標的は目の前だ。
ボクは柱の影から標的を見やった。
標的は自分を狙ってる奴がいるなんて気づかずに、あいかわらずのほ
ほんとしてる。
ボクはゆっくり柱の影を移動した。
標的は男である。
身長は高い。180センチの長身だ。ただ、いつも一緒にいる連れが
190を越える大男のため、あまり周囲には認識されていない。どちら
かというとひょろりとして見える。
シャツと黒くて長い前掛けみたいなシェフエプロンがかっこいい。腰
の位置が高く、足の長いのがよく分かる。
でも、どこかのほほんとした雰囲気が、スタイルの良さを半減させて
る。
ちょっと長めの癖毛を無造作にひとつにまとめて、無精ひげにくわえ
タバコ。いつも背中を丸めるような前かがみが、ちょっとくたびれた印
象かもしれない。
でも、本当はすっごくカッコいいのだ。
ボクはゆっくりと近づいた。
そろそろと足音を立てないように歩いて、後少し、というところで突
然、気づかれてしまった。
「こら、有里。こんなところで何してるんだ」
怒ってるんだかどうか分からない口調で言って、標的、由利清蔵は呆
れたような顔をした。
清蔵ちゃんはボク、花月有里のおじさんだ。ボクの父さんの奥さん、
つまり義母さんの弟で、義理の伯父である。
「清蔵ちゃん、何で気づいちゃうわけ? もうちょっとでワッって驚か
せれたのに!」
不満そうに言うと、清蔵ちゃんは大げさにため息をついてみせた。
「何がワッだ。有理、もう高校生になったんだから、もう少し大人にな
りなさいね」
ふーやれやれ、って感じでわざとらしーく肩をすくめられた。
「だいたい、こんな早くからどうしたんだ? 学校は?」
しかつめらしい表情を作ってるけど、そんなの全然恐くもない。
「ゴールデンウイークだもん! 清蔵ちゃん、全然お休みないって言う
から、ボクから会いに来てあげたの!」
ボクはムッと眉根を寄せて、でもべったり清蔵ちゃんにくっ付いた。
清蔵ちゃんとは、ボクが生まれた時からの付き合いだ。
その昔、清蔵ちゃんは某有名ホテルのフランス料理レストランで、料
理長をしていた。当時はすっごい美人の奥さんがいて、ボクと同い年の
子供がいて、幸せな家庭って奴だったらしい。
でも、ボクが物心着く頃には、清蔵ちゃんはひとりになっていた。ボ
クのことを、奥さんが連れて行った自分の子供とダブらせていたのか、
実の父親以上に構ってくれた。
清蔵ちゃんはホテルをやめて、色んなお店を転々として、今は
「haunt」に落ち着いてる。今まではどこで働いてるかも教えてく
れないことがあったけど、今はこうしてちゃんと教えてくれているから
安心だ。
「清蔵ちゃん、ゴールデンウイークお泊りしにくね」
背中にべったり張り付いて言ったら、邪魔だと押しやられた。
「有里、仕込みの邪魔するな。だいたい、朝からこんなところに来てな
いで、友達と遊びに行きなさい」
「いーやーでーすー! せっかく清蔵ちゃんといっぱい一緒にいられる
んだもん、ゴールデンウイーク中はずーっと一緒にいるの! ちゃんと
お泊りセット清蔵ちゃん家に置いてきたし!」
ボクは清蔵ちゃんの腰にしがみついたまま言いきった。
今年高校生になったばかりのボクは、成長期がまだ来てないみたい
で、180センチある清蔵ちゃんと違い、マイナス30センチだ。全体
的にちっこくて、ムカつくけど高校生に見られたことはない。それどこ
ろか、たまに小学生と間違えられたりもする。
ボクは大量の玉ねぎの皮を剥いてる清蔵ちゃんの腰にしがみついたま
ま、頭をぐりぐりこすりつけた。
「清蔵ちゃん、なんでゴールデンウイークにお休みないの? 1日くら
いどっか行こうよー」
昔から、長期休暇に遊びに連れて行ってくれるのは清蔵ちゃんだっ
た。ある意味好き勝手生きてる両親は、ボクの事を構いたい時にだけ構
って、学生の休みなんて考えもしないのだ。長期休暇の間、暇をもてあ
ましたボクの傍にいてくれたのも、やっぱり清蔵ちゃんだ。
清蔵ちゃんは離婚してから、ボクの家のすぐ近くの中古マンションで
1人暮らしをしている。ワンルームしかない小さいマンションだけど、
ボクにとってはステキなお城だ。
ボクは物心着く頃からずっと、そうやって清蔵ちゃんに大切に愛され
て育ってきたから、高校生になった今でも清蔵ちゃんの傍にいたくてし
ょうがないのだ。
「haunt」で開店前の料理の仕込みをしている途中だろうがなん
だろうが、やっとゆっくり会えたんだから、少しでもたくさんくっ付い
ていたい。
「壱岐君がゴールデンウイーク、旅行に行くんだよ。だからおじさんが
出勤。その代わり休み明けはおじさんの方が連休だからさ」
「……なんでそれで清蔵ちゃんが全出なわけ? 清蔵ちゃんは連休かも
しんないけど、ボクは学校あるのに!」
「学校行っとけばいいだろ」
清蔵ちゃんはボクの訴えをサラリと交して、今度はジャガイモの皮を
剥き始めた。
「もー! 清蔵ちゃん、最近清蔵ちゃんは、ボクの事をナイガシロにし
過ぎる! こんなに清蔵ちゃんのこと好き好きってゆってるんだから、
もっとサービスしてくれたっていいじゃん!」
何か違うとは思ったけど、ボクは清蔵ちゃんに文句を言った。
中学生の頃までは、長期の休みは必ずボクの為に空けておいてくれた
のに!
「はいはい、全部おじさんが悪いんですよ」
清蔵ちゃんはジャガイモの皮を剥いてる手を止めもしないで、テキ
トーに返事する。
「も、清蔵ちゃん! ボクはそんなこと言ってないっての。もっと一緒
にいたいの! ずーっとずーっと清蔵ちゃんといたいの!」
ボクはもどかしくなって、ぎゅうぎゅう清蔵ちゃんにしがみついた。
「有里、危ないだろ。包丁使ってる時は抱きつくなって、何年言えば身
につくんだか」
だのに清蔵ちゃんはまったくボクの言葉を聞いてくれない。
ボクがどんなつもりで「好き」って言ってるのか、考えようともしな
いのだ。
そりゃあ、生まれた赤ちゃんの時から知ってるんだから、まだ子供だ
って思われてるかもしれないけど、ボクだってもう高校生だ。もうすぐ
16歳だし、女の子だったら結婚も出来る年なのに。
やっぱりボクが男の子だから?
それとも、清蔵ちゃんには自分の子供みたいにしか思われてないのか
な?
ボクは何だか悲しくなってしまって、しがみ付いてた清蔵ちゃんから
少し離れた。
確かに、15歳の男の子が、血が繋がってないとはいえ、38歳の自
分の伯父さんがそういう意味で好きっていうのは変かもしれない。
でも、ボクはそれでも15年生きてきたんだし、ボクなりに色んな人
と知り合ってきた。でも、清蔵ちゃん以上に好きって思える人はいなか
ったのだ。
両親よりも、兄弟よりも、その他のボクの周囲にいる誰よりも、清蔵
ちゃんが特別で大切なのに。
ぽんぽん、とボクの頭を清蔵ちゃんが軽く撫でるようにたたいた。
いつの間にか清蔵ちゃんがボクに向き直って真っ直ぐに視線を向けて
くれている。
「そんな顔するんじゃないよ。ゴールデンウイークが終わった次の週末
に映画に連れて行ってやるから」
清蔵ちゃんが優しい声で言った。
「………ホント?」
そうっと伺い見ると、ちょっと苦笑した表情がある。
「高校生になって、有里も学校の友達と遊びに行くと思ってたんだ。い
つまでもおじさんに構ってくれるはずがないってね。だから、恋人と旅
行するっていう壱岐君のために一肌脱いであげたんだけど…」
「え、壱岐さん、恋人いたの!?」
ボクは意外な事実に驚いた。
壱岐さんっていうのは、「haunt」で清蔵ちゃんと一緒にシェフ
をしてる人だ。高校生の頃からバイトで「haunt」の厨房に入っ
て、卒業と同時に社員として正式なシェフになったらしい。
ボクも清蔵ちゃんに会いたくて「haunt」に入り浸っていたか
ら、壱岐さんのことはよく知ってる。
無口で、とにかく無口で、でもキリリとした男前な人だ。ボクには清
蔵ちゃんが一番の男前だけど、壱岐さんもタイプの違う日本男児っぽい
ハンサムといえるだろう。
そんな壱岐さんは硬派なイメージで、彼女と旅行ってのが想像できな
い。と、いうか、彼女がいたことすら知らなかった。
「何だ、有里は知らなかったのか。付き合って、もう2年目になるんじゃ
ないかな。長期で初めて休みたいって言われたから、おじさんも断り
きれなくてね」
「へ、へー」
ボクは意外な事実に、清蔵ちゃんを怒ってたことも忘れて感心してし
まった。
「って、それよか、約束だからね。週末、映画!」
「ああ、わかった、わかった」
ボクが清蔵ちゃんにしがみ付いて言うと、軽く宥めるような口調で返
された。
それにちょっとムッとしたけど、ボクはOKされたからいいか、と思っ
て、ギュウっと抱きつく腕にチカラをこめる。
「んじゃ、今日は帰ってきたら一緒にお風呂入ってね。んで、抱っこし
て寝てくれなきゃやだからね!」
ボクが言うと、清蔵ちゃんははいはいって答えて頭をポンポンたたい
た。
そうしてから、料理の下ごしらえに戻る。
「そこにいるんなら、大人しくしておいで。ほら、ケーキ、作っておい
てやったから」
まるで子供扱いの清蔵ちゃんには言いたいことがいっぱいあるけど、
まあ、それはまた今度に取っておいてあげよう。
清蔵ちゃんの作るケーキってすっごくおいしいから。
「いただきまーす!」
ケーキを食べる僕に、清蔵ちゃんはホッとした様子で下ごしらえに集
中する。
明らかにごまかされてる気がするけど、まあいいよ。
勝負はこれからなんだから。
ボクが四六時中張り付いてるから、清蔵ちゃんに彼女ができることな
んてまずないだろうし、いくらカッコよくてもバツイチで養育費も毎月
払ってる清蔵ちゃんは、思ってるよりモテないに違いない。
だからボクが、恋人になってあげるのだ。
大好きな大好きな人だから、一生、ボクのそばにいてもらうんだか
ら。
ボクの本気はこわいんだからね、覚悟してよね。
わかってる?
ね、大好きなおじさん!
END
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