他人の恋愛傾向に興味を持つのは不思議な事じゃない。そう、なんとなく話の弾みや何かで話題になるのが恋愛話なのだ。
1月1日。 咲坂有礼(サキサカアリノリ)は3つ上の兄、咲坂秀平(サキサカシュウヘイ)と、秀平の友達の河合と、それから河合の彼女である礼子・・つまり合計4人で初日の出を拝みに海へやってきていた。なんでこんな組み合わせなのかというと、礼子曰く「秀平に恋人がいないから」だそうだ。有礼は2対2で行きたかったのかな、と解釈している。まだ辺りは暗く、潮風が冷たく、人々に襲い掛かる。 「さっぶい・・!」 ファーつきのコートにミニスカでピンヒールブーツの礼子が身を震わせながら何度も同じことを繰り返し、河合に抱き着く。いかにも甘えた仕草をする礼子に有礼は横目で見ていて引いてしまったが、河合は慣れたものでにっこり笑って抱き返している。隣に座る秀平は白い溜息をつき、「こっちがさぶい」と毒を吐いた。 「なによ秀平、妬いてんじゃないっての!」 河合の体にしなだれかかったまま礼子も負けていない。 「キーキーうるせぇ」 さらに負けない秀平が言ったとき「ストップ」と河合が止めに入った。こんなやり取りは海に向かう車の中からずっと続いているのだが、言い争いなどに慣れない有礼はハラハラしていた。少し世間慣れしてない有礼に河合が気を使ってくれているのだろう。さっきから幾度となく河合と目が合っていた。 (ちょっとは兄貴も気を使って欲しいよ・・息が詰まりそう・・(泣)反対に河合さんはジェントルマンだなー。) 「有礼くん、高校生だっけ?」 河合が有礼に話し掛けると秀平も礼子も有礼に振り返った。礼子は有礼が気に入っているらしく興味津々といった顔つきだ。秀平はというと、しかめっ面のままだ。 「あ、はい。高校2年生です」 集中する視線に緊張しつつ視点を河合にして話を進める。秀平はイライラしているし、礼子は美女で緊張するから、なんとなく河合が視線の先になってしまうのだ。もちろん河合が不細工だからという理由からじゃない。ちなみに河合は完璧二枚目を行くプレイボーイだ。秀平も河合に劣らない容貌だがどっちかというと硬派な感じだ。 「高2!一番楽しい時じゃない。有礼くん可愛いから大変だわー、ね、秀平?」 礼子が秀平に同意を求めるが秀平はシカトである。 「もうそれぐらいにしておけってレイコ」 (あ、また目が合った) 礼子をやんわりと制した河合がなんとなく目を合わせてくる、というような、同意を求める目を向けてくる、というか。でも回数が多い感じがして、男として頼ってしまっているようで恥ずかしくなった有礼はぎこちなく笑い、暗い海へ目線を移した。なんとなく溜息が出てしまって、白い息に冬だなぁなんて思っていると名前を呼ばれた。 「疲れたか」 抑揚のない秀平独特の喋り方だが、有礼はその掛け言葉でやっとホッと息をついた心持になった。安心から笑顔になった有礼が秀平に聞こえるくらいの小さな声で「平気だよ」と返事をした。すると秀平の機微に欠ける表情がやんわりとした雰囲気になった。 (兄貴もこういう顔できるんだよね、おっと?) 腕が引っ張られて流れ的に有礼が立ち上がり腕を掴む人物を振り返ると背の高い河合を見上げる形になった。「河合さん?」 有礼が声をかけると河合はにこっと笑い、「飲み物とか調達してくるわ」と、有礼以外の2人に声をかけ、ぼんやりと河合を見上げる有礼を見て、「若い感性に頼らせてもらうよ」なんて言って、その場から有礼を連れ出した。 「ちょっと・・!」 礼子が心配そうな声をあげたのが背後で聞こえたのに関わらず、河合は車に乗り込んだ。乗車を促された有礼は車に乗り込みながら心配になって河合を見やる。 「礼子さんが何か言っていますけど・・」 礼子のすぐ後ろで秀平は座って海を見続けている。いたって冷静な秀平は常だが、有礼はそんな“そぶり”をしているように見えた。 (気のせいだろうか・・・?) 「大丈夫だよ。じゃあ、出発」 河合は有礼を安心させるような目を向けて、車を出した。
「秀平!何やってんのよ!」 「何もしてない」 秀平の応えは礼子の怒りを煽るようなものだ。それを知りながら火に油を注ぐ真似をしてしまうのは苛立ちからだろう。礼子が突っ立ったままで砂浜に座る秀平を見下ろして怒りを顕わに睨みつけた。 「ええそうよ!何もしなさすぎよあんたは!気付いてるでしょう?!河合が」 「河合は有礼を気に入っている」 礼子の言いたい事を言っただけだが、それも秀平の八つ当たりだ。礼子はぐっと息を溜め、下唇を噛んだ。そして秀平の隣に勢いよく座ると思いっきり息を吐いた。 「・・・そうじゃないでしょ。河合は食べちゃうわよ。有礼くん本当に可愛いもの。あんたの可愛い弟君をね」 「・・そうだな」 試すような礼子の言葉にすんなりと返す秀平を見て、礼子は目を見開いた。 「なんで、なんでそんなに落ち着いていられるの・・?!あんた・・」 礼子の言わんとしてることが読めて秀平は「うるせーよ」と言いながら溜息をつく。 「有礼くんのこと好きな「うるせえって言っている」 礼子の言葉に被さるように発した言葉が、その先を牽制した。秀平の鋭い怜悧な双眼が今度こそ礼子の咽喉から出る声を怯ませた。 「馬鹿な事を言うな。お前等がしつこく誘うから連れてきたまでだ」 さっきまで暗かった景色がゆっくりと薄暗いまでになってきている。朝日も近い。有礼が帰ってきた頃にちょうどよく日が昇るかもしれない。そう、やけに穏やかな胸中で考えていると、礼子がポツリと悲しそうな響きで咽喉をこじあけた感の残る声を搾り出した。 「それでいいの・・?秀平・・」 「・・なんでお前にそんなことを言われなくちゃいけない」 余計なお世話だ、と礼子を見やる。予想通り礼子は静かに涙を流していた。そして、目が合う。涙のせいでキラキラと光を増す礼子の目は、あらゆる感情を顕わにした、芸術品みたいだった。だから、頬を殴られた痛みも一瞬遅くやってきたのだろう。 「あたしが河合を好きだからよ!!あんたがあの子を捕まえていてくれないとあたしが困るのよ!!何が余計よ!?世間一般の道徳観念に囚われて、どうせあの子の為だとか思ってるんでしょ!?ばっかじゃないの?!そんなの勝手よ!!逃げてんのよあんたは!!何もかも全部自分の為のくせしてっ、秀平!!」 礼子は言うだけ言ったのか体中にみなぎっていた力が抜けて砂浜に膝をついて、べちゃりと座りこんだ。 「おい礼子・・」 「・・・何よ・・」 泣き顔を両手で覆って項垂れている礼子に声をかけると篭もった声が返ってくる。 「・・靴ん中に砂入るぞ」 その座り方だと膝より少し下に位置するブーツの隙間から、さらさらの砂が入り込みそうだ。 「・・それこそ余計なお世話よっ・・しかもっ・・靴じゃなくてブーツっ・・・」 秀平は自分の心が澄みきった水のように感じていた。それは、固めた意志の強さを表しているのかもしれない。これから行う事で何が起きても、強くいられる気がした。守るべきものが傍にいてくれるなら。 「礼子、感謝しているぜ」
コンビニで4人分のホット缶コーヒーやらなんとなく腹の足しになりそうなものを買った後、河合が有礼を先ほどいた海に近い公園に誘った。人気のない電灯が頼りの暗い公園は不気味で、びくびくとしながら有礼はベンチに座る河合の横に腰がけた。河合はビニール袋から缶コーヒーを取り出して有礼に渡してくれる。 「強引に連れてっちゃってごめんね」 確かに強引だったかもしれないと思ったが、何か河合にも考えがあっての行動だと思っていた。 「いえ、大丈夫ですから謝らないで下さい。それより、礼子さんは平気でしょうか?僕よりも礼子さんと行った方が良かったんじゃないですか?」 有礼の正直な物言いに河合が苦笑する。 「有礼くん、案外言うね。そうだと思うよ、俺も」 「え?」 河合の表情がゆっくりと変化した。常に明るい表情なのに、今は遠目で切なげで、途方に暮れた表情だ。 「そうするべきなのに、君が秀平の隣に座って、俺に向けるような苦笑いじゃなく、心底安心したような笑顔を秀平に向けたのを見て、・・・変だな。俺は。馬鹿になったんだきっと・・・」 「・・河合さん・・?」 河合が有礼を見た。電灯が逆光で河合の表情が影になってよく見えない。そう、よく見えない表情がだんだんと近づいてきて、伏せがちな河合の目と焦点が合った。有礼の肩を色っぽいフレグランスの香る腕が抱いた。 「有礼くん。君は好きな人がいないの?」 好きな人、と聞かれても誰も思い浮かばなかった。学校のクラスメイトも浮かばない。有礼はその定番の質問に困り果ててしまうのが常だ。嫌いな人はいないし、だいたい皆好きだと思う。でも、こういう質問は特定の誰か、という応えを相手は求めているから。 「僕・・嫌いな人いないんです。皆好きなんですよ」 その応えに河合が切なそうな顔をして、言った。 「じゃあ・・僕も、好き、なのかい?」 「・・河合さんも・・・」 (河合さんも、好きって・・そんな言い方って、僕、していいの?なんだろう、どうしてこんな食い違いを感じるのだろう?) 肩を温めていた河合の手が有礼の髪を優しく指に絡めて、撫でた。 「愛しさっていうのはね、こういうことなんだよ」 有礼はふわりと河合の腕の中に抱き込まれる。優しい力加減で冷えた体が徐々に温まる。 「あの・・河合さん・・?」 包み込まれた腕の中で有礼の声がやけに響く。音が腕の中から逃げないからかもしれない。 「こうやって、愛しくて、誰かを抱きしめたくなった事はない?」 耳元に河合の声が響き入る。なんだか恥ずかしくなった有礼はうつむいて、少し体を離した。河合も素直に力を緩める。 「有礼くん、あいつを・・秀平をどう思っているの?」 「・・え・・?」 (兄貴を?) 「どうしてそんなことを聞くんですか?」 有礼は聞かれた瞬間心臓がドキリとした。虚勢を張った言葉がするりと出た。どうして虚勢を張る必要があるのだろうか。有礼は自分でも自分がわからないのだった。恋愛というものが限定された環境で開花するものと常識の枠を越えない範囲でしか知らないからだ。しかし、河合には見抜くことができたようだった。有礼の何かを守るような虚勢に、自分の行動範囲が狭められ、切なさが倍増した。気付いてしまった。聞かなければよかったと後悔した。だがもう遅い。 「君が、1人で苦しむのは辛いからだよ。気付いてくれ、そして言ってくれ。君は」
「・・言ってくれ。君は誰が好きなの?」 秀平は海岸沿いに河合の車が停まっているのを見つけて、その近くの公園に2人を探しに入った。もちろん礼子を浜に1人で残していくのは出来ずに一緒にいる。そして、2人して耳にしたのは河合の質問だった。 「ちょっと、覗き見よこれ!っていうか、あいつあたし以外の人といちゃついちゃって!後でとっちめてやるわ!」 木の陰で礼子がはしゃいだが秀平は呆れていた。 「お前さっきの健気さはどこに行った。うるせえぞ、重要な所だ。静かにしろ」 「あんたね、どうしてそう冷静なのよっ?自分の運命かかってんのよ??信じらんない!」 秀平が視線を有礼に向けたまま口に人差し指を当てて「静かにしろ」と合図すると、すぐ有礼の涼やかで凛と透る声が公園に響いた。 「・・僕・・変だと思っているから、ずっと守っていきたいんです・・河合さんには言ってもいいですか?重荷に思わないですか?何もお願いすることなんてありませんから・・」 「いいよ」 河合がいつもの調子でにこりと笑って応えると、安心した顔つきで有礼が話し始めた。 「好きって事がよくわからなくて、いろんな好きを考えてました。友達に聞いたりして、友達はなんというか、即物的な行為のことをよく口にしてくれましたけど・・・確かに、そうなのかもしれませんね。だって、あの不機嫌な顔を見ていると笑顔にさせてあげたくなって、寄り添いたくなるんだもの・・」 礼子がひっそりと、「不機嫌ですって」とにやにや笑った。秀平は顔をしかめたが、「大いに結構だ」と口をへの字にした。それも照れ隠しだと、秀平を理解した礼子は余計楽しくなった。 「僕、兄貴が好きです。そう想うのは一人だけだと、気付いたんです」 河合は頷いて、「そうかい」と言った。そして、先ほどから気付いていた秀平と礼子の方を見て、めずらしく仏頂面を向けた。 「あいつ3枚目にもなれるんじゃなあい?」 礼子は愛しそうな目を河合に向けて秀平に話し掛けた。だいたいいつも主役の座にいた河合が、秀平達に気付いても有礼の言葉をきちんと聞いて、譲りたくない所を譲ったのだ。秀平に。 「ま、そうかもな」 秀平が有礼を抱きしめる河合を見やり、踵を返した。礼子も微笑をもらすと、後に続いてすっかり朝日がさんさんと降り注ぐ海岸線沿いを歩いた。
「ちょおっとー!初日の出並んでラブラブして見ようねって言った約束はどうしちゃったのよ?責任は取ってくれるんでしょうねえ?」 助手席に座る礼子が長い足を組んで、運転手の河合を問い詰めた。でも声はやけに楽しげで、有礼は自分の話を聞いていてくれたからという罪悪感があるのでそわそわしながらも、楽しいその場に打ち解けていた。 「そういえば、僕もちゃんと初日の出見てないや。来年は見れるかな」 海岸線沿いからいつまでも続く広大な海と朝日に煌めく水面・・それからきりのない地平線をどこかうきうきとした気分で、有礼は見つめていた。隣にはやっとわかった自分の好きな人が腕を組んで眠っている。 「じゃあ俺が連れて行ってあげるよ。今度は2人っきりで来ようね」 河合が冗談めかして言うと、礼子が「馬鹿ねえ」と甘い声で言った。有礼は徐々に深い山々に遮られていく海を目で追っていたが、ついに海が見えなくなってしまった時の緩やかなカーブで、秀平が有礼に寄りかかってきた。 途端に心が温かくなり、気分が浮上する。 (ああ、これか) 有礼は自分の肩にしなだれかかる、自分よりも大きな体を、ゆっくりと肩から外して膝枕をしてあげた。 (愛しくて、抱きしめたいなんて) 秀平の締まった肩の上にそっと手を置いて、なんとなく緊張しながらそのままにしていると、急に秀平の手が有礼の手を捕らえて、指を絡めたまま、眠りについた。 (・・・!!!) 後部座席で赤面する有礼をバックミラーでちら見した河合が「いいなあ」と羨ましがった。それを聞いて礼子がくすりと笑う。 「秀平達はまだまだこれから始まるんだわ。だからあなたも運転気張りなさいよ!最後まで安全運転で家まで送り届ける事!これ、約束破った罰ね!」 河合はにっこりと笑って、安全を確認して車線を乗り換えた。
公園の木々の隙間から見えた今年初めての朝日に僕はお願いしたんだ。
ずっとずっとずーっと、大好きな愛しい人と、幸せでいられますように・・
そして、僕の気持ちが伝わりますように・・
この指の熱さを、これからも信じていこう。
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