代理戦争/最下層街編/起・導入/1


嫌な話だが、昔から争いは堪えたためしがない。
ある人間はこう言った。「ゴメンで済めば警察は要らない」と。
その言葉から察するなら、争いが鎮まるには謝罪ではなく国家権力が必要らしい。
一方で、ある人間はこう言った。「戦争は無くならない」と。
その言葉の通り、『世界平和』を謳って様々な武装解除・国交正常化への条約を各国が網目のように締結させた人類は、
平和の誓いが唱え終わらないうちにすぐ戦争を復活させた。
凍結されていた兵機開発の研究が再開された。
閉鎖されていた軍事施設が(なぜか、永遠の閉鎖が決定していたはずなのに)素早く稼動した。
不安が広がり、お互いに武装の照準を合わせるころになって発動した国際的平和組織の連合武力は、
秩序の回復を願って銃弾を放った。

その銃弾のひとつが非戦闘員に当たって大問題となったが、
加盟国が組織への不審を示すためにとった態度は最早言論による非難ではなく、
銃口を向けながら遠ざかっていく、何よりも雄弁に時代の変遷を物語る態度だった。

銃口の交差が、論理的かつ非暴力的意図を持って描かれた国際協力の『円』を内部から断ち切った。
時代は変わる。武力で物語る時代は終わった。国際平和の時代がやってきた。
――そして、終わった。それが十と十前後の数を掛け合わせた年数分、前の事。

さらに時代は変わる。今度は、平和の方向へ。補償やその他の複雑な問題はさておき、とりあえず戦争は再び終結した。
だが、個々の国に最早治安を維持するだけの力は残されていない。
残された『円』の破片。
迷走する政策。日々の糧もままならない人々。結果、生き延びたものたち同士が争うようになった。
取り押さえる警察組織は軍法会議で罪に問われ、代替組織はないに等しい。
瓦礫に築かれた無法の小国で、人間は資源をめぐって対立した。それが十と片手で数えられる数をかけた年数分、前の事。

そして現代。争いに疲れた人々は、警察がなくても問題を解決する方法を編み出した。
巡り巡って、元の場所へと、ずいぶんと遠回りしてやっと回帰した原始的な方法。
もとの秩序と言う『円』が再び保たれる為の、長い長い試行錯誤の帰結点。それが。



代理戦争/最下層街編/起・導入



国家間の長い争いが終わり、人々も立ち上がる鋭気を養い、都市再生計画が十数年前遂にスタートした。
復興は都市の中央――官僚や身分の高いものが住む場所――から始まり、裾野に広がるように進行している。
中央街ではすでに高層ビルと言えるくらいの立派な建造物が立ち並び、
それを取り囲む中層街でも、いまだ空き地やバラックが皆無ではないが、それなりに町並みができてきている。
しかし、見捨てられたかのように風景の変わらない場所……いや、地帯がある。
それが最下層街と呼ばれる、廃墟群の正体。或いは、秩序そのものである中央街を取り囲む無秩序の『円』。

元々この辺りは治安が悪い。といっても、それは繁華街ゆえ、逃れようのない宿命のようなものだった。
しかし一帯が戦火に焼かれ、焦土と瓦礫と廃墟に成り果てると一気に故郷をなくした人々が雪崩込んだ。
大人数が誰のものでもない場所にひしめいていれば、おのずと諍いも起こる。
それにもともと繁華街を拠点としていた組織やならず者が絡み、事態は一時期最悪に複雑化した。

しかし現在では争いの解決方法が定められ、むやみに自己主張しなければ何とか生きていける程度の治安は得られた。
ではどう変わったのか。
それは、貴方がこの店に入ればわかる事だ。

店に入ると、五感は酒の匂い、歓声、少し篭った熱気、そして大勢の気配で埋まる。
薄暗い照明の店内では、手前がバー、そして奥で何かイベントが行われているらしい。
進み、背伸びをして中心を覗くと、入店した者はきっと驚くだろう。
そこでは、男が男に、公然と犯されかけていたのだから。

正に格闘技のリングとしか言いようの無いものの上で、行為は行われていた。
背が高く、体に厚みのあるガラの悪い男が、細い青年を床に押しつけて笑っている。
青年は悲鳴を上げながら逃れようと腕を突っ張り、体をよじるが、
男は格闘技に精通しているらしく、難なく押さえつけている。
青年は既に何回も殴られた後らしく、体に痣が浮きリングに血がこびりついている。
その血のりを拭くように青年はもがく。
だが男はそれを嘲笑う。おもむろに手を伸ばすと、青年の服を引っぺがしにかかる。
青年の服は動きやすいようにか、比較的軽装だ。
一枚剥ぎ取ると、下のTシャツが見える。もう一枚剥ぐと、下着が現れた。
青年は半狂乱になって抵抗するが男はもう一枚剥いだ。
その下は素肌だった。
男が笑いを激しくした。
観客が吼えた。「やれ、もっとやれ!」「なにやってる!」の2通りに。

観客のうち、男を応援している側と青年を応援する側に分かれることはあたり前だ。
だが、単なる格闘技の興行以上の意味が、ここで行われる試合にはある。
――それが、争いの解決方法。『代理戦争』の存在理由。


青年にはほとんどあらわになった上半身と、ずりおろされた下半身を
隠すだけの余裕など無い。不自由で痛む身体で暴れ、男の拘束を解こうともがく。
だが男は余裕をもってそれを背中に馬乗りになることで押さえつけ、
逆に青年の髪―染められ、それなりに手入れされた髪だ―をつかみ、顔を上げさせる。
そしてそのまま、リングに数回叩き付ける。
「うっ、ぅぐッ!…ふぐっ…ぅ」
再び男が青年の顔を観客に見せ付けたとき、鼻血と唇からの出血がそれを汚していた。
男の方に賭けていた観客から歓声が沸き起こる。
「ぁ、ア…う…や、やめ」
青年を応援していた客からは罵声や野次が飛び始めるが、それを気にする余裕など無い。
青年は怯えきっている。
「…ゃ、め、て…くれ…」
この男に、雰囲気に、状況に、そして代理戦争という場所に。

それから逃れるためには、一言、ある言葉を言うしかない。

代理戦争とは、争いが起きたときに代理人をたて、公共の場で試合をさせるシステムだ。
貴族の遺産争いから組織の抗争まで、今では広く用いられている。
このシステムには様々な形態やルールの種類があるが、一つだけ共通のものがある。
それは、『謝罪の言葉』でこの争いに決着がつくということだ。

「ん?何か言ったか、オマエ」
男が興奮した面持ちで問う。
もちろん背中に馬乗りになったまま、青年の髪を掴んだままだ。
「ぃ、痛ぃ…や、…め…うっ」
怯え切って上手く表現できない青年。
男はその口許の血を親指で拭い、それを自分の口許へ運んだ。厭らしく舐め取る。
「あぁ、こんな美味い血が垂れ流しだぁ…勿体無い」
青年は一瞬ぎょっとした表情を浮かべ、更に怯えを深くする。
ほとんど泣きそうな顔で口をぱくぱくさせている。
そんな青年の耳元で、男はにやにやと囁いた。
「やめろって言ったってやめねぇよ。今回のルールじゃ、禁止されてるのは殺しだけだ。
いくらだって好きにして良いんだ。ほら」
男は身をかがめて――男の服装は青年に比べ重々しく、少し無理をしたと思われる――、
その頬ごと血をべろりと舐めた。
厭らしいというより、ナイフについた血を舐めるような残酷な舐め方だった。
「こんな風にも」
男はそのまま青年の唇に噛み付いた。

「ぐうっ…ふ、んうッ!」
青年が様々な痛みを訴えてうめくが、男は無関心だ。観客も沸いた。
――別に、客も男同士の絡みが見たい客ばかりではない。
闘犬や普通の格闘技と同じ様に、争いをみると鬱憤が晴れる、というだけだ。
特に弱いものが一方的に痛めつけられるような試合は、その度合いが大きい――
「う、ぅうっ……ぅ…」

――この青年は代理戦争専門の選手どころか、全くの素人だった。
なにかの事情で身の自由を奪われ、無理に出されているのだ。
逆に男は一流とは言えないが、サディスティックな試合で人気を博している、プロだ。

男は青年の腕を押さえる手を緩め、顔をより向けやすくして本格的なキスに持ちこむ。
先ほどまでと同じ様に、男の舌が青年の舌を嬲りまわしているらしい。
青年は嫌がって顔を背けようとするが、締め上げられていた腕が痺れ、どうにもならない。
唇の隙間から呻き声と吐息を漏らすだけだ。
「ん、ぐぅ…っう、あ」
唇が離れかけ、青年の口の端から唾液が滴り落ちる。
2人分の唾液と、血液が混じったピンクがかった色だった。
だらだらと流れる唾液が指先ほどの水溜りを作るほどになって、男は離れた。
本当に唇をかんだのか、また別の箇所から出血している。
青年は荒い息の隙間に、うわ言のようなものを混じらせている。
「…はぁ、…ぇん、ぁ……は、い…」
わななく唇からは血の気がうせ、涎も拭こうとしない。
「…ん、ぁさい…、ぉめ、んぁ…さい…ゆるひ…て…」
男にも、場にも、青年が何を言っているのか分かっている。
だが、認めない。
「んん?何言ってるのか…聞えねぇなあ!」
背中から退き、襟首を掴んで、青年は膝立ちほどの高さに引きずり上げられた。
無残に出血している顔面が客席にはっきりと露わになる。
「…ぉめんぁさひ…めん…なさぃ…」
「何て言ってるのか分かるやつ、いるかぁ!?」
無論、誰も返答しない。
客はこれからの続きがまだみたいのだ。
青年には気の毒だが、今しばらく娯楽に付き合ってもらう。
「なぁ、はっきり言って見ろよ。謝るなら――」
男が青年を引きずったまま言う。いや、囁く。
「――ここで、許してやっても良いんだぜ?
俺の今回の仕事は、純粋に勝つだけでいいんだ…」
青年が僅かに生気を取り戻す。
逆に、場は一気に冷めたような吐息を漏らす。
「言っちまえよ、――それでオマエは」
「許されるんだぜ?」

生気が唇に満ち、理解できる言葉を発す。
「……ごめ、ん…」
「んん?」

「…ご、め、ん…なさ…っぐう!?」
だが、男は青年の口に剥ぎ取った衣服の一部を詰め込んだ。
驚きに思わず男を見返す青年に、蹴りを見舞って再び地に伏させると、
「ま・言わせねぇけどな」
再び場が盛り上がる。逆に青年は愕然として、再び血の気がうせる。
突き倒され、突き落とされた青年の口に、細長い布が轡として噛まされ、
先ほどの布の塊が吐き出せなくなる。
呆然としている間に、腕を後手にまとめて縛り上げる。布なので心もとないが、仕方ない。
そうしてから、気が付いたように抵抗を始める青年をひっくり返し、仰向けにさせる。
青年はなおも後じさって逃げようとするが、男は左足を掴み簡単に引きずり戻す。
自分の腹、太股越しに見える凶暴な笑い顔。
青年は自分の身体に冷や汗が浮かぶのが分かった。



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