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 (告白/美大生×美大生/美術館デート/--)
三寒四温


スケッチブックの上をサラサラと滑る水彩色鉛筆を止める。
手が冷たくてかじかみ、思うように動かない。
ふーっと手に息を吹きかけ擦り合わせるが、あまり効果は無いようだ。

先日、幼なじみのさと兄こと「竹宮 智」とは、偶然この井の頭公園で再会した。
子供の頃、両親の離婚で引越しをするまで、さと兄には随分可愛がってもらった。
僕とさと兄は絵という共通の趣味が有り、8年の空白にも係わらず直ぐに打ち解けられ、一緒に井の頭公園の満開の桜をスケッチする約束をした。
  
「日向(ひなた)君、風邪引くからそろそろ帰ろうか?」
温かい缶ミルクティーを渡してくれる。
首からカメラを提げたさと兄は、缶コーヒーに薄く形の良い唇を付けた。

「竹宮さん、有難う御座います」
僕は缶を手で包んで暖をとる。
思ったより自分が冷えていたことに気づく。

ココロの中では懐かしく『さと兄』と呼べても、簡単に口にすることは出来ない。
馴れ馴れしい奴だと思われるのはイヤだし、8年という距離感を僕はどうも上手く掴めないでいる。

『さと兄』と気軽に呼ぶには、カッコ良すぎた。
切れ長の目は一見冷たく見えるが、細めて笑うと優しく柔らかな印象に変わる。
背も高く、バランスの良い骨格はデッサンしたくなる程だ。

「竹宮さんはツレナイね。この間はさと兄と呼んでくれたのにね」

「すみません」
スケッチブックを眺めながらミルクティーを飲み干した。

「竹宮さんは続きどうしますか?明日また来ます?」

「俺、明日はパス。ゴッホ見に行きたいから」

僕もゴッホ展を見に行きたいと思っていたので、すかさず聞いた。
「一緒に行ってもいいですか?」

さと兄は少し考えて、間を空けてから「いいよ」と答えた。


******


昨日の寒さが嘘のように、今日は暖かい。じわりと汗ばむ。
僕らはこうして、もう30分も外に並んでいる。
時おりだらだらと、列が進む。

「失敗したな。昨日TVでゴッホ展の特集をしていたみたいだ」

珍しく、さと兄は不機嫌そうだ。
でも僕は、こうしてさと兄とぼーっと並んでいるのはそれ程イヤではない。むしろ有難い。
北海道からM美大入学の為に上京して一週間目で、何の予定もなければ、まだ知り合いもいない。


やっと美術館の入り口に列が差し掛かる。
トイレを我慢していた僕は、さと兄に断わり列を離れて急いだ。
『何事もガマンは体に毒だ』なんて、ひらひらと手を振ってくれた。


男子トイレの個室はおばさん達に占拠されていて、恥ずかしくてなかなか用を足す勇気が出ない。
そわそわと様子を伺う僕に、可愛いわねとか、キレイな子だから息子にしたい位など勝手なことを言われた。
歳より幼く見えるせいか、カッコいいと言われることはまず無い。
コンプレックスだった。

やっと戻れた時には、列は進み、もうさと兄を見つけられなかった。
係りのヒトに事情を話し会場の中に入ると、絵の周りも会場内もヒトで溢れている。
人波を掻き分けゴッホの絵も見ず、さと兄の青いストライプのシャツだけを探す。
気が焦る。
もう二度と会えない訳でも無く、ただ逸れただけなのに・・・・

いつの間にか出口に辿り着いていた。
椅子に腰掛けさと兄を待つ。
ゆっくり絵を眺めていたとしたら、僕の方が多分先に着いている筈だ。


こんな時、さと兄はどんな行動を取るのだろうか?
親しく感じているだけで本当は何も知らない。
きっと面倒な奴と思われたかもしれない。
ヒト酔いしたのか、頭が酷く重い。
普通はここまで後ろ向きではないけれど、今日は悪いコトしか思い浮かばない。
ホームシックなのかもしれない。

椅子から立ち上がり、会場の入り口に向うと黄色い絵が不意に目に飛び込んだ。
外で並んでいた時にさと兄が話していた絵だった。

『ゴッホがゴーギャンと暮らした家』

「絵描き同士で暮らした家、なんかいいですね」
その時、僕の言葉にすこし驚いた顔をしたが、さと兄は何も言わなかった。

ゴッホのキレイな黄色は輝き光を放っているようだった。
絵の側まで近づき暫らく眺めてから、解説に目を通す。
僕が能天気に考えていたような絵では無かった。
ゴーギャンがこの家を出て行き、残されたゴッホは自ら耳を落す。

急いで会場を出て出口へと向かった。
ゴッホの絵は狂気だ。今日の僕には刺激が強すぎる。

受付案内にさと兄が立っているのが見えた。
姿を見た途端、現実に戻る。

「日向君、いい年して迷子になりましたか?」
近づいてくるさと兄の手に握られたチケットの半券は、切り離されていなかった。
ずっと此処で待って居てくれていた。

「すみません、竹宮さんはもう先に中に入られていると思って・・・・・」
言葉が続かない。あれから45分も経っている。
僕が下らないコトばかり考えている間、此処で立って待たせていたなんて。
すみません、すみませんと何度も頭を下げるしかなかった。

「もう1度、付き合ってくれる?」
待たされたことを一言も責めず、受付のヒトに話を通してくれる。
後ろをとぼとぼと歩いて、僕はもう1度会場に入った。

さと兄はアンダーフレームの眼鏡を、胸のポケットから取り出し掛けた。
レンズ越しの瞳が、まるで知らないヒトのように見せる。

僕は気に入った絵を少し離れてじっくりと眺める。
さと兄は万遍なく、近づきゴッホの筆使いなども見ているようだ。

椅子に腰掛け、絵を眺めるさと兄を恨めしく僕は眺める。

勝手な行動をした僕のコトを責めてくれたら気が楽なのに。
何も触れられない方が、無言で責められ、無視されたみたいでイヤだった。

「日向君は罰が欲しいの?」

卑しいココロを見透かされた。
耳まで真っ赤になって立ち上がり、わざと混んでいる花魁の絵の側に近づく。
横に立っている筈のさと兄に正面の絵を見たまま言った。

「呆れたでしょ・・・」
「別にそんな風には、思わないけれど、日向君はそれでしんどくない?」

さと兄はふ~っと、ため息をついて、耳元で小さく言った。

「じゃ、目をつぶって歯を食いしばれ!」

自ら望んだ事だけれど、こんな所で殴らなくても、そう思いながら僕は言われた通りにした。
暫らくして、予想していた痛みでは無く、やわらかいものが掠め、一瞬唇に触れた。
多分キスをされたのだと思う。


何が起こったか理解するのに時間が掛かり、目を開けてから、さと兄の姿を探すと次のコーナーの『糸杉と星の見える道』を眺めていた。
大きな星がもうひとつの太陽にも見える。しかし横に絵描かれた月より蒼く黄色い光を放つ。
僕が近づくのを目の端で確認して、何ごとも無かったように順路に沿って先に歩き出した。



地下鉄を降り、連れてこられた蕎麦屋はランチが終わっているのに混み合っていた。
向かいに座るさと兄の形のいい唇が、ズルッと音を立て蕎麦を飲む。
上目づかいに動く唇を盗み見る。
僕はさと兄の意図が解らず、胸が痞えて蕎麦が喉を通らない。

「日向君、蕎麦は嫌いだった?」
「いえ、好きです」
そう答えながらも半分以上も残してしまった。

大学に顔を出すという、さと兄と国分寺駅で電車を降りた。
ヒトが改札方面に流れて行くのを見送り、ホーム後方の階段の裏で立ち止まった。
すっかり困惑した僕はとうとう口にしてしまった。

「なんで、あんなコトしたんですか?」
声は低く震える。

「キスしたコト?」

・・・・・やっぱりあれはキスだったのか。

「嫌がらせされるなら、ハッキリ責められたほうがいい。あんな、あんな・・・」

怒り出して震える拳を止めるように、手首をつかまれ引き寄せられた。

今度は触れるだけのキスでは済まなかった。
押し付けられた唇は冷たく、期待にゾクリと震える。
唇をきつく吸われ、舌先で口を開けるよう促される。

「ちょっと・・・」

言葉の続きに舌が絡みつき、飲み込まれた。
躰中を締め付けられて、血潮が瞬時に沸点に達する。
そんな痛いキスだった。


「日向君のキスは熱いね。冗談いってないでヤバイよ」
おでこに当てられたさと兄の手が氷みたいに冷たい。
このダルさと苛立ちは、そうか風邪を引いたんだ。


      *********


僕は熱にうなされて黄色い夢をみた。漠然とした夢。
それは月のように甘く朧気で、星のように尖って冷たい。
目を覚ますと、まだ見慣れない自分の部屋のベッドの上だった。
体を動かそうとすると節々に痛みが走った。

「何か、飲むかい」
さと兄が、心配そうに顔を覗き込んだ。
額に触れた大きな手のひらの、感触が気持ち良くて心細さを払拭していく。

「一人で大丈夫だから、さと兄はもう帰って・・・」
温もりが手放せなくなる前にさと兄の手を振り払って、可愛げの無い虚勢を張る。
僕は誰にでも甘えるのが苦手だ。
期待して受け入れられない虚しさは、両親の離婚ですっかり学んだ筈だった。

「もう帰れないから泊めてくれる?」
時計に目を移すと深夜の2時を回っている。
いつの間に振り出したのか、雨音が聞こえてきた。
僕が目を覚ますまで、帰らずに側に居てくれた。

部屋の隅に畳んであった洗濯物から、着替えを取って手渡してくれる。
下着代わりのTシャツを脱ぎながら、顔を上げると視線がかち合う。
貧弱な上半身を見られバツが悪くて、急いでパジャマを羽織った。
体を隠したと勘違いしたのか、さと兄は窓の方を見て

「男の俺にキスされて気持ち悪かった?」
「いえ」

さと兄にキスされた時に不思議と不快感は無く、むしろ気持ちが良くて離れ難かった。

「そのう、男のヒトが好きなんですか?」
「多分違う。今まで男にそうゆう気持ちを抱いたコトは無い。日向君は特別で、俺の初恋のヒトだから好きなんだと思う」

『好き』と云う言葉に浅ましく反応してしまう。
幼い頃に見栄も外聞もなく、ただ手に入れようとした言葉だった。

さと兄はいつも、僕が欲しい言葉をくれた。そして、今も。
一度思い出すと、記憶とは不思議なもので、端を結んだ手品のハンカチーフみたいに、するすると引き出され鮮やかに心の中で広がっていく。

「僕もさと兄のコト好きです」

さと兄は困惑した表情を浮かべ、肩を竦める。
子供に言い含めるように、ゆっくりと言った。

「俺の好きと日向君の好きはきっと意味が違うけれど、でも『好き』なんだよ。
 日向君の『好き』は刷り込みだけど、『ヒヨコの好き』が変化するかもしれないからゆっくり行こう」

部屋が穏やかな空気に包まれる。
引き寄せられて抱き留められると、さと兄の心臓の鼓動と温かい体温が伝わる。
これまで感じたことが無いような安心感を覚える。
窓に打ち付ける強い雨は、確かに春の訪れを知らせていた。

「季節が過ぎてしまいましたが桜の木の下のカップルです☆よければ併せて読んでみてください。」
...2005/5/6(金) [No.198]
バニラ
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