「俺は忠明が好きだよ」 口から出た言葉。 それは忠明との関係を壊してしまうもの。 それでも、俺は自分を止められなかった。 閉じ込めて鍵をかけて、何重もの覆いで包んでいた俺の気持ち。
俺自身もこれ以上耐えられない。 そう感じたその瞬間。 紐は驚くほどするりと解けた。 「好きだよ。昔からずっとね。この想いが不毛でおかしいってことくらい分かってたから。我慢して、我慢し続けて・・・。何度も間違いだって自分に言い聞かせた。それでも、それでもね、忠明の顔見るともう駄目なんだ」 もう。 胸が熱くなって。心が忠明をもとめて・・・。 我慢できないって泣き出したくなるんだ。 いつもいつも諦めようとして。 でも諦められなくて。すごく苦しかった。 苦しかったんだ。 「だからね、俺もう忠明とは会わない」 どうして好きになっちゃったんだろうね。 俺は笑った。 もう、忠明のことで泣かないって決めたから。 震える唇から一言一言搾り出すように、俺は忠明に詞を届けた。 「忠明にも、そして俺のためにも。もう、お前とは会わない」 会わないという言葉に少し彼は反応した。 しかし結局彼は何も言わなかった。 ただ俺の顔を呆然と見ていた。
ごめんね・・・。 ざくざくと石を踏みしめるたびに、俺と忠明の距離はどんどん遠ざかる。 これ以上はないくらいに。 俺は忠明にダメージを与えただろう。 ちょっとやそっとじゃ立ち直れないようなそんなダメージ。 おもわず笑みが俺の口元に浮かぶ。 行き場を失った水滴が目じりから零れ落ちる。 嘘だと思っていたけど本当なんだね。 人って本当にどうしようもないときって笑っちゃうものなんだ。
どこまでも続くかと思わせる階段。 果てしない石段を俺は一段一段降りはじめた。 思い出の場所。 もう、この場所に来ることはないだろう。
桜のきれいな池のほとり。 赤い欄干の橋がかかった池には赤い鯉が三匹いた。 そっと取り囲む紅葉が赤かった。 二人で学校から抜け出して神楽囃子をはじめて聴いた。 不思議な音色に心が躍った。 そんな俺たちの秘密の場所。
あの頃はどうして疑わなかったのだろう。 いつかはお互いに離れてしまうということ。 ずっと一緒にいるということをどこまでも信じきっていた。 それはとても残酷なこと。 もしかすると俺たちは幼すぎたのかもしれない。
「皐月!!!」 頭の後ろから浴びせられた大声。 そんなはずはない。 ずきりと胸が痛んだ。 ・・・・・・忠明? 振り返った俺の目に、汗を浮かべた忠明の顔が映る。 いつもの余裕綽々の顔じゃなく、必死の形相。 「待て!皐月!!」 石段に縛り付けられた俺と彼との距離はぐんぐん縮まった。 そしてぐいと捕まれる腕。 「どうして、行くんだよ」 黒々とした瞳は俺の目が逃げるのを許さない。 でも。 「だって・・・俺は忠明が好きなんだよ」 それに答えてくれるとでも言うの。 見上げた瞳がわずかに揺れる。 無理なんだよ。忠明は俺の想いを理解することはできない。 「ごめん。俺、なんて言っていいか分からない。俺だって分からないんだ。でも、行かないでほしい」 言葉のかけらが心に突き刺さる。 俺だって、俺だって忠明と離れたくない。 それでも・・・。 「・・・今のままじゃだめか?」 俺は唇をかみ締めた。 忠明は分かっていないんだ。 今のままがどれだけ俺にとって辛いものか。 あまりに馬鹿馬鹿しい期待を生ませるものか。 「無理だよ」 俺は掴まれていた手をそっと引きはがした。 「もうこれ以上、傷つきたくない」 ごめんね。 たちまち石段がぼやけ始める。 忠明のことでもう泣かないって決めたのに。 あとからあとから零れ落ちる涙。 どうしようもなかった。 ごめんね。 全部俺のせいだ。 忠明はただそれに振り回されているだけ・・・。
いきなり背後からぎゅっと抱きしめられた。 「ごめん」 心に染みわたるような声だった。 「俺、今混乱しててあんまりちゃんと言えないけど、でも、皐月のこと本当に大事に思ってる。皐月が考えているより、たぶん俺自身が考えてるよりもずっと。・・・お前が泣いてるのだけは嫌なんだ。どんな理由であっても許せない。皐月には笑っていてほしいんだ。いつもみたいに。どうしたらいい?どうしたら、俺は皐月を哀しませずにすむんだ」 教えてくれ。 なんて自分勝手な言い分だろう。 たまらず、俺は振り向いて彼の胸元を引き寄せていた。 ぶつかりあうようなキスだった。 重なり合う唇。 彼が息を飲むのが分かった。 代わりに俺の喉からは嗚咽が漏れた。 胸が締め付けられるように痛んだ。
「俺は忠明が好きなんだよ。キスだけじゃない、抱き合ってセックスだってしたいんだ」 俺を見つめる目が痛かった。 でも言わないと忠明は分かってくれない。 俺は握り締めていた布地をそっと離した。 「だから忠明には無理だよ」 忠明にはそれができない。 苦痛が彼の目に浮かび上がった。 「だから、もういいんだ」 そろそろ、俺から開放されてもいいんだ。 古ぼけた石段を見下ろした。 忠明が引き止めてくれただけで、俺はすごくうれしかった。 来てくれるなんて思っていなかったから。
石段を降りようとした俺の腕を忠明が再びつかんだ。 その手は震えていた。 「俺がキスしてセックスすれば、そうすれば皐月はどこにも行かないのか?」 「・・・・・・忠明、お前・・・」 言ってはならない言葉。 禁断の詞。 あまりに簡単に彼はそれを口にした。 「駄目だよ、それ以上言っちゃ駄目だ・・・」 これ以上滅茶苦茶にしたくない。 忠明には幸せになってほしいから。 お願いだ、言わないで。 振り返る俺を他所に、忠明は挑むように俺を見据えた。 祈るように目を閉じたあと、忠明は俺の目を見た。 「それなら、それでいいなら俺はお前と何だってする。キスだってセックスだって」 だからお願いだ・・・。 そばにいてくれ。
ああ。 俺は目を閉じた。 もう。どうなったっていい。 その激情をせめて今だけは俺のために。 心からそう願った。 「キスしてほしい」 言った途端被さるように彼の唇が唇をふさいだ。 震える吐息。 添えられた手はどこまでも温かい。 もう、どうなったっていい。 俺はただただ目を閉じて、忠明の存在を感じていた。
「好きなんだ、忠明のこと」 何も言わず、彼は腕に力を込めた。 「自分ではどうしようもないくらい好きなんだ」
温かくて優しいこの胸。 俺には触れることの許されないものだと思っていた。 近いはずなのに、それはいつもとてつもなく遠くて。 でも今、忠明は俺のすぐ側にいる。 それだけで十分だと思った。 この温かさを俺は忘れない。
どれくらい時間がたっただろう。 ずっと下を向いていた忠明がふと顔をあげた。 その瞳には不思議と柔らかな光が宿っていた。
そして、笑みを含む口で彼は言葉を紡ぎだした。 「俺・・・決めたよ」 たった今ここで決めた。 彼はそう言いながら俺の目を覗き込む。 食い入るようにじっと。 「俺、やっぱり皐月がいないと駄目なんだ。だから誓うよ、今ここで誓う」 忠明ははっきりと言った。 俺の目をじっと見つめながら。 後悔も揺るぎもないその瞳で。 「もしも皐月がこの手を取ってくれるなら、俺はこの先何も要らない。それ以外はみんな捨てたっていい」 清々しささえ感じさせるその表情。 俺だけを見つめるその目。 差し出された右手は本当に。 本当に俺の待ち望んでいたもの。 ずるいよ。 本当にずるい。 俺の気持ちをこんなにかき乱しておいて。 今さら、断れるはずもないこと。 一番よく知っているのは忠明なのに・・・。
俺は笑った。 この先ずっと後悔なんてしない。 決めたから。 この手をとったこの瞬間から。 絶対にもう離さない。 忠明が許してくれるならいつまでもずっと。 きれいな桜を見に、神楽囃子を聴きに俺たちは再びここを訪れるだろう。 だから思い出の場所は、いつまでたっても色褪せることはない。
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