雪よ、降るな。
「将軍をとったぞ、そのままの勢いで突っ込め!!」
お願いだから、降るな。
「…この国はもう、貴様のものだ。余の愛の証だよ、エイザー?」
頼むから。お願いだから、あの人を隠さないでくれ。
『エイザー。俺はまだ、下っ端の兵士だけれど。偉くなって、君を迎えに行くよ』
ああ、本当にあなたは偉くなっていた。自分を迎えるためだけに、頑張ってくれていた。
「ほら、アレが貴様の恋人だろう? 敵国の軍師に成り果てた貴様を見て、あいつはどう思って死んだのだろうな」
駆け寄りたくても駆け寄れない。空から降る白い悲しみが、降り積もってゆく。
「降るな…」
雪よ、お願いだから。これ以上あの人を隠してしまわないでくれ。
* * * * *
「…根を詰めると、お身体に毒ですよ」
もう3日ばかり降り続く雨に、南国とはいえ、空気はひやりと冷たかった。
広い肩に、己がまとっていたショールをかけてやる。足音もなく近付いたエイザーに驚かず、机の上にひとつきりの灯りで書き物をしていた男は薄く笑った。
「余を案じるのか? 貴様が」
しばし沈黙がおりた。ゆらゆらと揺らぐ灯りに、ぼんやりと照らされる人形のような顔。
「……当たり前ではございませぬか。わたくしの命は、陛下あってのものなのですから」
真っ白な指先が、男の頬をくすぐる。無骨ではないが男のものであるそれは、優しく優しく彼の肌にしみた。 その手を掴み、唇に寄せる。は、と息を呑む相手に構わず、一度目を閉じて口付けてから、男はじいっと北方の美貌の持ち主を見据えた。
「寝室へ行くぞ」 「…は」
力強い腕に腰を絡め取られ、エイザーはため息のような返事を洩らす。痩身ではあったが小柄ではない彼の身体を悠々と抱え、男は続き間にある寝室へと踏み入った。
獣じみた動作であるくせに、彼の身体を寝台へおろす瞬間は、優しい。スプリングのきいたマットレスがエイザーの身体を押し上げ、降ってきた唇が彼のそれを捕らえた。
口付けるのではなくて、何度も何度も揉むようにエイザーの下唇を食む。時折、熱い舌が歯列を舐めていったが、それ同士を絡ませあうことはなかった。
「んん…っ」
息苦しさに喘いで開いた歯列の奥、口蓋がべろりと舐め上げられ、くすぐったいような快感に身を捩る。赤く色づいた下唇を親指で軽くおろし、男はさらに深々と舌を差し込んだ。
拒絶する権利など与えられていないから、エイザーは自分から進んで舌を差し出す。根元からきつく吸い上げられて、喉の奥まで引きずり出されそうな苦しさに息を止め、それでも彼は男の服に手をかけた。
それよりも素早い動作でエイザーの服は取り上げられ、薄く筋肉のついた、しかし背骨が浮き出すような痩身が露わになる。
「ぅ…」
みぞおちから首元へ、胴体の真ん中を縦に撫でられた。皮膚が薄いせいか、うめくような声が漏れる。
北方人特有の、輝くように白い肌。そこを這う大きな手は日にやけて浅黒く、その色合いだけでも汚されるような乱暴さがあった。
消える前に重ね付けられる鬱血に、エイザーは眉を寄せる。たしかに痕がつきやすい体質ではあったが、よほどきつく吸わない限りはここまで酷く残らない。 痛いくらいに吸い上げられ、時には歯までたてられて、所有物であることを確認するように男の唇が全身をさ迷った。
その広い胸板にすがり付き、エイザーも彼へと愛撫の手を伸ばす。 されるだけでは、自分の存在理由がないのだ。こうされるために捕らえられたのだから、奉仕しなければならない。
そう思わなければ、決して自分を痛めつけはしない男に心揺らされそうだった。
「…必死だな」
嘲るような声と共に、エイザーの内側に男の指が潜り込んできた。ひとつも濡らされていないそこと指のせいで、彼は痛みにうめく。 宥めるように、直接液体が垂らされた。冷たさに身を竦めるが痛みは失せて、次第に熱さが満ちてくる。
男の鎖骨に舌を這わせ、少しだけ反応を見せている昂ぶりに手を伸ばした。皮膚の下の骨に歯を当てながら撫で上げると、さすがに男の身体も引きつった。
お互いに、ただ自分の快楽のために愛撫を与える。 男の指はすでに3本ばかりエイザーの内を掻き回していて、エイザーはといえば、喉の奥まで使って男の昂ぶりに奉仕していた。
「ッ…は」
一気に引き抜かれる感覚に、エイザーはきゅうっと身を竦める。同時にねだるような締め付けもしていたのだろう、濡れた指が慰めるように、双丘に手を差し込んで、後ろからエイザー自身を包んだ。
快楽をやり過ごすように息を殺していると、その間に姿勢を変えられて胸の下に枕を置かれた。 膝をつかされ、男に向けて尻だけを突き出すかたちにされる。すぐに触れてこないのは、男が自身に潤滑剤を塗りつけているからだろう。
腰骨が突き出しているあたりを掴まれる。皮膚の直下で骨が触れるあたりは感覚が鋭いから、それだけでエイザーは腰を震わせた。
「ん…」
ふたりともが、鼻から抜けるようなうめきをあげた。 広げるように軽く揺らしながら分け入ってくる太さに、エイザーはシーツを握り締める。しかし何度も経験しているから、尻の力の抜き方ぐらい心得ていた。 同じように入れ方を心得ている男の方も、なじむまでは無闇に動かさない。ゆっくりと押し入って、深々と挿し込んで、エイザーの背を撫でていた。
「動くぞ?」
決して止まりはしないのだろうが、きちんと断ってから、男は腰を一旦引く。挿し込まれるときは圧迫感に苦しいが、引き出されるときは排泄感のようなものを味わうので、力が抜ける。
男のくびれだとか出っ張りだとかが中を刺激して、エイザーは閉じていられない口から喘ぎを洩らした。
挿し込まれるたびに、動きも速くなっていく。太くてつっかえる所まで引き抜かれて、潤滑剤が足されて、また押し入る。すでに激しく突き上げられることになんの支障もなかった。
繋がっているところから溶け出してしまいそうで、実際とろけたように下半身から力を無くして、エイザーはただ促されるままに熱を放ってしまう。 奉仕しようにも、後ろ向きで犯されていれば何も出来ない。 好きに蹂躙したほうが快楽が大きいのだろう。男はエイザーの腰が崩れ落ちるのを許さず、指の痕が残るくらいに腰骨を掴み、下半身を叩きつけてくる。
「ん、ぅん…っ」
零れだした唾液を飲み込むために口を閉じれば、男の動きが速まって、その後に達したのだとわかった。しばらくゆっくりと抜き差しされた後にぜんぶ引き出されて、同時に零れ落ちてくる白濁の感触に震えた。
ひっくり返されて、片足が男の肩へ担がれる。てらりと光を反射する、まだ勃ち直ってもいない雄を再び挿入されると、構わずに腰を叩きつけられだした。
中で擦られて硬さを取り戻す男へ、エイザーはため息のような声を洩らすだけだった。
* * * * *
毎晩のように身体を貪られる関係から、日中は書類を確かめ合うような関係になったのは、エイザーがここに来て半年が経った頃だった。
「冬に入る前に東国を攻め落とすぞ。そして、春が来たら…北へ手を伸ばす」
南の一小国から戦でのし上がってきた王は、エイザーの下腹に顔を埋めて呟いた。 成人する前に軍を任され、近隣諸国を次々と攻め落とし強国の仲間入りをし、王位を継いだ後は文武ともに磨き上げていった彼は、妾たちに十数人の子供を産ませてはいたが、正妃を娶ってはいなかった。
最近は、北の帝国から手に入れた軍師に執心している。はじめは性奴のように扱っていたが、今では軍務にも関わらせていた。
「北…ですか」 「そうだ。大陸南部は手に入れたも同然だからな、今度は大陸全土を目指す」
職人でなければ結べないような形の飾り紐を指先で弄び、王はエイザーを抱きしめる腕に力をこめた。 護身できる程度に鍛えられた身体はしなやかで、心地良い暖かさだ。
「貴様の国が心配か?」
囁けば、肩が震えて緊張したのがわかった。
半年前に西方の大戦に参加し、その時に北の帝国と軽くやりあった。エイザーは、その時の捕虜だ。 恋人がいるのです、と懇願した彼を組み敷いて辱めて、逆らえないように調教したのは、彼に興味を抱いたからだった。 北の人種は南国に比べ、外見が麗しい。しかしエイザーの場合はさらに内面の賢さがにじみ出ていて、ひどく嗜虐心をそそったのだ。
「帰りたいか」 「……」 「恋人が待っているんだろう?」
辛そうに目を伏せたエイザーへ口付けて、王は嘲笑した。
「帰りたいのならば余を殺していけ。ただし貴様の国は皆殺しだ」
できないことを知っていて、そう誘惑する。公の場に出さないとはいえ執務室へ置くようになったエイザーへ、飾りではない剣も持たせるようになった。だから、やろうと思えばいつだって命を奪える。
「…あなたは、残酷だ」 「残酷でなければ王など務まるか。甘いことを言うのだな、軍師殿」
泣き出しそうな顔で返されれば、もっと突き放すようなセリフを投げた。
戦う才にはあまり恵まれていなかったが、エイザーは戦を支配する能力には恵まれていた。 駒のように兵を動かして、虫けらのように敵を蹴散らす。必要ならば残虐非道と叫ばれようが構わない、優秀な軍師だった。
「…私は、もう国へは帰りません」
帰れない。
「私のこの身は、あなたの下(もと)に」
だけど心は、あの人だけのもの。
「従順だな…」
口には出さない内心を悟る己が、今は憎かった。王はエイザーの骨が軋むほどに抱きしめて、貪るようなキスを与える。 目を閉じて応える彼を薄目でうかがい、喉の奥だけで笑った。
焦がれているのならば、与えてやればいい。遠い異国で待つだけの者には、そんなことできないのだから。
「なあ、エイザー。それでも帰りたいのだろう?」
生まれ育った国へ、こんな、雪も降らない南国ではなくて。
「5年待て。貴様にあの国をくれてやる」
そして、兵士だというエイザーの恋人を殺してやるのだ。 この美しい男は、焦がれていた恋人の首を受け取った時、どんな顔をするのだろうか。
* * * * *
吐き出す息が白く凍りつく。春に始めた戦はいつの間にか季節を巡らせていて、すでに雪のちらつく初冬に入っていた。
「…っ」
震える肩に、泣いているのかと思った。だから抱きしめた。 しかしそうしたときの、無言の拒絶がひどく腹立たしかった。同時に、酷く悲しくて、愛しかった。
顔を近づければ、互いの息が交じり合う。真っ白いその吐息が唯一のぬくもりに思えて、無理やりエイザーに口付けた。
「ん、や…ぅ」
勝ち鬨が遠くで聞こえた。わざわざ王が遠征に参加したこの戦、これで大陸の覇者になったのだ。大陸の南半分を制する国が、北の半分を占める帝国を滅ぼしたのだから。
嘲笑が思わず零れた。生理的に流れ落ちていたらしい涙をべろりと舐めとると、突き放すようにエイザーの身体を解放する。 よろめいた身体を支えることもせず、吐き出す息の白さに視界が曇るのを不快に思いながら、ただ見下ろした。
「寒い国だ、なあ? 貴様が帰りたがった国だぞ、エイザー」
お前のものだ、と顔だけ近づけ囁いてやる。否定するようにうつろぐ瞳に口付けてから、覇王となった自分はふぶき始めた空を見上げた。
皆殺しに近いこの戦に似合いの、晴れ間などかすかにもない空だった。今にも落ちてきそうに重たい雲、そこからただ降り注ぐ白。
流れ落ちた血を隠す、死んだ者を隠す、落ちたかつての帝国を隠す。 明日になれば、すべてが消え失せているのだろう。便利なものだ、と鼻で嗤った。
勝利の証に高く掲げられる若き将軍の首、それを失った身体も雪に覆われはじめているようだ。 それを凝視するエイザーを見ながら、はやく埋まってしまえと願う。
雪よ、降りそそげ。 解ける間もなく積もってしまえ。
こんなところに春など来なくて構わない、2度と大地を見せなくて構わない。
「降るな…っ」
懇願など聞こえないふりをした。
聞き届けられるのが自分の願いばかりだったからだろう、必死になりすぎている気がして自嘲した。 いいや“気がする”のではなくて、必死なのだ。
心など要らない、身体だけで構わない。 それだけでも手に入るのならば、十分だ。
「…エイザー、ここは寒い。帰るぞ、暖かい地に」
完全な銀世界と化した景色を満足げに眺め回し、地面に両手をついて力なくうなだれるエイザーに、そう言った。
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