開いた窓から吹き込む風が、紗をはためかせた。
 膝を付き、項垂れていた男が我に帰って叫んだ。
「待ってくれ……行かないでくれ!」
 上質の布地を用いた最高級の衣服に華美な装飾を施した男はこの国の主、王だった。常日頃はその地位の通りに尊大な態度を崩さない彼が、今はまるで縋り付くものを求めるかの様に窓辺に手を伸ばす。
 その視線の先で、佇んでいた影が肩越しにゆっくりと振り向いた。強い風にも拘らず僅かに揺らめくだけの銀髪が、仄かに燐光を発している。この世ならざる美貌は、静かな視線を男に注いでいた。
「此処でも欲しいものは手に入りそうにないから」
 鈴の鳴る様な、しかし平坦なその声は少年のものだった。少年が振り向いた事に力を得たか、男は膝でにじり寄る様にして子供に言い聞かせる時の様な笑みを浮かべる。
「この国は永劫続く。おまえさえいてくれれば」
「其れは、ぼくの望むものとは違う事がわかった。あなたのお祖父さんの言った事は、本当にはならなかったね」
 この国の民は悉く王に傅くというのに、少年はまるで目下の者に向かっているかの様に泰然と男を見下ろす。目を見開いて絶句した男は、逆上に顔を染めて床に拳を叩きつけた。
「やはりおまえはこの国も滅ぼすのか!」
 少年は答える代わりにただ静かな視線を男に注いだ。しかしすぐに興味を無くした様に、直ぐ前の窓から眼下を眺める。贅を尽くした華やかな城。その最も高い塔の最上階。此処で殆どの時間を眠って過ごす様になってからどれだけ経ったのだろう。少なくとも、少年と最初に約束を交わした男が死に、誕生を見届けたその孫が成長して即位するまでは待った。
 此処にも無かった。
 小さく呟いて、窓枠に手をかける。飛び越えるのは造作も無い事だった。
 小柄な肢体が身を投げるのを目の当たりにし、男は悲鳴にも似た叫び声を上げて窓に駆け寄った。落ちていく長い銀髪が闇夜にとけ消えたのを視界に捉え、彼は力を失った様にずるずると座り込んだ。


 ――遥か昔から、半ば伝承と化した噂があった。
 この世には人ならざるものが存在するという。化生けしょうと呼ばれるそれは、美しい人の姿を持ちながら、決して老いず、死ぬ事も無い。それは国の興る場所に現れて国を導くものの傍に侍り、その繁栄を助けるという。化生を得た国はそれのもたらす益により恐ろしいまでの勢いで栄え、しかしけして長く続く事はなかった。三代持たずに滅びていくのだ。それが逃れられない宿命ででもあるかの様に。
 化生は滅ぼす為に栄えをもたらすのだと言われた。それが何の為にその様な事をするのか、国を食らう為なのかそれとも他に目的があるのか、知る者は誰もいない。
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05/01/26
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