バラ色の日々「新居ブギ」
すごく楽しみにしているイベントってあるでしょ? ああいうのってさ、昔だったら、そう遠足とか、コンサートとか、 準備している時が最高に楽しい!ってタイプと、実際に、現場に いないと面白くない。っていうタイプと分かれるものでしょう? ちなみに僕は前者。 もちろん当日になって、イベント自体も凄く楽しんでいるけれど、 それって、やっぱり事前に調べものしたり、準備したり、当日の 色々なことを想像してニヤけて見たり。 そういう時間が多ければ多いほど、当日もヒトの倍は楽しめたような 気がするな。 その体質っていうのは、もちろん今でも変わってなくて。
今度、僕は引越をすることになったんだ。 これで人生三度目の引越。一度目は、大学に入ってすぐ。学校と 実家が遠かったものだから、自活を始めたのが最初。 もう物凄いポロアパートでさ、僕のほかは、全員夜の商売をしている 女性や男性やらばっかりで。まあ、楽しかったけど、僕はあそこで 倍の耳年増にはなったかな。だって、話に聞いているワイ段程度 じゃ済まなかったもの。実際の現場は凄いんです!みたいな声とか、 まあ、そういうのが日常だったってことかな。
そうそう、何度か京介が遊びに・・・と言うか、押しかけて 遊びにきたこともあってさ。 六畳一間のアパートに京介がいると、ほら、彼大きいでしょう。 でさ、気品!ってヤツがあるでしょう?だからさ、京介が 僕の部屋に来ると、部屋は途端に狭くなっちゃうし、貧乏臭いの 倍増だしで、なんだか現実感なかったなあ。 まあ、本人は「ユウさんに似合いの愛らしい部屋です」って 感心していたけどね。彼の人生において、あんな小さな部屋を見た のは初めてだと思うし、結構、カルチャーショックだったと思うよ。 僕は、ちなみに「ユウさんの香りで満ちた空間ですね」なんて云われて はじめて「自分の体臭」ってモンに思い切り気がつかされて、 それがカルチャーショックだったけどね。 今じゃ、どっちも笑い話だよ。 ああ、また話が逸れちゃった。ごめんね。そのアパートに住んで いた時の話なんだけどさ、
それが昼間だったんだけどね。昼間って、住人は寝ているか、 商売をそろそろ始めるか、って時間なんだ。 例によって、そういう声が、もうアパートが壊れちゃうん じゃないかしらん。っていうぐらい大きい声で始まったのね。 あの時は、そうそう隣の部屋の・・・SMって云うか、 Mだよね。完全にMのオトコノコがいてさ。その子の部屋から、 「折って!もういいから折って!」 なんて声が聞こえてきたわけ。 「・・・ユウさん、お断りしておきますが」 「うん、どうしたの?」 「他人の情事に口を挟むべきではないと承知しています。そしてこの 発言は決して、ユウさんを誘惑に誘うためのものでは決してありません」 「誘われても断るけどね」 あっさりと言い切った僕に、京介はガックリと肩を落とした。 狭くて小さな部屋で彼みたいな大きなヤツにうなだれられると、 途端に部屋に重力がかかったみたいに重たくなったのだけど、 僕は全然、気にもしていなかったんだ。 そう、まだ僕らは「そういう」関係じゃなかったんだ。 「今聞こえた、あの声は、どう解釈したらいいんでしょうか」 「うーん、多分、きみの想像している通りだと思うけど。さすがに 僕も「折って」っていうのは初めて聞いたなあ」 「他にも聞かれたことがあるんですか?」 「そりゃあるよ。普段は、ぶって!とか叩いて!とかね。熱い! とかもあったかな」 「ユウさん、頭に血が昇りそうになるようなことを、そんな 私の愛する顔で平然とおっしゃらないでください」 「なに想像しているのさ。ねえ、あれってヤバくないの?その、 折って!っていうのはさ」 僕は笑いながら、部屋に一つしかない窓を開けた。頭に血が 昇ったんだったら冷やさないとダメだろ。って思ったんだ。 「問題は間違いなくあるでしょう。まあ、部位にもよりますが」 「えっ。折っていい部位があるってこと?それってどこ?」 ぬるまゆい風がのろのろと入ってくる。僕は、小さなテーブルを 挟んで京介の向い側に座りなおし、身を乗り出した。 「私にユウさんを傷つけることを求めないでください。ユウさんの ご希望は地の果て、天の上、海の中でも捜し求めて献上させて いただきますが、ユウさんご自身を傷つけることだけには賛成 出来かねます。ああ、ですが私が出来ないからと云って、他の 人間に代理をさせるのは許しがたいことです。人生における究極の 選択です。ですが選ぶことが出来ない・・・私には、とても」 京介は長々しく、そして仰々しくそう言うと、頭を抱えてしまった。 しばらく冗談かと思って、一緒に無言でいたのだけど、京介が、 僕に助けを求めるような、すがるような揺れた瞳で見るモンだから、 時間がかかったけど、そこに至って、ようやく彼が本気だとわかって 僕は呆れた。 いったい、どんな思考から、僕がSMを遠まわしに求めている。なんて 解釈になるのだろう。 「あのねえ。そんなバカみたいなこと想像しなくていいよ。だいたい 僕は痛いのはキライだから安心していいって」 「ええ、私は誠心誠意優しく勤めさせていただくつもりです」 「優しさもいらないし。きみとそういう仲にならないよ。って何度 云ったらわかるのかなあ」 「私の場合は肉体は二の次ですからね。まずはユウさんの愛を 勝ち取ってから、と思っています。もちろん」 「はあ・・・懲りないね、きみも」 糠に釘とは、まさしく京介のことを云うんだな。なんて改めて 僕は思ったものだ。 あの当時の僕は、自分がどう転んでも京介とそういう仲になるなんて 想像もしていなかったどころか、こうして思い切り拒否して いたのだから。 「そうじゃなくってね。折っていい部位があるんだったら、それって ミステリで使えるな。って思ってさ。いいトリックになりそうだから 聞いてみたの。話を元に戻すよ。そういう部位ってあるの?」 「そうですねえ・・・」 その時だった。 僕の部屋まで響き渡った「ボキッ」という音。思わず僕は「ギャッ」と 短く叫び、肩を竦めた。聞いているだけで「痛い」音だったんだ。 「やりましたね・・・」 「やったね・・・ああ・・・なんか僕、あの音聞いたら全身の力が 抜けちゃったよ」 「聞いていて気持ちのいい音ではありませんからね。大丈夫 ですか?顔色が優れないですね」 机に突っ伏した僕の髪を京介がさらさらと撫ぜた。彼は医学部、 しかも外科の学生だったから、そういうのは慣れている、っていうのは おかしいな。耐性が多少はあったんだと思う。 「まあね。平気かなあ・・・気持ち良さそうな声しているんだけど あれってやっぱり痛いよねえ」 「ユウさんの口から、気持ち良さそうな声、などと言う艶っぽい 言葉を聞くと、さすがにこの私でもドキッとしますね」 「病院行かなくて平気なのかなあ」 ドキッとする。なんて云いつつも、京介が僕の髪を撫でる手は 労わっているそのもので、そんな言葉を聴きつつも、僕は安心して 任せるままにしていた。 「そうですね・・・それはもちろんですが。ご心配でしたら、 もうしばらくしたら様子を見に行くことにしましょう」 「出歯亀させることになっちゃうかも」 「なんの。ユウさんの気持ちが落ち着くのでしたら安いものです」 「ん・・・ありがと」 痛いのか、気持ちいいのか、僕には判断のつかない声と、そんな ことは関せず日常を送っている声と、どこかでケンカしている声と、 アパートには色々な声が雑多に煮込まれていたけれど、 その時の僕と京介の時間というのは、とても静かに流れていた。 まるで僕らだけ安心という陽だまりの中でまどろんでいるかのように。
ああ、ごめん。前置きが長すぎちゃった。 僕は、秋葉 優(あきば・すぐると読む)愛称って云うのかな。 親・兄弟も含めてみんな「ユウ」って読んでいるから、例え 漢字表記でもそう読んでくれていいよ。 職業はミステリ作家。 前置きでもちょっと出てきたけど、同居、同棲なのかな。どっちの 言い方でもいいけど。同棲って、ちょっと照れくさいかも。 まあ、つまり同棲、と普通は呼ばれる、つまりそういう仲の相手の 名前は伊集院京介。僕も卒業した学校で、今は医学部の助教授を やっている。容姿端麗・眉目秀麗・絢爛豪華(ちょっと違うか)、 その上に「天才」というおまけつき。ついでに外人。見た目は 完全に日本人・・・には無理があるか。あまりにも色々な血が 混じっていて、もう外人ってくくりじゃないんだよね。 性格は・・・ちょっと難が あるけれど、ま、クセのない人間なんていないしね。彼の頭上には いつだって「完璧」という王冠が被せられているんだ。
今度、京介と一緒に引越をすることになった。今、住んでいる このマンションだって京介の持ち物なんだけど、なんと彼は、 今年の僕の誕生日に家をプレゼントしてくれたんだ。 もちろん、二人で一緒に住むために、ね。僕はその家も庭も 敷地も、もちろん彼との、その同居だね。を続けることにも 何にも問題なんてなくて。むしろ、そう喜んで申し出を受けたって いう経緯があるんだけどさ。 だって、もう今更、別々に暮らすなんて考えられないもの。 なんて京介には言わないけどさ。気持ちより先に、身体が慣れちゃって いるって、言葉にほら誤解があるからね。 それで、その家が老朽化が進んでいたものだから、新しく建て替える ことになったのね。 その相談などをぼちぼち僕と京介はしているのだけど。 その時の話。
「お風呂ですが、私の希望は全面ガラス張りです。今、よく コマーシャルで見るでしょう。ああいったスタイルを希望します」 バスルームのカタログを開きもしないで京介は云った。 「はあ!?」 僕は色カタログから目を開け、まじまじと京介を見てしまった。 「お風呂から中庭が見える、とか、露天風呂タイプに変身とか、 そういうタイプじゃなくってかい?」 「ええ、ガラス張りがいいです」 にっこりと笑って京介は言い切った。スタイルを希望。って言葉が 引っかかっていたんだ。 だってさ、京介みたいなモデルも経験している、持ち物は全て オーダーメイドなんてこだわりのヤツが「スタイルを希望」だよ。 そういうスタイリッシュな空間を求めているのかな。って思う じゃないか。 今まではマンションだし、そんなに広くもないからさ、出来なかった ことを一軒家で叶えたい、っていうそんな希望だと思ったんだ。 だから、僕は、そろそろと話し出した。 「僕はイヤだなあ。だってさ考えても見ろよ。あれは何処からでも 見えちゃうわけだろ。掃除が大変だよ。常にキレイにしてるけどさ、 水滴一つ、髪の毛一本でもっていう単位で掃除に毎日気を使うの 大変じゃないか」 「ヒトに頼めばいいことではないですか。ユウさんが気になさる ことではありませんよ」 「あのねえ・・・」 まったく。京介の金銭感覚、日常生活でのズレというのは、ホント 普通のヒトと掛け離れてしまっている。使い切れないぐらいの お金を持っていることが生まれたときから当たり前だと、そういう 思考しか出来なくなってしまうのだろうか。僕は、たまについて いけなくて、この時も、わざとうんざりため息をついた。 「スタイルを維持したいのであれば、ちゃんと生活した後の色々なこと まで考えなくちゃ。僕らで出来ないことを頼むのはいいよ。庭の手入れ とかね。だけど出来るのに、お願いするのは横着だよ。雇用することが 即、国に貢献するなんて国じゃないんだから、ここは」 「すいません・・・」 「謝ることじゃないだろ」 僕は苦笑した。そんな神妙にうなだれられてしまうと、逆に 僕の方が困ってしまう。 「いえ、つい不埒な考えを安易に夢見てしまった私が悪いの です」 「・・・は?不埒な夢、って?」 思い至って、僕はジロリと京介を睨んだ。そして思い出したんだ。 ああ、彼に自分の半径2メートル以上のお洒落とスタイルなんて 望んではいけないことだったんだ。ってことを。 「悪いけど、僕には他人にじっと見られながら風呂に入る 習慣もつもりもないからね」 「他人!そんな冷たい言葉をユウさんの口から聴いたのは、これが 生まれて初めてです。なにか私の愛を疑うことがありましたでしょうか。 いえ、今のその不埒な考えを除いて、ですが」 「ないって。他人はモノの例え。つまり覗かれたり、見られたり するような趣味はないってこと。だいたいにして落ち着かないし、 リラックスも出来ないだろ」 「ですがっ・・・」 京介は悔しそうに下唇を噛み、握った拳を震わせた。 「なに、どうしたの?」 何か言いにくいことか、深い理由とかがあったのだろうか。どうせ 京介の不埒な考えだと単純に考えていた僕は慌ててしまった。 うつむいている京介を下から見上げるように、覗き込むと、彼は キリッと顔をあげて真正面から僕を見た。 「では、以前から不満に思っていたことですが、はっきりと言わせて いただきたいと思います」 「え、なんだよ、いきなり」 そんなに前から不満に思っていたことを我慢していたなんて、 今まで気がつきもしなかった。 僕は背中をしゃんと伸ばして、同じように京介を正面から見た。 「なぜ温泉などに行かれるのですか」 「・・・はい?」 「銭湯とやらも同然です。どんなに懇願しても私とは一緒に お風呂には入っていただけないではないですか。それなのに、 どうして見ず知らずの人間とは風呂に入れるのですか。それだけ ではありません。もれなくその方たちにオールヌードまで披露 していらっしゃるんですよね?おかしいと思いませんか? ユウさんの恋人にである私には、ガラス越しのヌードは拝見 させていただけなくて、見ず知らずの人間なら良いというのは。 そんな人間たちにユウさんのオールヌードを黙って見せてやって いるのかと思うと腹が煮えてやりきれない気持ちで仕方ないです!」 眉間にびしっと厳しい皺を寄せて、拳をぶるぶると震わせて、 京介は一気に言い切った。 僕はしばらく呆然としてしまい言葉が出なかった。だって、 なんて答えたらいいのだろう。 「えーっと・・・じゃあ、一緒に銭湯行けばいいんじゃない?」 「行けません!」 「なんで?そういえば、きみ温泉も行かないよね。それって やっぱり外人さんだから慣れていないってこと?その、大きな お風呂にさ、みんなが入るのにさ」 「そうではありません」 やけにきっぱりと京介は言い切った。それもそうだ。あれだけ 日本情緒は好きな京介なのだから、お風呂だけは別。なんて 先入観を持つはずがないんだ。ましてや、彼の身体は誰もが 絶賛するぐらいキレイなんだから。半裸ぐらいだったらグラビア にも出しているぐらいだし。 僕は、そのグラビアを思い出して、ちょっと照れくさく思った。 だって、さすがはプロだなあ。と思うようなセクシーな出来栄えの 写真だったんだ。大反響を生んだのに、本人は知らぬ存ぜぬでさ。 もったいないなあ。と、ヒトゴトながら思ったものだ。 「私がユウさんのオールヌードを見て、黙って堪えられると 思いますか!?」 「・・・は?」 「そこが衆人観衆の風呂場であろうが、露天風呂であろうが、 間違いなくその場で襲いますよ。当たり前じゃないですか」 「あ、たり前・・・ってねえ」 今度は絶句した。まったくもって、こんなに長く付き合って いるけれど京介の頭の思考回路なんて読めた試しがないんだ。 「あのねえ、どこの世界に公衆浴場で欲情するヤツがいるんだよ。 きみだって一度行ったらわかるよ。そういう世界じゃないんだ。 もっとオープンでさ」 「オープン!」 「変な勘違いするなよ。ええっと、説明するのが難しいな。 裸の付き合いっていうのかな。おじいちゃんの背中を流すって いうか」 「裸の付き合い!背中の流し合い!」 「どうも、きみが言葉にすると別の意味に聞こえるのはどうして なのかなあ。説明が悪いのかな・・・」 「ユウさん、今後そんなところへは出入りしないでください!」 「ええっと・・・」 今度は僕が頭を抱える番になってしまった。 だってそうだろう?銭湯と温泉をオールヌードで裸の付き合い (言葉は間違っていないんだよなあ)だと、解釈を勘違いして いるヤツに、僕はどうやって説明を施せばいいんだろう。 「やっぱり口で説明するのは難しいな。行こうよ、銭湯。 僕は別に今日でも構わないよ。きみも行けばわかると思うしね」 「ダメです!絶対にダメ!そんなに銭湯に行きたいんであれば 今夜、ここで私と一緒に入ってください!」 「えっ!!イヤだよ、そんなこと出来っこないじゃないか」 「なぜです?どうして見ず知らずの人間は良くて、私はダメ なんですか。どうしても納得がいきません」 「あのねえ・・・意味が違うだろ、意味が。そう、銭湯には セクシャルな意味合いがないの。きみのはセクシャルな意味合い だろ?違ってるかい?」 「違いません!」 ほらね。と、僕は両手を広げた。まったく色々とゴネていたけど、 結局「僕と風呂に入りたい」に帰ってくるんじゃないか。 まあ、ガラス張り越しにヌードが見たいと丸め込まれるよりは マシ・・・のような気もするけれど。 だけどさ、「入りましょう」「そうしましょう」って、こんなに 気合入れて激論するもの? こんな話し合いしていたらさ、例え、最初はセクシャルな気持ち (今日はなかったけど)あったとしても、とてもじゃないけど、 そういう気持ちって復活しないよね。 まあ、そんな京介が可愛いって云えば、そうだ。とも云えるけど。 「そんな下心たっぷりヤツとはお風呂はご一緒出来ません。却下」 「ああ・・・」 京介が天を仰いだ。まったく、いつもいつも僕がその手に 引っかかったり、丸め込まれたりすると思うなよ。 「あははははは」 僕は盛大に吹き出してしまった。京介はお風呂のカタログの上に 突っ伏して、しばし自分の浅はかな言葉を悔いていたけど。 それだって、しばらく時間が経ってしまえばころりと忘れてしまえる もので。 次はどんな手で誘われるのか、相当、執念深いからな、彼。 特に僕に関してはね!
そんなこんなで、お風呂一つ決めるにも大騒動なんだ。 もちろんこの日は決定なんてしなくて。 その話は、また今度、ね。
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