「おはようございます」 いつもの小うるさい目覚まし代わりに聞こえてきたのは、誰かの声。あぁ……でも聞き覚えあるなぁ……。 「起きて下さい。さすがにそろそろ支度をしないと間に合いませんよ、上村さん」 名前を呼ばれて慌てて、飛び起きた。 ベッドの脇に、スーツ姿の暮林がいる。 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくて、混乱した。 「とりあえず、起きましょう、ね?」 にっこりと銀縁の眼鏡越しに微笑みかけられて、思わず頬がゆるむ。 「そうか。おれ、昨夜おまえの部屋に泊まった……」 一瞬でも記憶から抜け落ちていた自分が情けなくなる。泊まって、本懐を遂げたんじゃないかよ。よろよろと起き出して、顔を洗おうとベッドから降りる。 暮林は昨夜の行為が嘘のように、普段通りだった。やっぱり朝から淡々と行動するのかと感心してみる。 顔を洗って、眠気を覚ますとすでに簡単な朝食まで用意されていた。感動のあまり、呆然とテーブルの前に突っ立っていると、暮林が不思議そうな顔をしておれを見つめていた。 「あ、飯食わなきゃ」 慌てて椅子に腰を下ろして、トーストにかぶりつく。 「……食わないの?」 暮林の前にはコーヒーカップだけ。 「あまり、朝は食べられないんですよ」 「自分は食わないのに、わざわざ用意してくれてたってわけ?」 「えぇ」 なぜかポーカーフェイス。もう少しなにかリアクションがあれば嬉しいんだが。 まあ、とりあえずは上手くいってるんじゃないだろうか。そんな風に自分を納得させた。 「ちょっと急いで下さいね」 暮林に言われて、ふと時計を見ると結構な時間。 「あ、まずい」 トーストを一気に食べ終えて、サラダの中身をコーヒーで流し込むと言う、かなり作ってくれた相手に失礼な食べ方をすると、ごちそうさまでした。と両手をあわせて用意してくれていたワイシャツに袖を通す。 「ん……」 襟元のきつさに顔をしかめていたらしい、暮林は苦笑した。 「すみません。さすがにサイズは合わなかったかも知れないですね」 「あ、いい。借りといて文句を言える筋合いじゃないし」 首元のボタンは外したままでも困らないし、と笑って見せた。体格は違うが首周りまではそんなに変わらない。おれの筋肉は上半身ではなく、下半身中心についていたことが幸いしたらしい。少々首が苦しいがなんとか格好を整えるとおれは上着を掴んで、暮林の後に続いて玄関に向かう。エレベーターを待つ間、暮林のほうをちらりと見ると、昨夜のことなど嘘のように平然としている。 ……もしかしたら、悪酔いして変な夢でも見たか? なんとなくそんな気分になって、少しへこんだ。
結局、いつも出社するより少し早い時間に会社に着いて、おれは昨夜手につかなかった仕事の続きを始めた。遅れを取り戻すために、必死になって書類と格闘したあと、ふと暮林の横顔を見る。 パソコンのモニタを見ていた暮林が、一瞬苦い顔したのをおれは見逃さなかった。 社用のパソコンだが、個人的なメールの送受信くらいはする。総務の方でアクセスを監視しているので、あまり頻繁には使えないが、よほど危ないサイトなどに行かない限りは黙認されている。 メールかな。なんとなくそう思い、面白くないものを感じる。ただの嫉妬だ。暮林がどういうつもりで、おれに抱かれたのか気にならないはずもない。だが、それを追求したとして、おれの望む答えが帰って来るとも思えない。 やっぱ、待つしかないか。 萎えそうになる気分を変えるために、おれは煙草を手にベランダへ向かった。 ベランダに出て、ふいに足が止まる。昨夜の出来事を思い出す。 あれはいったい何だったのだろうか。相手は誰だったのだろう。すでに終業後の時間に他社の人間がいることは不自然すぎる。ビルの出入りには、入門証が必要なのに。 恋人ではないのか。おれはただのあて馬に過ぎないのだろうか。一夜限りの関係なのだろうか。 ワイシャツの襟元に手をやる。少し息詰まる気がする。おれに合ってないワイシャツ。趣味のいいネクタイ。ほのかに香るコロンの匂い。 いつもと違う感覚。 火をつけた煙草は、ほとんど吸われることもなくただの煙となっていく。おれはどうしたいのだろう。 ずっと暮林だけを見ていた。なんとなく気になってずっと見ていた。トントン拍子に行くはずがないと思いながら、隣にいる暮林にもう少し近づきたいと思っていた。 地方や本社に飛ばされることもなく、机の配置は入社以来変わっていない。念願かなって、ようやく一夜を共にしたというのに、すっきりしない。嬉しさもこみ上げない。 視界の端に映る、あの会議室の窓から目が離せない。 相手はだれなのだろう。 いつの間にかフィルターまで燃えて消えた煙草を灰皿に投げ捨てて、おれは席に戻った。暮林はいなくなっていた。
数日が過ぎて、週末の夕方。暮林が机の上を片づけながら独り言のように囁いた。 「これから、付き合えませんか?」 断る理由もない。おれは少し待ってもらって、一緒に会社を出た。 てっきり、どこかで飯でも食うのかと思っていたら、そのまままっすぐに部屋へと案内された。 「ひとりで食べる食事って、つまらないでしょう?」 どうやら、几帳面な暮林はちゃんと自炊しているらしい。 「食わせてくれるの?」 ダイニングで母親の料理を待つ子供のように、おれはきっと目をキラキラとさせていたに違いない。昼間の悶々とした気分はすでに遠い過去の話だ。 一緒に飯を食いながら、もしかしておれの考えはただの杞憂だったかも知れないと思い始めた。どうでもいい相手に、わざわざ手料理を食べさせてはくれないし、そもそも部屋にも上げないだろう。ただの友達ならいざ知らず。 おれは、いつの間にか冷蔵庫の缶ビールを空っぽにしてしまったことに気づいた。 「買い置きある?」 「いや、それで終わりですけど。……足りませんか?」 暮林が冷蔵庫を覗いていたおれに問いかける。 「んー……買ってこようか?」 他人様のビールを飲み干してそのままでは体裁が悪い。ジャージにTシャツと言う格好のまま、出かけようとしたおれを、暮林が引き留めた。 「飲み足りませんか?」 「いや。在庫全部飲んじゃったんで悪いかな、とか」 「また別の日に買えばいいだけじゃないですか」 どうやら引き留められているらしかった。家主がいらないと言うのなら、無理に買い出しに出る必要もない。おれは頷いて再び腰を下ろした。なんとなくTVで流れていた洋画をふたりでぼんやりと観ていた。あまり会話らしい会話はない。それでも不満はない。時間を共有できることが嬉しい。 観ていたと言うより、眺めていた映画が終わり、寝室へ向かう。ベッドはひとつ。あの夜と同じく枕を並べて横になった。 そろりと暮林に手を伸ばすと、抵抗らしい抵抗もなかった。そのまま抱き寄せて口づける。最初の時とは違い、どこかおどおどしたようすで、暮林は舌を絡めてくる。パジャマ代わりのTシャツの裾をまくり上げて指を滑らせていくと、背中に手が回された。鎖骨から口づけを落としていく、高ぶった暮林自身を腰に押しつけられた。誘われるように手をそこへ移動させる。 「ん……」 瞳を閉じたまま眉間にしわを寄せて、暮林が声とも言えない声を漏らす。しばらく、暮林に快感を与えるのに没頭した。おれ自身も限界に近くなる。暮林の後ろをゆっくりとほぐしていく、指を増やすだけで暮林の腰が震える。何度か出し入れを繰り返し、十分にほぐれたところで両脚を抱え上げて、おれ自身をあてがう。暮林が息を吐いたのを見計らってゆっくりと挿入した。 「あっあぁ」 辛そうな暮林の表情に、少し罪悪感を感じながらも腰を動かす。暮林は自分の手の甲を噛んで声を押し殺していた。その手を掴んで口づける。暮林の瞳がうっすらと開いた。まっずくに見つめる瞳は、本当におれを見ているのだろうか。 不安な気持ちを打ち消すように、激しく責め立てた。 「ああっ……もう……」 おれの手を握っていた暮林の手に力が入る。おれの限界も近かった。思いきり突き上げると、暮林も同時に果てた。 週に一度あるかないかの隠れた逢瀬。 会社で会う暮林は、前とほとんど変わらない。仕事上の会話以外はほとんどない。 もしかしたら、身体だけの関係なのかも知れないと、不安になった。自宅で逢えば、そんな不安は打ち消されるのだけど。 そんな関係が続いていたある日。 おれは帰宅途中で、会社に手帳を忘れて帰ったことを思い出した。残業でくたくたになって、机の上に放りだしたままだった。時刻はすでに午後九時を過ぎていた。せっかく、最寄り駅まで目の前だったのに、渋々引き返す。 なくては生活できないわけでないが、プライベートなものなので会社に置きっぱなしなのも気分が悪い。 面倒くさいと思いながら、おれは誰もいないはずの会社へ戻った。 守衛から鍵を借りて、扉を開く。室内には当然だれも居ず、奥の方の自分の机に向かってまっすぐ進んでいく。ろくに整理もされていない机の上から、手帳を探し出してポケットに入れた。 「さて、と」 帰ろうと出口へ足を向けた時、かすかな声が聞こえたような気がした。ぎくりとして、足がすくむ。 まさか……。 厭な予感が頭をよぎる。いや、そんなことはあり得ない。だって、暮林は……。根拠のない自信。 空調の止まっている室内は、立っているだけで汗ばむほど、むっとしていた。額の汗を拭いながら、足は自然とベランダに向かう。 扉を開き、やはり明かりの漏れる一室を目指す。途切れ途切れに聞こえてくる、うめき声のようなものは暮林の声に似ていた。一瞬目眩がしたような気がする。 首だけ伸ばして室内を見た瞬間、口を押さえた。 両手首を長机の足に拘束された暮林は、唇を噛み声を漏らさないように耐えているらしかった。時折、激しく首を振ってもいる。大きく広げさせられた脚の間に、例の男がのしかかっていた。 「まだっ……早っ……痛っ」 十分にほぐされないまま、強引に突っ込まれたのだろう、暮林は、動かせない腕の代わりに唇を開いて抗おうとした。だが、その程度の抵抗でやめる男ではなく、反対に暮林のきつさに逆ギレし始めた。 「痛てぇっつーてんだろ! 力抜けっ」 暮林の髪を掴んで、長机に打ち付ける。余りにも酷い行為に、飛びだそうとした時、相手の男の横顔がちらりと見えた。 「そ……総務、局長……?」 社内の役員以外の人事権を司っている大物。 暮林の相手が社員の誰かだとは思っていたが、まさか本部の上級幹部とは……。入社数年の若造でさえ、かれの噂は耳に入っている。おれと数歳しか変わらない創業者一族の長兄。英才教育の賜か、頭は切れるが冷酷で協調性に乏しかった。 ──相手が悪すぎる。 すでに会社の歯車のひとつとなっていくことに慣れかけていたおれは、ずるずるとその場に崩れ落ちた。半窓になっているその下でうずくまりながら、祈るように終わるのを待っていた。 おれがその部屋に入ってきたとき、暮林は驚かなかった。すでに、気づいていたのだろう。もしかしたら最初から知っていたのかも知れない。 足下に落ちていた潰れた眼鏡を拾う。上着を脱いで暮林の身体にかけた。 「……申し訳ありません」 かすれた声で暮林が謝罪した。おれは首を振る。暮林の、涙の乾いた痕の残る頬を指先で撫でながら、自分の非力さを責めた。 「怒って、ます……よね?」 暮林は、おれの顔を怯えた瞳で見上げた。ふと首筋に残る赤黒いあざが目に入る。あざと言っても色っぽいものじゃない、明らかに誰かの手で締められた痕だ。さらに胸にいくつかの小さな火傷痕に気づいた。おれが凝視しているのに気づいたらしく暮林は苦笑した。 「終わりにしたいと、そう切り出したら逆ギレされて……」 あぁ、だから、あんな酷い扱いを……。 「役に立たなくてごめん」 吐き出した言葉は涙声になっていた。悔しくて、情けなくて。ポタポタと落ちていく涙を、暮林の手が拭う。 「来て、くれただけで十分です。見放されても、しょうがないのに」 暮林の手がおれの後頭部に回り、引き寄せられた。触れるだけの口づけでさえ、血の味がした。 歩くことすら辛そうな暮林のためにタクシーを拾って家まで送り届けた。そのまま部屋まであがるつもりだったおれに、暮林は辛そうに首を振った。 「……今夜は帰っていただけますか?」 そんな状態の暮林を残して帰るのが嫌で、かなりしつこく粘ったが、頑として聞き入れられず、諦めた。 ひとり部屋に戻って、自らの保身のために、好きな相手を見捨てた自分自身に吐き気を覚える。そこまで会社に依存している自分が情けなく思えた。買い置きの缶ビールをすべて飲み干しても、酔えないまま一夜を過ごした。 翌朝。いつもならおれよりも遙かに早く出社しているはずの暮林の姿がなかった。心配になりながら、始業時間までには来るだろうとタカをくくっていた。 ところが。 暮林はとうとう出社しなかった。 念のために上司へ尋ねると、連絡がないと言う。機嫌の悪い上司に命じられるまでもなく、終業のチャイムを待って暮林の部屋に向かった。 「……いない?」 玄関のチャイムを幾度か鳴らしてみたが扉の開く気配はない。扉越しに耳を当ててみると物音一つしない。 しばらく扉の前をうろうろしていたら、隣の住人らしい若い女性が声をかけてきた。 「お隣なら、朝早くに出かけましたよ」 「出かけ……た?」 「ええ。大きな荷物を持って」 人の良さそうな、住人に頭を下げておれは元来た道を引き返した。 「出かけたって、どこへ?」 空を見上げる。曇っていて星ひとつ見えなかった。 とりあえず、部屋の中で倒れているような最悪の事態ではなさそうだった。少しだけほっとして、おれは家に戻った。
二日後。 「上村君」 上司に呼ばれた。 神経質でまわりからあまり好かれていないその部長は、声をひそめた。 「辞表が送られてきた」 机の前に立つ、おれの目の前に白い封筒が放り投げられた。 端正な文字は間違いなく暮林のものだった。 「無断欠勤のあげく、辞表とはね。キミら同期の中では一番の出世頭だと期待しとったと言うのに……まったく今時の若いモンの頭の中はわからんね」 吐き捨てるように言った部長の言葉は、おれの頭の中を通り過ぎていった。おれはただ白い封筒を凝視していた。 その日一日は、なんとか仕事をこなして家に戻った。 頭の中は混乱しまくって、何をしたいのかわからない。暮林はどこにいるのか、今どうしているのか。おれの存在がすべてをぶちこわしてしまったのだろうか。 あのとき、暮林の誘いを断っていたら、こんな結末にならなかったのではないのか。空になったビールの缶を壁に投げつける。叫びだしたいのを我慢して唇を噛んだ。鉄の味がした。あのときの、暮林があの総務局長にむちゃくちゃされていた時のキスを思い出した。 おれはいつの間にか眠っていたらしい。電話の呼び出し音で目を覚ました。取る気にもなれず、鳴るのに任せて放っていたが、いつまでたっても鳴りやまない。仕方なく受話器を上げた。 『上村さん?』 心臓が跳ね上がった。 「暮林っ? どこにいるんだ?」 予想だにしなかった電話に、おれはひどくうろたえた。 受話器の向こうの暮林は、やけに落ち着いているようすだった。 『勝手に辞めたりしてすみません』 「んなことは、どうでもいいっ。元気なのか?」 『えぇ』 受話器の向こうはやけに静かで、もしかしたら暮林は生きていないのかも知れないと思った。一瞬でそんな莫迦な、と打ち消す。 『聞いて、もらえますか? 今までのいきさつを』 「あぁ」 『あの人はね、学生の頃に寝た相手だったんですよ。遊びまくっていたわけではないつもりなんですが、夢中になれるほど好きな相手もいず、一夜限りの……なんてことを繰り返していました。 その中のひとりだったんです。おれは相手の顔なんていちいち憶えてやしない。あの人も忘れていたと思うんです。でも、新入社員研修の時に偶然会ってしまって、そのときに思い出したらしいんですね。もちろん、名前なんかお互い知らなかったんですけど。 で、あとはよくあるパターンです。会社にバラされたくなければ、言うことを聞け、とね。 そんなこと、お互い様じゃないですか? だからおれの方も突っぱねようとしたんですが、会社に入ってようやく気づいたんですが、トップの血縁では相手は悪すぎました。しかも人事権を一手に掌握している相手です。そんなことはどうでもよかったんですが、両親の話を出されましてね。両親の話を出されるとさすがに……。 あとは、もう……』 お前の自慢の息子はホモだと親にバラしてやると脅されて、いいように扱われて。体のいい玩具代わりにされていたと。拒めばひどい暴力まで振るわれていた。それでも自業自得と諦めかけていた時に、おれが現れた。 だれもいなくなった社内で犯されていたある日、偶然見ていたおれに気づいた。 『気に掛けているのは知っていました。最初はその好意を利用しようと思っていたんです。でも、あなたの一生懸命さを見ているとなんだか莫迦らしくなってしまって。このまま、流されていても、決して事態は好転しない。だから、おれは会社を辞めようと思ったんです。当然、あの人は怒って脅迫してきた。だから言ってやったんです「もう、両親には告白しています」とね。あの人は切り札を失った。もう関わってこないでしょう』 「そ、うか」 淡々と話す暮林に、おれは相づちを打つのが精一杯だった。 『最後に、ひとことだけ言わせて下さい。 ……愛しています』 おれは受話器をその場に置いたまま、部屋を飛び出した。 ちょうど運良く通りかかったタクシーを止めて走らせる。 受話器の向こう、かすかに聞こえた音を聞き違えていなければ。たぶん……駅のアナウンス! 目的地について、釣りを受け取るのももどかしく、 「釣り、いらないから」 と運転手に告げて飛び出した。 何度も通った部屋を目指す。エレベーターすら待ちきれなくて、階段を駆け足で上っていく。まだ学生時代に鍛えた脚だけは現役だったらしい。息を切らして、ドアの前に立った。 ゆっくりとチャイムを押す。 ほどなくして開かれた扉の向こうに、驚いた顔の暮林がいた。 「言いたいことだけいいやがって」 暮林は言葉を失っているようだった。 「おれは、しつこいんだ。絶対ひとりにさせやしない」 押し入るようにして中に入る。立ちつくしている暮林を逃がさないようにきつく抱きしめた。 「絶対、ひとりにさせない」 全部、受け止めてやれるから。だから、ひとりでどこかへ消えるのだけは勘弁してくれ。 最後の方は懇願。おれに抱きしめられるままにされていた暮林の両手が、おれの背中を抱く。そのまま肩に顔をうずめた。 「……ありがとう」 くぐもった声はそう言った。
了
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