1・熊男が嫁入りをするに至ったこと。
山間の渓谷に作られた東屋で。
楽しそうに笑いあう、ふたつの大柄な影があった。
そのうち、ひとつの影が言う。
「そう言えば、オマエんとこは。末に娘がひとりいたよな?」
「ん?」
虚を衝かれたように。片方の影は、心なしか戸惑った声を上げた。
「わしのところに、末にひとり息子がいるだろ。あれがそろそろ、いい年でな。せっかくだ、この際オマエのとこの娘をめあわせてくれんか。丁度、年も近くていいだろ?」
「……」
「オマエんとこと、ウチが婚姻で結ばれれば、『根の国』一の大勢力の誕生だ。……悪い話じゃねえだろう?」
「……」
影は、しばらく静かになって……。
ドウドウドウ、と渓谷の間を抜ける様に流れる強い水の音が響いて……。
「……」
そのうち、どちらともなく。
また談笑が沸き起こり、ふたつの影は、杯を軽やかな音を立てて交わした。
天地開闢より幾度か千の年が流れた頃。
その小さな島国は、高原―タカハラ―の天帝―アメノミカド―と、中ツ国―ナカツクニ―の大王―オオキミ―に寄って二分されていた。
そして。彼の地にはもうひとつ……。誰からも顧みられる事の無い、第三の国があった。死者の国……根の国と呼ばれる、ゴロツキや漂泊者たちが流れ着いて出来上がった、無法地帯だった。
「……末の娘?そんなものが、どこにいると言うんですか」
クルクツ平原の中央に、まるで天から落ちてきたように。山水画のように隆起したクルクツ山は、そびえ立っていた。山は険しく、まず足を踏み入れる者はいない。この山に分け入った処で、食料になるような木の実も無ければ、獣もいない。
この山は、クルクツ地方を股に掛け暴れまわる、山賊の要塞でもあるのだ。
岩肌をじかにくり抜いた、蟻塚みたいな黒い窓が無数に並んでいる。誰かが近づいて来ようものなら、あの物見の窓から即座に見つけられて、あっという間に餌食にされてしまう。この辺りに住んでいる者に取っては、常識なので普段から近寄ろうとするはずもない。
……ただ。
巨大な山塞ではあったが、今。ここを根城に暮らすのは、たった四人の山賊だけだった。
しかも、母子である。かなりさみしい。
大きな空間をくり抜いて作られた、広間。壁に開けられた開口部は広い窓になっていて、すぐ外を流れ落ちる瀑布の迫力をたっぷり堪能できる、という贅沢な部屋だ。
今、広間には三人の姿があった。ほぼ、この山塞の全メンバーである。
ちょうど三角を作る様にお互い同じくらいに距離を取って。
長い黒髪をさらりと揺らして。男らしい端正な顔立ちに、しっかりとした作りの身体。腕を組むときれいに筋が浮き出す。呆れた様な顔で、半眼のまま斜め前の赤い髪の女性を見ているのが、長男のナグである。
「少なくとも俺は、妹など見た事ありませんがね」
冷たい目でそう言われて。
ぐっ、と言葉に詰まる赤い髪の女性が、この山塞の頭目にして、三人の息子の母・カルナミである。唯一の女性とは言え、息子たちなど遥かに凌駕する体格の良さである。ナグと同じように組んだ腕など、丸太のごとく太い。見た目そのままに気も短く、気性もまるで火のようなので。あまり言葉で追い詰めると、力任せに何をされるか分かったものじゃない。
そのふたりの様子をただ黙って眺めているのが、二男のコトシロ。彼は、この母の息子であるのが何かの間違いのように。まるで、生き人形のように、なめらかな白い肌と、実った麦の色の髪を持った、華奢な男だった。要領ヨシの性格なので、あえて母にたてついて殴られるような真似はしない。……ただ兄の事は心配なので、こうして一緒に様子を見守っているのだ。
「だいたい。……何故、ククノチ殿に『娘がいる』などと言ったんですか」
「……黙らんかナグ!おまえは、母に口出しをするつもりか!!!」
母は。
とうとう我慢の限界か、大口を開けて牙を光らせながら、ナグに詰め寄った。
慣れっこのナグは全く顔色も変えず。
「ああ、口出しをしない方がいいですか。では黙りましょう。あとは母上おひとりでお考えください」
簡単にさじをポイと投げ棄てて、去ろうとする。
母は慌てて引き止めた。
「おいっコラ!そんな簡単に母を見捨てて良いと思っとるのか!」
……めんどくさい……。
ナグは辟易した顔で。振り返り、息を吐く。
全く、この母は……毎度毎度、面倒の種を持って帰ってくれる人だが。
今回は、その中でも特に厄介をお土産にしてくれたものだ。
そもそも、事の始まりは今から十八年も前にさかのぼる。
母が、宴席で、仲の良い南の山塞の頭目にもらした言葉が発端だった。
「アタシのとこにも娘が生まれたぞ!」
……娘なんか生まれてないのに。
それで、現在。
そんな事言ったのも忘れていた母に、南の頭目からの突然の申し込み。
――息子の嫁に、オマエんとこの娘をくれ。
「くやしかったんじゃ!!!」
母は、床を叩いて慟哭する。その一撃で巨大な山である要塞が揺れた。
「あのハゲんとこばっかり、娘が生まれて!アタシゃ、ちょーど娘が欲しゅうて堪らんトコじゃったのに、あのハゲに、『また息子が生まれた』と言うのがイヤだったんじゃあ!!!」
南の頭目ククノチの頭は丸坊主である。
彼は五人の娘のあとにようやく生まれた息子の誕生をこれ以上なく喜び、とても大切に育てているらしい。
一方、北の頭目カルナミはと言うと、ククノチとは逆に、娘に恵まれなかった。本人は可愛らしい娘を産んで、フリフリの衣服を着せて可愛がりたかったらしいのだが。残念な事に、生まれたのは三人とも男の子だった。
「だから……つい。ナユタが生まれた時。……言うてしもうたんじゃ、今度は娘が生まれた、ちゅーて」
「よりによってエライのに白羽の矢を立てたもんだね」
それまでずっと黙って聞いていたコトシロが、思わずプッと噴き出す。
それを、制して。
ナグは、一層眉間に皺を深く刻み込みながら、またため息をついた。
「これ以上ここで問答を重ねても仕方ない。ククノチ殿に、一刻も早く真実を告げましょう」
「それはならん!!!」
母の咆哮。
……突如巻き起った衝撃波のごとし波動に、岩で出来たテーブルの上に乗っていた食器が窓の外へと吹っ飛んでいった。
「もし娘うんぬんがアタシの出まかせだったと知ればあのハゲ、鬼の首取ったように言いふらすわ!アタシは笑いモンじゃ!!!ナグおまえ、母が根の国の笑い者になってもええんかッ!」
――そもそも笑われるようなウソをつくんじゃねーよと思いながら。
ナグは重ねる。
「しかし母上、もう婚姻の約束をしてしまったんでしょう。どうするんです、替え玉でも用意するんですか?近くの村から攫うにしろ、いずれバレれば、その時もっと笑われますよ」
しかし。
母・カルナミはそんな事予測済みだとばかりに胸を張って。
「替え玉など必要ないわ。――本人を嫁がせればええ」
「――は?」
ナグは片眉をひくと持ち上げて、母を見た。
「――本人と言うと。……まさか」
「そのまさかじゃ。ふふっ、凡人には思いつかん策じゃろうて」
クックックッ……と。
悪代官のような笑い声を腹の底から響かせ、母は告げた。
「ナユタ本人を、嫁がせるのよ」
クルクツの山のてっぺんから、眼下に広がる荒野を見るひとつの影があった。
鍛え上げられた体躯は長身とあいまって、熊のような威圧感を与える。短く切り散らかされた桃色の髪が、強風にあおられては草原の草のように揺れた。
これが、クルクツ山塞の三兄弟の末弟・ナユタである。
彼は、地平線を眺めては、ふうと息をつく。――遠い。
ここから見渡す範囲に、小さな集落がいくつか。――北と南に、クルクツ山よりもっと険しい山岳地帯。東に大滝、西に荒野。……子供の頃から見慣れた、何も変わりの無い景色。
……あの、地平線まではたどりつけただろうか?
今まで、家出をした時の事。――軽く五十回くらいトライしている。
しかし、いっつも必ずかぎつけられて、母かナグに捕まるのだ。……コトシロは別に、ナユタが居なくなったら居なくなったでそれは構わないらしい。だから障害の中には入ってないのだが。とにかく、何度も何度も。たまには綿密に作戦を練り、たまには発作的に、この山塞を飛び出した。――そしてことごとく確保された。おそらく、まだあの地平線の向こうまでは辿りつけていない。
そして。
――彼は、このたび、また家出を計画しているのだ。
「――よし」
ばしん!と手のひらで拳を受け。
自身に喝を入れてやる。
「見てやがれ。今度こそ、突破してやらあ!」
雄たけびをあげた。
……その声は、無論山塞の中の母たちに丸聞こえなのであるが……。
……ナユタにはまったくもって謎だった。
なぜ家出する前にさっさと捕まってしまったのか?
さらに。……なぜ縛り上げられたあげく、広場につながれているのだろうか。
目の前には、女王様のごとくフッフッと笑みをこぼしながら歩く母、苦虫噛み潰したような顔でこっちを見ているナグに、テーブルに腰を下ろして、面白そうに手をつくコトシロ。……どっちにしろ、ロクな事じゃねえに決まっている。……それだけは確信できる。
「ナユタ。おまえに、言わんといかん事がある」
仰々しく、母はつんと天を仰ぎながら言った。
「なんだ。絶対ロクな事じゃねえだろ」
「おまえ、今回結婚する事になった」
「……」
結婚???
ケ、ツ、コ、ン……と、驚きのあまり口が順に動いていた。
――想像してたのと違う。
しかし、ケッコンって?
「どこの女と?」
長兄も次兄も、オンナの影さえ見えないのに。なぜまた、三男の自分に突然縁談が?
驚きはしたが、ちょっとばかし興味もある。
もしかして?
どこかの豪族の、少し高飛車な感じの女とかどうだ???
いや、もうちょっとおとなしめで、照れ屋の娘でもいいかも。
いやいや、元気溌剌な、健康的美少女でも!
……。
ゲンキンなもので、思考は勝手にナユタの頭の中に、ハーレムを作り上げた。
ひとりなんて言わない!
それぞれ、いいトコがあるんだもの!ひとりに絞れになんてムリ!
ハーレムの女の子たちに、「ナユタ様の浮気者!」「あたしたちの中で、誰が一番好きなのよ!」……と責められながら。……案外と、どんな状況をもポジティブに乗り切れてしまうナユタだった。
だが。
いくらなんでも、続いて母が口にした答えは。
……どうやってポジティブに作り変えていけばよかったのだろうか。
「女じゃないよ」
母はニッコリと笑って言った。
「男だ」
「……」
クッ、と耐えきれなくなった涙を隠すように、ナグが顔をそむけて手で隠す。
コトシロは噴き出さないよう、ふるふると肩を震わせ、両手で口を塞いでいる。
……。
「は???」
「男じゃ、男。おー、とー、こー」
手でメガホンを作り、母はナユタの耳に執拗に聞かせた。
おーとーこー。
おーとー……。
「はあ゛ッッッ!?」
男オオオっ!?
何?
その女がオトコと言う名前なの??……そんなワケねえ。
「詳しい話はナグに聞け。アタシは説明なんて舌を噛みそうな事、大の苦手じゃもんでのう。とにかく、おまえはオヨメに行く事になったんじゃ」
とにかくって言われてハイそーですかと納得できるワケがない。
「意味が分からん!テメエ鬼女!自分のガキの性別も忘れるほど、モウロクしたか!」
ナユタの反論が終わるか否か。
母の愛の平手打ちがさく裂した。これに耐えるだけの力の無い者が食らっていれば、頭蓋骨がすぽーんと抜けて飛んでいっているトコだっただろう。
さいわい、ナユタは十八年間でつちかった耐性があったので、脳震盪を起こすのみで助かった。
「どうにもまず事情を教えんことには、理解できんらしい。頭の巡りのニブイ子じゃ。……しゃーない、ナグ、説明してやれ。――解りやすくな」
「なんで俺が、母上の悪事の片棒を担ぐような真似を」
ナグはいやそうに顔をしかめたが、この場に自分しか順を追って説明できる人間もいない。母のご乱心とも思える策に手は貸したくないものの、ナユタも今のままじゃ混乱ばかり募ってかわいそう……。
「ふう、まったく……。俺はまだ賛成してるわけじゃないんですがね。……十八年前、ナユタが生まれた時。母上が、つい娘欲しさで、今度生まれたのは娘だと、南のククノチ殿にウソを言ってしまったんだそうだ。――それで、このたび、ククノチ殿から。ぜひあの時の娘を、息子の嫁に欲しいと」
前半は母に、後半はナユタに向き直り。
一通り、今の状況を説明してやった。
――むろんなぜソレで、ナユタ=オヨメ入りなのか全くつながってなかったが。
「バカか!オレが女に見えるか?コレで誰が信じるんだっつーの!娘だなんてよ!」
三人の息子たちの中でも。
ナユタは一番の巨躯を誇り、四字熟語で表すなら筋骨隆々……。少々こずるそうな面相にも女らしさの影もない。お手入れをかかさない顎髭だって自慢の、どこから見たって男!……男ざかり!……にはちょっと青い十八歳である。
「心配はいらん」
母はウンウンと肯きながら。
「可愛らしい服は用意してある」
「そこ!?」
そこじゃねえだろ。
いくらイレモノを可愛らしくしたって!
本体が熊丸出しなんだから!
「おい、デカブツ」
騒いでると、コトシロが傍で膝を折る。
耳元で、こそりとささやいた。
「心配すんな。オフクロだって女で通ってんだ。テメエも着飾りゃアレくれーにはならあ」
ククク、と喉で嗤ってそんな事を。
ナユタは腹立ちまぎれに、言い返す。
「テメエがやれっテメエが!どうせ女にしか見えねーツラしてんだから!!!」
……優男にしか見えないコトシロだが。
実際はタダの狂犬である。
……普段でさえ一方的にボコられるだけなんだから、縛られてる今なら余計になのにね。解ってるんだケドね。言わずにいられないんだよね、それが弟の性分ってヤツなのよね。
「こらっふたりとも、ケンカするんじゃない」
ナグの制止で、コトシロはピタッと手を止める。この兄弟間じゃ、ひとり年の離れたナグがさっさと老成して父親的な立場に立ってしまったので、もっぱらケンカはコトシロとナユタの間でしか起こらない。あとは母の気分しだいの暴力が荒れ狂う事もあるが、これは誰にも止められない。
「なんだ?そんじゃ、初夜はバレねーようにケツで乗り切れってか?」
ケッとやさぐれて言うと、母の愛の平手パート2を喰らわされた。
「母の前でシモの話をすんなッ。……いくらでも、イイワケはできよう。結婚はしてもイイけど、身体は捧げられませんと言え。そうじゃ、おまえはクルクツの山の巫女ってコトにする。巫女は神聖職じゃ。男に身を捧げられん立場じゃ」
根の国に巫女なんか居ていいのかよ……とナユタの思いはよそに、母はすっかり満足。シナリオが完成したようだ。
「とにかくな。今度、ククノチが息子を連れてこの山塞へ滞在しに来る。まずはそれを乗り切るんじゃ。その先のコトはそれから!……解ったな!」
母は言い置いて、奥へと引っ込んでいった。
……冗談じゃねえッ。
万一このまま何かの間違いで、ヨメに出される事になったら……一生巫女を騙って、自分のダンナだとか言う男のトコで暮らさなきゃなんねえっつーのか!
家は出たいと思っていたけど、決してこんな意味じゃナイ!
「兄貴!なんとかしてくれよッ!無茶だろ、こんなの」
普段は過干渉が煩わしい今日この頃……な年かさの兄ではあるけど。
いざという時、一番頼りになるのも、味方になってくれるのもこのナグなのだ。
ナグはふーん、とうなるように喉を鳴らし。
「母上には内密に、ククノチ殿に書でも送るほかないだろうな。……俺に任せておけ、ナユタ。おまえは何も心配する事は無い」
ナグはそう言って、弟の頭をナデナデした。犬の頭を撫でているような手触りで、心地いい。
一方コトシロは、機嫌悪そうに歯を剥いて。
「兄貴もデカブツも。……自意識過剰すぎんだよ!良く考えてみろ。ナユタの女装なんか、吐き気モンだろ!心配しなくても、ククノチに会わせた途端『この話は無かったコトで』でキレイに片付くっつーの!」
「……」
それは、確かにそーかもしれない。
ナユタは納得した。
一番後腐れなく、簡単に解決する方法かもしれない。
可愛らしいムスメさんを想像して、きっとワクワクのドキドキモンでククノチ親子はやって来るハズ。――それで出てきたのが殺人サイボーグのようなオナゴだったら。
……なんらかの理由をつけて、向こうから丁重にお断りいただけるだろう。
「つーか、見たらオトコだってバレんだろ。したら、母ちゃんだけじゃなく、オレまで笑いモンになっちまうじゃねーか」
「それは杞憂だっつってんだろ。――オフクロみてーな(イカツイ)女が実在する以上、向こうも軽々しくテメエを男だなんて口には出せねえんだよ」
わかんねエやつだな、と舌打ちし、コトシロはナユタの頭を軽い音を響かせて打った。
「ただ」
コトシロは続けてそう呟き。――ニッ、と悪だくみの浮かんだ事を隠そうともせず嗤って。
「――その、髭だけはいただけねえなあ?さすがに、どんな逞しい女だって、そんな立派な髭はあっちゃおかしい」
「――は」
いかん!
二番目の兄の目に、凶悪な光を見付けた時にはもう手遅れだった(――と言うか、いつも凶悪に光ってるから……)。
コトシロは足首に隠し持っている短刀を引き抜き、それをナユタの首元にピタッと当てる。
「――動くンじゃねえぜ。手元がズレたらしらねーぞ……」
「や、やめろ!!!」
コトシロは、ナユタの髪の頭頂部を掴み、頭を固定しておいて。短刀のなめらかな白い光を放つ刃の部分を、ナユタの顎に沿わせる。――口の端から紅い舌をのぞかせ、嬉しそうにつり上がった口から興奮気味に息を漏らす姿――変質者以外の何でもナイ。ナユタは首を振って暴れようとするが、無論、威嚇で本当に皮の一枚くらいは切りつけてくれる兄なので。
身じろぎも満足にできず。……ぎゃー、とかうがー、とか。
叫んでいるうちに、キレイさっぱり。――ご自慢の顎髭は、コトシロの手により全て剃り落とされてしまった。
「ヒデエ!ヒデエ!!!オ、オレの存在証明!!!」
髭=アイデンティティの全て。だったらしい。
ナユタは喚いたが、コトシロは全く取りあう気が無い。
「スッキリして良かったなあ。なあっ、兄貴もそう思うだろ?」
「コトシロ、おまえはいつも乱暴だぞ。……ナユタ、そう嘆くな。その姿も充分勇ましいぞ」
「……」
過剰に弟を甘やかすナグに、コトシロはへっと口を歪める。
年の離れた弟だから……で片付けるには少々いきすぎな程、ナグはナユタを溺愛している。それが外見も可愛らしかった幼児の頃ならまだ分かるものの、今や弟ももう根の国では成人……それもナグ以上に逞しく育ち切っている。――いや、正しくはまだ成長中みたいなんだけど……。
「兄貴はいつも、このバカに甘すぎるぞ!」
腹立ちまぎれに桃色の頭をシバくと、またナグにこらこらと咎められる。
一方、ナユタも普段はかまい過ぎのナグをうっとおしがっているくせに。コトシロにイジメられた時だけは、すぐナグの後ろに隠れる。……今はちょっと元気がないけど……。パンツを取られて必死に股を隠そうとしているような。
「ククノチ親子が来るのは三日後だそうだ。二晩泊った後帰路につくそうだから、ここの滞在はほぼ三日間と言うところか。その間の我慢だ。……心配するな、相手の男に手出しさせたりは、絶対しないからな」
「……兄貴……」
そんなコト心配してるんじゃないんですケド……と心で呟き。
家出を未遂に終わらせてしまった事を、また一層深く後悔した――ナユタだった。
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