(C)2003 Shinobu Wakakusa all rights reserved. 媚薬
ふわり、と鼻をくすぐる甘い香り。絢人(あやと)は差し出されたコーヒーに少し不思議そうな顔をしてたずねた。 鞠村絢人(まりむら・あやと)。若干32歳にして日本では有数のIT関連企業であるINTECX(架空の会社です、念の為。)の専務を務めるエリートである。野性味あふれる、けれど優美さを損なわない美貌はどんな女性をも虜にしてしまうだろう。 「珍しいな、いつものじゃないだろう。 フレーバーコーヒーかな?」 「そう。よくわかったね。絢人さん。」 にっこり笑って葉介──城戸葉介(きど・ようすけ)──が答える。 当年とって17歳。ぴちぴち(笑)の高校生。色素の薄い髪に瞳が印象的な子犬系の少年である。誰をもつい、構いたい、という気分にさせる。
どうして高校生である葉介が年齢も職業もまったく繋がりの無いエリートサラリーマンの絢人と知り合ったかはまた別の話として、今回は二人の日常のお話でも。
葉介の笑みにつられて絢人も微笑んだ。 「ああ。それにしても、どんな種類のなんだ?とてもいい香りがする。 それになんだか気分が軽くなるような気がする。俺も買ってこようかな。」 「なぁ~いしょ。 自分で探してこれば。」 少しだけ悪戯そうに葉介が笑って答えると、 「あれ?今ごろ反抗期なのかな、葉介君は。」 器用に片方だけ眉を上げて絢人が聞いてくる。 「どう言ってくれてもいいよ。 でも、教えてあげないから。」 「そう言われると余計に気になるんだけど? ────葉介、俺にも言えない事?」 不意に絢人が葉介を引き寄せて耳元で囁く。 甘い低めの声は葉介の理性をぐらつかせるには十分なほどで。 葉介は顔を紅くしてうろたえながらもすんでのところで踏みとどまった。 「絢人さんだから、おしえてあげられないの。 ほら、せっかく淹れてあげたのに、コーヒー冷めちゃうじゃん。 いらないって言うんなら俺が飲むけど。どうする?」 「いや、せっかくの葉介の好意だから飲む。 それに、お世辞抜きで美味しいよ、これ。」 少し冷めてちょうど飲みごろになったコーヒーを絢人は慌ててごくごくと飲む。 「じゃぁ、また今度淹れてあげるよ。」 瞳を輝かせながら葉介はそんな絢人を見つめた。 「……嬉しそうだな、葉介。」 「嬉しいです。」 にこにこ笑いながら葉介は答えた。 「ま、葉介が嬉しいなら俺も嬉しいけど?」 絢人はかちゃり、と綺麗に飲み干されて中身の無くなったコーヒーカップをテーブルの上に戻した。 「じゃ、おあいこだね。 さて絢人さん、俺、洗いものしてくるね。その間に机でも拭いていてくれる?」 「かなわないな~全く、葉介には。 やっておくよ。」 絢人からカップを受け取ると葉介は変わりに台拭きを手渡し、自分はキッチンに引っ込む。
まだ、ほのかに暖かいカップを両手でくるむようにもって葉介は絢人が口をつけたあたりに自分の唇を沿わせる。そうして、ちいさく微笑んだ。 甘くてどこか爽やかな香りを含んだコーヒー。 コーヒーはその昔、魔法薬としても用いられたという曰くのある飲料だ。 それに、何種類かのハーブと柑橘類を調合してできるあるもの。それは、媚薬。 高校生くらいの女の子達が嬉しそうに騒いで読んでいるのを見て、なんだろう、と面白半分で見たおまじないとかの本にそれは載っていた。 ────作って、みようか。 ふと思いついたらなんだかどうしても作らなければいけないような気になって。 そうしてこっそりそのレシピだけメモにとって、本屋を出た。 ────大好きなあのヒトが自分に振り向いてくれますように。 もっと好きになってくれますように。 そんな思いをこめて作る魔法の薬。 真夜中に、誰にも知られないようにハーブとコーヒーを調合したものを新月の明かりにさらして、大好きな人の事を考える。 そうして、おまじない。
アノヒトガジブンヲスキニナリマスヨウニ。 ジブンダケミツメテクレマスヨウニ。
うまく誰にもみつからずにできたらそれを後はいつものように淹れるだけだった。 絢人にそれを出しながら葉介はわくわくして彼の様子を見つめた。 彼はどんな反応を示すだろうか。それとも変わらないのだろうか。 変わらないだろう、と葉介は思った。 ヒミツの媚薬。 効くかもしれない。効かないかもしれない。 だけど、そう言う気持ちを抱えて絢人のことを考えるのはとてもわくわくどきどきする。 そう言う気持ちを抱えて何かを作るのは幸せな気分になる。 そう、この媚薬は作った本人も魔法にかけてしまう効果があるのかもしれない。
アノヒトノコトヲモットスキニナル。 アノヒトノコトシカカンガエラレナイ。
それは、それで計算外だったけれどどこか甘くて嬉しい副産物だった。 コーヒーを飲んだ後、彼は美味しいといってくれた。 そして自分の事を気にしてくれている。 それはただ、コーヒーのヒミツを教えなかったからで、厳密に言えば媚薬の効果じゃなかったのかもしれないけれど、確かにキッカケではあって。 葉介は嬉しくなる。 「葉介? 机拭き終わったけど、そっちまだ終わらないか? なんだったら手伝うけど。」 ふいにリビングから絢人の声がかけられる。 「もう、終わるってば。 今行くから待ってて。」 あわててカップを漱いで葉介は真っ白な布巾で拭く。 ────コーヒー、また作ろうかな。 そうしたらまた、絢人さんは俺の事考えてくれるかも。 そう思いながらぱたぱた、とリビングに戻ると彼の姿が見えない。 葉介はおかしいと思いながらも周囲を見まわすと視界の端に絢人の手がかすめた。 そう思った瞬間後ろから抱きすくめられる。 「……絢人さん……っ!」 「びっくりした?」 面白そうに告げる声に葉介は少しばかり恨めしそうな声で応じる。 「びっくりした!もう、俺が早死にしたら絢人さんのせいだからね。」 「そうしたら俺もすぐに後を追いかけるよ。葉介に寂しい思いはさせないから。」 低くて甘い腰に来る声で囁かれて葉介は思わず赤面、腰砕け。 力の抜けた腕で絢人の腕にすがりつくようにしか立っていられなくなってしまう。 「あ、絢人さ、」 うまく回らない舌である意味衝撃的な告白に答えようとする葉介の視界に絢人の微笑がアップで映る。 伝えようとした言葉は、言葉にならないうちに絢人の唇の中に飲み込まれてしまった。
キスの合間にふわりと鼻腔をくすぐる甘い爽やかさを含んだ香り。 それは、彼に贈った媚薬の残り香。 少しだけ眼をあけて絢人の様子を見るとわずかに微笑む。 ────うん、効果、あったかな。 そうして葉介はまた瞳を閉じた。
おわりん。
スミマセン、作中に出てくる媚薬の作りかたは大嘘です。本気にしないで下さいね~~<爆>
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