数馬
母が死んだら父が言った。
「おまえたちには、兄がいる」 俺は開いた口が塞がらないとはこのことだな、と思った。
東京の大学に通うために北海道から出てきた『兄』が同居することになる。 別にかまわないけど。 弟の航太は、かなり動揺したにもかかわらず『兄』の淳平にすぐになついた。 子供は単純だ。 まだ中学一年生の航太は、母性本能いっぱいの淳平に甘えている。 単純なやつはいいよな。
淳平は妙なやつで、男のくせに家事が得意だった。 あっという間に家の中のことをすべて把握して仕切られていた。 それも悪くない。 俺はめんどくさいことが嫌いだし、航太はまだ子供だ。 親父は典型的な仕事人間ってやつで、あんまり家庭的ではない。 母がいなくなって、崩壊していた家庭を救うためにやってきた救世主? 大げさに、そんなふうに言ってやったら、淳平は喜んでいた。
新しい四人家族にもすっかり慣れて、三年が経った。 そのあいだに俺の心の中で、少しずつ変化が起こっていたことを俺自身も気づかなかった。
俺は淳平と同じ大学生になり、すっかり大人になったつもりでいた。 淳平がバイトで講師をしている塾のことを、人に頼んで調べてもらったりもした。 その塾の経営者と恋仲になっている淳平は、卒業したらそこへ就職すると言うのだ。 もっと、ましなところに就職したほうがいい。 俺の忠告は完全に無視された。
妻子ある男になんか、入れ揚げるのはやめとけ。 何度も、そう言ったのに、淳平はまったく聞く耳持たない。 そんなに惚れているのかと思ったら、たまらなくなって頭に血が昇った。
相手が兄だということを忘れて押し倒していた。 いくら小柄な淳平でも、本気で抵抗されてたら、途中でやめたと思う。 だが、淳平はそれほど抵抗もせずに、あっさり俺に抱かれた。 どういうつもりなのかわからなかった。 それを問いただす前に、弟の航太が帰ってきてしまい、話をすることができなかった。 航太は、俺がしたことに気づいて本気で向かってきた。 俺も悪いことをしたと思っていたところだったし、航太が淳平を好きなことも知っていたから、その場は黙って殴られた。
それにしても、淳平のやつ、なにを考えているんだ。 時間が経つにつれて、後悔の念は薄れていき、新しい思いが俺の心を支配するようになった。 淳平を完全に俺のものにしたい。 俺だけに惚れている淳平を抱いてみたい。
淳平
ひとりっ子だった僕に突然、二人も弟ができた。 大学生になったことも、東京に住めることもうれしかったけど、それ以上に家族ができたことがうれしい。 母さんを北海道に残してきたことは心配してないんだ。 だって、母さんはもうじき結婚するんだから。
そうなんだ、僕が母さんから離れた理由は、そのことと関係がある。 生まれたときからずっと母さんと二人だけだった僕は、なぜだか年上の男性ばかりを好きになった。 だけど今回ばかりは最悪。 僕が好きになってしまった人は、もうすぐ僕の父親になる。 母さんが結婚する相手なんだ。 別に僕とその人のあいだに何かがあったわけじゃない。 一方的に僕が恋をしているだけ。ただの片思いなんだ。 片思いだって恋は恋なんだよね。 最悪の形で失恋した僕は東京に逃げ出した。
かわいい弟たちとの楽しい家族ごっこ。 大学にバイト。 僕は毎日が楽しくてしかたなかった。 彼が独身じゃないことを知るまでは……。 知ったからって何も変わったわけじゃない。 僕はあいかわらず、バイト先で彼に会う。 ときどきはデートもしたし、デートするよりもたくさん抱かれてもいた。
卒業しても、そのままバイト先の塾に就職することに決めたのは彼にそうしろって言われたから。 僕は、自分がこれからどうなってしまうのか不安だった。 数馬に何度も言われた。 「教員免許取ったんだから、普通に学校の教師になればいいだろ。なんでわざわざ塾の講師なんかやるんだよ」 「うん、そのとおりなんだけどさ……」 僕は歯切れの悪い返事しか返せない。 好きな男の側にいたいからだなんて、数馬に言うわけにいかないと思っていた。 言えばよかった、と思ったときはもう手遅れだった。
「淳平、あのさ」 「ああ、びっくりした、数馬帰ってたんだ」 「ちょっと話がある」 「うん」 夕飯の準備もできたところだったので、僕と数馬はリビングの隣りの和室に移動した。
「話って?」 数馬は初めから僕に話なんかなかったんだ。 いきなり抱きつかれて畳に押し倒された。 数馬のほうが身体が大きいから、力でかなわなかった。 なんていうのは、ただの言い訳だ。 僕は、数馬のことを嫌いじゃなかった。 僕のことを心配してくれる家族としてじゃなくて、一人の男として数馬を見ている自分に気づいていた。 気づいていて、知らないふりをしていたんだ。 だって、この楽しい家族ごっこをやめたくなかったから。
「数馬……だめだよ」 ひと言もしゃべらないで、僕の身体をむさぼるように抱く数馬がいとおしくて、僕の腕は言葉とは逆に数馬の背中を抱きしめた。 年下に抱かれるの初めてだ。 ぼんやり、そんなことを考えながら数馬に抱かれた。 そろそろ、この家族ごっこも終わりにしないといけないかな。 僕は、とても楽しかったけど、数馬と航太はそうじゃないのかもしれない。
数馬の若さが僕には新鮮だった。 僕と数馬は三つしか違わない。僕だってまだ若いはずなのにね。 なんだか最近、すごく歳をとってしまった気分だったんだ。 彼と別れる決心がつきそうな気がする。 数馬の一生懸命な顔はとても綺麗で、僕のかたくなな心を揺さぶった。
航太は、とてもかわいい。 家族のなかで一番大きくなってしまったけど、まだ十六歳だ。 初めて会った三年前は、小さな子供だったのに。 身体ばっかり大きくなっても、まだまだ幼い航太が僕になついてくれているのがうれしい。 僕のことを心の底から心配してくれているみたいだ。 ごめんね、航太、心配させて。
父親
淳平をうちに引き取ったことはよかったと思っている。 数馬と航太にとってだけじゃなくて、淳平にとっても悪いことじゃなかったはずだ。 ひとつだけ後悔していることがあるとしたら、それは数馬と航太に嘘をついていたことだけだ。 もちろん、いいと思ってついた嘘だったんだが。 まさか、こんなことになるとは思いもよらなかった。
「本当のことを、数馬と航太に話してもらいたいんです」 「別に、かまわないけど、いまさらどっちでもいいだろう」 「そういうわけにはいかない事情ができてしまったんです、叔父さん」
淳平の父親は私ではない。 私の兄が本当の父親だ。 兄が恐妻家なので、私の子供ということにしておいた。 それだけのことだ。
従兄弟だと紹介するより、兄弟だと言ったほうが仲良くできるかな。 という考えもあった。 だが、それよりも、子供たちの口から本当のことが兄の奥さんにバレるのを恐れての嘘だった。 大人のついた他愛のない嘘が子供たちを苦しめていたのだとしたら、それは悪いことをしたとあやまるしかない。
それにしても、どうしてうちの子供たち数馬と航太は、ああなんだろうか。 幼い頃から、同じおもちゃを取り合ってケンカばかりしていた。 すっかり大きくなった今でも、全然変わってないのか。
「淳平君、こんな家にはもういたくないと思うんだったら、兄に話してアパートでも借りさせるから遠慮なく言っていいんだよ」 「叔父さん、僕は、この家にいたいんです。出て行けと言われたらしかたないと思ってますけど」 「それなら、なにも問題はないな」 「それで、いいんですか?」 「もちろんだよ」
数馬のことも航太のことも淳平君から聞いた。 だけどなあ、昔から言うだろう。 人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじまえ、って。 数馬と航太、二人の恋のライバルの、軍配がどっちに挙がるのか見るまでは死ねないよな。 全く、私の息子たちときたら、子供の頃からちっとも変わってない。
しかしこの勝負、どっちが勝っても私が得をするようにできている。 息子の嫁は料理上手がいいと、昔から思っていたんだ。 母さんは、なんでもできる女性だったけど、料理だけは淳平君のほうが上手だからね。
一年後
「淳平、一緒に帰ろ」 「学校では、先生って呼ばないとだめだろう」 「いいだろ、他の生徒だってみんな淳平って呼んでるじゃん」 「それは、航太が最初に言い出したからで……」 放課後の職員室では、数人の教師が机に向かっている。
「ねえってば、まだ帰れないの?」 「先に、帰ってなさい」 「今日の夕飯、なに?」 「そうだ、航太、先に帰るんだったらスーパーで買い物しといてくれないかな」 「いいけど、オレの好きなものばっかり買っちゃうよ」 椅子に座った淳平の斜め後ろに立っている航太が、少し屈んで背後から淳平を抱きしめるようにする。 「こら、やめなさい」 「親父は泊まりの出張だし、数馬はバイトで遅くなるってさ」 耳元で囁かれた淳平は、自分の身体にぞくりと衝撃が走るのを感じる。
「先生、さようなら」 踵を返して去っていく航太の背中を振り返って見ることもできずに、淳平は椅子の上でしばらく固まっていた。
一年前に終わったはずの家族ごっこは、形を変えてまだ続いている。 淳平が兄ではなくて従兄弟だとわかっても三人の関係がそれほど変化しなかったのは、もともと兄弟という意識が薄かったせいだろう。 父親の留守がちな家で、最近では日常的に数馬に抱かれている淳平だったが、航太の気持ちは痛いほど感じている。 そろそろ航太の気持ちに応えてあげようか。 そんなふうに思うのはごまかしだ。 本当は淳平自身が航太に抱かれたいのだった。 逞しい男に成長した従兄弟に、数馬とは違う魅力を感じていることを淳平は自覚している。
「ただいま、航太、帰ってる?」 「淳平、おかえり、ちゃんと買い物して冷蔵庫に入れておいたよ」 「なに、買ったんだ」 「刺身とコロッケとフライドチキン」 淳平があきれた顔をすると、航太は満足そうに笑った。
「風呂も沸かしておいたし、ビールも冷やしておいたし、洗濯物も畳んでおいた」 「航太、やればできるじゃないか、いつもやってくれると助かるんだけどな」 スーツを脱ぎかけた淳平を、航太が背中から抱きしめる。 「こら、放しなさい」 「やだ」 「着替えられないだろう」 「いいよ、俺が脱がしてやる」 言いながら航太の指が淳平の胸を探り、ワイシャツのボタンを外し始める。 「航太、ふざけるのはやめなさい」 「ふざけてなんかいないよ。淳平、好きだ」 「やっ……」 ボタンを外していた航太の指が、ワイシャツの中に滑り込んできて淳平の乳首を刺激する。 男にしては大きめで、いやらしいピンク色をしたそれが勃ってきて、逆に航太の手のひらを刺激した。
「待って……」 中途半端に脱がされた服を身体にまとわりつかせた淳平が抵抗する。 「先に、風呂に入りたい」 「だめだよ」 航太に後ろから抱きしめられたまま、強引に唇を奪われる。 家族の中で一番身体が大きくなった航太に、軽々と抱き上げられてしまう。 自分の部屋に入ると、航太は抱き上げていた淳平をベッドに下ろした。
「淳平、好きだ」 弱々しく抵抗する淳平の身体を押さえ込んで、残っていた服を脱がせながら身体中に口づける。 「あっ……航太……だめっ……」 嫌がって抵抗するふりをしながら、淳平が愉しんでいるのを航太は知っている。 痛いくらいに乳首を吸われたり、力で押さえ込まれて強引にヤラれるシチュエーションが好きなのだ。 本当は航太は、もっと優しくしたいと思っているんだけど、それだと淳平が悦ばない。 兄の数馬と淳平の関係をずっと見てきた航太には、それがわかっている。
ほんの少し指で解しただけの場所に無理矢理、押し込む。 「ああっ……いやっ……」 言葉とは反対に、淳平がいやらしく身体をくねらせる。 背中から尻にかけての滑らかなラインを、航太が指でなぞる。 淳平の白い肌にうっすら汗が滲みだしていた。 「あっ、あっ、あっ……」 航太が動きを止めると、途切れた快感を求めて淳平の背中がうねる。 背中に触れていた手をずらして脇腹を撫でるようにさすりながら、航太が囁いた。 「オレの名前、呼んでよ」 「んっ……」 「ねえ、航太って、呼んでくれよ」 脇腹の手が少しずつ前に移動して、淳平のものに届きそうになる。 「こ、こうた……」 言ったとたんに航太の手が淳平の欲望に触れて、それを扱いた。 すぐに後ろの動きも再開される。 「あぁっ……こうた……こう、た……」 「淳平、好きだよ」 もう、なにも聞こえていないとわかっていても、航太は淳平に気持ちを伝えたかった。
いつか必ず、数馬よりも自分を好きにならせてみせる。 改めて心に固く誓う航太だった。
完
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