おててつないで。 1





 「あ、ちょっとストップ!」
何となく眺めているだけだった雑誌を放り出して、急いで携帯を取り出し、写真モードに切り替える。
「ああ?」
ベッドに座ってベースをいじっている修二が面倒くさそうに俺を見る。
「その角度、サイコー。」
修二の手の写真を携帯に保存する。またコレクションが増えた嬉しさで、ついニヤニヤしてしまう。ついでに触ろうと手を伸ばしたら、
「やめろ、変態。」
パシリと手を払われた。
「ケチ。ちょっと触ったっていいじゃん。」
「あのな、俺は練習してんの。見りゃ分かるだろうが。」
 今いるのは幼馴染の修二の家。高校に上がる前に俺の家の近所に引っ越してきたのが修二との出会いだった。修二から言わせれば、最悪だったという第一印象。俺はいいなー、とか羨ましい、とか連呼していきなり修二の手を握ったのだ。今その話をすると、露骨に嫌な顔をされる。あの時ぶん殴ってやれば良かった、とまで。
 俺は手フェチなのだ。というのも小学生の頃、ちょっと憧れていた先生に「ゆずちゃんの手は女の子みたいで可愛いね」と言われ、子供心にショックを受けた。それ以来、どうにも他人の手が気になって仕方が無くなった。
 背が伸びて成長しても、「女の子みたいで可愛い」と言われた手の雰囲気は変わらなくて、やっぱり好きになれなかった。丸みを帯びていて、指もそんなに長くなくて、全体的に小さめ。元々色白なこともあって、いわゆる白魚のような手、と言ってもいいんじゃないかと自分で思う。
 しかも名前も吉野譲という所から、皆に「ゆず」と呼ばれて、それも男らしさからかけ離れていて、ちょっと残念な感じだ。
 トラウマからコンプレックスになって、そのまま手フェチになってしまった。しかも極度の。
 この人は小指がもうちょっと長ければとか、爪の形がもう少し小さければとか、まず初めに気になるのが相手の手になった。
 修二はそんな俺を「変態」だとか「気持ち悪い」だとか罵るくせに、結局かまってくれている。
 そう、修二はいいやつなのだ。
「修二、暇だよ〜。」
「なら帰れ。俺は暇じゃねえ。」
冷たく言い放たれた。ちらりとも視線を向けてくれない。
 大学が始まる前の一番暇な春休み。宿題も無いし、やることも無いし、一人でいるのはつまらない。だからここに入り浸っている。
 拗ねた俺を目にしてか、しょうがねぇな、と言って修二は膝に乗せていたベースをベッドに置いた。
「ゆず、ゲームでもすっか?」
溜息とともにそんな言葉を吐いて、床に座っていた俺の隣に腰を下ろした。ベッドに背中を預けてやる気のない態度だが、ようやくかまってくれる気になったみたいだ。
「やるやる!」
分かった分かった、と言いながらゲームのセットを始めた修二の手を横目に俺はソフトを選んでいた。





 桜の花が満開だ。それ程風も吹いていないのに、はらはらと散ってすごくキレイだ。入学したてでちゃんと分からないから、地図を見ながら学部の歓迎会が行われるという講堂を目指していた。
「コマ、決めた?何か俺、よく分かんないんだけど…。」
溜息交じりに言うと、小馬鹿にした口調で修二が言う。
「何が分かんねえんだよ。ようは必要な単位とって、あとは好きなの決めればいいんだろ?時間被らないようにさ。」
ゆずは鈍臭いからしょうがねえか、なんて独り言のように呟いている。俺はムスッとしながらそっぽを向いた。
 (あ、あの人……)
視線を向けた先に目に入った男の人の髪に花びらが一枚、付いていた。その人は気付いていないみたいで、すたすたと歩いていく。
「おい、ゆず?」
突然小走りに駆け出した俺に修二が声をかけた。
「待ってて。」
軽く言い置いて、俺はその人の方へと近付いていく。
「ちょっといいですか?」
俺はその人に一声かけて、髪に手を伸ばした。桜の花びらをつまんだ瞬間、いきなり手首を掴まれた。
「何だよ。」
威嚇するような低い声。でもそれどころでは無かった。俺は手首を自分の方へ引き寄せて、掴んでいる手を凝視する。
 短く整えられた爪。細めで長い指。中指に光るゴツめの髑髏モチーフの指輪が色の白さを強調しているけれど、決して女っぽい訳じゃない。でも男とか女とか関係無い美しさで……。
 思わず見惚れていた。
「わー……すっごいキレイ………。」
目の前にある、想像を絶する完璧な手。見るな、というのは無理な話だ。
「すみません。」
いきなり目の前が真っ暗になった。
「何だよ〜、見えないじゃんか。」
修二の手が俺の目を覆い隠して、後ろへ引っ張る。顎がのけぞる程強く引き寄せられて苦しい。
「ほんとすみません、こいつ頭弱い子なんで。」
修二は謝りながら失礼なことをさらっと言って、食い入るように見ていた俺をその人から引き剥がした。
「やめろって!」
もがいた所で力で敵うはずもなく、俺はそのままズルズルと修二に引きずられていった。


 歓迎会の間も俺の頭はさっきの手の持ち主に思いを馳せているだけで、ほとんど何も聞いていなかった。
「すげーよ、ほんと。まさに黄金の手ってやつ?」
何度も想像の世界で思い描いていた手。完璧なバランスを持った、理想の手。
「………始まったよ。」
「お前だって見ただろ!あの手、指!!あんな綺麗な手、初めて見たっ!」
興奮冷めやらぬ俺は修二にあの手の素晴らしさを訴える。
「姿形が美しいっての?指の長さのバランスとか、ちょっと細長い爪の形とか、肉が付き過ぎてもいなくて、でもだからと言ってゴツゴツし過ぎてない所とか、もうとにかくサイコー!」
悪い病気が始まったとでも言いたげな目で俺を見てから、諦めたように俺の前でひらひらと手を振って修二が言う。
「はいはい、分かったから。俺の手より良かったか?」
「あーっ、それは難しい!修二のはさ、関節の感じが男らしくていいんだよな。俺の手がこうだったらいいのに、って思う手なんだよ。あの人のはもう全てを超越してて、あの人しか持ち得ない唯一絶対みたいな感じで、あんな手になりたいなんて恐れ多くて言えないっ!」
「お前がそこまで褒めるの、初めてだな。それ程だった、って訳か。でもな、あの人怒ってたぞ、多分。」
「え?そうだった?」
きょとんとした顔で聞き返す俺に修二は呆れた様子で返す。
「あのな、普通あんなことされたらビビるし、気分悪くするっての。すげー美形な兄ちゃんだったけど、めっちゃ怖い顔してたしな。」
ますます凄い。あんなに綺麗な手を持っていて、その上美形だなんて。もう一度、隅から隅まで観察したい。触って、その感触を確かめてみたい。考えただけでワクワクする。
 妄想の世界に浸る俺の耳に修二の溜息は届いてこなかった。




 修二がサークル見学に行くというから、俺もついて行くことにした。
 ベースをやっている修二は音楽系のサークルに興味があるらしい。修二が兄ちゃんのお下がりのベースをもらって音楽をやり始めた時、俺もかじってはみたけれどセンスが無いのか、全く上達する気配が無くてすぐにやめてしまった。それでも修二のおかげで音楽に触れる機会は事の他多くて、聴くのは好きだ。純粋に楽しいと思える。
 それに修二を始めとして、楽器をやる人間の手はたいがい俺の好みだ。短く揃えられた爪だったり、長めの綺麗な指を持ってる人が多いから。俺と修二でコンサートDVDを見たりすると、修二はこのバンドのベースの人のテクニックがいい、とかそういう所に注目しているけれど、俺は演奏している人の手ばかり見ている。
 サークルの人みんなが楽器をやっていて、バンドを組んでいて、というサークルなら俺のいる余地が無いから諦めるけれど、もし軽いノリでいられるようなら、一緒に入ってもいいかな、と思っている。折角の大学生活だし、色々やってみたい。しかも綺麗な手の人に囲まれる確率の高いサークルなんて、俺としては嬉しい限りだ。
 キャンパスの掲示板で見た、No Music No Lifeという音楽サークルに目星をつけて、そこに向かう。
「あのー、見学って出来ますか?」
キャンパスの外れにある、サークル棟の1F、一番奥の部屋。部屋に近付くにつれて、ステレオでもかけているのか、音楽が漏れ聞こえてくる。サークル名がデカデカと書いてあるだけの貼り紙がしてあるドアを見つけて、先を歩いていた修二がそのドアをノックして開けた。
「いらっしゃい、入って入って!」
中へ招き入れてくれたのは化粧っけのあんまりないサバサバした感じの女の人だ。
「私ね、このサークルの部長やってる山本っていうの。」
気さくな笑顔で自己紹介をしてくれた。
(へー、女の人が部長さんなんだ。)
なんて思いながら、軽く会釈をして部屋に入ると、修二が小さく声を上げた。
その声に釣られて思わず顔を上げる。その視線の先にいたのは、ちょっと見ない程の美形の男。ギターを手にして、入ってきた俺たちを見ている。
そのギターのネックを握っている手には見覚えがあった。
「あーっっ!!」
思わず大きな声が出た。見間違えるはずがない。あの手はあの時の…。
「あれ?しののこと、知ってるの?」
山本さんは俺たちと、しのと呼んだ男の人を交互に見て首をかしげる。
「この間会った、俺の理想の人!すげー、また会えるなんて運命感じます!」
俺のテンションのままの告白は皆を圧倒したようで、ぽかんとした顔でサークルの人たちが俺を見ている。
「キャンパスで会ってるんすよ。この間はこいつがすみませんでした。」
修二がぺこりと頭を下げる。
「髪についてた花びら取ったんです。で、思わず見惚れちゃったんですけど…。」
それで思い当たったようで、その人は、ああ、あん時の、と前置きをして
「で、そっちの彼は俺みたいのが好みなの?」
と胡散臭そうな目をして俺を顎でさす。
「あ、あの、いや、そういう訳じゃなくて、目の前にすっごいキレイな手があって、もっと近くで見たいとか思って。俺、手フェチなんですよ。キレイな手の人、大好きなんです!」
「じゃあ、俺の手に惚れたってこと?」
「はい!」
勢い込んで返事をしたら、
「変なヤツ。」
とその人は俺を見て笑った。
その人は篠原智志という、同じ大学の3年生の先輩だった。
この間は手しか目に入っていなかったけど、顔立ちも手に見合って整っている人だった。切れ長の目に通った鼻筋、少し尖った顎。黙っていたら、ちょっとひいてしまいそうな程のクールなイメージなのに、笑うと目尻が下がって、途端に人懐こい雰囲気になる。



「修二君はベースをやってると。んで、ゆずちゃんは何か出来るの?」
簡単な自己紹介タイムがあって、本題ともいうべき音楽の話になった。部長の山本さんが確認するように話を切り出した。
「リコーダーなら自信あります!」
高らかに宣言した俺に
「それ、バンドにいらないから。」
と修二の冷たいツッコミが入る。
「新しい感覚のすごいバンドが出来ちゃうかも知れないじゃん!」
「いや、絶対あり得ねえ。」
俺としては修二とのいつものやり取りだったと思うんだけど、やたらと皆にウケている。
「いいわ〜ゆずちゃん、気に入った!修二君もナイスツッコミ!」
どうやら山本さんには気に入られたらしい。俺の肩をバンバン叩きながら目尻に涙をためて大爆笑している。
 山本さんの担当はドラム。体力勝負のパートだから女の人は少ないはずだけれど、力強くリズムを刻む山本さんの姿は容易に想像がつく。きっと格好いい。

 そして俺の理想の手の持ち主篠原さん、通称しのさんはギターをやっているそうだ。腕前はかなりのものだというのがサークルの皆の評判だ。この綺麗な手がギターを弾くなんて、想像しただけでニヤけてしまう。
 それ以外にも色んな人がいる。バンド活動している人もいれば、好きな音楽やミュージシャンの話が出来る共通の友人を求めている人や、ただこの部屋に何となく来ている人まで。ギターやベースを弄ったり、ドラムスティックでリズムを刻んでいたり、かけている音楽に合わせて歌っていたり、それらをBGM代わりに喋っていたりする。そんな風にいつも何かしらの音楽が溢れている空間が気に入った人が集まっている気楽なサークルなのだと山本さんが話してくれた。
 それぞれが好きなように音楽を楽しむ、というのがこのサークルのモットーらしい。
「こりゃ、将来有望だな。」
ちゃっかり隣に陣取った俺の頭をしのさんが撫でてくれた。あんな告白をした俺を笑って許してくれて、なんて心の広い人だと思う。一見近寄りがたい雰囲気を持っているのに、意外とざっくばらんでよく笑う人だ。
 しのさんの手が見られるだけじゃなくて触れてくれる、こんな役得があって、サークルの雰囲気も良い。修二も堅苦しくない所が気に入ったみたいで、俺たちはその日の内に入ることを決めた。