血液型コンプレックス
A型 愛野祐樹編


 A型って言うのは、几帳面だとか言われているけど、例外もある。A型ってだけで「几帳面なんでしょー」とか言われると非常に腹が立ち、全然几帳面だとは思っていないのに「やっぱり几帳面だね」と言われたりすると、怒りは最高潮に達する。几帳面じゃなくて、ちょっと細かいだけだっつーのに、几帳面と言われただけでバカにされたような気がするんだ。
 それこそ、神経質とか言われるから、もっともっと苛立ってきて、A型ってだけで非常にコンプレックスを抱えていた。
 仕事でもそう。ちょっとみんながチャレンジ精神を見せると、俺は「……もう少し練ったほうが良いのでは?」と聞いてしまう。すると「慎重だねぇ」と苦笑い、半笑いで言われ、俺はぐっと黙ることしか出来なかった。どうして、A型でなんか生まれてしまったんだろう。アメリカでは血液型占いなんて信じないって言うのに、一人が右と言えば全員が右に従ってしまう日本では、A型が几帳面と誰かが言い始めたらA型は几帳面って言うのが浸透してしまった。
 両親共にA型で、A型以外生まれる可能性がなかった俺は、天性のA型で、几帳面なのも慎重なのも仕方ないって訳だ。
「愛野くぅん。ちょっと、暇?」
 そう話し掛けて来たのは、「血液型? 俺? 大雑把なO型」と自称他称共におおらかで大雑把な大野だった。大野は俺より1個年上だけど、同じ年に入社したから仲は良い。年の差を感じさせないぐらい砕けていて、人見知りしやすい俺でも、大野だけはすぐに打ち解けることが出来た。
「……ん、これ終わったら、暇だけど。どうした?」
 俺の隣に座って、画面を見つめている大野は「やっぱり、愛野は凄いな」と微笑まれる。何が凄いのか良く分からない俺は、首を傾げて大野を見る。
「これ、会議の資料だろ? すげぇ分かりやすい。お前がしっかりプラン立ててくれるから、俺たちも説明しやすいよ」
 笑いながらそういう言葉は、魔法のようで俺の心に安らぎを与えてくれた。資料作成は俺の仕事のうちの一つで、それを会議にかけるとき、営業をしている大野が説明をしてくれる。出来るだけ、この商品の良さを知って欲しいと思って作っているけれど、中には「細かすぎる」と言って嫌そうな顔をする奴だっていた。
 それなのに、大野は、凄いと褒めてくれる。俺の存在を認めてくれているようで、嬉しくなった。
「あと、ちょっとで終わる。で、用は何?」
 せっかく、大野が優しくしてくれていると言うのに、俺は冷たくあしらってしまう。こんなことしたら、大野に嫌われてしまうかもしれないのに、仲良くしてもらおうと思えば思うほど、思っていないことを口走ってしまうんだ。
 こんな俺、やっぱり嫌いだ。
「今日、飲みにいかね? 給料入ったし」
「……えー」
 大野と飲みに行くとろくなことがない。大野は会社でも人望が厚く、仲間意識があるから、どっかで誰かとばったり会ったりしちゃうと、そいつらを巻き込んでみんなで飲もうとする。すると俺は一人ぽつんと、ビールジョッキを抱えて人の話を聞いてるだけだ。
 非常に、つまらない。
「奢ってやるからさぁ」
「……えぇー」
「俺の家さ。土鍋買ったんだよ。だから、俺んちで鍋しようぜ?」
 俺んちと言う言葉に少し心が打たれ、それなら誰も来ないだろうなとちょっとだけ安心してしまい、俺は1回頷いた。すると大野は「やったー! 何鍋が良いか、考えとけよ」と俺の頭をぽんと叩いて、椅子から立ち上がった。大野の家に行くのは初めてだし、どんな家なのか少し気になる。それが俺の気持ちを高揚させて、何にしようかネットで調べたりしてみて、浮かれている自分を客観的に見て「キモイ」と思った。
 前もって調べたり、そんなことをするから几帳面だと言われるのではないか。そう思ったら、マウスを持っている手が動かなくなって、ウィンドウを閉じた。そろそろ終業だし、言いだしっぺは大野なんだ。ある程度は考えているだろう。
 そんなことを考えながら、資料を印刷し、人数分きっちりと冊子にしてから、営業に資料を配っていく。
「……ありがとう」
 課長の相葉さんは俺の手から資料を受け取ると、冷たい目で俺を見て、そう礼を言う。俺以上にそっけない人で、話しかけるだけでもびくびくしてしまうけれど、仕事も出来る凄い人なんだ。
 人数分資料を配ったはずなのに、一人分だけ足らず、手元にない資料のことを考えていると、遠くにいた1年先輩の坂東君が「愛野! 資料一冊ココに忘れてんぞ」と、叫んだ。忘れてしまっていたのかと思い、坂東君のところへ行くと「忘れんなよ」と言われ、少し凹んでしまう。俺はこの坂東君が少し苦手だ。
 カッコイイと言うより、全てのパーツが整っている美男で、気も強く言いたいことはズバズバと言う。言い方もきついし、言ってることは合ってるんだけど、マイペース過ぎてついていけない。
「坂東ー。愛野を、苛めんなよ〜」
「うぜぇ、大野。苛めてねぇし」
 大野は俺の肩をぐっと掴んで少し坂東君から離すと、「これ、俺の分だよな」と言って坂東君の手から資料を奪い取った。大野には配ったはずなのに、どうしてなんだろうと大野を見上げると、大野は「しっ」と鼻に手を当てて黙ってろと言うポーズを俺に見せた。
「いちゃこいてんなよ、キショイ。お前ら、すげぇキショイ」
 肩を掴んでいる大野に向かって坂東君が毒を吐く。この場に居づらくなって、大野の手を振りほどこうと思ったけれど、大野ががっしりと掴んでしまって離すことが出来なかった。
「キショくたっていいよ」
 大野はにっこりと笑って坂東君にそう言った。それを見た坂東君が「やっぱり、お前、大嫌い」と言ってこの場から居なくなった。人望も厚くて、みんなと仲が良い大野を嫌いと言うのは坂東君しかいなくて、どうしてそんなことを言うのは俺には理解できなかった。
「坂東のことはほっとこ」
 坂東君が行った先を見つめていると、大野君はポンと俺の肩を叩いてそう笑う。
「……うん」
「坂東のことよりさ、今日の鍋、何が良いか決まった?」
 先ほどのやり取りなど全く気にしていない様子で、大野は俺を見ていた。普通、大嫌いとか言われたら凹んだりするはずなのに、大野はそんなの一切見せないで俺に笑顔を向けている。そう言えば、大野はいつも笑っていて、笑っているイメージしかない。それって、凄いことだと思う。俺が大嫌いとか言われたら、絶対凹む。
「……いや、まだ決まってない」
「愛野が好きな鍋で良いよ。適当に調べておいてよ」
 大野は笑いながらそう言うと、俺の頭をポンと叩いて自分のデスクへと戻っていった。適当に調べて……、良いのか。なんか俺のしていることを大野が認めてくれているようで、嬉しくなる。常にコンプレックスに思っていたことを、大野が認めてくれるんだ。
 心が温かくなる。
 俺の仕事も終わってしまったし、終業まで20分ほどあるから、さっき調べてたページを履歴から引っ張り出して、何にしようかちゃんと調べることにした。

 仕事が終わるなりに大野は俺の席までやってきて、「ほらほら、行くぞ」と腕を引っ張って無理やり立たせると、猛ダッシュで会社を出て行った。急がなくても、まだ5時半だって言うのに大野は「早くしないと売り切れる」とぼやきながら、駅まで小走りだった。それに合わすように俺も小走りで、大野に腕を引っ張られる。俺よりも5センチ以上背の高い大野に腕を引っ張られていると、小走りどころではなくマジ走りになってしまうから、駅に着いた時は息を切らしていた。
「お、大野っ……、速い……」
「あ、ごめん。俺と愛野じゃ、足の長さが違うもんな」
「……うるさい!」
 からかう大野に、俺は小さい声で怒鳴る。地味に気にしていたことをズバズバ言うところは、ちょっと坂東君みたいで意地悪してるように見えた。けど、こんな風に、俺をからかうのも大野だけだから心地よさがあった。
 やってきた快速列車は込み合っていて、無理やり乗り込んだは良いけれど、人の多さに圧倒されてしまった。会社から家が近い俺は、いつも徒歩で出勤していて、電車の混み具合をあまり知らない。学生の時は電車通学だったから、ある程度のラッシュは経験しているけれど、ラッシュが嫌いだった俺は数十分早く出て普通列車に乗っていた。だから、快速がこんなに混むなんて拷問も良いところだ。
 押しつぶされ、人の匂いが鼻を突いて、気持ち悪くなる。冬から春になりかけているこの頃、コートは必須だけれど、着こんでいると暑く、汗をかくことがある。俺の真横にいるおっさんが、臭すぎてたまらない。
 こんな電車に毎日乗っている大野は凄いと思った。俺なら、耐えれなくて普通に乗っている。
「……愛野、こっち」
 後ろから腕を引かれて、大野が場所を変わってくれた。やはり、ラッシュの電車に乗り慣れているせいか、大野はドアの近くを分捕っていて、そこはほんの少しだけゆったりしていた。壁際に押し付けられて、俺はほっとしたように息を吐いた。
「吐きそうな顔してる。大丈夫か?」
 俺の前髪に手を伸ばし、髪の毛を掬うような仕草を見せた時、心臓が飛び跳ねた。それが顔に出てしまいそうだったから、俯いて「だ、大丈夫だよっ!」と答えて、下を見つめていた。髪の毛を触られただけだって言うのに、凄くドキドキしてしまった。この踊るような感情は何なんだろう。分からない。大野だけが、俺の特別で、これがどう言うことなのか、頭の中で処理しきれない。
「ん、そっか。大丈夫ならいいや。もうすぐ着くから、我慢しろよ」
 優しい声が聞こえても、俺は顔をあげることが出来なかった。ドキドキした心臓が、血流を巡らせて、顔まで赤くなってしまっていた。こんなの、恋した高校生みたいじゃないか。恥ずかしい……。
 2、3駅通過し、次の駅に到着した時、大野は俺の腕を引っ張って電車を降りた。快速列車で15分ほど走っただけだが、会社の周りとはがらりと変わっていた。田舎と言うより、ベッドタウンと言う表現が一番だった。住宅がいっぱいあって、夕方のせいか、温かく見えた。
「スーパー寄ってくから、こっちな」
 大野は俺の腕を引っ張って歩き始めた。大通りに面したところには、スーパーやドラッグストアなどがあって、生活するには便利そうな街だ。通り過ぎる人たちは楽しそうに会話をしていたり、携帯で電話をしていたり、みんな笑顔で、見ている俺まで笑顔になりそうだった。
「で、愛野は、何にするか決まった?」
「……んー、色々調べたんだけど、水炊きが一番かな? って。何でもかけれるし、好き嫌いないし」
「愛野が食べたいので良かったのに」
 大野はそう呟いて、籠を持つとスーパーの中を歩き始めた。俺が好きなので良かったと大野は言うけれど、選んだ鍋が大野はあまり好きじゃ無かったりしたらどうしようと思って、水炊きしか選べなかった。もっと、嫌いな物とか聞いておけばよかったと思い、少しだけ凹んだ。一度凹み始めると、どん底まで凹んでしまう俺は、俯いてトボトボと大野の後ろを歩いていた。
 凹んだのを表に出しちゃいけないってわかっているんだけど、凹み始めたら止まらなくなってしまう。こんなんじゃダメだって分かっているけど、これもA型の性格なんだろうか。凹み始めたら止まらなくなってしまう。大野の後ろを下向きながら歩いていると、ドンとその背中にぶつかった。
「あたっ……」
 思いっきり鼻をぶつけてしまった俺は、鼻をこすりながら大野を見上げる。大野は「やっと、上見た」と、俺に微笑みかけてくれた。俺がどんな表情をしているか、気にかけてくれていたなんて……。大野が人に好かれる理由が分かった。こうやって、誰かが困っているときに必ず手を差し伸べてくれるし、人のことを凄い見てくれているからだ。友達も多いし、上司とか部下からの信頼も厚い。
 だからこそ、坂東君が大野のことを大嫌いと言う理由が分からなかった。大野を嫌う人なんて、本当に世の中には一人もいないんじゃないのかって思う。
 ある程度、鍋の具を買って、俺はやっと大野の家に行くことになった。灰色でコンクリートがむき出しのマンションは、冷たい感じがする。大野には少し似合わないなって思った。
「ここが、俺の住んでるマンション。家賃、結構安いんだ」
「……へぇ」
 大野のイメージとは合わないとは言えずに、俺はマンションの中に入った。エレベーターに乗り、大野は4階のボタンを押す。ガタンと大きく揺れて、エレベーターは上昇して行く。起動音が大きく、大丈夫なのかと疑ってしまうエレベーターは、4階に到着し、扉が開いた。大野は慣れているのか、大きく揺れたエレベーターに乗っていても普通な顔で廊下を歩き始める。その後ろを、俺はちょこちょこと付いて行った。
 奥から二番目の部屋。402と札が付いている前で止まって、大野はポケットから鍵を取りだした。遂に、俺は大野の家に入ることになるのか。どんな部屋なのだろうかと想像し、拳を握った。
「部屋、綺麗じゃないよ」
「みんな、そう言うよ」
 この言葉は、お世辞なのかと思っていた。部屋、綺麗だからと言って家に入れる人なんていない。そう思って、開いた扉の奥を見て、俺は驚愕した。
 汚いとか、綺麗とか。そんなレベルじゃない。
「……………………大野、この家の住民?」
「だから、言っただろ。綺麗じゃないって」
 綺麗じゃないって言うより、物が無い。がらんとしているその部屋は、引っ越したばっかりなのでは? と疑うぐらい何も無く、玄関だって、棚に靴箱が並べられているだけで、何も置かれていない。
「とりあえず、あがって」
「お邪魔します」
 あがると、見えなかった部分にちょっと物が置かれている。けど、食器とかそんなものは見る限り見当たらず、部屋の奥へ行くとテーブルの上に土鍋とガスコンロが置かれていた。そこに、小さい皿と割り箸が置かれていた。
「愛野を誘おうと思って、昨日から準備してたんだぜ? 俺、超準備良いだろ?」
 自慢げに俺を見る大野に、俺は「……そんなの当たり前だろ」と思ってもいないことを口走ってしまった。ああ、こんなこと言っちゃダメだって分かっているのに、どうしても俺は素直になれない。大野にだけ、素直になれない。
「さ、食材切ろうぜ。まな板と包丁ぐらいはあるから」
「……無かったらどうやって切るんだよ」
 鍋をやろうと誘った張本人が、鍋も包丁も無いなんて言ったら、俺はどうしていただろうか。手で野菜をちぎる? そんなこと出来るわけない。大野はスーツの上着を脱いで、シャツを捲って、スーパーの袋をキッチンまで運んで行った。具を切るなら俺も手伝った方が良いよなと思い、スーツの上着を脱ぎ、キッチンまで行った。
「手伝おうか?」
「……ん、手伝って。俺、包丁とか使ったことないし」
「……………………は!?」
 包丁を持っている大野を見て、俺は目を見開いた。包丁使ったことない奴が、どうして一人暮らしをしているんだろうか。まず、そこから疑問に思い、包丁の握り方だってなっていなかった。これじゃぁ、見ている俺が一番ドキドキハラハラさせられる。大野の手から包丁を受け取り、白菜から切り始めた。
 トントントンと切っているのを、真横で大野が見つめている。見られてると緊張するなと、大野に目をやると「ん?」と尋ねてくるだけで、退こうとはしない。切り終わった食材を、ざるに入れたりしてくれてる辺り、大野は手伝ってくれているんだろう。さっきから、大野が近くにいるだけで、心臓が跳ねる。やばい、凄く緊張してきた。
「手際良いなぁ。ご飯作ったりしてんの?」
「……うん。ちょっとぐらいなら出来るよ」
「へぇー。じゃぁ、今度、俺にご飯作ってよ」
 その一言に動揺した俺は、ねぎを切っていると言うのに、ねぎを支えていた自分の指を思いっきり切ってしまった。
「いたっ!」
「……あ!」
 全てがスローモーションのようだ。包丁を離して、人差し指を口に持って行こうとする前に、大野に手を取られた。何をするのかとそれを見つめていると、大野は俺の指を口に持っていって、ちゅっと吸い始める。最高に心臓が飛び跳ねて、俺は俯くしかなかった。ズボンのすそを握りしめて、早く終われと頭の中で呪文を唱える。
「消毒。良かった、そんなに深く切れてない」
 やっと時間が通常通りに動き始めて、俺は大野の手を振り払った。
「お、大げさなんだよ!」
 過剰に反応した俺を見て、大野は「あはは」と楽しそうに笑った。どうして、そんなに笑顔で居られるんだろうか。不思議な気分になった。俺は、大野といるだけで、こんなにドキドキしてしまうと言うのに。
 鍋に水を張って、昆布を入れ、30分ほど置いてから豚肉などを入れて鍋に火を付けた。その間、特に会話と言う会話はせずに、大野はテレビを見てゲラゲラと笑っていた。具が入って蓋を閉めて、グラスと冷やしたビールを持ってくると「お、悪いね!」と大野は悪びれも無く俺にそう言った。いつの間にか、俺が全部動いてる気がするけど、それはあんまり気にしないことにした。
 どっちかって言うと、大野と二人きりの方が、気まずい。
 大野が誰かを呼べば、それを嫌だと言い、大野と二人っきりになったら今度は気まずいと言う。俺はなんて優柔不断な人間なんだ。二人っきりで居られるのは嬉しいのに、それを表に出すことも出来ないし、喜ぶことも出来ない。一体、自分が何をしたいのか分からなくなって、イライラした。
「鍋、まだだろ? 先に乾杯しようぜ」
 テレビから視線を俺に向けて、大野は缶ビールを開けた。コップに注いでいるのを見て、俺も遅れるように「うん」と返事をして、コップにビールを注いだ。
「じゃー、今週、仕事頑張ったってことでかんぱーい」
「……フリーセルやりまくってたくせに良く言うよ」
「それ言うな!」
 今週、大野たちはあまり仕事が無かったようで、みんな暇そうにしていた。俺の席から大野が何をしているのか良く見えるから、楽しそうにフリーセルをやっていたのは知っている。ポソッと言うと、大野はゲラゲラと笑って俺のコップに自分のコップを当てて、ビールを飲み始めた。
 大野は良く飲むし、良く食べる。それゆえに、体格も結構よくて、スーツが似合う。それに比べて俺は、あまり飲まないし、あまり食べないから、背も低いし貧相に見える。正直、後ろ姿だけだったら女と間違えられることもしばしばあった。そんな自分が、俺は嫌いだ。
 楽しい時間は楽しまなければいけない。感情を誤魔化すように、グツグツと煮立っている土鍋の蓋を開けると、一気に蒸気が天井に伸びた。
「おー、美味そう。じゃぁ、頂きます」
 大野は鍋を覗きこんで、湯だっている具を見て楽しそうに笑う。
「頂きます」
 俺もその笑顔に合わせるように笑って、箸を手に取った。大野は小皿に白菜や肉などを大量に取っていく。良く食べるなと感心しながら、俺も具を取っていると「愛野は少食だよなぁ」と大野が呟きを洩らした。
「……まぁ、そうかも。あんまり食えない」
「確かにほっそいもんなぁ。いっぱい食わなきゃダメだぜ」
「分かってるって」
 昔からいっぱい食べないとダメだと言われていたけど、胃が小さいのかすぐおなかいっぱいになってしまう。一回、吐くほど食べさせられたことを思い出して、気持ち悪くなってしまった。
 ご飯食べてる時に気持ち悪い顔なんて出来ない。そう思った俺は、すぐに話を切り変えようと思って、咄嗟に出てきたのが坂東君のことだった。
「大野と、坂東君って仲、悪いの?」
 坂東君の名前を出すと、大野の箸が一瞬止まった。
「仲、悪いって言うかさ。幼馴染になんだよ、アイツと」
「……え!? ウソ」
「ほんとほんと。両親がさ、仲良くて。実は、アイツと俺、同い年なんだぜ? だから、アイツの方が入社1年早いんだよ」
 なんか、二人が言い合いしている理由が分かってしまった。幼馴染なら、昔から知っているから言いたいことだって言える。あのケンカは仲が悪くてケンカしているのでは無くて、仲が良いから言い合えることが出来るんだ。ズキンと胸の中心が痛くなる。なんだ、これは。病気か……?
「でも、俺達、昔からすげー仲悪くて。昔、良く、アイツに泣かされたなぁ」
「え……!? そうなの?」
「幼馴染だからって、仲が良いとは限らないだろ? 俺も泣き虫でさ、アイツに何かされるとすぐ泣いちゃってたんだけどさ。すっげー悔しくて。ほら、アイツ、あの顔のままおっきくなったようなもんだからさ、昔から綺麗な顔してたんだよ。顔とかじゃ、勝てないから。せめて体格ぐらいは大きくなってやろうかなって思って、牛乳いっぱい飲んだり、肉いっぱい食ったりしてたんだよなぁ。そしたら、おっきくなれたと」
 大きくなれたと言うが、大野は別に太っているわけではない。坂東君の気の強さは、昔からだったんだ。それに負けたくないからって、いっぱい食べてたなんて大野も結構凄い。
「そうなんだ……」
「だから、まぁ、腐れ縁みたいなもんだろ? 今でも、飲みに行くぐらいはするけど」
 大野と坂東君が飲みに行ってるなんて知らなかった俺は、箸が完全に止まってしまった。知りたかったわけじゃないし、大野のことを詮索するつもりはない。けれど、飲みに行ったりするなら、それって仲が良いことじゃないか。大嫌いだとか、仲悪いとか言いながらも、二人には昔からの縁があるんだ。それが羨ましい……。
「で----……」
 大野が何かを言おうとしたとき、ピリリリと携帯が鳴った。大野の隣に置いてある携帯が、ピコピコと光っていて、大野はその携帯を手に取り「ごめん」と言ってから通話ボタンを押した。
「もっしもーし……。おー、久しぶり。……うん、へぇ……。あ、マジで!? 今さー、会社の奴が家にいんだよ……。うん、うん、あーあー」
 電話をしている最中、大野はちらっと俺を見る。遊びに誘われているのか何だか知らないけど、俺が居るのに家になんか呼ばないよな、とほんの少しの希望を抱き、俺は大野を見ずに皿の中に残っている白菜を口に入れた。その時、俺の希望が完全に断たれた。
「うん。じゃぁ、俺んち来いよ。おー、おー。ダイジョブ、ダイジョブ。鍋だからさ。自分らで具かなんか買って来いよ。あとビールもな。おー、じゃぁね」
 プチと携帯の電源を切った大野を見て、俺は皿と箸を置いた。別にここは大野の家だから、誰を呼ぼうが止める必要なんてない。誰かを呼ばれるのがイヤなら、俺が出て行けば良い話だ。大野の友達なんか、俺は知らない人だし、きっと来たって俺は喋れないだろう。
「今から高校んときの友達がさ----……」
「帰る」
「……え」
 立ちあがってスーツの上着を掴むと、大野は「え、あ、どうしたんだよ!?」と焦って、俺を見上げていた。ダメだ、なんか知らないけど泣きそうだ。俺にとって大野は特別だけど、大野にとって俺は友達の一人にしか過ぎない。
 それを目の当たりにして、悲しくなった。
「友達来るんだろ? 帰る。俺、居てもしょうがないし」
「んなことないって!! 待てよ」
「嫌だ」
 大野の制止を振り切って、俺は家を飛び出した。スーツの上着を持って、階段を駆け降りる。走っている最中に流れてきた涙は、どう言う意味なのか自分でも気付かずに、俺は駅まで走っていた。時間も遅くなり、終電間際の駅は、もう下りの電車しかなくて、俺はタクシーで帰るしかなかった。
 そこで俺は大野の家にカバンを忘れてしまったことを思い出した。啖呵切って出てきてしまっただけに、大野の家に戻ることはできない。家に帰ることも出来ない。会社からここまで快速電車で15分。歩いたら1時間ぐらいか。今日は金曜日だし、明日明後日と休みなんだからどうにかなるだろうと思って、俺は自分の家に向かって歩き始めた。
 流れてくる涙は止まらず、なんで泣いているんだろうかと考えてみることにした。駅の近くにあった公園に入り、ブランコを漕いで自分の気持ちに整理を付ける。
 今まで、友達を連れて来たって、帰ろうと思ったことはなかった。嫌だなと思ったことは何度もあったけど、飛びだしたことなんて無かった。
 今日、大野の家に連れてってもらって、かなり嬉しかった。嬉しかったけど、嬉しさを表に出すことが出来なくて、ちょっと悔しかった。大野はいつでも笑顔で、俺が何を言おうが笑顔で受け止めてくれていた。
 その優しさが、心に染みたんだ。ちゃんと俺を見てくれているようで、嬉しくなった。大野は俺のことを几帳面のA型なんて言ったことないし、A型だから神経質とか慎重とも言ったことが無い。血液型で俺を判断しなかった大野に、俺は惹かれていたのかもしれない。
 だから、坂東君と幼馴染と聞いて、羨ましくなった。仲が悪いと言ったのに、二人で飲みに行くなんて、本当は仲が良いのでは。特別な存在なのでは。と思ってしまった。
 大野にとっての特別は、坂東君なんじゃないのかと……。
 そう思ったら、もっと泣けてきて、ぽたぽたと地面に涙が流れた。こんなに胸が苦しくなって、悲しくなる気持ちは、恋をしているからなんだろうか。
 こんな苦しい恋、俺は要らない。
 どうせ、男同士なのだから実らなかっただろう。大野には彼女が居たことだってあるし、女性社員からも良くモテる。俺は同僚で、ただの友達なんだから。
 諦めてしまった方が、楽だ。
「愛野!!!」
 公園の入り口から、大野の声がして俺は顔をあげた。入り口に居るのは、スーツの上着も着ないで、シャツを捲り上げたままの大野が立っている。こんな顔を見られたくなくて、俺は立ちあがった。
「待て!! 逃げんな!」
 逃げようとしているのがバレていたようで、大野が全力疾走で俺を追いかけてきた。背の高さも体力も完全に大野の方が上だから、俺が必死に逃げようとしてもすぐに捕まってしまった。
「……駅に居ないから、すげぇ心配した。カバンも持たないで、電車もタクシーにも乗れるわけないから、歩いて帰ったのかと思って……。良かった、ここに居て」
 腕を引っ張られて、抱きしめられた。走ったせいか、大野は少し汗ばんでいたけれど気持ち悪いと思うことはなかった。暖かくて、やっぱり心地いい。
「ごめんな」
 大野は泣いている俺の涙を親指で拭って、いつもみたいに優しい笑顔を向けた。けれど、その笑顔は少しだけ苦しそうで、見ている俺まで苦しくなった。そんな顔をさせたくなかった。俺が大人しくあの場に居れば、大野はこんな顔しなかったかもしれない。
「何か、あの後、坂東から電話かかってきて、すげー怒鳴られた。高校の友達が、坂東にも声をかけたみたいでさ。愛野と一緒に居るのに、何でお前は他の奴まで誘うんだって。この欲張り野郎って……」
「……そうなんだ」
 高校の友達までも坂東君に繋がっているなんて、知らなかった。ああ、俺、かなりショック受けてる。坂東君の名前が出るたびに、変な嫉妬をしてしまっている。
「そっからさ、すげぇのアイツ。クソ野郎から始まって、こんなバカにクソが可哀想だとか怒鳴り始めて。バカすぎて、相手している愛野がすげぇって褒めてた。……あれ、褒めてたってなるんだよな」
「知るかよ!! ……そんなに坂東君がいいなら坂東君のことろに行けばいいだろ。……俺のことなんか、追ってくるなよっ……!!」
 坂東君の話ばっかりする大野にイラついて、八つ当たりしてしまう。大野の口から坂東君の名前なんて聞きたくない。何もかもが嫌で、大野の腕から逃れようとしたら、強く抱きしめられて逃げることが出来なかった。
「まぁ、話聞けよ。愛野が嫌いな坂東の話なんだけどさ」
「き、嫌いなんて言ってない!!」
「好きじゃないだろ? 顔見てたら分かる。アイツ、言いたいこと言いまくるし、気が強いし。典型的なB型だから許してやって」
 ポンと頭を叩かれて、俺は抵抗するのをやめた。大野が血液型の話をするのは初めてのことで、かなり意外だった。
「愛野のことをどう思ってんだって問い詰められてさ。あぁ、そうだったって気付いたんだ」
 大野は俺の前髪を掻きあげて、ぐっと顔を上に上げる。

「俺、愛野のこと、めちゃくちゃ好きなんだ。二人っきりで居ると、絶対変なことしちゃうって思ったから、いつもみんなを呼んじゃうんだよ」

 変な奴だと思った。
 俺を家に呼んだくせに、変なことをしちゃうから他の奴呼ぶって、それなら最初から家に呼んだりするなよって思った。けど、<好き>と言う言葉が胸に響いて、涙があふれてくる。
 嬉し涙と言うのはこのことか。
「今日、告白しようと思ってたけど、愛野に嫌われるの嫌で告白できなかった。…………泣かすつもり、無かったんだ。ごめんな」
 大野は俺の目元を親指で拭うと、俺が好きなあの優しい笑みを向けた。この笑顔が好きだ。俺を俺自身で見てくれる、大野が好きだ。
「……俺も、好きだ」
 漏れるような小さい声で言うと、抱きしめる力が強くなった。
「ありがとう」
 耳元でそんな声がして、顔をあげると、ゆっくり唇が合わさった。



一般論ですよ!笑 
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