Ⅳ. 10月に入り、学祭の準備も大詰めになってきた。 貴夜に告白して2週間が経つ。しかし、あれから全く進展が無かった。 告白した翌日、旭は何かと貴夜を意識していたが、貴夜の方は何事も無かったかのように普段通りだった。あの告白は夢だったんじゃないかと疑ったほどだ。 しかし、2人きりのとき『俺のこと好き?』と聞くと必ず『ああ』と短い返事が返ってくる。最初はそれで満足していた旭だが、最近では物足りない。 好きなら何故何もしてこないんだ。という不満ばかりだ。
「黒崎……今度の日曜さ、どっか行かない?」 昼休みの屋上でいつものように2人で昼食を取っている時、旭が徐に口を開いた。旭は何もアクションを起こさない貴夜に焦れ、思い切って自分から誘ってみることにした。 「無理」 しかし、貴夜の返事は素っ気無い即答だった。 「何で?」 「その日は予定があるから」 貴夜の態度に旭は少なからずショックを受けた。口数が少ないのは知っているが、こういう時は少し寂しい。
「なあ、俺のこと好き?」 「ああ」 何度も繰り返したやり取り。しかし、旭は物足りない。 告白したのは自分から。でも貴夜は『ずっと見ていた』と言ってたし、好きかと聞くと必ず返事をしてくれる。けど貴夜の口からはっきりと『好き』と聞いたことが無い。 不安な気持ちが旭の心を支配する。貴夜はどれくらい旭のことが好きなんだろうか。 (絶対、俺のほうが黒崎のこと好きだよな) 旭は小さくため息をついた。
日曜日。 旭は自分の部屋で暇を持て余していた。 「つまんないな~」 ベッドの上で何度も読んだ漫画を眺めたり、聞き飽きたCDを流したり、着信を知らせるメロディーが鳴らない携帯電話弄ったりするが、中々時間は進まない。その時ふと机の上に置いてあった『禁断の恋』の台本が目に入り思わず手繰り寄せた。 「そう言えば、第4幕の辺りまだちゃんと覚えてないんだよな……」 4幕は想いが通じ合った2人が周囲の人物のせいで引き離されてしまうというもの。それでもいつかの再会を約束し、別れるのだ。
「『構いません!例えこの身に堕天使の烙印を焼き付けられようとも』……っとなんだっけ?」 長台詞の部分を自分が覚えている分だけ口に出して言ってみたが、思ったより覚えていなかった。台本を見ながら同じ部分をもう一度言う。
「『構いません!例えこの身に堕天使の烙印を焼き付けられようとも、この純白の羽が朽ちたとしても、貴方への愛が変わることはありません。だからどうか僕を連れて逃げてください』か……ミカルって健気だよな。『愛に生き愛に死ぬ主人公の恋心』ね…」 最後の言葉は鬼監督よろしくビシバシ容赦なく扱く委員長の言っていた言葉だ。その言葉をふまえた上でミカルを演じろと言われたのだ。その時はあまり理解できない言葉だったが、今ならなんとなくわかるような気がする。 「種族なんか関係なく、自分の身を犠牲にしてもいいほどまでにミカルはルシアのことを愛していたんだよな。……俺はどうなんだろう」 確かに貴夜のことは好きだ。けど、自分の身を犠牲にしてもいいほど愛しているのか?そう考えた時、即答はできないまでも多分自分は肯定の返事をするだろうと思う。だったら貴夜の方は? 「無理っぽいな…」 自分で言って虚しくなってしまった。
部屋で一人でいると余計なことを考えてしまいそうなので、旭は財布と携帯を持ち外へ出た。 街をブラブラするのもたまにはいいのかもしれない。特に目的は無いが、本屋やCD屋を冷やかすだけでも、随分気が紛れる。 「でも、やっぱ一人だと虚しいな……。黒崎のやつ、用事ってなんだったんだろう?」 自分よりも大切なものなのか?と一瞬でも考えてしまった自分に頭を抱えたくなる。 「俺ってこんなに女々しかったけ?」
軽い自己嫌悪に陥っていた旭が、不意に顔を上げたとき目に飛び込んできた光景に思わず固まってしまった。目に入ったのは、今しがた自分が考えていた相手。そしてその隣には綺麗な女の子が寄り添っている。仲が良さそうな雰囲気。兄妹のようにも見えなくないが、世間一般では恋人同士に見えるだろう。 「黒崎ってお姉ちゃんしかいなかったよな」 隣の女性はどう見ても貴夜より年下。中学生か高校生くらいだ。
貴夜が旭に見せないような笑顔を彼女に見せた途端全てのことを理解した。 (そういうことか……) 結局自分は貴夜に遊ばれていただけ、もしくは貴夜の冗談を真に受けただけなのだ。 「なんだよ……」 自分より優先させるのだからあの子の方が本命なんだろう。そうと解った途端涙が溢れた。少しでも早くその場から立ち去りたかった旭は流れ続ける涙を拭わずその場から駆け出した。
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【『禁断の恋』第4幕~引き裂かれた二人~】
「はぁ…はぁ……はぁ」 暗闇の中、息を切らしながらミカルは森へと急いだ。 夜の間、ルシアが森へいるかわからないが、それでも明日の朝では遅い。なんとしても今すぐに、知らせないと。
「ルシアッ!ルシア!いないのですか?」 いつもルシアが座っている大木近くで叫ぶと、上の方でガサガサと音がした。ミカルが顔を上げた瞬間何かが落ちてきた――否、降りてきた。 「どうしたんだ。こんな夜中に」 「ルシア」 ミカルはルシアの顔を見た途端、ルシアに抱きついた。 「一体何があった?」 「ルシア、今すぐここから逃げてください」 「何故?」 「ここの村の村長・ザガル様が明日の早朝ここへ来られるのです。どうやら、ルシアの姿を誰かに見られたそうで、『悪魔狩り』だと言っておりました。だから、すぐにここから僕を連れて逃げてください」 「お前を連れて?」 「はい。ルシアと離れるなんて僕には耐えられません」
そう言うとルシアはミカルを自分から引き離した。 「ダメだ」 「どうして!?」 「悪魔の俺との関係がばれたらお前は……」 言いよどむルシアの言葉に、何を言いたいかすぐにわかったミカルは自分の決意を告げる。
「構いません!例えこの身に堕天使の烙印を焼き付けられようとも、この純白の羽が朽ちたとしても、貴方への愛が変わることはありません。だからどうか僕を連れて逃げてください」 「ミカル…」 「お願いです。ルシア」
もう一度ルシアに抱きつくと、ルシアもミカルの背に腕を回してくれた。そしてミカルが顔を上げルシアの口付けを求めた瞬間。 二人を明るい光が照らした。 「いたぞ!黒羽の悪魔だ!」 「白い翼もいるぞ!」 「一体どういうことだ!」
「嘘…。『悪魔狩り』は早朝といっていたはず……」 「ミカル離れろ。ばれてしまう」 「嫌です。そんなことより早く逃げなくては」 「ミカル来い」 ルシアはミカルの腕を引くと翼を広げ、空へ飛んだ。まだ、自分の翼をうまくコントロールできないミカルは、ルシアの腕に支えられながらも空へ飛ぶ。
「逃げたぞ!追え」 「白い翼を連れて行ったぞ。捕まえろ」 次々と後を追ってくる天使たちに、ミカルたちは必死に逃げる。しかし一発の銃弾がミカルの右足に当たり、バランスを崩し、ルシア諸共(もろとも)森の中へ落ちてしまった。 「落ちたぞ。探せ!逃がすな」 暗闇でミカルたちの落ちた場所を正確に把握できていない天使たちは必死になってルシアを探している。
「ルシア、貴方だけでも逃げて。この足じゃ、貴方の足手まといになるだけです」 「ダメだ。さっきお前が連れて行けと言っただろう!」 「確かにルシアと離れるなんて耐えられない。しかし、ここで貴方が捕まったら本当に二度と会えなくなってしまう。けれど、僕が捕まっても牢に閉じ込めるだけだから」 「だが……」 「いいから、早く。でないと本当に見つかってしまいます。どうか無事に逃げていつか僕を迎えに来てください」 「ミカル…」
「いたぞ!あそこだ」 追っ手がこちらに光を向け向かってくる。 「ルシア、早く。多少の足止めは僕でもできますから!」 「ミカル……すまない。必ず、必ず迎えに行く」 「ルシア。待ってますから」 軽くキスを交わすとルシアは立ち上がり、また空中へと羽ばたいた。
「逃がすな!」 「ここから先は行かせません!」 「どけっ!悪魔を庇うつもりか」 「はい。ルシアを捕まえさせはしません」
(ルシア……いつかまた。必ず迎えに来てください。それまで僕は何年でも何十年でも待っていますから)
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Ⅴ. あの日から旭は貴夜を避けるようになった。これ以上傍にいて勝手な勘違いをしてしまいたくなかったから。しかし、そんな旭の心情を知ってか知らずか、貴夜は昼休み強引に旭を屋上に連れ出した。 学祭まで後10日に迫っていた。
「どうしたんだ?」 「何が?」 「最近避けてるだろう?」 「別に」 「避けてるだろ!俺が何をした?」 「別に何も……。ただ友達としての距離を置いてるだけだ」 「友達?どういうことだ?」 「どういうもなにも、俺たちの間にそれ以上のものはないだろう」 旭の言葉は貴夜に向けてというより自分に言い聞かせるようなものだった。
「お前はそう思っていたのか…」 「だから、それ以外の何があるんだよっ!」 「俺は、お前と付き合っているつもりだった」 その一言は旭の中の不満を爆発させるには十分の一言だった。 「何が付き合ってるだ!そんなこと思ってないくせに。この間の日曜だって俺との誘い断ってまで女と一緒にいただろ!」 「見たのか?」 「ああ、見たよ。俺に見せないような笑顔振りまいてるお前をな。俺といる時はちっとも楽しそうじゃないし、何もしてこないのは俺が思っているほど俺のこと好きじゃないんだろ!」 「そんな風に思っていたのか……」 貴夜の声が幾分低くなった。その声にハッと顔を上げると不機嫌そうな貴夜の姿があった。 「もういい」 その一言を残し、貴夜は屋上から出て行った。その後ろ姿を見ながら、旭は哀しくてドアが閉まった途端声を殺してないた。
あれからずっと貴夜とはぎこちなく、今日――緑陽祭本番まで劇練習以外で口を利くことは無かった。 (これで最後だ…) 今からやる最終幕が終われば完全に貴夜との接点がなくなってしまう。 「こんな時に悲恋ものなんて皮肉だな…」 一人舞台袖で自嘲気味に呟いた言葉にますます哀しくなってきた。 「葛城、ぼんやりするな。次の幕開けでラストだからな。気合入れていけ」 「委員長」 「考え込まなくても大丈夫だ。最後には全部うまく行くからな」 「えっ?」 委員長は劇のことを言っているのだろうが、何故か旭には自分の事を言われているような気がした。 「ほら、時間だ。行って来い」 委員長に背中を押され、旭は舞台に立った。
『最後には全部うまく行くからな』 その言葉が何故か旭の胸に響いた。
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【『禁断の恋』最終幕~永久の想い~】
ルシアとの別れから3年の月日がたった。あれからミカルは、悪魔に心を売り渡した反逆者として胸に堕天使の烙印を焼付けられ、牢へと監禁された。堕天使は生かさず殺さず、その命耐えるまで牢で暮らさねばならない。 ミカルはいつも小さな小窓から見える空を眺めルシアが迎えに来るのを待っていた。 「ルシア…今、貴方はどうしていますか?無事に逃げ延びたのでしょうか?」 窓から見る月にルシアの無事を祈り続けるミカル。3年の間、月を見るたび祈ってしまう。
「あの日も、今日のような綺麗な満月でした」 その満月を見つめルシアを思っていると不意に黒い影が見えた。それはだんだんこちらへ近づいて来る。そのシルエットがはっきりしてくるとミカルの目に涙が溢れた。 「あ……あ…」 言葉にならない。意味を持たない言葉を口にする。 スタッと音を立てずに、鮮やかに窓の向こうに降り立つその姿は3年前と変わらないものだった。 「ル、ルシア…」 「ミカル、待たせたな。迎えに来たぞ」 涙が溢れしゃくりあげるだけで、言葉が発せないのが酷くもどかしかった。
「ミカル、少し危ないから下がっていてくれ」 ルシアの言葉に従い、隅のほうへ移動する。それを確認したルシアは呪文を唱える。するとものすごい風圧でミカルの監禁されていた壁が壊れた。その途端、ものすごい音の警鐘がなる。 「急げミカル。今のうちに早く逃げるぞ」 「はい」 涙を拭き、ルシアの腕につかまる。するとルシアはミカルを横抱きにし、そのまま暗闇の中へ羽ばたいた。
「堕天使が一人脱走したぞ」 「悪魔と一緒だ。逃がすな!悪魔は殺せ」 次々と来る追っ手に3年前のことを思い出した。 「あの時もこんな風に追われながら逃げてましたよね」 「ああ。そうだったな」 追われているというのに穏やかな会話をする二人は、殺されるかもしれない危機感よりやっと出会えたことの幸福感でいっぱいだった。
ルシアは迫り来る追っ手をまきながら、ある場所へと向かった。 「ルシアこっちって…」 「そうだ。俺たちの思い出の森さ」 暗闇だからか追っ手たちはスピードの速いルシアに追いつけなかった。そして、森につく頃には追っ手の姿は一人もなかった。 大きな大木の前で降り立つと、そっとミカルを下ろした。そして改めて再会の幸せを受け止める。 「ミカル、遅くなって悪かった。俺のせいでこんな印までつけられてしまって」 ルシアはミカルの胸にある堕天使の刻印をそっと撫でる。 「この印はルシアのせいじゃありません」 「しかし、堕天使になってしまってせいであんなに綺麗だった純白の羽が……」 「構いません。ルシアに会えたのですから」
「ミカル」 「ルシア」 お互いの名前を呼び合い、そっと口付けを交わす。そして今度こそ離れないようにルシアはミカルの身体をしっかりと抱きしめる。
「ミ、ミカル……?」 背後から聞こえた声にミカルとルシアは身体を強張らせ、振り向く。そこにいたのは…。 「セシル?」 ミカルの友人・セシルだった。 セシルはルシアの姿を見た途端、いきなり拳銃を取り出した。 「お前かっ!ミカルを誑かし、堕天使に陥れた悪魔は」 「セシル!何してるの!?やめてっ」 「ミカル退くんだ!ミカルを奪ったこの悪魔を俺が殺してやる」 「ダメっ!セシル」 「ミカル、下がれ。こいつが狙っているのは俺だ」 ルシアはミカルを自分の背後へと隠した。
「俺からミカルを奪い、堕天使に陥れた悪魔のことは聞いていた。いつか絶対この手で殺してやると誓った」 「お前からミカルを奪った覚えは無い。ミカルが自ら俺の腕に飛び込んできただけだ」 「黙れっ!俺はお前なんかよりもずっと前からミカルを見てきたんだ!悪魔なんかに奪われてたまるか!」 セシルが銃の引き金を引く。 バンッ! 銃声が響く。ルシアはミカルを抱えたまま華麗に舞い上がりヒラリとそれを交わす。 バンッ バンッ バンッ バンッ 何度も連射打ちする弾丸をルシアは鮮やかに交わしていく。 しかし、足元に打たれた弾丸に足を取られ、ルシアはこけてしまった。 「もらった!」 「くそっ……」 体勢を立て直す時間がないルシアが覚悟を決めた途端、ミカルがルシアの前に飛び出した。
「ルシアっ」
ルシアに抱きついたミカルは、その背中に銃弾があたる。 堕天使になりボロボロなってしまったミカルの羽が舞い上がる。3年前と変わらぬ純白の羽がミカルの真っ赤な血に染まった。
「ミカルっ!!!」
自分の目の前で真っ赤に染まり力なく倒れこむミカルをルシアは抱きしめる。 「ミカル、ミカル!しっかりしろ」 「ル、シア……だい、じょうぶ?」 「俺は大丈夫だ。それより早くお前の手当てを……」 「多分、もう、無理……」 「そんなこと言わないでくれ!折角会えたのに…。会えたばかりなのにっ」 「だ…てん、し…って…体力……ない、から」 「ミカル!死ぬな…死なないでくれ」 「ルシア…。あい、してる」 ミカルはルシアの頬を伝う涙を、ゆっくりと持ち上げた手で拭い、自分の想いを伝える。 「俺も、俺もミカルのこと愛してる。だから、頼む生きてくれ。死なないでくれ!」 ルシアの願いは叶わず、ミカルは力なく腕を下ろし、目を閉じ、くったりとしてしまった。 「ミカル…。ミカル……ミカルっっ!!!!」 何度も呼びかけるルシアの叫びは虚しく、ミカルが目覚めることはなかった。
ルシアが顔を上げると呆然と銃を構えたままのセシルがいた。ルシアはセシルをものすごい勢いで殴りつけると、セシルはゴム人形のように飛んでいった。 そして、血まみれの愛しい人を抱えるとそのまま夜空へと羽ばたいた。
「ミカル…。このまま、誰もいないところへ行こう。俺たち二人だけの場所へ。もう二度と誰にも邪魔されないところへ」 まだ温かいミカルの目尻にルシアの涙が伝い落ち、まるでミカルが泣きながら微笑んでいるように見えた。
【『禁断の恋』~FIN~】
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エピローグ
「すごい盛況だったな。これで人気投票1位は間違いないだろう!葛城サイコーの演技だったぜ」 委員長他クラスみんなから褒められ、照れくささや達成感で胸がいっぱいだった。 しかし、旭が1番気になったのは、劇の中の最後のキスシーン。ミカルとルシアが森へ降り立ってすぐの場面。あの時貴夜は軽くではあったが本当に唇を合わせたのだ。 偶然かそれともわざとか…。どっちにしろあれは旭のファーストキスだった。 (わざとだったらいいな…) その真実を聞くため、貴夜の姿を探すが見当たらない。今舞台裏は旭のクラスと次のクラスがごった返しており、貴夜がどこにいるかわからない。人波の間をすり抜け、落ち着くところ――体育館裏に衣装もそのままにやってきてしまった。
「黒崎……」 2週間ほど前、ここで貴夜に告白したのが随分昔に感じる。あの時は幸福絶頂だったのにな…。と考えていると背後でガタッと音がした。 振り向くとあの時と同じように貴夜が立っていた。 「葛城」 「黒崎…」
貴夜は旭に近づくと、その身体をそっと抱きしめる。 「葛城、悪かった」 「何が?」 「この前のことと、今日キスしたこと」 「キスされたのは別に嫌じゃなかった」 抱きしめられながら自分の気持ちを正直に言うが、貴夜の背中に腕を回すのは躊躇ってしまった。 「この前のこと…今更だが弁解してもいいか?」 「うん…」 もしも、自分が何か誤解しているなら教えてほしい。その後振られるなら、辛くはあるが大人しく別れようと思った。
「まず、お前が一番誤解している女だが、あれは姪っ子だ。あの日は姉さんたちの結婚記念日だったから、あいつのお守りをしながら2人で姉さんたちのプレゼントを買いに行ってたんだ。第一あいつはまだ小6だぞ。対象外だ」 「嘘……小6…。てっきり中学か高校生かと思ってた」 「見た目は姉さん似で少し老けてるからな」 老けてるという表現はちょっとおかしいが確かに大人びた感じだった。
「それから、もうひとつ…。俺が手を出さない理由だが…」 「……」 「あれは別にお前のことをなんとも思ってないわけじゃない。逆に葛城のこと好きだから手が出せないんだ」 「えっ…」 旭は貴夜の言った内容も気になったが、それより初めて好きって言われたことに驚いた。 「好きって…」 「前から答えてるだろ。俺はお前が好きなんだ。ただ、あまり言ったことがないから言えないだけだ」 赤くなりながら答える貴夜を旭は珍しいものでも見るようにマジマジと見てしまった。
「でも……好きなら何で、何にもしなかったんだよ」 旭は胸に抱える一番の不安、不満を言った。 「葛城って男初めてだろ?というより女とも経験ないんじゃないか?」 「う…うん」 高3にもなって童貞というのは恥ずかしく、でも小さく肯定した。 「女とも経験したことないのに、男なんてもっと大変だろ……。第一、俺とじゃお前は受ける側になるんだし…いろいろ準備とかあるんだ…。男同士がどうやるのか知ってるか?」 「聞いたことはある……」 「だったらわかるだろ。最初は痛いらしいんだ。それに俺たちはもう受験生だからな。そういうことはもっと後でいいと思っていたんだが……」 「それでも、せめてキスくらい…してくれても……」 語尾が小さくなりながらも口にすると、貴夜は苦虫を噛み潰したような顔になった。 「俺が、キスだけじゃ済まなくなりそうだったんだよ」 「へっ?」 「キスしたらその先もやっちまいそうで怖かったんだ。自分を止められなくなりそうで…。そのことでお前が不安になってるのもわかってたから、せめて意思表示だけでもしてたつもりなんだけどな…。 この間は、俺が我慢してるの知らないお前に責められて、つい頭に血が上った。悪かったよ……」 「俺も、ごめん。黒崎の話聞こうとしないで勝手なことばっか言ってて…」
そう言うともっときつく抱きしめられた。 「なあ、黒崎。劇の時みたいなキスじゃなくてもっとちゃんとしたのしてほしい…」 「葛城…」 「ダメか?」 顔を上げると貴夜は少し躊躇った顔をしていたが、そっと顔を近づけてきた。 そのまま目を閉じ、吸い寄せられるようにキスをする。 唇の割れ目を舌でなぞられ、下唇を甘く噛まれ、息が苦しくなる。空気を求め開いた口からするりと貴夜の舌が滑り込んできた。クチュと卑猥な音がするのを、霞がかった頭の隅で感じた。 貴夜は旭の口内を嬲りつくすと、チュッと音を立てて離れた。旭は腰砕け状態で、貴夜の支えがなかったらその場にへたり込みそうだった。
「このまま、押し倒したいくらいだが…。時間がない。みんなが探しているはずだ」 「うん……委員長も心配してるよね…」 「……いや、あいつは今俺たちが何してるか解ってると思うぞ」 「何で?」 「あいつだけは俺の気持ち知ってるからな。今回の劇の配役、お前と俺を推薦するように俺が頼んだしな…」 「嘘、マジで……」 「ああ、俺が言わなかったら間違いなく自分を選んでいただろうからな」 「委員長と仲いいんだ」 「腐れ縁だ」 そう答える貴夜は何故か不本意そうで、きっとあの2人には何かあるんだろうな…と思いながらも、旭は貴夜の腕を引き、教室に戻るように促した。それに従い、貴夜も足を進めた。 そして裏庭を通りすぎた時、不意に旭が言った。
「なあ、受験終わったら……最後までやろうな」 「………」 貴夜は答えなかったけど、約5ヵ月後はきっと旭が望んだ未来になっているだろうと、なんとなくだが確信していた。
<FIN>
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