真白な四角の箱の中。 無機質な世界で僕は一人、ベットの上で自分の鼓動を聴く。 定められた運命。そんなモノが有るのかと、存在を否定したい。
受け入れられずに途方に暮れるが、 無常にも、時は流れ砂の様にとけていく。 「じゃあ行こうか」 声を出すことに失敗して、ただ頷くだけで返した承諾は、 あまりに状況に適っていて滑稽だった。 成功率3%。 これから僕はその手術を受ける。 無謀だと感じる数字に、賭けてみる勇気をくれたのは、京だ。 手術室までの何万歩よりも長い距離、 手を握っていてくれるらしい京は、大切な存在だ。 「気楽に行けよ、比奈」 「この後、京試合でしょ?そのまま返すよ。ちゃんとスリーポイント入れてよ?」 「得点王だっ。って報告しにくる」 「和也がいるから無理じゃない?」 「今回は……今日は必ず。約束する。 だから比奈も必ず俺を迎えるって約束しろ」 指と指とが触れる時に、心の奥まで覗かれないように、曖昧に笑った。
絡んだ指から、京の温かさを知る度に鼓動は止まらなくて、 帰ってこないつもりでいる事が、申し訳ない。 「他に俺に望む事は?」 「う~ん。特に無し」 本当はどんなものも望んだ。 京の得点王も、自分の3%も、世界平和さえ。 望むものは全て未来の不確定要素。 「行ってきます」 手術室の自動扉が閉まる時に、力強い京の顔を見た。 そのまま瞳を閉じる。僕の望むもの。 不確定な要素だけど、希望もちゃんと付いている。 遥かな未来を夢見て、僕は何時までも目を閉じていた。
試合終了のホイッスルを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。 比奈との約束をしっかり守った。 大丈夫、比奈も守ってくれる。 「京、やられたよ。凄かったな。 ダンクにスリーポイントに……いいとこ取りじゃねーか。 俺の称号を掻っ払っていきやがって」 「約束したんだよ」 「……森崎?」 「そう。今日、手術なんだよ」 和也は手術と聞いて口に含んでいたドリンクを吹き出した。 「ばっ!お前、手術って……行かなくていいのかよ!」 「今から行くよ。今度は比奈が約束守る番なんだ」 呟くようにそれだけ言って、俺はコートを飛び出した。 監督が何か騒いでいたが、気にせず走った。 せっかく着替えたのにまた汗が出てくる。 それも分からないくらい、急いだ。 タクシーを捕まえて、病院まで急がせた。 荒く浅く呼吸している俺は、まるで病人だった。
馴染みの病室に、比奈は居た。 比奈のベットの周りに親族が集まって泣いていた。 瞬時には、それが嬉し涙か、血涙かは判断出来なかった。 判断できたのは、俺の気配に気が付いた比奈のおばさんが振り向いたからだ。 体の隙間から、白い布を顔にかけられた比奈が見えた。 世界は音を無くし、色素を落とした。 それが一瞬の出来事で終わったのは、 おばさんが俺を抱きしめたからだ。 母子家庭だった比奈をあれほど素直に育てたおばさんは、比奈と似ていた。そのせいかは分からないが、俺は涙を流す事も、比奈に声をかける事も忘れていた。 どのくらいそうしていただろう。 落ち着いたおばさんは俺を抱きしめた事を謝った。 そして部屋から出ていった。 比奈と付き合っている事を知っていたから、その気遣いなのだろう。 比奈のベットへの道は、今朝の手術室までよりも、ずっと長かった。 ようやくたどり着いた手摺りに手をかけたが、滑ってしまい、比奈の細い腕に触れた。 びっくりするくらい冷たくて、俺は手を離せなくなった。 「比奈、俺、得点王だよ」 返ってこない返事。腕を強く握った。 「何でこんなに冷たくなってんだよ!! 約束守れよ!!俺を迎えるっつったろが!!」 信じられないくらいの大声で叫んだ。 心の奥に在る、本気の言葉。 叫びの勢いで、比奈の顔を覆っていた白い布がめくれた。 「……何でそんな穏やかなんだよ……。 これ以上、お前の事、怒れねぇじゃんよ……」 俺の言葉が最後に、病室には、携帯の着信を告げるバイブ音しか響かなかった。
鳴り止まない電話にいらついて、断りを入れて外に出た。 着信は和也だった。 「何?」 『あっ京か?さっき監督に病院から連絡があって……。その、森崎が』 「さっき、会ってきた所だ。それが……あいつ、幸せそうな顔しててさ……。悪い、切るわ」 返事を待たずに繋がりを切った。 人と話す気分には到底なれなかった。電源も切ってしまおうと思い、画面を見ると、留守録が入っている事に気付く。 公衆電話からで、誘われるように留守録を聴く為のボタンを押した。 それには、驚くべきメッセージが吹き込まれていた。
『もしもし。比奈です。京、試合、勝った?もちろん得点王だよね?和也なんかに負けないでよ。
ごめんね。多分、僕は生きてないよね。 生きてたら恥ずかしいなぁ……。成功率3%の手術だって。笑っちゃうよね。……僕は3%の運を引き寄せられる器じゃないから、97%の一般人だし。 あっ、これは京と別れた後に電話させて貰ってるんだ。 病院の公衆電話から。中々粋な事するでしょ。 あっ、京見っけ!今、京が病院の庭歩いてる。 ……なんか面白いねぇ。今日は午後から天気が崩れるらしいけど、どう?雨降ってたら母さんに洗濯物取り込むように言ってね。母さんたら、すぐ忘れちゃうんだ。 って何言ってるんだろうね。 ……なんかね、不思議なんだ。今、自分の居場所が自然なんだ。受け入れたんだと思う。さっき、手術室に入るまでは、とてつもなく緊張してたんだけど、京の力強い顔見たら、ほっとした。 京は最後まで僕を愛してくれた。 数え切れないくらい愛を貰って。最後は京の一番いい顔で別れて、 僕は最高に気分いいよ。 例え遠く離れたとしても、心はすぐそばにあるよ? 見えなくても、京の手だけは離さない。 だから、強がらないで? 京の事だから、周りを気遣って、受け止める立場に徹すると思う。だから、この電話を聴いてる時くらい、泣いてよ。 僕が受け止めてるから。 愛はね、幸せを運ぶんだって。だから、京は大丈夫! 幸せが転がり込んでくるよ。 生きてゆける喜びを噛み締めて、泣いて笑って? 僕は、目を閉じて、未来を遥かな未来を夢見るから。
じゃあ、もう行くね。 僕の望みは、京が幸せになる事。叶えてよね! ばいばい。有難う。それから、あ』
ピーっと機械音が鳴り、留守録はそこで切れた。 留守録は一件だけで、つまりこの後比奈は手術に臨んだんだろう。 途切れた言葉は比奈しか分からなくなってしまった。 空は雲行きが妖しくなり、直ぐに雨が降り出した。顔に痛いほど辺り、涙は雨と一緒になった。 「比奈……有難う。でも俺、比奈がいない中で、どう頑張っても……」 携帯を耳に当てたまま、比奈に届くように喋った。 「ごめん。でもまだ無理だ。 だって、まだお前がこんなに近くにいる……」 降りしきる雨の中、俺は携帯を握り続けた。 比奈からの最後の電話に縋るように、ただ握っていた。
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