section.3 負の財産
いよいよハルが売春宿に送られるという日の前日の夜11時頃のことでした。 突然大きな音を立てて部屋のドアが開けられたと思ったら、部屋の主であるキリエが脇腹を押さえつつ、発情期の馬みたいに呼吸を荒くしてベッドの脇に倒れこんできたのです。
「・・・・!?」
一瞬何が起きたのかわからずに狼狽していたハルは、やがておそるおそる顔を上げると、肺全体が痙攣しているかのような激しい呼吸を続けているキリエの背中に目を向けました。ふと床に視線を落とすと、小説などでよく見かける『・・・』という三点リーダのような点々が、あたかもこの部屋全体に特大のゴシックフォントで小説の一文でも書き殴ったかの如く、ドアからベッドまでほぼ一直線上に並んでいるではありませんか。それはまさしく、キリエが傷口から流した血液の滴です。
(・・・・血?血が。この点々は血の痕?)
ハルがそう考え付いたのと、キリエがベッドの柵に手をかけて身体を起こしたのはほとんど同時でした。彼は壊れかけた木偶人形のような危なっかしい足取りで家出少年に近づくと、壁にかけられていた南京錠の鍵を手に取って、ハルを閉じ込めてある鉄檻の扉を開いたのでした。
「ハ、ル・・・」 (・・ひえっ・・・!?)
相変わらず全身黒ずくめのキリエが、まさに手負いの黒豹のようなものすごい目つきをしていたためでしょうか。 すっかり怯えきってしまったハルは自ら鉄檻の隅に縮こまってしまいました。
「俺さあ、・・・撃たれて怪我したんだ。お前にこんなことを言えた義理じゃないが、頼みがある、手当てしてく・・・」
最後の力を振り絞ってそう訴えたキリエは、ハルの両腕を拘束していたベルトを外すと同時に、檻の中に半分ほど身体を入れたままの状態で気を失ってしまいました。
(て、て、手当てって・・・手当てってあんた・・)
この檻に監禁された9人のうち、こんな機会に恵まれたのはおそらくハルが初めてのことでしょう。 千載一遇とはまさにこのことです。 彼はこの隙に逃げてしまおうと思い、チャンスとばかりに出入り口の方へと目をやりました。
「・・・・・・・・」
しかし・・・・・・・
いじめられっこだった自分と、怪我をしたまま放置されているキリエの姿が重なったのでしょうか。ハルには、この男を放って逃げ出す事がどうしてもできませんでした。彼は口に貼られていたガムテープを痛くないようにそっと剥がしたあと、 四つん這いになってキリエの身体を跨ぎました。そしてゴソゴソと鉄檻の中から這い出すと、おぼつかない手つきで救急箱を捜し始めたのです。
「・・・・あった。救急箱!」
清潔なガーゼと包帯を使って消毒と止血をなんとか済ませたハルは、自分よりも1.5倍ほど重いと思われるキリエの身体をベッドまで引きずりあげると、まるでナチュラルチーズを熟成させるかのようにしてそっと寝かせておきました。
キリエが一命を取り留めた様子を見て安心したハルはその瞬間・・・・・ 何かがくるぶしの辺りをこすっていったかのような、実に奇妙な錯覚にとらわれたのです。
「ああ。あれ・・・なんで僕逃げなかったんだろ・・・・。でもまだ寝てるし、今のうちに」
どうして逃げかったのか・・・ハルは自分でも不思議に思いながら、意識を失って昏々としているキリエを一瞥しました。彼は痛みと失血の為、額に汗を滲ませながら苦しげに胸を膨らませているだけです。確かに、当分は目を覚ましそうにありません。
「ケガももう大丈夫だろうし、この間に逃げてしまおうかな」
そう考えたハルはキリエに布団を被せてやりながら、まるで薄いガラスで作られた床を歩いているかのような繊細な足取りでベッドから離れました。
しかし・・・・
「っ!?」 無意識のうちに手を伸ばしたキリエは、ハルの右手首を強く掴んで離してくれなかったのです。
「・・!は、は・・離せ、離して・・・」
突然の行動に、ハルは吃驚してその場に尻モチをついてしまいました。 彼はなんとかしてその手を振り解こうとしましたが、キリエの力はあたかも天から下ろされた蜘蛛の糸を掴もうとするカンダタの如くであり、指を一本一本引き剥がそうとしても全く歯が立たなかったのです。
「・・・・・・・・・」 逃げることを諦め、仕方なくその場に座り込んだハルはしばらくの間、窓からかすかに差し込むネオンの青い光に照らされているキリエの横顔を見つめていましたが、そのうちベッドにもたれかかって寝てしまいました。
section.4 さまよえる香港人
それから半日ほど経って、キリエはようやく意識を取り戻しました。 ハルを引き渡す約束が今日だったことを思い出した売人は、怪我を負った脇腹を押さえながらベッドから身を起こしたのでした。
「・・・うっ?」 キリエはハルが怪我の手当てしてくれたこと、そしてこの部屋から逃げ出さないでいたことに少し驚きましたが、それよりも自分自身の腕が無意識のうちに家出少年の細い手を掴んで離さなかったという事実に面食らっていたようです。彼はまるで少し肩に手を置いただけでセクハラだと後ろ指を指された中年サラリーマンのような顔をして慌てふためきました。
「ば、馬鹿なヤツだな・・逃げればよかったのに。知らないぞ・・・」
静かに眠り続けている家出少年の子供っぽい寝顔を覗き込み、見下したように鼻で笑ったキリエは脇腹の傷に気を止めながら、ハルをベッドに引きずりあげました。
「・・・んっ・・?」 身体が揺さぶられる振動で目を覚ましたハルは、自分がキリエに抱きかかえられている事を確認すると、咄嗟に手足をばたつかせて暴れ出しました。
「いっ、イヤだ、降ろして!降ろせ!やっぱり帰る!」 「馬鹿だぞお前。だったらどうして逃げなかった・・。もう二度とあんなチャンスは無い」
粗大ゴミを収集場所に持っていくかのような動作で家出少年をベッドの上に降ろしたキリエは、サイドテーブルに付けられているスイッチをOFFにして天井の照明を落とすと、生きている肉の感触を確かめるようにしてハルの皮膚を撫で回しました。
「・・あ・・・・!」
これから先一生、例のアダルトビデオで行われていたような行為を強要させられるのだと思うと運命に絶望せずにはいられません。 ハルはキリエの腕から逃れようと身体を震わせました。
しかしその時・・・・・・・ キリエは予想だにしない言葉を呟いたのです。
「ハル・・。お前、俺にこうやっていじめられて嬉しくないのか?・・・・本当は嬉しいんだろ?」
すっかり怯えきっているハルを宥めようとしたのでしょうか。彼は家出少年の肢体を力強く抱きしめてやりました。そして愛しい恋人にしてやるように、涙で濡れている頬に軽くキスをし、茹でたての素麺の如くに滑らかな髪を指で梳いたのでした。 キリエが初めて見せた優しい仕草に、ハルは一瞬狐につままれたような表情をしてみせましたが、それでもすぐに我を取り戻すと、激しくかぶりを振ってもがき始めました。
「や・・・・だ。嬉しくない!嬉しくない・・・・・なんでいじめられて嬉しいんだよ!僕はそれで高校を中退したんだ!」 いくらあがこうとも、身長180cm、体重69kgのがっしりとした体格のキリエに、カイワレ大根のようにひ弱なハルが敵うわけがありません。
キリエは前戯もそこそこに、恐怖と驚きの為にすっかり小さくなってしまっているハルの局部に手を伸ばしました。
「イヤだって。お前、俺にそんなこと言ってどうなるかわかっているのか?」 「・・・・・・・ああ・・」
無理矢理腰を持ち上げられ、普段はトイレか直腸検診でしか使用することの無い部位をキリエの目の前であますところなく曝け出しているにも関わらず、ハルの頭はなぜか冷静になって考え始めたのです。
思えば・・・・ どうして僕は、あの時逃げなかったんだ? こんな男、撃たれて死んだって自業自得じゃないか。 ああ、こんな恥ずかしい事をさせられるとわかっていたのに・・・・ 売春宿に売り飛ばされるってわかっていたのに、僕はどうしてこの男を見捨てられなかったんだろう。 ・・・・・・・。
ハルのそんな思いを見透かしたのでしょうか。 キリエは怒髪天の如くいきり立っている肉茎の先端から溢れ出ている先走り液を指に絡め取ると、未だ外部からの侵襲を経験したことのないハルの肛門に塗りたくりながらこう囁いたのでした。
「お前は才能があるんだ。いじめられる天才なんだよ。マジで」 「・・・・・?は・・・。あぁ・・っ・・」 「お前、絶対いじめられっこだったろう?・・・だってお前は真性のマゾだもんな。『いじめてください』ってオーラを出してるんだよ、全身から・・・・。俺にはわかるよ」
ベッドの上に胡座をかき、芽生えたばかりのタンポポの如くに軽いハルの身体を両手で抱えて持ち上げたキリエは、ボールペンのキャップでもしめるかのような勢いで、ややほぐれてきたハルの肛門に股間から突出している自身の性器を押し入れようと腰を突き動かしました。
「あ・・・・。がっ!・・・あ、あ・・・・」
まるで全く噛み合うところのない鍵で無理矢理ドアをこじ開けるように、キリエはハルの体内を侵襲しました。痛み止めの座薬や直腸を触診する際に入れられる医師の指よりも太くて固く、そして熱を含んだ異物が入り込んできたハルの腸内には、カブトムシの幼虫が100匹ほど這いまわっているかのような気味の悪い蠢きとともに 錐でつつかれたような鋭い痛みが走り抜けました。
「あぁ・・・っ・・・。や・・めて、痛いっ・・・・!痛い、キ・・・リ、エ!」 「やめない・・・・・・・・・」 ハルは泣き叫んで許しを請いましたが、そんなことでやめるような相手でないことは明白です。キリエが腰を突き動かす度、 怪我をしている脇腹にハルの脚が当たって痛みました。 しかしそれでも、彼はこの行為をやめようとはしなかったのです。 激しい痛みに耐えようと、キリエは血が出るほど強く下唇を噛み締めていました。
section.5 哀れみの歌
一通りの事が終わったのち、キリエはハルを腕の中に抱きしめたまま、彼の耳朶を優しく噛んで尋ねました。
「は、・・・・ハル、なんで俺がお前に声をかけたか・・わかるか?」 「はぁ・・・・、あ・・・。・・・売り飛ば・・すため・・でしょう・・」
息も絶え絶えになってしまったハルは、夜光虫の発する光のように頼りない声でそう応えるのみです。初めての性体験がアナルセックス、しかもほぼ無理矢理犯されたとあっては平然としていられるはずもありません。身体中の関節がひどく軋み、まるで油を注さずに錆び付いた機械を力任せに動かしたかのようにぎこちない喘ぎを繰り返すのでした。
「はは。確かにそのつもりだったけど、今は違うんだよ。お前はあの時、まるでこの世界が一瞬にして真っ白になってしまったみたいな、 空虚な目をして人ごみの中を歩いてたが・・・・」 「・・・・・」 「すぐにわかった。お前が家出少年だって事・・・お前は自分をいじめてくれる相手を探して家を出たんだろ」
彼はハルの外耳に軽く舌を差し入れたのち、あたかもATMのタッチパネルにでも触れているかのように頚動脈の辺りを軽く指でなぞりながら、今度は口腔内に舌を深く沈みこませていきます。 口をふさがれて息苦しくなったハルはキリエの執拗な愛撫から逃れようと、首を左右に振りました。
「・・・・・・。う、う」 「ふ、・・・・俺、昔・・・学生時代、お前みたいな弱っちいヤツをいじめて楽しんでたんだ」
いまだ鮮血が滴り落ちている肛門に中指を差し入れられたハルは痛さのあまり、唾液と精液の味がかすかに残っていた舌を軽く噛んでしまいました。
「っ・・!・・・痛い!・・・あっ・・・・」 「ソイツはな、幾ら俺にいじめられても、あなたを信じています、友達ですって顔してついてくるのな。 それを見るのがすっごい好きでさー。 今思えば、俺はアイツの事好きでちょっかい出してたのかもしれない。 アイツをいじめて、泣きそうな顔するのを見て性的興奮を憶えてたのかもしれないよな。 なにせ、アイツの泣き顔でオナニーしたこともあるくらいだし」 「・・・ふ・・・・」
ハルの胸にある小さな乳首を唇に含んだキリエは、まるで赤ちゃんが母乳を求めるようにして、それを強めに吸ってやりました。裂けた肛門に激しい痛みを感じながらも、胸の一部分からはくすぐったいような感触が伝わってきます。弓の如く身体を仰け反らせたハルは細い腕を伸ばし、白いカバーがかけられた枕を掴みました。
「逆にいえば、アイツも俺にいじめられたがってたのかもしれないよな。俺に便所で水かけられたり、口で罵られたりしているところを想像して、夜中一人でヤッてたのかもな・・・・」
だんだん激しくなっていくハルの呼吸に呼応するかのように、キリエも中指の動きを早めていきました。
「アッ、あ・・ぁ・・。好痛呀!・・あぁ・・・・。」 「結局ソイツはイギリスに留学しちまったから、今はもう香港に居ないんだけど。お前、ソイツに少し感じが似てるんだ・・・・いじめて下さいっていうオーラが出てるんだ。あの頃みたいに、また誰かをずっとずっといじめてやりたかった」 「・・・はぁ・・・。っ・・・・。ああ・・・・・僕が・・・・」
・・・・・・・・ 確かに僕は、いじめられているとき、いつも勃起していた。みっともない話だけど、それは事実だった。 だから本当は、こうなって嬉しい・・・・ それは決して否定する事のできない心の動きだった・・・・
「ハル、愛してるよ・・・。死ぬほど愛してる。もう売春宿になんかやらないよ。お前を手放すくらいなら黒社会から足を洗う。まあ、殺されるだろうけどな・・・一緒に死ぬか。ハル・・・・・・」 「・・・あぁ・・・・助けて、や・・・だ・・・」
ふとハルから視線を外したキリエはカーテンの合間から差し込んでいる外の光に目を向けました。オレンジ色の太陽の光が一条の矢となって瞳孔に飛び込んできたその時、彼は理科の時間でよく使う80%の食塩水を一気飲みしたかのような、激しい咽喉の乾きを感じたのです。
「いいか?お前は一生ココで暮らすんだよ。俺が居ないときはあの檻の中に閉じ込めておくからな。誰にも会わせない。家にも帰さない。俺にはお前一人飼うくらいの生活力はある。またどこかから家出少年を拾ってきて売り飛ばせばいい。それだけでサラリーマンの1年分の給料くらいは簡単に手に入る・・・・」 「・・あっ・・・。お願・・いです、家に、帰し・・・て・・・」 「ダメだ。あきらめろ・・・。お前は永遠に俺のいじめられっこだよ」 「イ・・・ヤ、だ・・。助けて、誰か、助け・・て・・・。あ・・っ、はぁ・・・。あっ・・!」
ハルは全神経を研ぎ澄ませ、直腸の中で激しく動かされるキリエの指の動きに応えるかのように激しい喘ぎ声をあげました。 これから先、彼の人生はすべてこの男と共にあります。 ・・・・・・おそらく今後は、さらなる責め苦が待ち受けているのでしょう。しかしそれでも、ハルはあの時逃げなかったことを悔やんだりはしませんでした。
キリエの方も、せっかく巡り合えた片割れをただ檻に監禁して陵辱するだけでは飽き足らず、もう二度とここから出て行くことができないよう手足を折り、他の誰の声も聞こえないよう耳を塞ぎ、他の誰とも話ができないよう声帯を除去し、他の誰を見ることができないよう黒い目隠しを嵌めてやろうと考えているに違いありません。
・・・・・・・・・ それから数日後、ハルの母親は彼を探して警察に捜索願を出しましたが、やはり上から下まで賄賂漬けだった当時の香港警察が家出少年の捜索などに力を入れるはずも無く、結局は見つからずじまいで終わりました。 彼の母親も、やがて新しい結婚相手と共に中国大陸・上海へ引っ越していきました。
「ハル、俺の名前のキリエって意味を知っているか?」
彼はハルの胸の小さな突起を摘み、ねじりあげるようにして弄くり回していました。突起にはサージカルステンレスで作られたリング状のピアスが通されており、そこから垂れ下がった極細のチェーンが、ペニスの先端に着けられたリングに繋がっていました。 敏感な部分につけられたそれらの装飾品は、いかなる時にもハルの身体を捕らえ、淫猥な刺激を与え続けていたのです。
「・・・はぁ・・・・。あぁっ・・・し、知ら・・な、い・・・」
キリエはもう片方の手をハルの性器にあてがい、すでに一度放出された生臭い精液を指に絡めとって前から後ろまで満遍なく塗りつけた後、固く閉じられていたハルの唇を無理矢理こじ開けると、白い濁液にまみれたその指を舐めさせました。
「フフ・・・・だよなー。普通は知らないよな。キリエは、“哀れみの歌”って意味なんだってよ。なんかの外国映画を観てたらさ・・・仲間がつけてくれたんだ。哀れみだって!笑えるよ。俺にそんなココロがあるのかね・・・。こんなに愛している筈のお前をいじめるのが何よりも好きなのに・・・。次はお前の全身に刺青を入れたいな。あれって結構痛いんだぜ。苦痛に顔を歪めながら必死で耐えているお前を犯すところを想像しただけでも3回くらい抜けそうだよ・・・」 「・・イヤ・・だ、そんな・・の、・・・・助けて・・・」 「助けてか。何回聞いたかなその言葉・・・・無駄だとわかっててもまだ言うのか」 「・・・僕を、家へ帰して・・・」
そう言いながらもハルは夕立の後、葉っぱの上から滴り落ちる露のようにさわやかな涙を流していたのでした。その表情は、二度とここから出る事ができず、家にも帰れないという果てしない絶望感と共に、一生を通じて自分を愛し、苛んでくれる相手とめぐりあえたという堕落の悦びに満ちていたのです。
・・・・・・・ 香港といえばマフィア、マフィアといえばイタリアのシチリア島。 逆の方程式が成り立っていないところが悲しいのですが、とりあえず70年代当時の香港と言えば、まず最初のイメージが「犯罪都市」、そして次に「アジアの汚い街」・・・・。
さらには「女の子が売りとばされる街」だの「試着室からさらわれる」だのと、 七輪で魚を焼いているときのような生臭い噂にことかかなかったものでした。
これはそんな頃の香港で起こった、少し不気味で危ないお話でございます・・・・。
|