また何を始めたかな……。 窓の外で雷が鳴る度ひゃあひゃあ言って暴れ回っている小さな子を、パソコンデスクの前からちらりと伺い見る。 ピカッどったん、ドォンばったん。これじゃ集中出来るものも出来やしない。 明日提出の課題、仕上がらないと今期の成績に大きく響くことは間違いないのだけど。 「どうしたもんかな……」 しかしながら遊んで欲しいと部屋に来たのに終わるまで待てと放っておかれて、それでも文句一つ言わずに一人でおやつを食べ一人で遊んで待っている子を、頭から叱りつけるのも気が咎める。 少年は母親の親友の娘の息子、つまりきっぱりさっぱり赤の他人だ。しかし三年前、託児所に預けていた彼を残して祖父母も含めた一家全員が焼死するという痛ましい事件が起こり、我が家に引き取られてきた。 放火だったらしいが、何故仕事にも行かず全員が自宅に雁首揃えていたのか、何故いい年をした大人がそれだけ揃っていて全員逃げ遅れるなんて事態になったのか、事の真相は未だにわかっていない。犯人もわかっていない。 突然一人残されることになった子供は最初こそ内に篭って喋ろうともせず壊れてしまったようだったが、元来懐っこい子だったのだろう。状況に慣れると次第によく笑うようになり、可愛い声で拙い言葉を聞かせてくれるようになって、最初からうちの子だったみたいに家族全員から愛されるようになった。 今ではすっかり我が家の末っ子で、両親どころかじいさんばあさんまでこの子に夢中だ。 ショックが原因か言葉が異常に遅く六歳になった今も同じ年頃の子より格段に幼いのだが、素直で愛くるしい子供の存在は家庭に花を添えるようで、一人っ子だった俺がのめり込むのもそりゃあもう坂道を転げ落ちるかの勢いだった。 共働きの両親に比べれば格段に暇な学生の身。時間の許す限りに構って構って構い倒してわがままも全部叶えてあげて、当然のように一番懐かれた挙句に公認世話係となっている。それについては全く不服もないのだけれど、勉学と友人付き合いのフィールドにおいてはどうしたって少々我慢させざるを得ないところが出てきてしまうわけで。 友達と出かけると言っては玄関先で大泣きされ、試験勉強があるから遊べないと言っては可哀想なほどにションボリされて、何回予定をふいにしたか数え切れない。 それでも今回は、心を鬼にしないわけにいかないのだ。 前回の試験は結局負けてしまって、トップを独走していた順位を十番以上も落とした挙句に教師から呼び出しを食らった。その後のプログラミング実技では自分でも悔いの残るやっつけ仕事を提出することになった。今回また同じ事を繰り返せばもうマイナス点を取り返せない。 集中だ、と思う端からピカッひゃああと気の抜けるような声が耳について、続いてビタンッ、という湿った音が……ああ、コケたな。泣くなよ。 振り返るのが恐ろしくそのまま固まっていると、ドォンという派手な音と同時に腹の辺りに衝撃が来た。どーん。椅子はぐるーん。 「……コラ。これが終わらないといつになっても一緒に遊べないって言ってるだろ」 とりあえず泣いてはいないみたいだけれど。 足の間を見下ろすと、真剣な目がぐあっと上向く。 「おへそかくすの!!」 ……ハイ? 苦笑いで首を傾げるのと同時に窓の外に閃光が走って、慌てた手が自分の腹辺りを覆った。よく見れば俺の下腹にある手はへそ……より少々右にある。 「おへそ……」 「あのね、かみなりさまおへそぱくってするの!!」 一生懸命だ。一生懸命になりすぎて大きな黒目がちの瞳はぐじゅぐじゅに潤んでいる。 「おへそ……」 どうしたらいいんだろう、この子。 力が抜けてデスクについた手で額を覆う。 こっちが何も言わないのをいいことによいしょよいしょと膝の上に乗り上がって来た子供が、お互いの体を密着させるようにべたりと腹に張り付いた。 「おへそまもるの」 ああ、俺のも一緒に護ってくれるんだ。はは、なるほど。 「俺は平気だよ。雷様は友達なんだ」 言いながら小さな体を床に降ろそうとすると、ぎょっとしたように目がまん丸になった。 「かみなりさまおともだちっ」 「そう。お友達。お前のも食べないようにちゃんとお願いしておくから。まだあるだろ?」 尋ねると、更にぎょっとしたように自分のノースリーブパーカーとパンツをべろんと捲る。 真っ白い柔らかそうな肌が惜しげもなく露になって。 ……いかん。そんな趣味はないはずなのに、涎が垂れそうになった。 眼下にあるまばゆいそこに、小さな手がぎこちなく這う。 「……あるの!!」 勢い込んで報告してくるのに何だかもう辛抱堪らなくなって、露出したままの腹に唇で食いついた。へその辺りをはむっとしながら視線だけを上げると、零れ落ちそうなほど目をかっぴらいて固まったお子ちゃまの顔。 ぎこぎこ音がしそうな動きで首を折った彼のまん丸の目と視線が絡むけど、それでも言葉も出ない様子で固まったままでいる。 「……たべる の?」 「食べていい?」 腹に唇をつけたまま意地悪く問いかけると、びくんっと腹の薄い筋肉が揺れた。 呼吸が少し荒くなるのを触れたところから感じる。すごい。真剣に焦ってる。 「は」 は? 「はんぶんこだけたべるの……っ」 必死な様子の言葉とぼろぼろ零れてきた涙に面食らって、思わずぶはっと笑うと、腹に唇をつけたまま口の中に溜めた息を思い切り吹きつけた。 皮膚の上でブーッとものすごい音がするのにひゃあひゃあ言いながら、パーカーのフードを両手で目深まで引っ張る。隠れてるつもりだ。可笑しすぎる。 「たべたぁ、おへそたべたぁ」 「うん。美味しかった。おやつ食べたからお昼寝しような」 ああもういいや。学期の成績を一つ二つ落としたところで人生悲観しなきゃならないほど馬鹿じゃない。 膝の上でぺそぺそ泣き出す子を抱っこして、床に敷いたマットレスまで連れて行った。降ろした子供にタオルケットをかけて彼お気に入りのピンクうさぎと一緒に横に転がると、フードの中から真っ赤になった瞳が恐る恐る覗く。 「……おへそ、おいしかったの?」 「うん」 笑いかけると、もぞもぞくっ付いてきながら自分の腹をちらりと伺い見る。 「……もうはんぶんこ、たべる?」 涙をいっぱいに溜めながら腕の中見上げられて、思わず息を止めると、深々と吐き出して白旗を揚げた。 なんかもう、変態でもいいような気になってきた。 「大人になるまで待っておく」 言うと安心したような息をつきながら、瞳意外全部小作りな顔がへにゃりと笑み崩れた。 ああ、おなかの肌気持ち良かったな。 大人になったら美味しくいただくことにするから、だからお前、早く大きくなりなさい。 下半身に溜まった鬱屈を溜め息とともに押し殺して、薄っぺらい子供の体をぎゅうっと抱きしめた。
|