旅をする者にとってのおぼろげな記憶の中では
かつて栄華を極めた土地が今はもうない。
行商人でにぎわう大通り
威勢のいい人々
活気のあった思い出も都市の瓦礫に埋もれていく。
「ここがアシュエラードだって? 内紛で壊滅しちゃ意味がないってのに」
生成り色の布に身を包んだ優男風のひょろりとした長身の男が
目の前に広がる瓦礫の山を見てため息をついた。
荒地の中央に唯一ある大きなオアシスに存在していた都市アシュエラードは
次期王ネフラと傀儡政権を企てるネフラの伯父との間で起きた確執による内乱で
100日も経たないうちに壊滅した。
近隣の国との同盟はなく、周囲は荒地
国の自殺に近い戦いであった。
「あの強そうなにーちゃんも死んじゃったかもな」
キリトは以前来たとき見かけた屈強な戦士を思い出していた。
その男は店の端の席でひとりで飲んでいたのに
見る見るうちに彼を慕う兵士らが彼を取り囲み、飲み始めたのだ。
カウンターで飲んでいたキリトはその光景を見て
慣れているはずの孤独をもの悲しく思ったのを覚えている。
彼の横を陣取っていた兵士が彼を呼んだ
『ルスカ』
・・・・・・・
キリトは半ば自嘲気味に口をゆがめて道を塞いだ瓦礫に片足を乗せた。
「・・・うめき声?」
たしかにくぐもったうめき声がどこかの瓦礫の下からきこえた。
あたりを見回し、砂を含んだ風音にのってきこえてくる声に耳を澄ます。
四方八方が瓦礫の山だが、その一部分から男のうめき声と
獣のような殺気が空気を鎮まりかえしていた。
キリトは腰ベルトにひっかけてあるガターに手をかけた。
(こりゃ用心しねーと)
「おい!生き残りか。助けてやるから大人しくしてろよ」
そこには大きな岩盤が折り重なっていて
まるで自然の檻だ。
敵の罠にでもかかったような・・
中に閉じ込められているのは?
「――あんたは!?」
瓦礫を引き剥がすと出てきた覚えのある顔を見て、思わず声が出てしまった。
砂塵と血で全身黒ずんだ屈強な肉体を甲冑でまとった戦士が
瓦礫の下から現れた。
「ルスカ?!」
なぜか忘れられなかった男だった。
仰向けにだらりと横たわり
口から血を吐いた跡
短い黒髪の隙間から幾筋にもわかれた血流は固まっている。
眼を硬く閉じてはいるが
あと一メートル近づきでもしたら
体を引き裂かれそうな獣じみた殺気がルスカから発散されていた。
「手負いのケモノはこわいからやなんだ」
キリトはまたため息をつき、きっかけを与えるかのように男に小石を投げつけた。
予想通り、大剣を握ったままだった右腕が弧を描いた。
凄まじい空音とともに振り下ろされた切先は瓦礫を砕く。
「おいおい、おにーさん。よくないよ突然振り回すのは」
整った精悍な容貌が殺意で歪んでいる。
この男は何日間待っていたのだろう?
瓦礫に閉じ込められ、体力を温存し、自らを笑いにやってきた敵を殺すために。
剣の柄を再度握り締める音がきこえた。
ルスカは190cmを超す大柄な男である。
キリトのようなひょろりとした体躯では
ではなくてもこのガターと細腕では刃ごと体を裂かれそうだった。
「ルスカ、滅んだんだ。アシュエラードは、滅亡したよ」
「・・・・」
「周りをよく見てみろ。以前の面影すらない。
隣国のやつらが死体の撤収をして、その中に次期王ネフラと対立関係にあった
輩もいたってさ」
「・・・・」
「・・・・」
「噛み付かないでくれよ。傷をみる」
「・・・・」
「・・・・」
肋骨が数本折れているだけで内臓は怪我一つなかったルスカを引きずって
ようやくアシュエラード南地区にあるオアシスの泉につれてきた。
甲冑を外そうとするとルスカが無言でその手を遮り
自ら甲冑を外し、痛むはずの胸をいともせずに泉に入っていった。
キリトは泉付近にある倒れた木の幹に腰をおろした。
ルスカは野性が強いのか、本能的にキリトを受け入れたようだった。
ただ無言でキリトの介抱を受けている。
(檻から出てみればそこには何もなかった、ってオチだよな)
落胆しているのか、それとも前進傾向にあるのかもわからない。
泉に浸かるその姿はまだ、手負いの獣だった。
(敵さんも恐れてたんだろうな)
目を惹く容姿
雄としての本能を刺激する
獅子のごとく精神
そして
力
大きく水の跳ねる音でキリトははっとして泉を見た。
「ルスカっ・・」
ただルスカが泉からあがっただけだったようだ。
何事か名を叫んだキリトを一瞥したルスカは
腰に布を巻きつけるとキリトのむかいに腰をおろした。
「・・・・・」
「・・・・・」
キリトはベルトにひっかけてあるバッグの中から火打石を取り出すと
泉の付近で湿気を含んだ火のおこりそうもない枯枝をかき集めた。
ルスカは黙ってそれを見ていたが、みごとに火がついたときは眼を瞠った。
それを雰囲気で感じ取ったキリトはにやりと笑う。
「火がおこるわけないって思ってたんだろ?」
「・・・・・」
「旅を続けてるとなぁ、いろんな情報が体に染み込んでくんだよ。
どの国がどうなった、あの人がどうした、とかさ。
この火打石もおんなじさ、術士に細工してもらってある。
どんなときに何が役立つかわかんないだろ?
なんとなく思いついた悪知恵が今役立った」
炎越しの存在は真っ直ぐな眼をキリトにむけていた。
キリトはそれが武人らしいと思ったが、
居心地悪くないのはめずらしかった。
自分以外にもう一人いて、
自分だけを見ていてくれる。
あの時飲み屋で感じたむなしさがどこにもない。
「俺も泉に入ってくるよ。ルスカ、あんたは休んだら?」
泉の手前にある木に衣服をかけていく。
ルスカに背を向けているうちに
彼がいなくなっていそうだとふいに思った。
水面に蒼白い月が映る夜だった。
キリトは後ろを振り返った。
火にあたるルスカが視線を感じたのかこちらに眼線をうつした。
(俺はこんなに一人が怖かったか?
誰かがいなくなるのを恐れたりする人間だったか?)
ルスカの真っ黒な瞳に吸い込まれそうな錯覚をおぼえた。
それなのに足は根が生えたみたいに動かない。
早鐘のように鼓動が打ち
次の瞬間軽くなった足に気づいて
暗くて蒼白くて眩しい光の中に
逃げ場を求めてもぐりこんだ。
どうみてもおかしい様子にルスカは眉間をひそめた。
急な動作でこちらを見たかと思ったら
今度は動かない。
上半身の衣服を脱いだだけの中途半端な姿勢で
やたらと真剣な目でこちらを見る。
旅人のくせにひょろりとした体型で
筋肉がうっすら張られた肌が蒼白く月光を反射していた。
張りつめた空気のわりには緊張するものがなく、
自分はそこにいる男が醸し出すその雰囲気を愉しんでいるようでもあった。
水面が大きく揺れ
青い飛沫が宙に舞った。
ルスカはなにを考えるよりも先に体が動いていた。
足が湿った枯葉土を踏みしめるとき
水面の隙間に細長い腕が蒼白く映った。
どういうわけかわからない。
目の前で嫌なシーンを見てしまった気分だった。
助けられたはずの人を救えなかった、忌々しい現実が甦る。
泉に飛び込み
ゆらりと揺れる弛緩した体を抱き上げる。
「どういうつもりだっ?」
水に浸かったまま抱き上げた体に問いを繰り返した。
「逃げたくなった・・」
腕の中でぼんやりと答えるが、
眼はしっかりとルスカを見ていた。
「どういうことだ、別に俺はおまえをつかまえているわけじゃない」
「・・そりゃそうだ。あんたが、いや、俺がルスカをつかまえていられるはずがない」
「おまえは頭がおかしいのか?」
「・・・そうかも」
なぜだか、このときやさしい笑みを浮かべた男に
安らぎをおぼえてしまった。
敵に向けていた戦闘意欲が強制的にないものとされ
敵も味方もいなくなった瓦礫の王国で
たった一人きりではなく
「名はなんという?」
呼び名がないと不確かな存在のようで
「俺あんたに言ってなかった? こっちは知ってるのにさ」
ルスカはたしかに名前を何度も呼ばれている。
ただ別に気にしていなかった。
「俺の名前はキリトっていうんだよ。おぼえといてくれよ。
なあ、なんで俺があんたの名前知ってるのか、知りたくないか?」
「・・・とくに興味は」
キリトはそう言われるのをわかっていたかのように快活に笑った。
「ま、いっか。な、一緒に旅しない? 一人旅にうんざりしてたとこなんだよ。
話し相手がいないとつまんねーよ。行くあてないんだろ?」
キリトのはっきりとした物言いに片眉をあげて不意打ちをくらったが
そういうのもいいとルスカは穏やかに口角をあげた。
「あんた今笑った」
自分の表情について注文されることは多々あったが
笑って嬉しそうに驚くのは2人目だった。
「俺だって笑うさ」
キリトがふと笑った。
そしてそれにしても、と苦笑交じりに話し出す
「俺たちいつまで抱きあってるわけ?」
「・・・・・」
「・・・・・」
互いに引き攣った顔で苦笑交じりに離れて
水圧を受けながら泉を抜け出た。
荒野を通る旅人から金銭命をかっぱらう盗賊集団に久々に遭遇した。
キリトはこういう状況に陥ったら
ガターで数人切りつけて、出来たスキからとんずらしてしまうが
「ルスカ、どうする?」
背中あわせになって作戦会議。
互いにわかっているかのように武器に手をかけた。
「ざっと20人、雑魚は散らせ。
頭を金に替えるぞ」
キリトはにやりと笑って逞しい背から離れた。
そのうちに一人二人とうめき声が荒地に響いていき
ごろりと横たわる数が互いの働き振りを証明した。
瓦礫の王国アシュエラードを去った二人は
とにかくその日を生きるためになにがいいかと
金を稼ぐことに思いついたのが賞金稼ぎだった。
言い出したのはもちろんキリトである。
ルスカはそれをきいて眉間をひそめたが
次の日には首に賞金がかかっているリストを専門換金所で貰ってきていた。
そのときもキリトは思わず笑ってしまって
ルスカを仏頂面にしてしまったが
こうやって戦っている状況でも
不思議と笑みがこぼれてくるのだ。
目の前にいる盗賊の一味が笑うキリトを気味悪がって
「てめえ、なに笑ってんだ」
なんて言うからキリトも黙っていられずに
「愉しいからさ」
とみねうちを与えながらも答えてしまう。
「キリト、終わったか」
気付いたら全員片付けてしまっていた。
キリト自身がやったのはせいぜい五、六人だから
あとは全員ルスカだ。
実際戦ってみてわかったが
ルスカは半端じゃなく強かった。
それでも本領を出し切っていない部分もキリトにはわかっていた。
頭領を金に替えたあと、二人は宿を借りるとすぐに夕食を食べに階下へ降りた。
宿の一階に食堂があるのだ。
腰に武器をぶら下げた男達がすでに食堂をにぎわせていて
唯一空いていたカウンターに二人して腰掛けた。
「なんにする?」
カウンター越しに店主のおやじに注文をきかれたキリトは
小食な自分と違って体に見合う量を食べるルスカを思って
「ボリュームたっぷりで栄養まんてんなやつ2人前」
とにっこり笑ったところでがっしりと肩を誰かに組まれた。
キリトの肩を抱いているのは見知らぬ男であり
こういうことを久しく忘れていたが
こういうところでは出くわさないとは思っていたのに
キリトは180cm近く身長があるが肩を抱く男も同じくらいある。
「あのさ、やめてくんないかなー。公共の場所なのここは、わかってんの?」
あからさまないやらしいお誘いをはっきりバカにしたキリトに
「じゃあそれに相応しい所に行こうぜ。きれいなオニイチャン」
ナンパ男もめげない。
うんざりしたキリトがちらりと横をうかがうと
ルスカはブランデーの入ったグラス片手に眉間に皺を寄せていた。
それを見てギクリとする。
「もしかしてそいつが彼氏?」
めざとくキリトの隣に座るルスカを見つけた男がとんでもないことを言った。
ビシリとグラスにひびが入る音がキリトには聞こえたが
どうやら男には聞こえてないみたいだった。
キリトはこのあとどうなってしまうのか冷や汗ものであった。
こんな状況は初めてだし
まさかルスカの目の前で陥るとは思わなかった。
男は異様に固まってしまった二人を観察していたようだったが
「彼氏じゃなさそうだな。俺の部屋に行こう。飯はあとでもいーだろ?」
おもむろにキリトの手首をつかんだ。
「ちょっ、てめえ、はなせ」
いい加減にしてくれ! と心の中で叫んだ瞬間だった。
グラスを砕いた右手がキリトの空いてる左手首をつかんだのだ。
驚きのあまりルスカを見ると
キリトが見たことのないルスカがいた。
青い炎でも見えそうな怒りを間近で感じたのは初めてだったが
グラスを砕いた手がキリトに与える力は
最小限の力に止めているようなやさしさだった。
男はつかんでいた右手首をゆっくりと放し
「失礼したな」
と言って店を出て行った。
左手首から感触が消えたのに気付いて
「あ・・のさ、あんがと」
なぜか緊張したままのキリトは言いながら相手を見上げたが
「・・・・」
「・・・・」
不機嫌な顔をしたルスカにそれ以上なにを言うこともできずに
運ばれてきたボリュームたっぷりの肉料理を半分以上残してしまった。
宿に戻って
なにをしようというのだ?
キリトに浮かんだのは
狭くて暗い部屋に窓から蒼白い光が差し込んで
そこに照らし出されるベッドがあること。
(やばい)
いつもどおり、ルスカはキリトの食べ残しも平らげてくれ
そのあと温泉にも直行した。
キリトは湯に浸かりながら
あらためて一緒に浸かっている男について意識し始めた。
(やばい、やばい)
アシュエラードでの泉以来なにも気にすることなくやってきたが
今日の一件であきらかに状況が変わったのにはっと気付いていた。
焦るキリトをよそに
ルスカは湯で顔を洗っている。
「なんか、匂うな」
ルスカの声が水音にまぎれながらも耳に届いた。
「さっき使った石鹸だろ、ほら、『公害にならない石鹸(香りつき)』な?
にしても香りなんてつけたら公害にならないのか不思議だけどね。ははは」
「・・・・・」
あまりにも不自然なかたちで笑ってしまったと自覚したキリトだったが
いまさら引き攣る顔を元通りにできない。
ルスカもなんか感じ取っているようで
さすが野性の勘、みたいな。
しかもいつの間にか自分たち以外誰もいないし。
「もうあがろうぜ、ルスカ」
「・・・だな」
二人して湯からあがると
背中合わせで体の水滴を拭った。
(なんだかルスカの体を見るのが恥ずかしいぜ)
キリトは火照った体の中で
一部違う意味で熱くなってしまっているのを見つけてしまい嘆いた。
(まさか、ありえない!)
無我夢中でルスカより早く服を着込むと
「先に宿に戻っててくれ!」
上半身裸のルスカの肌色を見てますますやばくなってしまい
その表情が呆気にとられているのを見過ごして外に飛び出した。
宿町のすぐ近くには色町もあったが
どうもそこに行く気にはなれずにパブに入った。
「あれ、俺に会いにきたの?」
そこで出くわす不運。
食堂でナンパしてきた、現状の原因発生源である。
なんだが恨めしく思えてキリトは男を睨み上げた。
「睨むなよ。けんかでもした? 俺はユイだ。おまえは?」
酒の入ったグラスを持つ手とは違う方の手でキリトの腰を抱いた。
「アンタに教える名前なんかないっての。それに腰を抱くな」
その手を払いながらキリトは他のパブに行く気にもなれず
カウンターに腰掛けた。
「悪いね、つい癖で」
ユイと名乗った男はちょっとやそっとの邪険のしかたじゃ
どうとも思わないようだった。
さっき気付いたがキリトより身長も高いし(ルスカには勝てないが)
フェロモンばりばりの容姿端麗な男である。
身なりも着崩してはいるが
立ち振る舞いは洗練されていて不愉快じゃない。
軍人タイプではないが、きちんと訓練をうけていそうだ。
いいとこの出だとキリトは考えた。
「酒がぬるくなるよ。飲まないのかい?」
キリトははっとして隣に腰掛けたユイを見た。
「いや、つい癖で」
ユイは笑って
「考え込むのが?」
と言いながらキリトの頬をなでた。
キリトはグラスを置いてその手をはねつけた。
「いー加減にしろよ、俺はアンタに触られに来てんじゃないの」
きょとんとしていたがすぐににこやかになるユイ。
「そういう気の強い所もすっごくタイプなんだけどな」
それをきいてキリトは脱力してしまう。
久しぶりにおしゃべりなやつと一緒にいるのを感じる。
しかもすごく軟派。
「よく一瞬でわかるねそういうのが」
ただバカにしただけだったのだが
「一緒に旅してるんだろ? あの男と」
本題突入か?
「まあね。旅は道連れっていうだろ。そういうのあんまりきかないでくれる?」
「あの男はヘテロだろう、おまえだけヤキモキしてんじゃないか?」
「だけど庇ってくれたぜ・・・って! あんたなぁ! きくなって言ったろ!?」
キリトがグラスを強くテーブルに叩きつけて怒っても
ユイはにやにやしてこちらを見ているだけだ。
「おまえゲイか、バイだろ? わかるんだよ、なんかね」
「ちっげーよ! とんでもないこと言うな!」
「そうかな? そのわりにはここが熱いんじゃない?」
「・・っ!!」
ユイの手がおさまってなかった熱を固持する股の間に重なり
不意をつかれたキリトは思わず息をのんだ。
キリトの眼に欲情を見つけたユイは
もう一押しとばかりにキリトのそこをまさぐった。
「はっ・・あ」
力の入らない様子のキリトは
必死にユイの肩をはねつけようとした。
店内が暗くてよかった。
「いいんだろ、ベッドに行かなくてもいい。やろうぜ」
この暗さならよく見なければなにをしてるかわからない。
よく見なければ・・・
股間にあったユイの手首を
他の誰かの手がつかんだ。
「骨を砕かれたいか」
ユイの顔が激しい痛みで歪むのと同時に
ルスカの声をきいて冷水を浴びせられたような感覚をおぼえた。
こんなところで
それもユイと
こんなことをされている自分を見て
ルスカはどう思っているんだろうか
とか
浅ましい自分の姿を
白い目でみているのだろうかと
キリトは自分の手首をひかれて椅子から下ろされて
景色が妙にぼやけているのを知るまで
自分の目が涙で濡れているせいだと気付かなかった。
(恥ずかしい)
(とんでもなく恥ずかしい。消えてしまいたい)
頭の中でそんな言葉が何十回、何百回も繰り返された
その間ルスカは無言で細長い手首をつかんだまま
キリトを宿に連れ帰った。
一階にある食堂の喧騒を突っ切り
階段をあがってきしむ廊下を歩き
気付いたらドアの閉まる音がきこえた。
体力には自信のある方だが
急激な展開に息継ぎができずに
キリトは肩で息をしていた。
まだ体が熱い
けれど
ルスカに嫌われてしまったら?
こうやって部屋に連れ戻されて
月明かりだけの暗い部屋で
まだ手首が解放されてなくても
ルスカの影になった背中が
まるで自分を拒絶しているようで
せつない。
25歳を過ぎて何年になる?
もう二、三年はたっているはず
恋をする相手も選ばずに
無茶な恋愛をする年ではないだろうに
「俺、前に一度だけアシュエラードによったんだ。
そのとき入った飲み屋であんたが、隅っこで一人きりで飲んでいたんだよ」
「・・・・」
顔があげられない
「それで、『ああ、この人も独りなんだ』って心のどっかで安心してたんだけど
あとからやってきた軍人があんたを囲んで飲み始めてさ、すごく楽しそうだった」
あんたの顔がみれない
怖くて
みじめで
「あのときは、なんつーか、みじめだったな俺。
独りなんか慣れてるはずなのに、独りに慣れてそうなあんたの周りに
あんだけ慕う人がいるんだと思ったら、なんかやるせなくなって・・」
これを話してなんになるというんだろう?
俺は泣きたいだけの
恋に酔いたいだけの女になりきろうとしてるのか
はたまたジョークに移行しようとしてるのか
「だから知っていたんだな」
ずっと黙っていたルスカの声がキリトの体に染み込んでいく
驚いてなにも言えずに佇んでいるキリトを
振り返らずにベッドに座らせると
横にルスカも腰をおろした。
蒼白い月光が
二人の顔に陰影をつくった。
「名前だ。俺の」
ルスカは予想と反して
穏やかな顔をしていた。
一気にやさしい気持ちになり
キリトはますます涙があふれそうになった。
「俺を呼び捨てにするのはキリトで二人目だ。
弟とおまえだけだ」
『ルスカ』
横を陣取っていた兵士が呼んでいた
顔は覚えていない
「もうおまえだけだ」
涙が
胸が
体が
痛い
痛くて
壊れてしまいそうだ
キリトは目の前の大きな体を抱きしめていた
声を出せば嗚咽ばかり出そうで
でも声を殺せば
体が震えた。
もう涙はとめられなかった。
「痛いね、心が痛いよルスカ・・そんなつもりで話したんじゃなかった・・」
なかったんだよとルスカの首筋に顔をうずめて泣いた。
「俺も、慰めてもらうために話したんじゃないぜ。キリト」
低くてきいてて心地よい声が
キリトの体をじんわりとあたためた。
それだけではなく
体を
逞しくて長い腕で抱きしめられていた。
「ん・・・あっ」
巧みなキスで唇を塞がれているのに
ルスカの指先が体を触ると
ゾクリと背に快感が走り
声が漏れてしまう。
「キリト」
指先がすでにかたくなっているそこに
ふわりと絡みつくと
解放された唇からまた
女のような喘ぎ声が出てしまう。
「んぅ・・っああ・・ルスカ」
「・・キリト、俺のそばにいてくれ
俺のそばに・・ずっと」
守りたい人を
守り抜く。
細長い指先がルスカの頬を包んだ
「逆に言うと、俺のそばにいないと叫ぶから。
『ルスカーどこーっ』て泣き叫んでやる・・ずっとね」
互いに笑いあうと
どちらともなく唇をあわせた
キスをする音が熱のこもった空間に響く。
好きだ
愛してる
何回言ったのかも覚えてない
ただ体の中に
ルスカの熱を感じて
いとしくてしょうがなかった。
「もうニ、三日寝てろ」
と言われたのでルスカの言うままに寝ていたが
規格外に大きかった彼のもの以外は
すんごーくデリケートに扱ってくれていたので
二日目にして回復兆候がみられる。
買出しに行って来ると言ったルスカに
俺も行くとついてきた。
ついてきたら
「あれ? もしかしてやっちゃった?」
二度目の不運。
ユイだ
どうして会ってしまうのだ?
そしてどうしてわかるのだ・・やったことを。
「キリト君まだ痛そうだぜ? 買い物くらい一人で行けよ。
ルッカ」
ルッ・・・・・・
キリトが声も出せずに驚いているのを見て
「そ。『ルッカ』。いいあだ名でしょ? 呼び捨てようとしたら呼ぶなって
無粋なことを言うからさ、似も似つかない可愛いあだ名つけちゃったんだよ」
「あ、アンタ俺の名前どうして・・」
ユイがルスカを見て
キリトもルスカを見て
ルスカは不機嫌な顔をして宙を見ていた。
「そんな不機嫌な顔してもだめ! 教えたろッこいつに全部ッ」
問い詰めてくる空気を読んでいたようだが
ルスカは参ったな、という顔をして
「おまえが寝ている一日目に下の食堂でな。
牽制をしているうちに色々とアドバイスをもらった」
アドバイス!?
なんの?!
あれの??
それってルスカが簡単に誘導尋問にひっかかって
しかも丸め込まれただけじゃないの・・・!?
「ルスカのばか!!」
走り出してみたものの
足に力が入らずに
腰が抜けそうになったら
「急に走るな。悪かったから」
とルスカが謝りながら支えてくれて
「なんか『できたてほやほや』というよりは『じっくり育てました』
ていう感じだな」
なんていうユイのコメント(ひやかし?)がきこえてきたりして
俺、なんていうか
よくわからない幸せの中で
泳いでいるみたいだ。
「キリト、帰ろう」
そうだな
用事は済んだし
帰るか。
「うん」
☆The end☆
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