放課後の教室だった。 いつもはやかましくいつまでも居残っているはずの女子共は『マックシェイク100円』日だからと、わらわらと出かけた。 冷房の効いたマクドナルドでいまごろ烏合の衆な会合中のはずだ。 2階の教室からうかがう空の色は鉛色だ。空気がねとりと重い。 一雨きっとくるだろう。 そんな、どうでもいい何の変哲もない日常の1コマに、幼馴染の野々山貴志が突然言ったのだ。 『俺、引っ越すんだわ』 なんだとッ、と俺は食い下がった。 目の色を変えて、歯茎をムキダシ、貴志の詰襟を引きずり寄せて。 ケータイもメールも電話もある。古風だが文通と言う奥ゆかしい手法もある。金さえ出せば飛行機だって新幹線だってある。2年前、俺のことを猫可愛がりしてくれた美人のおばさんが死んでしまった。おばさんは大好きだったが、二度ともうぜったいぜったい逢えない。泣いても騒いでも喚いても駄目だ。おばさんは夢にさえ出てきてくれない。きっと成仏してしまったんだろう。そういうあっけらとしたひとだった。だけどどちらかが死なないかぎり金輪際あえなくなるということはない。絶対にない。17年しかまだ人生を送ってはいないがいずれにせよ最終的な別れはやはり死だと思うのだ。生きていれば逢える。絶対に逢える。だからジャニーズ顔の超ビショーネンと近隣高校にまで名をとどろかせているこの俺が、モデルクラブやゲイノープロダクションの名刺を(ホモビデオのAV男優の勧誘まで)束で持っているこの俺が、わざわざカワイイ顔を歯グキをむきだしてまでむきになることはない。・・・ないのだが。ないはずなのだが。 おお。 なぜか?何故この俺がこんなにむきになるのか。 幼馴染だからだ。小学校、中学校、高校、ぜんぶ同じ所に通ってきた。 ちなみにお互いの家まで徒歩2分、走って40秒。 ずっと近くにいた。毎年女子から贈られてくるチョコの数の動向から、なぜかお互いの親の職場の電話番号(しかも内線)、そしてそしてチンゲがいつ生えたかだってお互い知っているのだ、おそれいったか。 それなのに、この俺に、よりによってもこの俺に、なんの相談もなく突然・・・なんてッ。 悔しい、殴りたい、グーで、1000発くらい。ぼこっぼこに。クソ! そして・・・最大の理由は、この俺が恋愛対象として貴志を好きだからだ。 ベタな理由だとこの俺だって100以上も承知の上。 だけど。 愛しちゃってしまってるのだ。リクツじゃないのだ。 誰にも盗られたくないと、あらぬ噂(ほー●だのソー●だの、図体はでかいくせにじつはあれは小さいのだとか。あんな真面目候なカオして実は泣かせた女の子の数は星の数などという要は名誉毀損スレスレ《スレスレどころかおもいっきり抵触している・・・のかネ》嘘八百)をばらまいたり、執拗にひっついたりして『野々山クンと椛山クン、アヤシーよね』女共の口に噂話としてのぼるまでに画策したりと幼馴染の贔屓目と惚れた色眼鏡で見てもかなり相当イケてしまっているあいつをガードしたりとじつに地道に活動していたのだが。 引っ越す。 陳腐なヒョーゲンでいえば、特大の金槌で頭を殴られたよーなショーゲキを受けながら俺はやつの襟首を離しながらあくまでクールに(装いながら)聞いたのだ。 「いつ引っ越す」 「いやー、急に決まってよぉ。とりあえず身体だけ、明日」 ああ、ああ、そうかよ。俺はお前限定にホモになるくらいお前のことあいしちゃってるのに、そんな冷たい対応。引越しは無情にも明日と告げられるこの俺の純情がボロズダにひきさかれるオトなど、唐変木で鈍くてしっかりしているくせにちょっと阿呆なお前には分かるまい。ああ、分かるまい。 だから・・・俺は言ってしまったのだ。 ワカゲノイタリ。セイシュンノボウソウ。オトナハワカッテクレナイ。ヌーヴェル・ヴァーグに雨傘はカトリーヌ・ドヌーヴ・・・あああ。 ぐりんぐりんと何の関係のないワードが俺の頭の中を無限ループして、俺は身もなくあいつにすがりついていたのだった。 引っ越すなら、一回だけ抱いてくれと。 ああ、もうなんとゆうことだろう。俺の母上がよく見て感涙にむせいでいる韓流ドラマ顔負けのヒロインぶりではないだろうか。いや、そうに違いない。 ずーーーーーーっと想ってきたのに、一回こっきりでいいなんんて。 理想的「不測の事態」に備えて「オトナのオモチャ」のネットショップで買ったアレコレ買ってはいろいろと頑張った俺の毎夜の努力も飛沫に帰す。 あの時間をS台模試にあてていたら俺の今回の英語の偏差値はプラス5は固かっただろうに。 それなのに。 もう妨害工作はできない。 あいつが、見目だけは無駄にとてもよくて理系科目の成績が随分いいあいつが、女共に食いつかれるのはもはや時間の問題。 俺は幼馴染の特権で、あいつがドーテーだと知っている。 俺だってバージンである。バージン。(こういう場合用法は適切なのだろうか。いや、まあどうでもいい)ちゃんとあいつに捧げるつもりで17になる今日まで大事にとっておいたのに・・・ッ。 ここまで、ホモ的レンアイカンジョウを抜きにしてもあいつはこの俺に想われているのに。あいつときたら、あいつときたら。 俺は心の中で滂沱と涙を流しながら(イメージ映像は美しく)、あいつの胸にしがみついた。 ぎゅうと。 おぉ?と、あいつのデカい手が俺の小学校から『染めているだろう』と疑われ続けた色素の薄い髪を撫でた。あったかい手。でっかい手。当然疑われるたびに貴志は果敢にも俺を守ったりしてくれちゃって。これで惚れるなと言うのがそもそも無理な注文だ。このころから俺の中にあったホモの種はむくくくと育ちジャックが雲の上にのぼれる程度にはなったのだった。 くおー、俺の知らないところ行ったらモテまくって、この手で女子をだきしめたりするのだろうか。 あいつに再会して、あいつの彼女を見たらこの俺はいったいどうなってしまうのだろうか。逆上して刀傷沙汰。あああ、ありえる。嫌だ。ヒトツバシ程度はヨユーで固いといわれているこの頭脳明晰なこの俺が痴情の縺れの果てに(しかもひとりよがりな)前科一犯。 くそう、なんてことだ。すべてはこの男が原因だ。俺を惚れさせまくってこういうことか。くそ。 ああ、なんか哀しくて涙が出てきた。情けない。もーやだ。 内心の嵐など、太平楽唐変木朴念仁のあのあいつが気付く由もなく『へんだなぁ、連太郎。コンタクトの具合悪いのか?ハードだったよな、洗いに行く?』とか、聞いてくる。 だから! 俺は声を張り上げた。 涙声だ。もうハジモガイブンもあるか!! お前がすきだ!!だから、俺を、抱け!! ・・・???抱いてるけど??? 顔一杯にでっかいクエスチョンマークをつけて、あいつ。 そういう意味じゃない、意味じゃない。 ・・・意味じゃない・・・。 顔を覆って泣き出す俺。 ばあか、と冷静に突っ込む自分と言ってしまえ押してしまえと囁く俺がいる。 だって、あいつはもうどこかにいってしまうのだから。 いずれにしても、いつか、誰かのものになるんだから。それが、早くなっただけで・・・。 いい、俺も男だ。 諦めてやるから、いっかいだけ。 更に強くしがみつき、頬を俺は摺り寄せた。 睫毛にたまった涙が静かに流れた。俺はあいつの肩に顔を埋めた。涙がとまらない。 外は雨だった。俺の心の雨にシンクロしたかのように。 ・・・近くに、いたかった。 俺が呟くと、驚いたことにあいつが俺をぎゅうと抱き返したのだ。 ・・・近くに、いる。 ずっと、いたかった。 ずっと、いるよ? 長い指が俺の涙を拭った。 それは、とてもやさしい動作で・・・。 目を開いた俺に、更に驚くべきことに、あいつがキスをした。 ハネみたいな軽いやつ。 あはは、とあいつがイキナリ笑い出す。 へたり込んだ俺に手を貸して、なかば抱き上げるようにして机に座らせる。 そして溜息を吐き出すように言った。俺が聞いたことのないようなセクシーにかすれたこえで。 連太郎は、カワイイ。 そして俺の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。 今度は俺が???の嵐に翻弄されている。 さぞやバカ面を披露しているであろう俺に、あいつはもう一度、キスをした。 ま・る・わ・か・リ。 丸分かり。 お前が俺のことスキだってこと。 ちょっとゲームをさせてもらった。 俺が言うのか、お前が言うのか。 お前が言わなきゃ、俺が言ったけどね。 ・・・ちなみに、引っ越すのは、K町。 俺の唇にもう一度キスを寄越しざま、あいつは囁いた。 ・・・K町。隣の町だ。駅は一緒だ。徒歩にして5分くらい。 なんか、ひいじーさんの土地なんだけど遊ばせとくのは勿体無いってマンション作って、その最上階に引っ越すんだ。 ちなみに、俺は一部屋もらったぜ。いーだろ。 合鍵、ほしーなら。 あいつが俺の脇に両腕を差し入れた。 言ってごらん、『合鍵クダサイ』って。 その、満面の笑みを見て俺はそっぽを向いて呟いた。 そして『・・・・・・クダサイ』と言って、俺はあいつの腕を振り切って走り出したのだ。中坊以来の全力疾走で。背中をあいつの笑い声が追いかける。 今日は俺んち来る?お前んち?それとも俺の新居に明日引っ越すまで今日だけ暫定的にホテ・・・。 言うなッ!!! 振り向きざまに立ち止まり、誰もいなくなった薄暗い廊下で俺は喚く。 一緒に帰ろうよ、とあいつは言う。 いつもの通りの声のトーンで、表情で。 へんなこと言わないよ。 だけど逃げないでヨ、思ってること一緒なんだし。相思相愛。 言うな!と叫ぶ前にあいつが俺の手をぎゅうと握った。 そして『ショーガクセー以来だねぇ』と、のほほんと笑った。 確かに。憧れても、焦がれても「触れる理由」がいちいちなくちゃもう触れることさえできなくなってた。 伝わってくる手のあったかさはあの頃と同じだけど、一応コクハクをした以上トモダチ、じゃあないんだろう。 好きって、言ってもらってない。 もう振り切らず、観念して手をつないだまま俺が言うと『コトバにしなきゃだめかな?』と呟き、そして俺のほうを向いて言った。 すき、と。 なんて甘い言葉なんだろうとくらりときながら、いつもの俺を回復した俺はエバって長身のあいつに命令する。 傘、いれろよ、わすれた。 相合傘。いーねー。 のほほんと笑うあいつはもはやいつもの顔だったが俺はあの短い時間にいっぱいの俺の知らないあいつを見た。 もっと知ってみたようで。 このまましらずにいたいようで。 んなことできっかよ、と俺は叫ぶと階段を二段飛ばしで駆け降りながらスニーカーを突っかけ、雨の中全力疾走した。 とりあえす、明日まであいつの家まで走って40秒のあいつの家の近くの俺の家に向かって。 待てよう、とあいつは叫ぶが俺はとまらない。 この俺を翻弄したせめてもの仕返しにおいてけぼりを、食らうがいい。 俺は声を殺して、くくくと笑った。 雨は心地よく、俺の頭上に降り注ぐ。 天気は雨でも俺の心は快晴で。 タナボタに手に入れてしまった長い恋の成就に俺の心はしっとりじわんと満たされていたのだった。
明日が怖いようで、心待ちにするほどに楽しみなようで。 いずれにしてもなんにしても明日は来るわけだから、俺はあいつの部屋の合鍵と共に新しい一歩を、踏み出すのだろう。
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