「バカ、アホ、ボケ、カス」 ワンルームの部屋に置かれたベッドに寝転がりながら、今にもテーブルに突っ伏すかのように白い紙を小さな文字で埋めている男に、時田は今思いついたばかりの暴言(まだかわいい方ではあるが)を浴びせる それでもなかなか返事をよこさないので、また同じ言葉を繰り返す。 「お前それ以外の言葉ないの?」 「うるせー」 ようやく返ってきた言葉には特に何も思わず、それでも目はテーブルに広げられた紙からはずさないままの村上に少しの苛立ちを覚える。 「もうちょっとお勉強でもした方がいいんじゃねぇの?」 忙しいと言外に含ませながら、村上はかわらずしゃーペンの先を走らせる。 「お勉強とか言ってんじゃねー」 「はいはい」 余裕な態度が気にくわない。 「ボケ」 そう思った時田は、体を多少起こしベッドの上から村上の背中のちょうど真ん中あたりを、さっきとは違う暴言をぼそっと口にしながら無造作に蹴った。 「さっきからなんだよ。俺明日までのレポート片づけてるところなんですけど」 ようやく視線があった。その目はいかにも迷惑という色を浮かべていた。 「俺は暇」 そう、時田は暇だった。講義は必要最低限のものしかとらず、しかもその大半は出席と期末の試験しかないというもので。そのうえ今週はバイトも休みだから何もすることがないのである。 「そりゃ、お前はとってないからだろ」 時田と村上は同じ大学の一回生であった。と言うか、出会ったのがその大学なのだ。 「誰があんなつまねーの受けるか」 村上がとっているのは、白髪のいかにもな老人によるもはや眠気との格闘とも言える講義であった。 確かにおもしろくはないと、村上も言葉にはしないが思う。村上の専攻には必要だからと『一応』とっているだけで、そうでなかったら選ぶわけがない。その程度には興味も関心もわかない講義なのは確かだったりする。 「単位ってもんがあるだろ」 そんな、学生としては背に腹はかえられないという思いを告白するが。 「俺には関係ないな」 その一言でバッサリ切られた。そりゃあ専攻違いのお前はそうだろうと村上は心中でつっこむ。 「だが俺には関係あるんだこれが、だから今すぐその足をどけなさいって」 そう、ここで何を言おうとも、村上がその講義を選択したことは事実だし、このレポートを明日の朝一番に持っていかないと単位取得が危ないというのもまた事実なのである。 「やだ」 普段ならあまり言わない子供っぽい言い方の時田にちょっと気を惹かれつつ、しかし明日までにこれを書き上げなければと、村上の心中は葛藤の嵐。 「やだとか可愛いこと言ってんじゃないよまったく」 思わずため息が出る。というか、ため息でも吐かないとやってられない。 「可愛い?」 これまた誘惑でもする気かという風に『珍しく』上目遣い。確実にわざとやっているのは見え見えである。 「ん~そうやってくねくねしてんのはキモイ」 「テメ、ふざけんな」 負けるわけにはいかないのだよと、その罠を無視してみせる村上に、あからさまに不機嫌になる時田。 「ふざけてないし」 また前にむき直し、笑って応える。 「なお悪いわ」 そう言ってもう一度背中に蹴りを入れた。 「もーマジ勘弁して」 今度は身体ごとベッドの上に寝転がったままの時田に向ける。 「明日なのよ」 危ないのよと続けながらこちらも上目遣い。自分の方が高いから、こんなこと滅 多にできないなと村上は心のどこかで思う。 「なんでもっと早くしとかねぇんだよ」 どこか憮然とした時田の声から、相手の考えるところを察した村上は苦笑しながら応える。 「誰かさんが珍しく連日で泊まりに来るから。サービスしなきゃと思ってね」 「あんなサービスいらねーし」 「またまた。ヨカッタくせに」 「ふざけろタコ」 「今度はタコかよ。いい加減二文字以上の言葉はないの?」 むしろお前のがタコだろ。その顔は。なんてことは言わない方が身のためであることは重々承知している村上。目の前の男は一見大人しそうに見えるが、本性はそんじょそこらの男より男らしい。と言うか、むしろそれ以上だ。 「お前のために俺の大事な脳を使うなんてできるか」 はっと鼻で笑う時田。その口から出てくるのは、大概はその容姿には不似合いな言葉ばかり。 「身体ならいつでもオッケーだよな」 まだ夏とは言い切れない季節にもかかわらず、早々とタンクトップを着ている時田の鎖骨のくぼみをゆっくりとなでる。そこが弱いということを熟知している村上は、楽しそうに唇の端をあげてもう一度なでようとした。 「お前こそ何でもかんでもそっち方面もってくのやめろ」 が、二度目はないと言わんばかりにその手はたたき落とされる。 「だって~」 「でかい図体しながら『だって~』とか言うな。そっちのがキモイ」 さっきの仕返しのつもりらしい。 「可愛げのない」 「なくて結構」 まぁ、そんなところもかわいいけどとは村上。あえて言わないが、そう思ってる自分もそうとうアレだなとか冷静に考えられるくらいにはまだ理性は残っている。 「なかしちゃろか」 「やれるもんならやってみろ」 挑戦的な目に吸い寄せられる。腰を浮かせ、ベッドの縁に手をかけて見下ろした時田の顔に自身の顔を近づける 「・・・時間ねぇのよ」 唇同士がふれあうまで、後1センチもないところで村上が呟く。 「だから、『やれるなら』やってみろよ」 至近距離で互いの顔しか見えないところで時田が囁く。 「・・・」 ここで一度でも触れてしまえば、明日が締め切りのレポートさえ投げ出してしまうことは目に見えている。理性をとるか本能をとるかで、村上は盛大に悩んだ。 「時・・・」 悩んだが結局、そう時間のかからないうちに本能が理性を制した。 俺もまだまだだなと思いながらも、そうと決まればさっそくと。最後の距離を詰めようとした。 だが、吐息が重なるというところで時田が顔を逸らした。あっけにとられる村上。その村上を見下ろしながら時田はベッドから降り、唇の端を揚げながら楽しそうに言う。 「単位、いるんだろ」 もう少しで味わえるはずだったごちそうを逃した村上は、いっそ蠱惑的なほどに目を引くその唇から目が離せなかった。 「ま、今日は徹夜で頑張るんだな」 「な」 言われた言葉にようやく頭が追いついたが。 「あ、俺明日からまたバイトで当分ここにはこねーから」 数歩でたどり着く玄関で、ドアノブを握りながら今思い出したと言わんばかりの 時田の付け足しの言葉に固まって。 「じゃーな。せいぜいレポート用紙相手に頑張れよ」 村上はあっけにとられたまま、時田が扉を閉めて出ていくのを呆然と見ていた。 ようやく我に返った村上は、煽るだけ煽られて吐き出しようがなくなったやるせなさをテーブルの上に鎮座する諸悪の根元ともいえるレポート用紙にぶつけた。 結果、レポートは最初の丁寧さこそなくなったものの、老人には気に入られたらしい。
後日。 「この間の続きは?」 「は?」 「俺がレポートやってたときの」 「あぁ」 「続き。あれからもう一週間だよ?もう俺限界なんだけど」 「また今度な、俺は今バイトで忙しいの」 「そんな」 「だから言ったろうが、早めに済ませとけって」 「遅いよ」 「しらねーよ。つかもう時間だから行くわ」 「時田~」 すがりつく暇さえ与えてくれない恋人に泣く村上の姿があった。
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