美しい月は桜を愛でる
「美月!やっぱり美月だったんだな!」
どこの誰の家の玄関かもわからないところで、オレはつい大声をあげてしまった。
「なにしに来たんだい。ここは君が来るところじゃないよ」
興奮しきりのオレに比べて、美月の眉間にくっきりと「邪魔」と書いた皺が刻まれる。
「買い物の途中で見かけてさ。もう、そのまんま追ってきたんだよな。
あの後姿は絶対に美月だと思ってさ。美月、ところでこんなところで何しているんだよ」
「桜井が知ったことじゃないだろう」
うんざりとした口調で言われ、さすがにオレもちょっとたじろいだ。
言われればその通りなのだが、いかんせん、身体が美月を見ると追いかけてしまう。
という悲しい習性を持っているものだから、その瞬間の自分の行動に是非などないのだ。
ただ、それだけなのだが。
「言っておくがストーカーじゃないからな」
「わかってる」
「さすが美月。わかってくれているんだな。このオレの一途な愛を」
「わかっていると言ったのはそういう意味じゃない。
桜井の場合はストーキングじゃなくてイヌみたいなものだろう」
単に良くも悪くも「相手に被害を与えていない」という意味なのだ。
と言下に言われ、思わず「だったら、もっと構ってくれよ」と、ボソッと呟いてしまった。
「なんだって?」
いや。とオレは首を振った。美月の口が悪いのも、冷たい態度も、今に始まった事ではない。
それでも、オレは強烈に、この在原美月という男に惚れてしまっているのだ。
相思相愛といけばコトは簡単なのだ。いっそ、イヌとかいうペット扱いでもいい。
この関係に名前がつけられるのならば。
今だ、そこに至らぬ一方的なオレの思い込みなのか、片思いなのか、
もう、そういう域は突き抜けてしまって、すべてが美月という男に集約されてしまう。
想いを分解する事が出来ない、単にオレが不器用なのかはわからないが、
この我侭で傲慢な美月なしではいられないことだけは何よりも確かな事なのだ。
「在原さん、どなたでした?」
美月の背後、長く続く日本家屋の廊下から、着物を着た痩せぎすのオバチャンが現れた。
「ああ、すいません。学校の同級生です。彼はこの近所に住んでいて、
僕の姿を見て声をかけに来たそうです」
「こ、こんにちは」
オレは美月の口から出た間違いでは決して無い言葉に、
反射的に大きな身体を2つに折って挨拶をした。
「まあまあ、そうだったんですか。わざわざ、それはどうも」
「佐藤先生、彼は無駄に力が余っていますからね。
設営の手伝いでもしてもらったらいかがでしょう」
「よろしいのかしら。いきなりそんなことを頼んでしまって」
「構いませんよ。なあ、桜井。君、手伝っていかないかい?予定なんてないんだろう?」
「も、もちろん、はい。喜んで」
美月以上に優先させるべく予定などありはしない。
美月はそれを知っていて言っているのだ。なんだか面倒な事に嵌められた。
という気分はなく、オレは単に「これで美月と一緒にいられる」ということだけで笑って請け負った。
まあまあ、と、またオバチャンは言った。
今度は露骨に喜んでいるのが手に取るようにわかる。
オレはオバチャンの許しを得て、家にあがることが許された。
「なあ、美月。オマエ、オレの家がこの近所だって知っててくれたんだな」
いつも一方的にオレが美月の家に行くことはあっても、逆は今までに一度もなかった。
それなのに、美月がオレのことを少しでも知っていてくれたことが嬉しくて、
オレは靴を脱ぎながら声を弾ませた。
「マネージャーが部員のパーソナルデータも頭に叩きこんでいない
とでも思っているのかい?」
「あ、そういうこと」
「ご希望なら誕生日から、3サイズ、あそこの膨張率、勃起サイズまで1ミリも間違えずに言えるかな」
「オレ以外のヤツのそんなことまで知っているのかよっ」
さらりと物凄いことを言われ、思わずオレは突っかかった。
「バカ。オマエ限定に決まっているだろう」
綺麗な顔を、ちょっとも赤くもさせずに、美月は断言した。
オレが安心して肩を落とすと、美月はおかしそうに笑いながら、わざわざオレの耳元にこう囁いた。
「僕はヒトを陥れるような嘘はつかないの知っているだろう」
と。
だから美月に惚れているのだ!
急いで振向いたそこに、もう美月の姿はなく、オレは慌てて廊下を走り、
その背中に飛びつかん勢いで横に並んで歩き出した。
「美月がお茶をやっているなんて初めて知ったよ」
オレは遠くでオバチャンたちと談笑している美月の姿を見ながら呟いた。
たまたま今日がラフな格好で良かった。と思わずにはいられない力仕事だった。
どうやら、明日、この日本家屋で「お茶会」とやらが予定されていて、
庭でお茶をたてる準備をしなくてはならなかったらしく、この人手が足りなかったのだ。
美月はさっさと肉体労働を放棄して、オバチャンたちの相手を如才なくしている。
オレといえば、庭にテントを張ったり、紅白の暗幕を張り巡らせたりと、
ゆっくり美月を鑑賞する閑もない。
「いいなあ・・・美月の着物姿」
すっと伸ばされた背筋、肉付きは薄いが獣のようにしなやかな身体のライン、
あの背中から腰にかけての曲線などは絶品だ。
足袋に締められた足首も、長く優雅な手つきも、襟首に少しだけかかる柔らかな髪も、
洋装とはまるで違う印象を与えてくれて、見ているだけでも飽きない。
「ほらほら。ニーチャン。キレイどころがいっぱいだからって見蕩れないで手も動かしてくれよ」
「はい、はい」
見ているのは美月1人なのだが。作業を請け負っている業者のオジサンたちも容赦が無い。
「いいよな。だけど着物はよ。なんていうか色気があるよな。
昔はみんなこんな格好していたっていうんだから、オレも昔に生まれたかったよ」
「ですよね」
そういう自分も、さきほどから目の前を通りすぎていく妙齢の女性のお尻ばかりを
目で追いかけているオジサンは言った。
別に誰とも知らない女性のお尻に興味はないのだが、それでもオレはオジサンに付き合って、
そのうちに一緒に女性のお尻の品評会メンバーに強制的に加入させられてしまった。
「こういうのを役得っちゅーんだ。オマエさん、いい仕事が手伝えたな」
「そうですよねー」
美月をちっとも見れないなんて、オレにとっては、これっぽっちも役得ではないし、
むしろ、ここで手伝っている意味も無いのだが、作業中にすっかり仲良くなってしまった
オジサン連中に合わせて、オレは目ではいつも美月を追いかけていた。
ちゃっかり着物姿の女性に囲まれて夕飯までご馳走になってしまった。
美月ほどはいかないにしても、オレぐらいの男の数は圧倒的に少なく、
いても、ちょっと頼りない風情の男が多いのか、どう見ても体育会系のオレは、
自分でもビックリするほど可愛がってもらった。
実際のところ、こんなに女性にちやほやしてもらったのは初めてというぐらいだ。
こんな中でも、オレ以上にちやほやされて、
顔色一つ変えない美月は本当に大物だと思わずにはいられない。
3人前のメロンまでご馳走になってから、オレは夕飯後の談笑をしている
大広間から美月の姿が見えなくなっている事に気がついて、
ついつい重くなっていた腰を上げた。
「美月、ここにいたのか」
美月は、庭にいた。オレたちが設営していた煙幕の向こう。
大きな桜の木の幹に寄りかかり、ぼんやりと空を仰いでいた。
まるで、天からの使いを待つかぐや姫のように。と表現したら鼻で笑われそうだが、
その瞬間、オレはそう思わずにはいられなかった。
「探したんだぞ。お茶室までズカズカと入っていって顰蹙まで買ったんだからな」
お茶室では真面目な顔で顰蹙を買ったし、女性ばかりがいる和室では、着替えを手伝ってください。
なんて真顔で言われて戸惑ったり、洋室では行き場のない男性連中に一気までやらされて、
ようやく美月を見つけたのだ。
つい文句にもなってしまう。元とはいえば美月がオレが、ここに引っ張り込んだのだから。
「そんなもの買えなんて、僕は一言もいってないぞ」
ふっ。と美月が笑った。
わざと世俗的な話題を選んで文句をつけたオレの浅はかな考えなど見抜いているかのように。
「聞いたよ。女性に囲まれて鼻の下をずいぶんと伸ばしたそうじゃないか。
普段、モテない生活を送っているから気持ち良かっただろう?」
「まあ、否定はしないけどな。だけど、美月が1番だ。美月が1番キレイだったし」
「だったし?」
「色っぽかった」
「いい答えだね」
美月はさざめいている月から視線を外して、ようやくオレを見てくれた。
陰影のついた表情が壮絶なほどの色気を醸し出している。
「そう、だよ。オマエ、何処に行くんだよ。どっか行くなら、オレに一言いっていけよな」
何処かに行くなら一緒に連れていってくれ。
そんな情けない言葉が瞬間的に飛び出してしまいそうになって、オレは自分に慌ててしまった。
「僕が?どこに?」
案の定、美月は不思議そうな顔をした。
なにをバカなこと言い出すんだ、オマエは。
そう言われた方がいっそマシだったぐらいに素っ気ないぐらい淡々とした口調で。
はらり、はらりと一枚一枚、意志を持っているかのように落ちてくる桜の花びらが、
いつのまにか美月を包んで消し去ってしまいそうな危うい気持ちをオレに、呼び起こさせるのだろう。
「どこだかわからねぇけど、美月と一緒にいるってことだよ、オレは」
支離滅裂だ。
正直にいえばバカにされるし、自分が情けなくもある。
せめて視線だけは美月から離さないようにしてオレは言った。
「桜井。君がなにを言いたいのか相変わらずよくわからないけど」
「わからなくていいんだよ。オレの気持ちなんだし」
「僕には帰る場所がないのかもしれないね」
「え?」
美月はそう言って、手を伸ばしても届かない桜の枝を掴もうと、
瞬間、手を虚空にさ迷わせた。一枚の花びらも掴めないままに。
「そ、それなら、オレが帰る場所になる。美月は、ここに帰ってくればいいように」
咄嗟に出た言葉だった。
自分より男としても、人間としても圧倒的に上であろう、美月に言う言葉ではない。
だが、美月はひどく驚いた顔を一瞬だけ見せ、それから不敵にニヤリと笑った。
「いい覚悟だ」
美月は履いていた草履を放り投げた。
真っ白な足袋で桜の根本を踏みつけると、わざと裾を乱した。
「貪欲で、未練がましいコイツに見せつけたら、気持ちいいと思わないかい?」
真っ白な太ももを付け根まで見せ、美月は手に持っていたカップを宙に放り投げた。
透明な液体が放物線を描いて舞い、貪婪な大地に一瞬にして吸い込まれていった。
「あ、ああ。気持ちいいだろうな」
オレは、そんな気配だけをひしひしと感じ、美月の足元に跪いた。
美月の肌は何処の部位であれ、オレの手をしっとりと張りつかせてしまう。
立ち上る香りは部屋に充満していたお香なのか、桜の匂いか、美月の芳しい体臭か。
「脱がせたくなる」
「それは無理だ。僕が脱いだら桜も喜ぶだろうが、桜井が脱いで喜ぶのは、
煙幕の向こうの連中だけだ」
「桜に嫉妬させたいっていうことか」
「もちろん。他になにかあるのかい?」
オレが欲しくなったからじゃなくて?
オレが向こうの連中に可愛がられているのを嫉妬してくれたわけじゃなくて?
そう都合のいいように行かないことは一筋縄ではない美月に言える言葉ではない。
ふっ。と荒い息を美月が頭上でついた。
「なら悶えさせてやる。ヤツラが毎年、美月の姿を見ては思い出して悶々とするぐらいにな」
「どうぞ。ご随意に」
この満開の桜と、美月の濡れた花芯と、どちらが美しいかと聞かれれば、
迷わず美月と答えるだろう。オレは含んだ花芯に舌を躍らせた。
「ああっ・・・」
美月の腰が落ちた。
左右に割れた太ももに綺麗な筋肉の筋が入る。オレは、そこに丹念に手を沿わせ、
血管を指を追わせた。
着物の下の胸が大きく弾む。
オレの短い髪に絡んだ美月の手に、時折、おこりが走る。
オレはその手を取り、身体を起こした。
「美月、キス」
「んっ・・・もっと強く」
まるで奪い合っているようなキスがもどかしい。
舌を絡ませている隙もない。ぐちゃぐちゃに口元を濡らし、互いの丹花をただ無心に貪るばかりだ。
「興奮してる。な、んだか物凄く欲しいんだ」
美月のとろりと塗れた瞳に、目尻が朱に染まった瞬間、オレは反射的に自分のジーンズに手をかけていた。
「このまま顔をみながらしたい。いいだろ?」
美月の倍は興奮しているオレは言った。
このまましても、実際のところ、どれだけ持つか自信がないぐらいだ。
「ダメに決まってるだろう」
「なにで?」
「着物が傷つく」
こっちが拍子抜けするぐらいあっさりと美月はダメ出しをした。
ならば座って、とか、抱き上げるから、とか言う、
いつも想像しているようなことは、なぜか一切思い出す事も出来ず、
それもそうだな。と、なぜか普通にオレは戸惑ってしまった。
「バカ、こうするんだよ」
美月は、くるりと後ろを振向くと、桜の幹に両手をかけた。
「エロすぎて鼻血出そう」
美月がクスクスと笑う。
オレは足首まで落ちた着物をゆっくりと捲り上げた。
白く弾力のある肌の中心に、舌が届く頃になって、美月が息を詰めたのがわかった。
「桜井、手・・・」
手を貸せという意味だろう。その通り、背後から手を差し出すと、
美月は勢いよくそれを口にし始めた。
「美月っ」
中心をいたぶるオレの舌より、オレ自身が感じてしまう。
美月の口に。ふくまれた指が歓喜に震えているのだかわかる。
自分の指に嫉妬してしまいたいぐらいに烈しい舌の動きに合わせていくうちに、
だんだんとオレのピッチも上がってくる。
「美月、そのまましててくれよ」
「んっ、ああっ」
オレは美月に指を預けたまま、上体を起こし相尻を割った。
挿入の瞬間、ぎゅっと指が強く噛まれた。「はっ・・・」と漏れる吐息が指に当たるたびに、
感じすぎて背筋が波立つ。
「美月、すげ、熱いっ」
「ん、もっと、感じ、させ」
「ああ。オレも、もっともっと美月が欲しい」
暗幕の正面には大広間があり、今でも宴会が繰り広げられているさざめきが聞こえてくる。
右手には茶室があり、無駄な音一つたてない静謐でストイックな空間があるはずである。
だが、美月は声を押さえる事をなかった。それはオレも。
周囲の音と気配を敏感に背中で感じ取りながら、それでいて全く自重することもせず、
ただ、互いを貪るように抱き合い続けた。
「ああっ」
それは一際大きな美月の嬌声に導かれるように、オレが果てるまで続いた。
「そろそろ庭の照明が落ちる時間だ。帰るよ、桜井」
もうちよっと余韻に浸りたかったオレは、その美月の言葉で、ハッと我に返った。
美月は乱れた帯を結びなおし、たった今の情事の欠片も無い横顔をオレに見せた。
「別にいいじゃん。照明ぐらい消えたって。美月、暗いのが苦手なのか?」
「まさか。僕等のようなことを考えていないヤツが来るだろう。って意味だ」
「オレと一緒にいるのを見られるのがイヤなのか」
「何を今更。くだらないこと言うんじゃないよ。それに」
「なんだよ」
「照明がついていたから、よく僕が見えただろ。その意味を考えるんだね」
「あっ・・・」
そんなこと思いもしなかった。
確かに。いつもは暗い美月の部屋ですることが多いのだ。
こんな明るいところで美月が許してくれるなんてことは、よくよく考えてもあるはずがなく、
オレは今更ながら感激していた。
「美月っ!」
好きだ。という言葉が溢れた。オレは思いきり大地に大の字になって寝転がった。
「寝てもいいけど、絞め殺されないようにしろよ」
「は?なんだよ、それ」
美月は意味ありげに笑った。誰か美月を好きなヤツが近くから見ていたのだろうか、
と周囲を見渡すが誰もいない。
「ここの根はとても深そうだからな」
美月は手に取れる小枝を取り、一つの桜に口付けた。
一瞬、さくら色が濃くなり、はらりと落ちる。
はっ。とオレは自分の寝転がっている大地を手で触れた。
情事の最中、あれだけ零れた美月の濡れた蜜の形跡がそこから一切消えていたのだ。
「じゃあ、僕は行くよ。桜井も適当なところで帰るんだね」
「美月は泊まるのかよ。女性陣に襲われたらどうするんだよ」
「僕が?出すものがないよ」
くるりと振向いた美月の妖艶な笑みに、オレは見蕩れてしまった。
颯爽と歩く美月の襟元から花びらが侵入していく。
女性陣には出すものがなくとも、音もなく侵入し、美月を愛撫するサクラは無数にあるというのに。
「こんにゃろ。負けねぇぞ」
オレはもう一度、大の字になり桜の大木を見上げた。
いくつの花がついて、幾枚の花びらがついているだろう。
しばらく数えて辞めてしまった。
あのさりげない愛撫を真似するのは無理かもしれないけれど、オレは桜と違って年中無休で、
美月を愛撫する事が出来るはずなのだ。
この数以上に、好きと言い続ければいいのだ。
「なんだ、簡単じゃん」
そしてオレは、目の前にはらりと落ちてきた花びらを、ふっと吹き飛ばした。
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