………あ……また来た……。
バスの扉が開いて学生やサラリーマンが数人入ってくるのが鏡越しに見えた。
そしてこちらに近づいてくる人影も。
ソイツはバスが動き出す前に俺の隣に座り、バスが動き出すと同時に背もたれをふんだんに使い眠りだす。
…いつものことだ。
ここ最近になって気付いたことだけれど…名前も知らないソイツはいつも俺の横で眠っていた。
今は5月。
俺は高校に上がったばかりで初めてバス通学というものを体験中。
どのバスに乗るかで戸惑ったのも今となっては昔の話だ。
高だか1ヶ月前の話。
俺は目が悪い方だから、できるだけ料金表の見える位置に座ろうと思い前の方に座っていた。
家から自転車で10分ほどのところにあるそのバス停は始発点でもあり終着点でもあるので
必然的にバスの中はガランとしていて席に困ることはまったくない。
俺と同じに乗り込んだ数名も自分の好きな場所へ自由に座っていく。
バスが走り出し、窓から見えていた景色が動き出す。
数分走るとバスは停車してまた別の人間を乗せて走り出した。
2番目のバス停で入ってきたのはほんの数人。
その人たちも俺たち同様、空いている席を好きなように埋めていった。
…そんな中でただ1人おかしな行動を取ったヤツが居たんだ。
ソイツは他にも空いている席があるにもかかわらず、俺の横に座った。
俺はその行動に多少の疑問を持ったが、こういう変わったヤツも居るだろうと自分を納得させて過ごした。
それからというもの毎日毎日ソイツは俺の隣に座るようになった。
さすがに1週間それが続いたときは座る席を替えようと思ったが
あいにく前のほうの席は俺以外の学生とサラリーマンなんかで埋まっていた。
だからと言って後ろに座るのも何だか納得がいかないような気がして、結局は同じ席に座る俺。
バスが動いて、景色が動いて、バスが停まって、またバスが動く頃には真横に同じ顔が座っている。
もう2週間も続けば、さほど気にならなくなり今に至る。
ソイツはいつも静かに寝息を立てて
しばらくするとバスの揺れで俺の方へ倒れこむ形になるので、それを俺が肩で支えなくちゃならない。
始めは鬱陶しくて堪らなかった。
起こして、別の席に座れとでも言ってやろうかと思ったぐらいだ。
でもソイツの寝顔を見ると、そうも言えなくなってしまう。
本当に気持ちよさそうに眠る人間を叩き起こせるほど俺は鬼じゃない。
そんな人情をひけらかしていた所為か、いつの間にかそのことに慣れてしまっていたと気付いたのも最近だ。
数日前、いつものコイツはバスに乗ってこなかった。
いつも横にある寝息が聞こえてこない、肩にあるいつもの重みが感じられない…
朝から何だかスッキリしない気分でバスを降りたことも記憶に新しい。
今の俺には横で寝ている名前も知らないコイツが居ないとダメみたいだ。
――…慣れって怖い…――
桜が咲き乱れる新学期の始まり。
俺はその日いつものバスに乗り、いつもの席に座ろうとした。が、そこには先客が居た。
見るところ他校の新入生。制服もカバンも新品の気配がする。
ここは俺の特等席。
そう言って別の席へ移動させようとも考えられたはずだ。なのにその時の俺ときたら…
何を思ったのか、そいつの隣に座りやがった。
相手が不審に思うのも無理はない。そうだどこかの新入生お前の視線は正しい。
視線を感じながらもバスが動き出す。
今更どうにも出来ない状況になってしまったので仕方なく俺は寝ることにした。
なんてったって下車予定のバス停は遥か彼方だ。
いつもは窓の景色を眺めていればそれなりに時間は潰せていたが、今はそうもいかないから仕方なくだ。
とりあえず目を瞑り寝よう寝ようと試みる。
バスが揺れるにつれ段々と意識がぼんやりとしてきてまどろんできた。
扉が開く音やエンジン音、ガイドなどは聴覚の隅で感じている状態。
行く先にはバスが大きく揺れるポイントがある。
案の定、バスは右に大きく揺れた。
何の力も入れていなかった俺の身体は自然と右に倒れることになる。
…隣に何もなければだ。
知ってのとおり横には名前も知らない新入生が座っていて、俺はそいつの肩にもたれ掛かる形となった。
そこで起きるのも面倒くさいと思うぐらいぼんやりしていたのでそのままバスに揺られていく。
横の奴きっと迷惑してるんだろうな、なんて思考の端で思いながらも揺られていった。
しばらくすると電話越しに聞こえるような女の声が俺の下車するバス停の名を言う。
俺は、やっとその音で身体を起こし、バスが停まると何食わぬ顔で下車した。
その時思った。
この行為を繰り返していけば名前も知らない新入生は席を替えて乗ってくるだろうと。
4月だったからだそんな馬鹿らしいこと考えるなんて。休み明けはどうにも人は可笑しくなるものだ。
結局その馬鹿げた作戦を毎日続けて今に至る。
今、俺は例に漏れず横の奴に肩を借りて眠っている。
これがなかなかクセになってしまい、今ではバス通学の楽しみの1つだ。
コイツが居ない日がたまにある。
そりゃ生きていれば体調も崩すだろうし日常も変わるというもの。
この席が空っぽだった時のあの虚しさは不思議だ。
もとより俺はそれを望んでいたはずなのに、いざ居ないとなると落ち着かない。
挙句の果てにはストレスまで感じるようになっていた。
―…俺にはこいつが必要だ…―
―…俺にはコイツが必要だ…―
――隣に居るだけで何だか落ち着く…。
…この不思議な暖かさが必要だ――
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