高遠は物憂げに窓の外を眺めた。離れた処で、水無瀬が友人達と楽しそうに談笑している。 気付かない。気付く、気付かない……。 そうしている内に何だか馬鹿らしくなって、高遠は眼を閉じた。見てもいなかった本を枕に、机に寝そべる。 「榊」 見てる内に来て欲しかったな。 頭を撫でられる感触が心地良い。 休み時間が終わるまで、水無瀬にこうしていて貰うのも良いかもしれない。 高遠は何も言わずに眠ってしまった。
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水無瀬に高遠が最初に抱いた印象は、「美味しそう」だった。 何しろ彼のフルネームは水無瀬苺。一護でも一期でもなく、あのイチゴ。 大学の入学者に配られる名簿の中で、高遠が唯一覚えた名前だった。 どんなヒトだろう。そもそも男だろうか、女だろうか。 名簿に性別の記載は無かった。それが余計に、高遠の関心を惹く。 けれど元来ヒトに無関心な高遠は、直ぐに「水無瀬苺」の存在を記憶の片隅に追いやっていた。
そうして数ヶ月が過ぎたある日、少し早く教室についた高遠は一歩入った時点で立ち止まった。 ……貞子? まるでホラー映画に出てくる怪物に似た、長い髪を机に垂らして突っ伏して眠っている学生が居た。近づいてみると熟睡しているらしく、寝息は静かだった。 前の講義のヒトだ。 教科書からして、高遠が受けるものとは違う。起こして移動させてやらなければならないけれど、声を掛けるのに戸惑った。彼はヒトと話すことがとても苦手だった。 それでも肩に手を掛けようと指を伸ばすと貞子状態の頭が動いて、横顔が覗いた。 綺麗な顔。 整った中性的な顔立ちに、高遠は見取れた。誰かを綺麗だと見取れたのは初めてだった。 誘われるように指で頬を撫でる。柔らかで滑らかな感触は、今まで相手にしてきた女性達のどれよりも、高遠の気を惹いた。 いったい誰なんだろう。 同じ学部かすら解らない。例え同じでもクラスやゼミ、講義が同じでないと顔を合わせることは、この広い学内で無い。 頬を撫で口唇をなぞり、首筋にまで戯れを起こし掛けた指は、廊下から響く足音に止まった。 「水無瀬っ」 誰かが入ってきた。 「起きろよ、水無瀬。次の講義に間に合わないだろっ」 「ん……あっ?」 「ホラ起きろよ。ここだって次あるんだぜ」 「ああ、そっか」 立ち上がった青年は、長い髪を後ろに流して伸びをした。教室の隅でひっそりしている高遠には気付かず、そのまま呼びに来た人間と去っていった。 あれが、水無瀬か。 初めて興味を持った名前の持ち主。初めて見取れ、戯れの指を抑えきれなかった美貌の持ち主。 姿形のハッキリとした水無瀬苺は、高遠の関心を惹く唯一の対象となった。
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腰まである長い髪をした水無瀬は、気に掛ければよく見つけられた。何しろ大勢の真ん中にいることが多い彼は、目立っているように高遠には見えた。それは彼が水無瀬をじっと見詰めてしまうからだけかもしれないし、水無瀬の容姿に周りから一線引いた端麗さがあるからかもしれない。 一度も言葉を交わしたことはなかった。ただ気になる存在。いつしか意識を奪い去る存在になり、高遠は困惑していた。
「高遠くん」「なんですか」「今夜、空いてるかしら」 「……ええ」 「美味しいスパゲッティのお店があるの。貴方と行きたいと思って」「そうですか」「楽しみにしてるわ」 微笑んだ講師は高遠の頬にキスをしていった。こんな約束はもう何回しているだろう。 彼女達は誰しもが高遠の容姿に陶酔し、身体の関係を望みたがる。彼は拒みもせずにそれを受けるが、そこに心は無かった。 高遠は女性を愛せない。いや、ヒト自体が愛せるかどうか疑わしかったけれど、特に女性は一生無理だろう。 女性は全てが母親に見える。母親は高遠にとって畏怖の象徴であり、支配者であり、憎むべき存在だった。 身体に残る傷跡をみる度に、高遠は辛い過去を思い出す。辛い夢を見るのも一度や二度じゃなかった。 高遠にとって彼女達と関係を持つことには、何の意味もない。ただ悪夢から逃れられる一瞬の快楽を与えてくれる存在でしかなかった。 だから女性を愛せないけれど、高遠は男性を愛するほど開き直った性格でもなかった。 誘いがないわけでもなかったが、手を出さない。 しかしある時から、抱いている顔が男のそれに変わった。女性を抱いているのに、顔は水無瀬だった。 もし水無瀬を抱いたら、彼はこんな声を出すのかな。 高遠は水無瀬に見立てて女性を抱くようになっていた。誰も彼の代わりには到底なれないのに。 僕は水無瀬が抱きたいんだな。 セクシャルな意味でも水無瀬を対象にしていることに、高遠は気付いた。 彼が欲しい。 欲に乏しい高遠が、初めて何かを強く欲していた。水無瀬だけ、彼だけが特別な存在。 何故よく知りもしない彼をこんなにも強く欲するのか、高遠には解らなかった。 それが激しい恋だと、恋を知らない彼は初め気付けなかった。 次第に制御不能になっていく水無瀬を求める心は、高遠に凝り固まった宗旨を破壊させた。兎に角、彼を自分のものにしたい。
そして彼は珍しく水無瀬が独りで食事をしている時に声を掛けた。 初めての告白をする為に。
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