押さえた。
ここのところ寝不足だった。
読んでいる資料がアルファベットと数字の呂律にしか見えなくて、何一つ頭に入ってこない。
「少し休憩されたらどうです?」
「…そうだな」
少し外を歩くのも悪くない。
クリスはパティに10分で戻ると伝え、オフィスを出ようとしたが、ふと彼女のデスクに置いてある写真立てが目に留まった。
双子の赤ん坊を抱えて微笑んでいるパティと、彼女の肩に手を回している夫。
「良い家族だ」
クリスがそう言うと、パティは笑った。
「子供二人は大変ですよ」
その言葉とは裏腹に、彼女は愛しげに写真を眺めている。
「前まで夜泣きが酷くて、毎日睡眠不足だったんですから」
「それでも、子供というのは可愛いのか?」
クリスが心底分からないといったふうに訊くと、パティは肩をすくめてみせた。
「親になってみないと分からないものですよ」
「…そうなのか?」
パティの応答に、クリスは少し考え込んだ。
「ところで、今日の裁判は上手くいきそうですか?」
今は仕事に集中してもらわなくては困る。
パティは話題を変えることにした。
「ああ、死刑を免れるように努力する」
連続殺人犯に対して同情心などないが、法廷から指名された時点で断りきれない依頼だった。
この数週間、オフィスがざわついているのもそのせいだろう。
それも今日で終わる。
午後の裁判がどれだけ重要なものか、クリスには分かっていた。
それでも、エリックの一言が引っかかる。
いつものように、思いつきでああ言っただけかもしれない。
帰りが遅い毎日が続いたので、気を引こうとしただけかもしれない。
だが、もし本気だったとすると…
「…まさかな」
自分の考えを追い払うように、クリスはオフィスから出る。
パティはその後ろ姿を見ながら、首をかしげた。
今日のボスはどうしたのだろう、と。



散々道に迷ったあげく、エリックがたどり着いたのは地味なビルの一角だった。
Bureau of Child Adoption、この付近で唯一の養子縁組をサポートしている組織だ。
ソファに座って待つこと1時間弱。
ようやく受付に名前を呼ばれて行ってみると、手渡されたのは一枚のフォームだった。
身分、職業、収入、健康状態…
書き込まなければいけないものが多すぎて、眩暈がするほどだった。
これならスランプ中に原稿を書いたほうがマシだ。
そう思いながらも、エリックは覚悟してペンを握りると、空欄を一つ一つ埋めていった。
そうだよな。子供の人生を左右するんだから、これくらいでないと。
配偶者の名前という欄で、一瞬手が止まる。
一応、配偶者といえばそうなのだが…
今朝のやりとりを思い出してムッとしたが、ペンを持っていた左手の指を見て、エリックは迷いなくクリス・アンダーソンと書き込んだ。
結婚指輪、してるし。
それを見ているうちに、少しだけ気分が良くなった。
ようやく終わらせてそれを受付まで持っていくと
「奥様にも同じフォームをお願いします」
フォームと身分証明書を照らしあわせたあと、受付に紙をもう一枚渡された。
「俺が書いちゃ駄目ですか?」
クリスに渡すことなんて出来ない。
エリックは慌ててそう訊いた。
「…奥様にお願いします」
受付の頬が一瞬だけ紅潮したように見えた。
「分かりました」
とりあえず礼を言ってビルを出たエリックは、近くの喫茶店に入った。
適当にランチとコーヒーを注文して、渡されたフォームに目を通す。
名前、住所、職業…特に変わったことはない。
「なんだ、同じ質問じゃん」
大したことはない、と読み流していくと、ある行で目が留まった。
『あなたには不妊症の催しがありますか?』
その後にも似たような質問がずらりと並んでいる。
―――なるほど、たしかに奥様用だ。
「どうしよう…」
エリックは絶望的な声を出すと、テーブルに突っ伏した。



「申し訳ありませんが、そちらの養子縁組は受け付けられません」
「でも…」
何かを言いかけていたエリックは、その硬い声にさえぎられた。
「経済的に問題がないといっても、精神的に悪影響なんです」
そう一方的に言われて、電話を切られた。
これで何件目だろう…
エリックはプリントアウトされた名前の上に線を引いた。
受付に、自分はゲイなのだと伝えると、彼女は顔をしかめてこう言ったのだ。
子供を養子に出したがっている人を何人か紹介しますが、受け入れられる可能生は少ないですよ、と。
今までもそんなケースがあったのだろう。
年齢、収入、住所などでマッチした名前を調べてもらったところ、意外にも長いリストになったので
これなら望みはあるかもしれない、と気を取り直して片っ端から電話していったのだが。
最初は友好的に会話を進めていくのだが、途中から向こうの態度がよそよそしくなるのだ。
いろいろ理由をつけて断る人もいれば、単刀直入に「同性カップルに子供は任せられない」と告げる人もいる。
予想していたことなのだが、リストに載っている名前を一つ一つ消していくうちに、エリックは自分の行動が馬鹿馬鹿しくなった。
ひっきりなしに電話をかけ続けて喉が痛い。
冷たいミネラルウォーターを一口飲んで、息をついた。
無理だと分かっていたのに。
何を言われても気にしないと決めたのに。
しっかりしろと自分に言い聞かせるが、効果はなかった。
最初は、子供づれの家族を見て「いいなあ」と思う程度だった。
自分は今のままで幸せだし、暮らしに不満もない。
それでも時々考えずにはいられないのだ。
クリスと二人で子供を育てられたらいいだろうな、と。
子供を育てるのはどんな感じなんだろう?
思わず抱き上げて、頬擦りしたくなるんだろうか。
いつも冷静なクリスは、どんな顔をするんだろう。
二人で遅くまで子供について話をして、休日には三人で出かけて。
考えてみれば滑稽なものだったが、そういうシーンを想像するたびにエリックは微笑まずにはいられなかった。
手に入らない生活だから、余計に欲しくなるのかもしれない。
…手に入らない、だって?
自分はそこそこ売れている小説家だし、クリスも弁護士として上手くやっている。
子供に裕福な生活を与えられる自信はあった。
それなのに。
―――俺たちのどこがいけないんだよ。
悲しくて悔しくて、誰に対して怒ればいいか分からない。
エリックにとってそれは、長い間触れていない懐かしい感情だった。



思った以上に裁判が長引いてしまった。
被告側がなかなか引き下がらず、やっと終わったと思いきや、外ではマスコミが待ち構えている。
ようやく帰路につけたのは、夜の8時過ぎだった。
死刑を免れた犯人に下された判決は、308年間の収監。
彼の家族からはしつこいほどに礼を言われたが、最初からやる気がなかったケースだ、クリスは自慢する気にもなれない。
疲れが溜まっていて、一刻も早く帰りたかった。
家に電話すると、数コールしてから、エリックのけだるそうな声が聞こえた。
「…なに?」
「夕飯は食べたのか?」
「…まだ」
それなら外で食べよう、と言いかけて、エリックも疲れているだろうと思い直す。
「何かテイクアウトしてくる。リクエストは?」
「お腹空いてないから」
エリックが面倒くさそうにそう答えた。
まだ今朝のことを怒っているのだろうか。
無意識に、ハンドルを握る手に力が入る。
最近は忙しくてかまってやれなかったからか。
それとも、本当に子供が欲しいのか。
エリックが欲しいのは何なのか、クリスには判断できなかった。
車を適当に停めると、クリスは急ぎ足で玄関まで歩いていく。
電気がついていない。
インタホンを押すのがためらわれて、クリスは鞄から鍵を探し当てた。
ドアを開けると、家の中は真っ暗だった。
寝てしまったんだろうか。
廊下のライトをつけると、足音を立てないようにリビングに入った。
一見、誰もいないように見えたのだが。
ソファでうずくまるようにして寝ているのは、エリックだった。
明るいのに目が慣れないのだろう、急についた電気が眩しくて、エリックは目をしばたかせた。
「おかえり」
疲れきったような声だった。
エリックが起き上がる気配がないので、クリスはソファの傍まで歩み寄ると、しゃがんでエリックと視線を合わせた。
「どうした?」
額に手をあててみると、少し熱いようだった。
「…ちょっとね」
エリックは答える気はないらしい。
かわりにクリスの手を掴むと、頬にあてた。
「帰ってきてくれて、嬉しいよ」
そう呟くエリックは、視点があっていなかった。
「熱があるみたいだ」
念のために体温を測ったほうがいいだろう。
そう考えて、クリスは体温計を取りにいこうと立ち上がったが。
「…なあ」
エリックは手を離そうとしない。
「俺たち、愛し合ってるから一緒に居るんだよな」
何か思いつめたような表情だった。
「当たり前だろう」
そんなこと訊くまでもない、とクリスは即答する。
しかし、エリックはどこか満足しないようだった。
「だから…おかしなことなんて、ないよな…?」
そう自分に言い聞かせているような口調に、クリスは疑問を覚えた。
何があったのかと訊きたいが、きっとエリックは答えてはくれないだろう。
そうするわかりに、いたわるようにエリックに口付ける。
しばらく、されるままになっていたエリックだったが。
「…そんなのじゃあ、足りないよ」
力いっぱいクリスを引き寄せるのとは裏腹に、声はどこか頼りなかった。



前にもこんなことがあった。
エリックはソファでうとうとしながら、思い出していた。
あれは、大学を出てそう経っていない頃だった。
それなりに生活していけるようになって、初めて家族に告白したのだ。
自分が女性に興味を抱けないのだということを。
最初は誰もがジョークだと笑い飛ばした。
エリックが作家になる以上にありえないことだと思ったらしい。
ガールフレンドがいないからって、そんな理由をつけちゃいけないとか。
諦めるのは早すぎる、世の中には素晴らしい女性がたくさんいるんだとか。
周りはエリックが落ち込んでいるのかと思って、いろいろ言っては彼を慰めようとした。
ジョークで済むうちにやめることだ、と密かに忠告もした。
カトリック系のレスター家では受け入れられないことだった。
だからこそ、エリックは長い間、隠し続けていたのだ。
自分はどこかおかしいのだと思っていた。
そんな中出会ったクリスがあまりにもオープンで、エリックは最初はどうしていいか分からなかった。
堂々と自分の嗜好を明かせるクリスが羨ましかったのかもしれない。
プロポーズされたときは、信じられなくて、嬉しくて…
すぐさまOKしたエリックは、家族の反対なんて微塵も考えていなかった。
同性カップルの結婚が州で認められているとはいえ、反対する人たちも多かった。
成人だったので家族の許可は必要なかったが、それ以来連絡は途絶えている。
―――なんて罪深いことを!
―――気色悪い、近づかないで。
―――もう帰ってくるな。
今までの自分を拒否されたような気がして、エリックはそれらの言葉からしばらく立ち直れなかった。
なぜクリスは平然としていられるのだろう、なぜ自分だけこんなに弱いのだろう。
エリックは、後悔するのが怖かった。
今のままで十分幸せなのだと、自分に言い聞かせているうちに、何も間違ってはいないのだと気付いた。
クリスといて幸せだったらそれでいい。
そう考えると、エリックは安心するのだった。
周りから非難されようが、ダメージは受けまいと思っていたのだが…
「せっかくシャワーを浴びたのに、また冷えるぞ」
リビングに入ってきたクリスは、バスローブでソファにひっくり返っているエリックを見て、顔をしかめた。
エリックは腕を伸ばしてキスをねだる。
濡れた鳶色の髪からは、同じシャンプーの匂いがした。
「クリス…」
「なんだ?」
エリックの重々しい口調に、クリスは真剣な顔つきになる。
それを見て、エリックは心を決めたように大きく息を吐いた。
「俺、腹減った」
クリスは、しばらくの間、眉一つ動かさずにエリックを直視していたが。
「…そうか」
彼の首元の顔をうずめると、肩を震わせて笑い出した。
「なに笑ってんだよ!」
恥ずかしかったのか、エリックが真っ赤になっている。
クリスは子供にやるように、エリックの背中をぽんと軽く叩くと
「なにが食べたい?」
と笑いを押し殺した声で訊いたのだった。



「これ、子供の頃から好きだったんだよな」
エリックが嬉しそうにトースターを覗き込んでいる間、クリスはコーヒーを淹れた。
食パンを焼いて、その上に苺のジャムとピーナツバターをたっぷりと塗る。
「P&Jサンドの出来上がり!」
エリックは指についたジャムを舐めながら、高らかに宣言した。
ピーナツバター・アンド・ゼリー・サンドイッチ。
お手軽に作れてかつ美味しいメニューである。
クリスは、エリックがなんらかの反応を待っているのだと気付くと、控えめに拍手をしてやった。
エリックは芝居がかかったように、エプロンをひるがえしてお辞儀をしてみせる。
家事が苦手なエリックは、これ以外はまともに作れないのだから。
ガーデニングだけは得意らしいが、それは家事というよりは趣味だろう。
真っ白な皿を二枚取り出して、まだ暖かいP&Jサンドを乗せて、ダイニングテーブルへと運ぶ。
「本当ならミルクと一緒に食べるんだけど」
サンドイッチを頬張りながら、エリックは続けた。
「今日はコーヒーな気分だな」
「眠れなくなるぞ」
そう言いつつも、クリスはすでに二杯目のコーヒーを飲み終わっている。
「いいじゃん。明日は休みなんだろ?」
と、エリック。
「ああ。しかし…」
お前は疲れているだろう、という言葉は続かなかった。
苺ジャムの甘さとピーナツバターの香ばしさが口の中に広がる。
「じゃあ、一晩中起きててもいいってわけだ」
唇を離してそう言うエリックの笑顔は、やけに清々しい。
クリスはやれやれと笑いながらも、エリックの腰に手を回した。
「トランプでもやるのか?」



次の朝、エリックが目を覚ましたのは昼過ぎになってからだった。
もうシーツの中で少しまどろんでいようとも思ったが、一人でぼんやりしているものつまらない。
クリスはとっくに起きたようだ。
休みの日くらい遅くまで寝ていたっていいのに。
大きなあくびをしながら、パジャマの上にガウンを羽織ってるとバスルームに入った。
冷たい水で顔を洗ってさっぱりすると、一階に下りる。
クリスはダイニングにいた。
コードレスフォンを片手に、なにやら話し込んでいる。
テーブルの上には書類が何枚か、几帳面に並べられていた。
まさか、仕事をしてるんじゃないだろうな?
休みだっていったのに!
エリックは今すぐ電話を奪って切ってやろうかと思った。
クリスはエリックに気付いたらしい、こっちに来いというふうに手招きをする。
眼鏡の奥の青い目がいたずらっぽく笑った。
「…馬鹿にしてんのかよ」
エリックはふくれっ面で傍まで行くと、後ろから書類を覗き込んだ。
これが裁判の資料だったら破ってやろうか、などと本気で考えながら。
「ああ…そうしてくれないか?」
クリスはまだ電話の向こうの相手と話していたが、エリックが唖然と突っ立っているのを見ると
「感謝してるよ。また電話する」
と早々に話を切り上げた。
「おはよう」
そう言って微笑むクリスに、エリックは返事ができなかった。
テーブルの上には、エリックが貰ってきたリストがあった。
「…全員に電話したのか?」
昨日の自分と同じように、電話する相手全員に拒否されたのだろう。
手をつけていない最後の1ページの名前の上には、全て線が引いてある。
クリスはそのリストを大して気にするふうでもなく
「あたる所を間違えたようだ」
そう言うと、エリックを真っ直ぐに見て
「本当に子供が欲しいんだな?」
その目は穏やかだが、真剣なものだった。
「…ああ」
クリスの剣幕に押されて、エリックはためらいがちに言った。
「後悔しないな?」
クリスが念を押す。
今度はエリックも相手の目を見返すと
「しない」
こうキッパリ答えたのだった。
「分かった」
クリスはそう言うと、ダイニングから出て行った。
…今のって、プロポーズしたときと同じような感じだったな。
エリックは不審に思って、テーブルの上の書類を手に取って見たが、何が何だか分からなかったので、諦めてクリスの後を追うことにした。
書斎でコンピューターの前に座っているクリスの背中越しに、スクリーンを覗いてみる。
Eメールで受け取ったアタッチメント・ファイルを開けている最中だった。
ダウンロードしたのは、一枚の写真。
「これ…」
エリックが目を丸くする。
スクリーンの中では、1歳前後の女の子が無邪気に笑っていた。
サラサラした黒髪と、大きな茶色の目。
「…嘘だろ?」
「嘘だったら訊かない」
クリスはくるりと椅子を回転させると
「飛行機のチケットはいつがいい?」
と、まだ呆然としているエリックに訊いた。
「だって…手続きは?」
こんなに早く話がまとまるなんて有り得ない。
エリックはまだ信じられないといったふうに、スクリーンを直視している。
「色んなところに知り合いがいると便利だな」
クリスはかすかに笑っただけだった。
「それで、チケットだが…」
「出来るだけ早く!」
そう叫んでエリックが飛びついてきたので、クリスは危うく椅子ごと倒れるところだった。
「この子、何歳?名前はなんていうんだ?今はどこに…」
エリックの口から次々に質問が飛び出す。
「飛行機の中でゆっくり話すよ」
クリスは苦笑しながら
「それより、離してくれないとチケットを予約できないんだが」
と続けると、エリックは、いつもの彼からは想像できないくらいにすばやくクリスから離れた。
そうして、しばらくは大人しく後ろからスクリーンを覗き込んでいたエリックだったが。
「でも、これだけはハッキリさせないと!」
ハッと我に返ったように、クリスの耳元で大声を出した。
「パパとダディ、呼ばれるならどっちがいい?」
その眼差しがあまりにも真剣で、クリスはマウスを動かす手を止めた。
「どちらでも…」
「えー?先に決めろよ!」
これだけは譲らないといった口調である。
クリスは、エリックを愛しげな目で見たあと
「そうだな…」
と考え込んだのだった。

「どっちがパパでどっちがダディかは、想像にお任せしますv」
...2006/1/4(水) [No.264]
かげふみ
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